第三章 あの教団マジで怖いんですけど(1)
■第三章 あの教団マジで怖いんですけど
ほうほうの体で逃げ出した俺が、七星高校から二百メートルほども駆けたところだった。
横合いから突然飛び出してきたメル。
ぶつかりそうになったが、俺は何とか脇にステップしてメルを避けた。その代償に、思い切りつまづいて横に転ぶことになったのだが。
「かっこわるっ」
メルが見下ろしながらつぶやく。
「お前が急に飛び出してくるからだろ」
ぶつかりそうなところにわざわざ飛び出してきたのはメルだろうに。
いつか車に轢かれるんじゃないかと心配になる。
「何かあったの?」
美空は、ちょっと心配そうな顔で手を差し出してくる。
手のひらは砂埃だらけだし、手を借りるほどどこかを痛めたわけでもないので、大丈夫、のジェスチャーをしながら俺は一人で立ち上がった。
美空もメルと絡んでるとアホに見えるけれど、こうしてみると普通の女の子並みの情緒や気遣いが見えて、逆に新鮮だ。そうか、やっぱり諸悪の根源はメルか。
まてまて、もしかすると俺も、周りからはメルオーラの中でアホに見えてる……?
どうでもいいけどメルオーラってなんかゲームの呪文っぽいよね? 効果は『アホになる』とか。やだなあ。
そんな雑念の中に逃げ込もうとしてから、美空の心配そうな顔に気づき、俺はすぐさま現実に戻る。
そう、あの『教団』だ。
「やばい、やばいって。なんかみんな、洗脳されてるくさい」
俺は見たものをまさに一言にまとめる。
「じゃあここにいる貴様も洗脳済みかぁ! よっしゃ歯ぁ食いしばれ!」
えっ、違う……と言いかける前に、すでにメルはビンタを振りぬいていた。
もちろん空振りだ。
「……時間止めて? ビンタ空振り? どんだけ運動音痴なのよ」
美空は呆れ顔だ。
「まあ、助けられてるけどな」
メルがまともな運動神経を持っていたら、今頃俺は本当にアホになっているくらい頭部を殴られていただろうと思う。
ともかく。
「まず聞け馬鹿メル。洗脳くさいと思ったから大慌てで逃げてきたんだよ。あれは本当にやばいやつだ。誰も彼もが『奈々美様~』だぞ」
「何よそれ。もしかして、洗脳の能力持ちとか?」
「洗脳の能力……?……ほかにも能力者っているのか?」
「私が知るわけ無いじゃん。でも私らが理由もなく能力持ちになったんなら、ほかにいてもおかしくないし」
「そうね。私はほかにもいるのかって訊いたけど、あのやろうすっとぼけてたから、たぶんいるんだよ」
あのやろう、とは、彼女らが能力に目覚めたときに声をかけてきた神っぽいけど性格の悪いアレのことだな。
「だけど、あの調子で教団を広げられたら世界征服だってできるぞ。その『能力』ってやつは、本当にそんなことをしでかせるほどのものなのか?」
「だから知るわけねーだろ。まあ、美空のヘボ能力に比べたら私の時間停止なんて世界を支配するとも言えちゃうから? そんな能力もあるかも?」
「なるほど、あのやろうも考えてるのかもね。役立ちそうな能力は役立たずのところに行くように、ね」
「お? 私の能力にケチつけようってのか?」
「いえいえ、能力は役立ちそうだけどって言いましたけど? 役に立たないのは……ぷぷっ」
「てめっ」
「はい、ストーップ」
俺がイエローカードを掲げて、彼女らのにらみ合いを解く。
実のところ、俺が二人まとめて馬鹿にすれば矛先がこっちに向いて二人は仲良し、ってパターンは見え始めていたが、進んで痛い目に遭うつもりは無い。
「とにかくかかわらないことだ。別にこっちが敵視されてるわけでもないし、被害っつったら部活をサボってるくらいのもんだろ? 悪いが、降りよう」
「何弱気になってんだカズ。別にその奈々美? ってのが、悪いことたくらんでるんじゃないんなら、直接話つけに行こ」
「部活のサボりが増えて困ってるんで、召集ペース落としてもらえませんかね、ってくらいなら、聞いてくれるんじゃない?」
あの異様な空気を見ていないから二人ともそんなことを平気で言えるんだ。
とは思うけれど、俺が反対しても二人で行ってしまいそうだ。
「分かった、俺も行くから、ひとまず今日は待て。ちょっと考えがあるから。メルにもひとつ頼みたいことがある」
