第四章 炎を使うピンク女にたじたじとなるの巻(3)
俺とメルはさらに距離をとりながら、校舎から見て校庭の反対側の端にある、なにやら和風の建物の軒下にまで避難した。
燃えやすそうなこの建物の近くであのファイアーボールや炎龍を乱射なんてさすがにできないだろう、という読みだ。
読みどおりなのかどうなのか、彩紗は最初に立っていた位置から少しだけ追ってはきたが、やはり校庭の真ん中で立ち止まって、俺たちの出方を伺っているようだ。
「くっ、あんなやつが奈々美ごときの下に甘んじているとは、どういうことだ!?」
「漫画ごっこはもういいから」
メルのボケに突っ込みを入れながらも考える。
正直、メルたちが目覚めたという能力は、全体的にショボい。
少なくとも、持っていても役に立たないやつが能力に目覚める傾向がある……気がする。
あんなに隙の無い無敵能力なんてありえないはずだ。
「ふっ、炎を操るか、だがそのような小細工、我が拳の前には子供だましの手品よ!」
「次は何のキャラだよ」
「いや、炎使いって圧倒的パワー系のラスボスに力でねじ伏せられるイメージだから、ちょっとそんな感じを作ってみようかと」
「うん、どっちかというとあっちがラスボスでこっちがひねりつぶされる側な」
あーメルの相手もめんどくさい。
どっちもめんどくさい。
……いや、パワーでねじ伏せる、か。
ともかく、能力に目覚めたからって身体能力がアップするわけじゃない。メルが好例だ。
ならば、あの不思議ちゃんキャラの彩紗だって、元来は非力な少女。男の俺になら、ねじ伏せられるはず。
問題は、どうやってあの炎の龍をかいくぐって近づくか、だ。
どんな能力でも最低レベルは1だ。つまり、二秒の待機時間がある。ってことは、あのファイアーボールのけん制を誘いながらじわじわと近づけば、隙ぐらいはつけるかも知れない。
つまり、炎の龍を出させずファイアーボールを撃たせ続ける。
……そうか。
「いいかメル、今度は二手に分かれるぞ。なるべく離れて」
「えー。またあのヘビが来たら、誰が担いで逃げてくれるのさ」
「自分の足で逃げるっていう選択肢ははなから無しかよ。まあいい、とにかく、あれが出てもやられるのは一人だ。もう一人が突っ込むことになる。彩紗もそこまでの馬鹿じゃないから、二手に分かれていれば、たぶん、あの小さな弾の連射でけん制してくると思うんだ。それで、じわじわと距離を詰める」
「うっわ、卑怯」
もともと二対一でいいと言ったのは彩紗だ。卑怯も何もあるもんか。
「あのタマって、当たったら、燃える?」
「さあ。燃やされたら燃やされたときだ」
そういえば、あのファイアーボール、直撃したらどうなるのかなんて試していないな。
「やだなー。なるべくカズが前に行ってね」
「言われずともそうするさ。んで、お前が時間停止一回で相手の懐に飛び込める距離になったら、一気に飛び込め。いいな」
「はーい。ま、世界を支配する私の能力にかなうやつなんていませんって。炎使いはあっさり二度死ぬことになるのだ、うははははは!」
ダメだ、元ネタも分からないたわごとだ。
「じゃ、行くぞ」
「おうよ。カズ、あんたの墓は私の小遣いで建てたげるわ」
さぞかし立派な墓だろうよ。
***
俺とメルは、満を持して歩みだす。俺は右へ、メルは左へ。距離を開きながら、彩紗との距離を縮めて行く。
「あは☆ やっと出てきたね☆ なになに、挟み撃ち? やっと本気ってわけね☆」
彩紗の言葉に、まだ遊んでたのかよ、と思いつつ、じわりと距離をつめて行く。目測が得意ではないが、まだ五十メートルはある。
この距離でも彩紗はファイアーボールを撃ってこない。そういえばさっきもある程度逃げたら彼女の攻撃が炎龍に変わった。五十メートルはファイアーボールの射程外なのか。
と言って、五十メートルは一足で詰められる距離ではない。俺の脚で十メートル。メルなら五メートルまで詰めないと。まあ、メルはそこに時間停止でプラス十メートルくらいは取れるかも知れないが。
彼女が停止した時間の中でどれだけの運動能力を発揮しているのかが実は分からない。時間が動き出した後の彼女はたいてい転びかけてるか何かしら攻撃を食らっている。……ひょっとしなくてもメルはアホだからなあ。停止時間の中で高笑いしながらラスボスごっこでもやってるかもしれん。あー、想像するだけで頭が痛い。
「ほら、行くよ☆」
彩紗の言葉にはっとすると、彼女が右手を水平に上げている。ファイアーボールの構えだ。
パシッ、という小さな音とともに彼女の右手の中で火花がはじけ、そして、ぽうっと燃え上がった火の玉は、一気に加速してメルを襲った。
「ぎゃあ」
緊張感の無い悲鳴を上げて、メルが後ろにひっくり返る。
そう言えば、メルはしょっちゅう転んでるから、地面にひっくり返るのにはずいぶん慣れてそうだなあ。
ともかく、ひっくり返ったおかげでメルは火の玉を回避し、火の玉はメルの転んだほぼ真上で煙を伴って消えた。
メルが無事なのを見て俺がさらに距離を詰めようとする。もうその距離は二十メートルに満たない。
数歩を踏み出したとき、今度は彩紗は俺に向けてファイアーボール。
一番最初に見た手加減速度ではなく、さっき逃げる俺たちを追ってきたトップスピードのやつだ。
俺は、地面に両手をつくようにしてかろうじて避ける。だがファイアーボールはぎりぎりまで追尾してきて、俺の耳元にしゅーっという燃える音を響かせ、なびいた髪をわずかに焦がして消えた。
たんぱく質が炭化するいやなにおいが鼻を突く。
まだひっくり返ってジタバタしているメルは放っておいていいと見たか、彩紗は再び俺に向けてファイアーボールを放った。
避けるか。
……避けるか?
