第四章 炎を使うピンク女にたじたじとなるの巻(2)
「こんにちは☆ あたしは日野彩紗☆ えっと、時任メルちゃんと四切一之ちゃんよね?」
脱力した俺に追い討ちをかけるように、緊張感をそぐ緩々(ゆるゆる)な甲高い声が続く。
「そ、そうだけど、あんた、何者?」
さすがのメルも、引き気味だ。
「だーかーら、あたしは彩紗ちゃん☆ よろしく☆」
「ああ、はい、よ、よろしく……」
うん、何を悠長に挨拶してるのかな? 俺は。
「じゃ、勝負しよ☆」
右手の人差し指をぴっと立てて突き出す彩紗。
「わけわからん」
「えっと、奈々美ちゃんの首根っこ押さえちゃうんでしょ? だったら、あたしに勝ってから行きな☆」
「お前も奈々美一派か」
俺が言うと、彩紗は急にほっぺを膨らます。
「違うよぉ。あたし、奈々美ちゃんはきらーい☆ でも、こなとちゃんが奈々美ちゃんラブだからさ、君らが奈々美ちゃんやっつけようとしたらこなとちゃんも巻き込まれちゃうでしょ☆ こなとちゃんに手を出すやつは許さないんだ☆」
「ややこしいわ!」
メルが思わず突っ込みを入れる。メルならずとも突っ込みを入れたくなるだろうけど。
「それにさー、こなとちゃんに、一般人相手に『能力』使って全力でやっちゃダメ☆ なんて言うんだもん。全力でやってみたいじゃん? ね、だから、勝負☆」
「の、能力? じゃお前ももしかして……」
「そうでーす☆」
彩紗は、キラリン☆ という擬音がつきそうなウィンクをしてみせる。
「……だそうだ、どうしよう」
メルのほうを見る。
狼狽している。
「いや、あんなちんちくりんぶっ飛ばすのは簡単だけどさ」
嘘つけ。たぶん小学生とやりあってもメルに勝ち目は無い。
「そ、その、彩紗ちゃんだっけ?」
「なに? メルちゃん」
「ちょ、ちょっと待たない? 具体的には、三分ほど!」
ああ、そういうことか。
さっきのビー玉転がしでたっぷりレベル128使っちゃってるわ、こいつ。
ビー玉転がして自分が転ぶだけに13秒かかるのかあ。その時間があったら百メートル走りきれるやつもいるのになあ。
「三分? うーん、ま、いっか☆」
待つんかい!!
「じゃあじゃあ、突っ立ってるのもなんだし、こっちのベンチ使って☆ あたしも座るから☆」
えー。そういう雰囲気でいいんだっけ?
というか、完全に俺もメルも彩紗の空気に飲まれつつある。
もしこれが彼女の作戦なら、たいしたものだ。
ここで油断させて一気にかたをつけたり、……ありうる、か?
なんてことを考えていると、
「あ、ごめーん、そりゃ警戒するよね、大丈夫、あたしは紳士よ☆ さあこの薄い胸に飛び込んでらっしゃい☆ って誰が薄い胸やーっ!」
びしーっと一人突っ込み。
……付き合わなきゃだめかな、これ。
「……ま、乗ってみるか」
「あれの作戦に? めんどくさ」
俺が小声でメルに耳打ちすると、メルはうっとおしそうな顔をしながらも、しぶしぶうなずく。
そして、二人してのんびりと歩いて、彩紗の示すベンチに座った。
……特に罠も何も無い。何の変哲も無い、だけど、妙にすわり心地のいいベンチだ。さすがハイソ高校。
「――で、何しに来たのっ?」
当たり前のように隣に腰掛けた彩紗が話しかけてくる。
っていうかこいつ、思った以上に事態を把握してないくさい。美空誘拐事件にかかわってたら一発でピンとくるところだろうに。
もしや、何も知らない?
「いや、知ってるだろ? 奈々美が変な教団作って他校の男子集めてるの」
「あー、あれね☆ キモいよね☆ 汗くさいし☆」
おや? こいつは案外話が通じるかもしれないぞ?
