はじまる
はじまります。
子供の頃から、幸子という己の名を好きにはなれなかった。
父が名付けたというその名前は、あまりにも平凡で、無個性であるような気がした。
どこにでもある、ありふれた名前。
もっと、気の利いた名前にして欲しかったのに。
私は世界に一つきりしかないような特別な名前が欲しかったのだ。
私が高等学校に通っていた時、両親が他界した。
交通事故だった。
それはあまりにも唐突で、ずいぶんとあっけなかった。
もともとあまり交流のなかった親族は、両親が遺してくれたささやかな貯えにこそ興味を示したものの、その一人娘である私自身には全く興味がなかったようで、紆余曲折を経て、私はほとんど天涯孤独の境遇となった。
だから、私にはずっと長い間、家族がいなかった。
それを寂しいと思ったことはない。
すぐに慣れてしまったから。
両親が亡くなってから独りで暮らし始めた私を見て、他人がその境遇を不幸だと評した。
同情を寄せてくる者もいた。
私は己の認識よりもずっと素直な性質だったらしい。
当時の私は、ああ、そうですかと。
私は不幸なのかと。
親切面した他人に言われるがまま、信じていた。
世界屈指の経済大国にちゃんと住む家があって独りでも生きていけるだけの環境を両親が遺してくれたのは、途上国で飢餓に苦しむ人々に比べれば、遥かに物量的に恵まれた環境であると頭の片隅で冷静に理解していたが、それでも周囲の人間に言われるがままに、私はきっと不幸なのだろうと信じていた。
あの優しかった両親を亡くした寂寥感は、胸を締めつけて、確かにとても辛かった。
だから、やはり、私は不幸な娘なのだと信じたかったのかもしれない。
しかし、不幸を嘆くばかりでは、つまらない。
幸せになりたい。
どうせ生まれてきたのなら、幸せになりたい。
両親が遺してくれた、独りきりにはちょっと広すぎるような家の食卓で、ちょっぴりしょっぱいお味噌汁をしみじみと啜りながら、私はそんなことばかり考えていた。
どうすれば、幸せになれるだろうか。
バリバリと仕事をこなして、富と名声を築けば、なんとなく幸せになれそうだ。
高級なものに囲まれた豊かで優雅な生活はまさに成功の象徴であり、それは幸せである。
幸せとは与えられるものではない、成功を通じて掴み取るものなのだ。
成功、それすなわち、幸せ。
世間にはなぜかそういう風潮があった。
とても素直な性質の私は、その空気を敏感に察知すると、すぐにそれに倣うことにした。
成功するためには、とりあえず、素晴らしい経歴を揃えることが欠かせないような気がした。
成功者はたいてい、ピカピカに輝く素敵な経歴を持っているということに、世間知らずで若輩の私とて、ちゃんと気付いていた。
経歴とはその人物の積み上げたものであり、逆に言えば、経歴がその人物の人格を形成してきたのだ。
その真たる意味すら、ろくに理解しないままに、当時の私は素敵な経歴を追い求めることにした。
形から入ることも大切だと思っていたのである。
だから、私はとりあえず立派な経歴を求めた。
私は猛勉強した。
我利勉した。
一日の睡眠時間を削り、様々な知識をひたすら吸収し、それを必要な時に利用できるように努めた。
具体的に言うと、試験時に制限時間内に解答を書けるように修行した。
つまらない問題集を解き散らし、退屈な反復作業の末に、それらしい解答を書くという単調な作業だ。
それはなかなか大変だったが、私は頑張った。
もちろん、素敵な学歴を手に入れる、それだけのためにである。
そもそも学問に興味など全くなかった。
今でも全くない。
しかし、成功し幸せになるためには、素晴らしい経歴を手にするには、まずは純粋に学問を愛してそれに生涯を捧げようと思っている連中を徹底的に排除し押し退けて、世間からの評価が高い学術機関を卒業しておく必要があると思われた。
したがって、私は断腸の思いで、純粋な学問の徒の卵たちの邪魔をして、限られた学術機関の限られた入学者枠の一つを手に入れることを決意したのだ。
そんな己をちょっと嫌悪しながらも。
我利勉の甲斐あって、私はそれなりに輝かしい学歴を手に入れることができた。
国の最高学府を満足できる成績でちゃんと卒業できた。
その経験は、確かに、私の力となった。
自信となった。
そして、一流と称される企業に入社することができた。
