第五章 意外な強敵で手も足も出ない件(1)
■第五章 意外な強敵で手も足も出ない件
七星高校の校舎は校庭より一段高い土地に建っているわけだが、その段を上るための階段までもう少し、というところで、上に立っている二人の人影に気がついた。
奈々美とこなと。
二人が、俺とメルを見下ろしていた。
「あら、こなとが警告してたはずですのに、来ちゃったわけですの?」
奈々美が、やや楽しそうな表情を浮かべて声を落としてくる。
「あったりまえよ! なんだか条件がどうとか言われてもわけわかんないから、取り返しに来た!」
と返すメル。
ああ、こなとの話、実は分かってなかったな、こいつ。
「あらそうなの。その割には、四切さんはうちの女子生徒といちゃいちゃと楽しそうでしたわね♪」
「ち、違うって!」
ほほほほほー、と、奈々美は俺のあわてぶりを見て笑う。小憎らしい。
「ともかく、ちゃんと美空に言って邪魔はしないようにするから美空を返してくれ。それに、今後、うちの学校の男子がお前のところに行くにしてもちゃんと節度を持って通うようにお前から言い聞かせてくれるなら、一切かかわらないようにする!」
ともかくこの直談判のために来たのだから、彼女らから現れてくれたのは好都合だった。
だから、今、頼むべきことを言い切る。
「そうは言われましても、ねえ♪ 私のファンの方から、団結を乱す、と苦情が出ておりましたの♪ 美空さんの行動は少々行き過ぎてしまったんですのよ♪」
「だからって……こ、こっちだって苦情が出てたんだし、お互い様だろ。お前がきちんと言い聞かせてくれればこっちの苦情もおさまるんだ」
「そんなことをしても私の得になることはひとつもないじゃないの? 私は私を慕ってくれる人に私のできることをしているだけよん♪」
「だったら美空を監禁することだって何にも得にならないだろ!」
俺はちょっと気色ばんで叫ぶ。
「そうかもね♪ 『調教』が済んだら、お返ししますわ♪」
「ちょ、調教!?」
メルが身震いしながら繰り返す。
調教って。
「いったい何を!?」
「そりゃもう、毎日おいしいお食事と快適な生活、私に逆らわずにいることがどれだけ素晴らしいことか骨身にしみていただきますの♪」
こなとが言っていたことはほぼ間違いないようだった。
要するに、美空の毒っ気を抜いちまえ、ということなのかもしれない。
「わっ、私も調教していただけますか!?」
うん、メルはもうちょっと毒っ気を抜いてもらってもいいね!
じゃなくて。
俺は左手でメルの後頭部を叩いて黙らせる。
「もちろん。そのかわり、私に逆らったら『不幸』になるってことも、身にしみていただきますわよん♪」
「頼んでねーよ! とにかく美空を返せ」
「うるさいわねん♪」
奈々美のその声が終わるかどうかのとき。
突然、俺の右耳になんだかうっとうしい音が響いてきた。
ぷーん、という小さな音。
そう、夏になると現れる、国内総吸血量ナンバーワンと目されるあの吸血生物、『蚊』だ!
うわっ、と小さな声を上げて俺は右耳のあたりを手で振り払うが、音の主は遠ざかっては近づいてきて、うるさいことこの上ない。
「わっ、蚊だ!」
見ると、メルも同じように頭の周りで手をばたばたと振り回している。
「ちょ、ちょっと待て!」
俺は言ってメルの耳元を行ったり来たりしている小さな生物を両手で叩き潰した。
手のひらには蚊の死骸。
「あら、どうしたの? 突然二人して蚊に襲われるなんて、不幸ねえ♪」
奈々美が上から笑う。
間違いない、奈々美の能力だ。
……だが、いったい何の能力だ?
虫を操る能力?