「私のとも……し、知り合いがね、うちの高校の男子に抜けるように言ってたら、拉致されたのよ、拉致。だから、助けに来たの」
「へー、拉致! 奈々美ちゃんもやることエグいなー☆」
「ってわけだからさ、もしよかったら、ここでドンパチ無しで行かせてもらえると助かるんだけど」
思い切って俺は提案してみる。
「拉致はまずいよねー。でも、こなとちゃんを痛めるけるつもりでしょ? それもダメだよねー☆」
「いやいや、こなとには絶対手を出さない。誓う。な、頼むよ」
「うーん、どうしよっかなー☆」
右頬に人差し指をくっつけて小首をかしげる彩紗。
考えてるポーズ……なんだろうけど、どう見ても考えてるようには見えない。
「やっぱ、だーめ☆ だって、せっかく全力でバトルできるチャンスだもん☆」
「いやさ、バトルって……お互い痛いだけだし、やめようぜ」
「でもねー、せっかく面白い能力ゲットしてさ、使えるようにいろいろ仕掛けもしたんだよ? やってみたいさぁ☆」
うん、最後、なんとなく沖縄訛りっぽいしね?
ダメだ。この子は、メルとかとは違う方向性で徹底的にアホの子だ。
何で俺の周りにはアホの子しか集まらないんだ?
「……そろそろ三分だよ☆ さって、やろうか」
彼女の言葉の『やろうか』の『や』が、『闘』あるいは『殺』の字に聞こえたのは俺だけだろうか。
「そのさ、最後にもう一度訊くけど、せっかく親睦も深めたことだし、穏便に、ってわけには……」
「うーん、ごめんね☆ 悲しいけど、これ、戦争なのよね☆」
名言っぽく言ってもダメ!
って突っ込みを入れてやりたかったが、そういう段階は当に過ぎてるんだろうな。
「じゃ、こっちは二人がかり、あんたは一人、そういう条件でいい? あんたから売ってきた喧嘩だからね」
メルはベンチから立ち上がり、彩紗のほうへ振り向きながら言う。
「もっちろん☆ 強敵こそあたしの望み☆」
ああもう。漫画脳ってこういうのを言うんだろうな。めんどくせえ。
お互いに距離をとって校庭の真ん中で対峙する。
あ、そういえば相手の能力が分からない。困ったぞ。さっきの雑談でそれとなく聞いておけばよかった。
「ちなみにどうなったら勝ちなんだ?」
「あたしが負けを認めたら☆」
うん、難しそうだ。
「俺がけん制する、彩紗の目が俺に向いたらすかさず時間を止めて突っ込め」
「りょーかい」
小声で打ち合わせると、俺はすぐに動いた。
左に立つメルを残して、右に回りこむようにダッシュ。それを見た彩紗は、もちろん俺を警戒する。同時に、右腕を水平に上げる動作を見せる。あれは何かの能力を発動しようとしている。
発動される前に急げ、メル。
瞬きしたそのときだった。メルの姿が消え――。
「ぶわっちっちっち!」
メルから彩紗に向けて数メートルのところで悲鳴を上げながら転がるメルが現れた。
そのほぼ真上には、ぽうっと光るオレンジの玉。
「時間止める能力だってことは、さっきのザコバトルで調査済み☆ あたしってば、さすがの観察力☆」
彩紗は、右手を水平に掲げたまま、にこにこと笑っている。
あのオレンジの玉はなんだ?