***
八剣高校から七星高校まで、少し急げば十分ほどの道のりだから、実はこれが一番だった。
昼休みだ。
八剣高校は十二時十分から十三時二十分までが昼休み。七星高校も同じかどうか分からないが、すぐに学校を出て着いたころはちょうど十二時半くらいだから、まず間違いなく昼休みの時間にはかかってるはず。そこで奈々美に会うのに三十分かかったとしても、午後の授業にはぎりぎり間に合う。まあ間に合わなくても別にいいけど。
あの潜入から数日。こうして俺たちは、昼休みに七星高校に向かっている。
何日か時間が空いたのは、もうひとつ調整をするためだった。
七星高校の校門に着くと、そこには、初めて見る顔が俺たちを待っていた。
「こんにちは、眞鍋こよみです。あゆみがお世話になりました」
七星高校に通っているという、あゆみの姉、こよみだ。メルからあゆみを通じて連絡を取ってもらっていた。
「こちらこそ、今日は無理を言って」
俺は軽く頭を下げる。メルや美空も続く。
「私も矢那先輩には面識が無いから呼び出したりできなかったんですけど……教室までで大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫! ほんと、悪いねえ」
メルが答えて、さ、行こ、と彼女を促し、進み始める。
「顔くらいは知ってるんだ?」
メルが尋ねている。
メルとこよみが並んで歩き、俺と美空が後ろに進む。
「ええ、ちょっとした有名人なんですよ、最近じゃ」
「それは、あれ? ファンクラブ」
「うふふ、そうね、すごいですよね、他校からもファンが押しかけてるなんて」
それは洗脳ですよ、とはさすがに突っ込みを入れられない。
「理事のお一方もファンなんですって、私もよくは知らないんですけど、なんて言うんですかね、ちょっとしたスピリチュアル? そんな感じの特技があるんですって」
それは洗脳ですよー。
のど元まで出てくる突っ込みを飲み込む。
学校理事がやられてるとなれば、他校の生徒が堂々と入っていって彼女を拝むのが見過ごされているのも当然かもしれない。しかし、そのことが、彼女が洗脳の能力を持っていることの確信を深める。
実は今日も、もしかすると俺たちもやられるかもしれない、という覚悟だが、三人いれば、一人くらいは逃げられる。少なくとも、怪しい気配を感じたら、落とし穴で奈々美を封じてメルが時間を止めて逃げれば、メル一人は助かるはずだ。
まあ、『洗脳』の能力がどんな条件で成立するものなのかなんてのがまったく分からない以上、希望的観測でしかないのだが。
やがて俺たちは、こよみの案内で、奈々美のいる教室の前にまでやってきた。
そこまでの案内でいいとは言ったが、ついでだから、ってことで、こよみは教室内の先輩に声をかけてくれている。
「矢那先輩、すぐ来るって」
「ありがとう、ここまででいいよ。後は俺たちの話だから」
「そう? 私、二年の桔梗組だから、何かあったら声かけてくださいね。あゆみ、時任さんにすごくなついてるの、また遊んであげてください」
「もちろん! あゆみちゃん、いい子だもんね!」
メルがオーケーサインを出して、こよみを見送った。
その直後、背後に気配を感じる。
「あなた方かしらん♪ 私を呼び出したのは」
振り向くと、忘れもしない、矢那奈々美の姿があった。
あの時は声を聞くまでその場にいられなかったが、かわいらしい顔つきに反して、声はやや大人っぽい。背もメルよりだいぶ高く見える。こうしてみると、かわいいというよりは、妖艶な感じに見えなくも無い。
「はい、俺たち、八剣高校のもので、俺は四切、こっちが時任でこっちが安和小路さん」
「あら校外の方。よろしく♪」
奈々美はゆっくりと手を上げて、俺に差し出す。握手のしぐさだ。
もしかすると洗脳の条件は握手かもしれない。
そんなことを考えて、メルに軽く目配せし、俺はその手をとった。
――うん、なんとも無い。
ごく普通の、やわらかい女の子の手だ。
なんつーの、こうしてまともに女の子の手を正面から握ったことが無いから、へんな汗が出てしまったことはおいといて。
そしてちょっとおどおどしながら顔を上げたとき、俺の目にもうひとつ、とんでもないものが飛び込んできた。
奈々美の斜め後ろに、あのときの謎美女がいる!