はっきり言って、その企業の経営理念や社会的貢献などに全く興味はなかった。
今でもない。
しかし、成功するには一流企業でしっかりと働いて、その仕事ぶりで己の有能さを主張しなければならないと思った。
だから、私は一生懸命に仕事をこなすことにした。
そこまでは、思惑通りにものごとが運んだ。
ところが、その一流企業は、世界的な証券会社は、ある日、唐突に倒産した。
若輩の私ごときが一生懸命に働いたところでは、どうにもならない規模の負債を密かに抱えていたようだった。
記者会見の場で社長が泣きながら弁明し、倒産が世間に及ぼす影響に関して謝罪していたのを知った。
正直、私にも謝ってほしいとちょっぴり思ってしまった。
入社してまだ一年も経たない間に、私は失業した。
そのあまりに短い期間に、たいした業績も残すことができなかった私は、他の企業に良い待遇で引き抜かれるということもなく、ただの失業者になった。
こうして、私の成功への道は、頓挫した。
私は己の認識よりも、精神的に脆かったらしい。
心の底から落胆した。
十代から二十代にかけての青春時代を完全に棒に振った形となった私はがっかりして、何事に対しても、無気力になった。
私は幸せにはなれないのだろうか。
やはり、名前になにか原因があるのかもしれぬと、子供の頃に強く感じていたことを思い出したりもした。
こういうと、世界中の幸子さんには非常に申し訳ないが、なんとなく、音の響きからして冴えない名前だと思っていたのである。
それはまるで、冴えない私の運命のようである。
成功への道が閉ざされたのは、あるいは名前のせいではないだろうか。
おそらくは名前のせいだろう。
やはり名前のせいだ。
とにかく名前のせいに違いない。
そんなことを思った。
己の名前に八つ当たりしていた。
しかし、己の名前を嫌いになることだけはなかった。
「おはよう、幸子」
朝起きて、ぼさぼさの髪を梳かしながら、鏡の中の己に向かってそう呟いた。
無職なので、当然、仕事を探さなければならないのだが、そんな気分には、まだ、なれなかった。
当分、慎ましく生活していけるだけの貯えはあった。
しばらく働かなくても、大丈夫そうだった。
そして、なにより働きたくなかったのだ。
なにが勤労だ。
憲法で定められた国民の義務なんて大嫌いだ。
幸せになれないのなら、働く気などない。
幸せになれるのなら、働くけれど。
報われないものだなあと、己をちょっと憐れんでみた。
そもそも、私はひたむきに一生懸命に努力してきた。
幸せになるためには成功しなければならないと思ったから、成功するための経歴とそれに伴った能力を身に付けたつもりだった。
なるほど、成功した人物の多くが立派な経歴を持つのはその経歴に伴った能力を持っていたからなのだなあと、勉強しながらしみじみと実感したものだった。
そして、私もそのような先達のようになれたらいいなあ、と夢を見ていた。
そう、それはなにもかもが儚い夢だったのだ。
無職の朝は、遅い。
窓の外を覗いて、太陽が空の高い位置にあるのを確認した。
とても、眩しい。
良い天気だった。
外に干した洗濯物がよく乾きそうだった。
朝食には、白いご飯とお味噌汁を摂ることにしている。
食事を終えて、とりあえず、鏡に向かって歯磨きをした。
健康的な白い歯は、なんだか幸せに繋がっていそうな気がしていたからだ。
私はいつものように歯を磨いていた。
そして、驚いて、腰を抜かしそうになった。
「あなたは、有能だと認められたいのですか?」
鏡の中の私が、そう言ったのを聞いた。
私は、歯磨きをしていた。
鏡の中の私も、歯磨きをしていた。
それなのに、どうやって鏡の中の私が喋ったのだろうか。
いや、違う。
落ち着いて考えたら、声からして違う。
私の声ではない。
どこかで聞いたことがあるような声だったけれど、思い出せなかった。
あるいは、そんな気がしただけで、聞いたことなどない声だったのかもしれぬ。
ところで、鏡が喋ったのだろうか。
生まれた時からこの家で暮らしているが、洗面台の鏡が喋ったのは初めてだった。
少なくとも、私は初耳だった。
ひどく驚いた。
とりあえず、歯磨きを続けながら、じろじろと鏡を観察してやった。
鏡のくせに喋るとは、ちょっと生意気だ。