――と考える間もなく。
彩紗の右手で黄色い火花がはじけ、同時に、オレンジの玉が生じると、まっすぐに俺に向かって飛んできた。
そして、間近に見てそれが何なのか、はっきりと理解した。
炎だ。
小さな炎の玉が俺に向かって飛んでくる。
俺は思わず身をかがめてそれをよける。
と思っていると、さらに、第二発、第三発が、ぼっ、という音を立てながら、俺に向かって飛んでくる。しかも、これは誘導機能付きだ。俺が早めによけると、軌道を変えて追ってくるのだ。
自然、俺は、ファイアーボールをぎりぎりまでひきつけて身をよじって避けるしかなくなる。
「うぉっ、あつっ、ちょ、ちょっとタンマ!」
避けながら俺は思わず叫ぶが、彩紗はお構いなしだ。にっこにこの笑顔で、炎を連発してくる。
ようやく、メルが起き上がって、それから俺の状況を確認し、
「よしっ、カズ、後は頼んだ!」
あろうことか、叫ぶとすたこらさっさと逃げ出すではないか。
「こらメル、ずるいぞ!」
俺も避けながら逃げる。
よく見ればファイアーボールはそんなに速いスピードではない。
全力で逃げれば逃げ切れるか?
……そんなことは無かった。
「背中見せたら焼き尽くしちゃうぞ☆」
びゅん、と音がするほどにスピードを上げた炎弾が背後に迫り、俺は思わず前転で避ける。
久しく校庭の砂にまみれる経験の無かった俺の脳裏に、去年の体育祭の騎馬戦で馬ごとつぶされて頭から背中から何もかも砂が入り込んだ記憶がよみがえる。ハイソ高校となると砂の味まで一味違うような気がする。
転がりながらも何とか起き上がると、全力で前方を走るメルが、ちょっとだけ瞬間移動したのが見えた。
ファイアーボールの射程とレベルは絶対に関係あるはず。俺は勝手にそう決め付けると、とにかく距離をとるためにメルを追う。たちまちメルに追いつく。
「遅い!」
「もう……だめ……」
何だこのポンコツは。たった十数メートルで息も絶え絶えか。
俺はとっさにメルを右肩に担ぎ上げると、後ろから再び迫ってきたファイアーボールを避けて、両足に残った力のすべてを注ぎ込んだ。
加速した俺とメルは、何とか炎の熱さをぎりぎり感じるくらいのところで攻撃を避ける。
「うまく避けるねー☆ じゃ、これでどうだ☆」
背中に、ぞくりとするものを感じる。
思わず振り向くと、彩紗は右手に加えて左手を上げ、右腕を曲げて、まるで見えない弓を引くようなポーズをとった。
そして、彼女の右手に黄色い火花が飛んだと思った次の瞬間。
ぼうっと巨大な炎が彼女の左手の前に生じると、それは大蛇のように伸び、俺たちに向かってくる。
目の前に近づいたそれをとっさに右側に飛んで避けると、通過した炎の龍はすぐに折り返し、俺の進行方向をふさぐように炎の弧を作る。
そしてさらに、ぐるりと一回り。なんという誘導性能。
完全に包囲された。逃げ道は無い。
だが、見ると、炎の龍は地面から一メートルのところを飛んでいて、地面との間には隙間がある。
俺は迷わずメルをそこに向けて転がした。
「へぶっ」
情けない悲鳴を上げて転がるメルは、それでも何とか炎の包囲網から抜け出す。
俺は、炎の龍を操っているであろう彩紗をにらんだ。こうなっては仕方が無い。どこかに火傷を負う覚悟で突破するしかない。
彩紗に背を向けると、両腕で顔を覆って、炎の奔流の中に飛び込んだ。
――熱い。
と思ったのもつかの間、炎は幻のように消えてしまった。
助かった。たぶん、持続時間だか何だかの能力の制限に引っかかったのだ。
たぶんあれだけの大技なら高レベルのはず。再発動まではだいぶ時間があるはずだ。
とは言え、まだ相手の能力の制限もよく見えない以上、不用意に突っ込むのも危ないだろう。
そのまま転がっているメルを再び担いで走り、なんとか、彩紗との距離を百メートルは稼いだ。
「こらー、逃げたら勝負にならないぞ☆」
遠くで彩紗が叫んでいるが、冗談じゃない。
能力が正統派すぎる。
いくらなんでもまともに相手にできない。