微妙にアホっぽい能力の傾向からして、そういうのはありそうだ。
「メ、メル、早く俺のも捕まえてくれ」
と俺はメルに言うが、メルはひたすらぱちんぱちんと空振りを続ける。蚊一匹を相手に。これはひどい。
「まっ、待ってろカズ、大本を潰せばっ」
メルもこれが奈々美の能力と気づいたのだろう、蚊を捕まえるのをあきらめて奈々美の方へ振り向く。
「行くぞてめっ――」
最後の音が聞こえる前にメルの姿が消え――。
「へぶぅ」
情けない悲鳴に変化した。
見ると、メルがでかい落とし穴に下半身がすっぽりはまってもがいている。
「馬鹿な……それは美空の能力……!」
俺は思わず口にしていた。
「あらあら、そうでしたの? それは失礼~♪」
ともかくメルを助け出すために、俺は落とし穴のふちに駆け寄る。
メルの両手をつかみ、引っ張りあげる。重っ。
メル自身がちっとも上がろうとしない(いやたぶん上がろうともがいてるんだけどまったく無意味なだけ)ので、なんだかダイオウイカの水揚げのような感じでメルをずるずると引っ張り上げることになった。
この距離での落とし穴。もしかするとまだ待機時間かもしれない。少なくとも落とし穴が消えるまでは待機時間のはずだ。
メルの引き上げが終わると同時に、俺は駆け出した。
だが、三歩目を踏み出そうとした右足が何かに引っかかる。
バランスを崩して前のめりになり――メルならここで転ぶだろうが、さすがは俺、まだ軸足に残していた体重を使ってもう一歩――と思ったら、軸足も何かに引っかかった。
たまらず両手を前に出して――手も何かに引っかかった。
「ぎゃふん」
結果として、俺は無様に転げ、漫画みたいな悲鳴を上げることになっていた。
「あらあら、勝手に転んじゃって。あなたが一番ちょろいわぁ♪」
……何をされたのか分からない。
ただ、転んだときにぶつけた顔面がひどく痛むことだけしか分からない。
「さあ、次は何を見せてくれるのかしらん♪」
奈々美は余裕の表情で転がる俺とメルを見下ろす。
「奈々美様に下手に逆らおうとすると、不幸になる。彩紗様には運よく勝てたみたいだけれど、奈々美様に害をなそうなんて思わないこと」
黙っていたこなとが、低く通る声で言う。
「あらこなと、怖いわあ♪ 私だってみなさんに痛い目を見てもらいたいなんて思ってるわけじゃないのよん♪ 美空さんだって、ちゃんと親御さんの外泊の許可までとってるんだからん♪」
俺は痛む体を引きずるようにして起き上がる。
「……で、調教か」
「あらごめんなさい、さっきは調教なんて下衆な言葉使っちゃいましたわね♪ あくまで美空さんとは利益を共有したいと思ってるのよん♪」
「安和小路様は快適に過ごされている。その点だけは保証する。あなた方が無為に傷つくことを望んでいるのではない。ただ、奈々美様の邪魔をしてほしくないだけ」
やけに饒舌にしゃべるこなと。もしや、回復待ちか。
「メル、起きられるか」
「だーいじょうぶ!」
「能力は」
「回復!」
「行け!」
俺が言ったとたん、メルは片膝ついた体勢から起きぬけに助走を始める。
助走をつけないと時間を止めても相手のところにまでたどり着けないというのが、なんとももどかしいポンコツっぷりである。
「無駄なことよ!」
奈々美が叫ぶ。
そして、こなとがすっと出てきて、奈々美の肩に手をかけ、
「……っ……」
何かを小さくつぶやいた。
――瞬間。
奈々美の全身から、青いオーラとでも言うしかない何かが立ち上る。
それは、かすかに揺れながら、炎のように吹きあがっている。
いやいや、見えてるし!?
こういう能力って無能力者に見えちゃ駄目なあれなんじゃないの!?
「くらいなさい、レベル256っ!」
256?
そんな。
128が限界じゃないのか。
奈々美が腕を振り下ろす。
とたんに、青いオーラは消える。
……。
何も起こらない。
起こっていない。
「カズっ……!」
駆け始めていたメルが、五歩目を踏み、六歩目を踏み損ねて膝から崩れる。
「……どうした、メル」
俺が歩み寄りながら聞き返すと、
「……時間がっ……止まらない……」
メルは悲痛な声でつぶやくように叫んだ。