春の朝
今朝は早めに寺についた。外はまだ薄暗い。
柴は元気だが、栗は自転車の前籠の中で完全に丸まったまま眠っている。
寺についてもまだ起きず、仕方なく抱いて入る。
「明新さん!いつまで寝ているんですか!」
佳代さんの怒鳴り声が玄関まで聞こえてきた。
どこも同じか
「あとちょっとー」
「明新さん!」
明新は布団に丸まったまま出てこないらしい。
僕に気付いた佳代さんは
「起こすのを手伝ってください」
といささかうんざりした様子だ。
「さっさと起きろよ」
「んー、ほら、『春眠暁を覚えず』っていうだろー」
起きる気はないらしい。どうせ初句しか知らないのだろう。
栗も寝ぼけ眼で、ふあーっとあくびしながら同意する。どうせよくわかっていないのだろうが。
「だったら外の掃除して来い」
佳代さんも僕の返答に困ったらしく
「どういう意味ですか?」
「元の漢詩の全文は、
『春眠暁を覚えず 処々に啼鳥を聞く
夜来風雨の声 花落つることを知んぬ多少ぞ』
といって、超意訳すると
『春は眠くて夜明けも気が付かない。鳥の声がする、そういえば夜に風と雨の音がしてたな。どれだけ花が散っただろうか?』
っていう意味なんですよ。
明新!春眠っていうなら散った花を片付けて来い!」
そういって
ガバ!
と布団をひっくり返した。
「うわあ!」
さすがに驚いて目が覚めたらしい。
「そういう意味だったんですねー。明新さん、早く支度してきてくださいね。まったく……」
佳代さんは足早に台所へ向かう。
「ったくー、早いぞ、親海」
ふあーっとあくびが出る。
同時にあくびした栗は
「日本にいるんだから中国に従わなくてもいいだろ?」
と言う。
キラーン
と目が光ったのは、栗いびりを趣味にしている柴だ。
「では日本の情緒を大事にするために早起きしてください」
「は?」
「有名な古典ですよ?
『春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲のほそうたなびきたる』
という」
柴が一気に古語で言ったので、栗には理解できなかっただろう。
「よく覚えていたな、柴」
感心したように言う僕に、はにかんだ様な笑顔を見せた後、栗には勝ち誇ったような視線を送った。ばれないよう送ったようだが、僕はしっかり見ていた。
ぶすくれた栗は、ひらり、と僕の肩に乗る。
「なんだよそれ」
「ああ、超意訳すると、『春は夜明けが一番素敵。だんだん白くなっていく山の稜線と紫の雲が細く見えるのがいいよね』って意味。千年位前の人が書いたんだよ」
と丸く収めようと解説したのに
「日本人なら中学くらいで必ず暗記させられるから知っていて当然なんですよ」
反感を持たせるような言い方をしないでほしい。
「柴、千鶴さんの手伝いは?」
「行ってきますね。栗、親海さんの邪魔はするなよ」
釘を刺していくところが柴らしい。
「ふーん……結局どこでも春は早起きしろってか?」
栗は少々どんよりしている。
ひらり、スタン、
と肩からおりて出て行った。
支度を終えた明新がようやく出てきた。
「春眠ってそんな意味だっけ?最後は知らなかった」
「だろうと思った。別に掃除しろって意味はないさ。だだ佳代さんに、構ってほしかったんだろ?」
付き合いが長くなってくると大体のことは分ってくる。
「まーな、じゃないと相手にしてもらえないし」
いつも忙しそうに立ち回っている佳代さんに構ってもらいたいだけなのだ。ただ、その表現が子どもっぽいだけで。
「さて、門を開けてくるよ」
「ああ、こっちも講堂の掃除してくる」
いつもの朝、変わらぬ朝が始まる。
のんびり、のんびり。