当たったらどうなるか分からない。
さっきのメルとの会話。まだ当たってみてはいない。
確かに髪は焦げた。間違いなく本物の炎ではある。だからと言って、それが本当に致命的な危険なのかは分からない。言ってみりゃちょっと熱いだけ、にしか、今のところは見えないわけで。
メルもひっくり返ってるし。二手に分かれる作戦はほとんど壊滅だし。
やけっぱちでまっすぐ突っ込んでみるか。
――だな。
俺は、うん、と小さく気合を入れて、まっすぐ、彩紗に向けてクラウチングスタートの要領でスタートを切る。
一応、顔が熱いのはやだから両手を顔の前でクロスさせて。
二、三歩踏み出したかどうかのところですでにファイアーボールは目の前だ。
こういうときは、アドレナリン的なものが分泌されて世界がスローモーションに見える、というのは嘘だった。
「のわぉぇっ」
ぼわっと両腕が炎に包まれ、鋭い熱さと痛みが前に出していた右腕に走る。
だが、それも瞬きほどの時間だった。
炎はあっという間に消えていて、火の玉の当たった右腕に黒い煤のような点と、腕毛と前髪が焦げたにおいだけが残った。
「ふっ、ふははははは! 彩紗、敗れたり!」
俺が無事なのを見て、なぜかメルが叫ぶ。
いや、普通に熱かったからね? 痛くなかったわけじゃないからね? 何度も食らったらさすがに心が折れますよ? なんでなんにも耐えてもないメルさんが勝利宣言ですか?
「正面から受け止めた!? ……やるね☆」
やるね☆ じゃねーよ。熱いよ痛いよ。
と思ってふと足元を見ると、かすかに煙を上げる小さな棒が見える。
長さは五センチほど。半分は真っ黒、残りは肌色っぽい角柱状の、細い棒だ。
ものすごく見覚えのあるこれは。
……マッチ?
間違いなくマッチの燃えカスだ。
考えてみれば、彩紗が炎を発するときの『パシッ』という音も、あからさまにマッチを擦る音だ。むしろ、どうして今まで気がつかなかったよ、これ。
もちろん、たかがマッチとはいえ、あのトップスピードで燃えながら飛んできたら熱いし痛い。ファイアーボールの正体がマッチと分かったからと言って何か事態が好転したというわけではないのだ。
俺は体制を整えて、再び駆け始めるが、すぐにファイアーボール改めマッチが飛んでくる。
そりゃたいしたやけどにはならないって分かってる。だが、やっぱり一度食らった体は勝手に反応して、思わず伏せてそれを避ける。
そして、伏せたのは逆効果で、スピードを失ったまだ熱いマッチの燃えさしが背中に落ちてきて薄いTシャツ越しに背中を焼き、俺は悶絶することになる。
「うわっち! おいメル! 仕事しろ! お前も突っ込め!」
「やだよ、熱いもん!」
うわー、使えねえ。
仕方が無いので、もう一度起き上がり、前傾姿勢で加速。彩紗までの距離はもう十メートルもない。
もう目の前で、彩紗の右手から火花が散る。
と思ったときにはすでにマッチは目の前に飛んできていた。
俺はここぞとばかりに幽霊運動部員的動体視力と反射神経を総動員して、右手を振り下ろした。そう、飛んでいるうるさいハエを叩き落そうとするときのように。
あつっ。
熱さを感じたのは手のひらだった。
マッチを叩き落すことに成功したのだ!
「……っしゃぁ! 今度こそ彩紗敗れたり!」
今度は俺が思わず叫んでいた。
気づくとはるか左方で、メルも同じようにダッシュし始めているのが見える。
そして、彼女は瞬間移動し、俺と同じ、彩紗まであと五メートルという距離に現れた。
そう、運動音痴のメルでも、とりあえず走って勢いにさえ乗っていれば、それなりに時間停止の威力を発揮できるはずなのだ。
俺とメルが、もう数歩の位置、それも左右から同時なのだから、これで彩紗もチェックメイトと観念するしかない。
――はずだった。
彩紗は左手を胸元にまで持ち上げると、右手のマッチで着火。
即座に左手の前に巨大な炎の塊が現れる。
まずい。炎龍だ。
炎龍は出た瞬間にその場で彩紗を取り囲むようにぐるぐると巨大なとぐろを巻きながら、徐々に半径を広げていった。さっき俺たちを囲ったのとはまったく次元の違う密度で、だ。
それはあっという間に至近距離まで到達していた俺とメルを巻き込もうとする。
「メル、転べ!」
叫びながら、俺は急ブレーキをかけてのけぞる。俺の目の前を炎龍の牙(?)が通り過ぎて行く。
体をひねって伏せ、腹ばいで逃げる俺を炎龍の渦はじわじわと追ってくる。炎は明るく輝き、彩紗の姿は見えない。きっと彩紗からも俺の姿は見えないだろう。もし見えていたら、あの龍の牙は俺の背中をとっくにまっすぐに襲っているはずだ。
俺は恥も外聞も無く家庭内害虫のように這って逃げ回り、それが俺の感覚では一分以上は続いたと思えたころ、ようやく圧倒的な炎の炎熱が後頭部から消えた。
息を上がらせながら起き上がり振り返ると、立ったまま同じようにぜいぜいと息を弾ませる彩紗と、うつぶせにばったりと倒れてぷすぷすと煙を上げているメルの姿があった。