メルも美空もすぐに気づいたようで、二人も奈々美と握手を交わしながらも、謎美女のことをちらちらと気にしている。謎美女も当然こちらに気づいているが、能面のように表情を変えない。
のほほん、という擬音が似合う笑みを浮かべた奈々美は、そんな空気にはまるで気づかないようだ。
「私のこと、どこで聞いたのかしら? お友達から? お昼休みにいらっしゃるなんて、お急ぎのお悩みかしら?」
奈々美は笑顔で小首をかしげる。うっ、かわいい。
「お悩み……?」
美空が気になる単語を捕まえて、つぶやき返した。
「あら、お悩みじゃないのかしら。最近、いろんな方のお悩みを聞いていたら、うわさが広がってしまって♪ 八剣高校の殿方もよくお見えになるのよ♪」
そういえば、こよみもスピリチュアル系っぽいことを言っていた。もしかすると、占いとかそっち系か。
とすれば、占いの儀式を模した洗脳手順か?
「……で、相談にかこつけて、洗脳を?」
俺は思わず口にした。
「……洗脳? 私が? そんな怖いことしませんわよう♪」
「だけど、うちの男子がみんな部活をサボってまで毎日通ってるんだ、何かやってるだろ」
「そんな……。ただ、私のお話で皆さん喜んでくれるからがんばってるだけで……そんな言いがかりなんて……うぅ……」
突然、と言ってもいいくらい、奈々美はうつむいて泣き声になった。
ちょっと待て、俺。
もしかすると、彼女は本当に善意で『相談』をしてるだけの、ちょっと変な女の子なのかもしれないぞ?
お悩み相談をしているうちに周りが持ち上げてちょっとした教団の教祖にされてしまった例だってあるじゃないか。彼女がそうじゃないとは言えない。
「あの、ごめんね、この馬鹿、デリカシーっていうの? そういうの無いから」
メルがおろおろしながらフォローしている。
一発かましてやるって息巻いてたメルがなぜそっち側?
もしかして、悪いのはやっぱり俺ですか?
「ありがとう時任さん……でも、四切さんが不安なのも分かるのよ、私を慕ってくださる方ってみんな本当に熱心ですもの……ごめんなさい、私にはどうしようもなくって……」
「だ、だけど、その割にはノリノリで放課後に『お言葉』とかってやってるじゃないか!」
「……それは、仕方が無い。話をしたいって言う男子が余りに多すぎて、一箇所に集めて一度に声をかけるという方法しか取れなくなった」
今まで一言も発しなかった謎美女が奈々美よりずっと低い声色で発言した。
「あなた方とは二度目……ですね。私は八符こなと。あなた方を、奈々美様と同じような人助けのできる方と思って以前は声をかけた。こんな形で再会するとは思ってなかったけど、奈々美様のこころざしにケチをつけようって言うんだったら、許さない」
「んもう、こなと、奈々美って呼び捨てでいいのよ♪」
いつの間にか、奈々美はすっかり立ち直っている。
「そういうわけですの。いらっしゃる皆様のご期待にも応えなくちゃならなくて、私も苦労してるんですのよ♪ でも、できるだけ部活はサボらないように言っておきますわね♪」
もう、彼女の何が真で何が偽なのか分からなくなってしまった。
言いがかりをつけられてしくしくと泣くような面が本当か?
したたかに申し開きをして飄々と構える面が真実か?
「ごめんなさい、午後の授業の準備をしなくちゃ♪ もうよろしいでしょうか?」
「……ああ、分かった。その、くれぐれも、部活サボらないように言っといてくれ」
「はい♪」
くるりと振り向きすべるように歩いて行く奈々美とそれに粛々と従うこなと、そしてそれを見送る俺たち三人。
この会見は何かの役に立ったのだろうか?
ともかく俺たちも午後の授業に遅れないよう、一旦引き上げることにした。