しかも、そのことを現在の家主の私に今まで黙っていたなんてことは、やはり生意気である。
隠し事は良くないではないか。
歯磨きを終えて、私は鏡に話しかけた。
ただの鏡に話しかけるのは、精神状態を他人から疑われても仕方がないかもしれぬ。
しかし、喋る鏡に向かって話しかけるのは珍しくないはずだった。
遠い異国ではその昔、「鏡よ、この国でもっとも美しいのは誰?」と語りかける王妃がいたという。
そして、お世辞もろくに言えないバカ正直な鏡は別の女性の名前を挙げるのだ。
たしか、白雪姫とかいう別の女性の名前を。
そんな話を聞いたことがある。
たしか、有名な話ではなかっただろうか。
だから、私が喋る鏡に話しかけるのは全く問題がないと思われた。
そう、全く問題がないはずだった。
「私は、有能だと認められたい」
有能だと認められることが、成功への第一歩だと考えた。
有能なればこそ、周囲からの信用も得ることができるはずだった。
なにより、今まで頑張ってきた己が哀れだと思ったのだ。
私が一生懸命に重ねてきた努力は、確かに己の実力を向上させた。
そのことは誰かに認められる形で報われて欲しい。
そう思った。
そう願った。
だから、私は鏡に向かってそう言ったのだ。
しかし、鏡は何も言わなかった。
もう何も言わなかった。
喋れと命令しても、くすぐってみても、もう何も言わなかった。
生意気な鏡である。
無視するなんて酷いではないか、と恨めしく思った。
無職なので、散歩にでも出掛けることにした。
その年の流行は黄色だったので、それを取り入れた服装をしてみた。
化粧は好きじゃないけれど、薄く施した。
無職のくせに、己の外見にはそれなりに気を使っていた。
外見が良ければ、中身も良いように思われそうだ。
実際に中身が良いかどうかはさておき、まず形から入るのが私の常だ。
家の周りをせかせかと歩いた。
有能なので、歩くのも当然速いのだ。
働いていた頃は、目的地まで敏速に移動することも大切だった。
それも仕事の一環だと考えていた。
時は金なり。
しかし、無職の散歩には目的地などない。
それなのに、せかせかと歩くのは、かつての習慣を引きずっているせいだった。
高速で歩いていると、景色など見ている余裕もあまりないし、なにより疲れてしまうものだ。
散歩としては失敗だ。
しかし、それでも私はせかせかと歩いていたのだった。
ふと、前方の道端でうずくまっている老人を見つけた。
苦しそうである。
私はせかせかと歩いて、高速で老人に近づいた。
目の前で困っている人を見捨てるほど、冷酷にはなれない性分だから、助けることにした。
老人の状態がかなり緊急性を要するものだと悟った。
高速で私が出来る全ての応急処置を施し、老人を背負って、高速で近くの病院まで運んだ。
助けを呼ぶより、それが最も老人の治療に適切だと判断したからである。
そして、その判断は正しかった。
老人の命を保つために、もちろん老人も医療従事者も頑張ったと思うが、私だってかなり頑張った。
私には年齢相応の女性の体力しかないので、意識を失っていた老人を運ぶのはかなりの重労働だったのだ。
老人は、世界的な大企業の創業者だった。
政財界への影響力も抜群だった。
なぜ、そんな人物が私の家の近所で倒れていたのか。
その事情は知らないが、とにかく老人は私にとても感謝してくれた。
私はたまたま無職で、たまたま散歩に出て、たまたま老人の傍を通りがかっただけだったというのに。
私が無職だと知り、私が無職に至るまでの経緯を知った老人は、私に職を与えてくれた。
老人からすれば、私に職を用意するなんてことは容易だったのであろう。
老人が熱心に勧めてくれたので、私は再び就職することにした。
一流の職場を用意してくれた。
そうして、再び成功する機会を得た。
私は、成功したかったので、仕事を一生懸命にこなした。
有能だと認められて、出世も重ねた。
老人は私の仕事ぶりを褒め、賞賛してくれた。
誰かに褒められることは、とても嬉しいことだ。
私は素直に喜んだ。
私はやればできる子なのかもしれぬと、老人や周囲の人間が賞賛してくれたことで、ちょっと自信もつけることができた。
私が有能であると、老人はもちろん周囲の人間が認めてくれた。
そうして、着実に成功へと近づいていった。
次につづきます。