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僕に妖怪  作者: 氷雨
7/22

僕と栗の出会った日(二十五歳)

僕が栗を見つけたのはスーパーから出てきたときのことだった。

外は土砂降りの雨で、こげ茶色だった栗は、スーパーの軒下で濡れそぼったまま雨宿りをしていた。

すっかり色づいた紅葉の木を見上げていたのだろうか。

「猫、寒くないか?」

両手に乗りそうな小さな身体は震えていた。

ほんの出来心だった。肋骨の形がくっきりと浮き出すほどガリガリに痩せている後姿が、ひどく淋しげに目に映ったからかもしれない。

「寒いね。一緒に来る?」

声は届いていないらしい。

傘を差しても凌げない雨の中を走り、車の扉を開けて乗り込む。

スルリ

バタンッ

扉が閉まる直前に足元を黒い影が走った。

さっきの仔猫だ。

「猫、お前聞こえていたのか」

僕は助手席の足元に入った栗をつぶさないよう、買い物袋(真っ青なお気に入りのマイバックだ)を後部座席に置いた。

ふと、甘栗の包装紙が目に付いた。秋になると食べたくなるアレだ。

包装紙のイラストは丁度栗と同じ色で描かれている。

丁度いいかもしれない。

「お前の名前、栗な。栗にしよう」

栗はチラと僕を見ただけで、黙々とずぶぬれの身体を毛づくろいしている。

異存はないらしい、と判断した。


スーパーから約十分、これまた一目散に家の中に駆け込んだ。

僕の家は築五十年の古い家だ。

栗をタオルで拭いたときの驚きといったら!

「実は白かったんだな……栗」

身体はオレンジがかった金色、手足の先は真っ白だったのだ。

一瞬改名してやろうかと思ったが、まあいいか、で今もそのままだ。

僕がかわいい女の子だったら、マロン、なんて名付けていたのだろう。ごめん、栗。ネーミングセンスゼロで(マイナスか?)。

きれいに拭いて放してやると、ストーブの風の前に座り込み、うっとりとしている。

「なあ、聞いたことがあるぞ。野良猫はほとんど人が手放した猫だって。野良猫の子は生き残れないって。お前もどこかで飼われていたのか? 首輪ないし痩せてるから、今は野良なんだよな?」

反応はない。

ピーッ

電子レンジが声をかける。牛乳を温めてみたのだ。温度が均等になるよう混ぜてから、小皿に入れて栗の前に置く。皿は冷たいままなので、猫舌でも大丈夫なはずだ。

栗は慎重に匂いをかいで、やがてペロペロと飲み始めた。

「はあ……」

ドサッ

僕は倒れこむようにソファーに座る。

ピクッ

栗はピンと立った大きな耳を揺らしてチラと僕を見る。表現するならキョトン、だろう。

すぐに牛乳に意識を戻す。そんな栗をぼんやり見ながら

「んー、とりあえずー、保健所に連絡したほうがいいのか?」

とつぶやいた。それ程大きな声ではなかったはずだ。しかし、栗にはしっかり聞こえたらしい。

ビクン

大きく反応した栗は、一目散にドアに向かって走り、ガリガリとドアを引っかき始めた。なんだか焦って必死で開けようとしているらしい。

「どーした? まだ外は雨だぞ?」

近づくと栗は、フーッフーッと毛を逆立てて必死で威嚇しているらしい。

少々距離をとって視線が平行になるようにかがんでみる。ついさっきまで平気な顔で牛乳を飲んでいたのが嘘のようだ。

「お前、僕の家が気に食わなかったの? それともストーブが熱かった? 牛乳……は飲んでたし、…。飼われるのが嫌なの?」

しかし、相手は猫だ。仔猫だ。聞いてもわかるはずもない。

僕は猫を飼ったことがない。祖母の飼っていた柴犬を世話したが、猫と犬ではだいぶ違いだろう。

野良猫を拾ったのは無謀だったらしい。

「どうしよう………何考えているのかサッパリだよ」

フー! フーーーー!

栗はけなげにも、まだ威嚇している。

「……」

しばらく放って置こう。先に電話しよう。時刻は四時四十二分、もうすぐ役所の定時になってしまう。

犬は狂犬病予防のため登録が必要だから、きっと猫も必要だろうと安直に保健所へ連絡した。

パラパラと電話帳をめくる。

テルルルル、テルルルル

『こんにちは、秋冬保健所です』

「こんにちは、すみませんが仔猫を拾ったんですけど…痛ッ」

栗が僕の靴下の上から爪を立てていたのだ。仕方ないので首根っこをつかんでぶら下げる。

『少々お待ちください。担当と代わります』

ジタジタと暴れるが、たいしたことでもない。

『もしもし、代わりました』

「えー、仔猫を拾ったんですけど。首輪してなくてガリガリに痩せてるんで、これって捨て猫か野良猫ですよね?」

『ええおそらく。何匹ですか?』

「一匹です。迷い猫になってませんか? この場合勝手に飼っていいんですか?」

栗の耳がピクピクッと反応する。大人しくなってじっと僕を見つめている。

『そうですね。今のところ飼い猫の捜索願は出てませんので、大丈夫ですよ。マンションはペット可能ですか? …持ち家? でしたらむしろお願いします。猫の登録? 犬じゃないんだし。予防接種?獣医さんに聞いてください。一生責任もって飼ってあげて下さい。あ、不妊手術は必ずしてくださいね』

担当者は早口に言いたいことだけ言って、早々に電話を切ってしまった。これがお役所仕事、というやつか?

よほど慌てていたのか、それとも関わりたくなかったのか、単にそういう性格だったのか。そうか、猫の登録はないのか。なんにせよ栗はうちで飼ってもいいわけだ。

カタン

受話器を置くと、栗はされるがまま吊り下げられていた。降ろしても攻撃しないし、ドアに走ることもない。残っていた小皿の牛乳を舐めに行った。

「んー? もしかして保健所が嫌だったのか? 日本語わかるのか? 猫は二十歳超えたら猫又になって人間語理解するらしいけど、まだ小さいよね?」

なんだか今日は独り言が多い。

「俺の親父は猫しょうだったからな。俺も生まれたときから猫又の力はあるし、日本語わかるんだよ」

高く幼い声がした。栗、か?

「………猫、しょう?」

「猫又の進化系だ。言っておくが、普通の仔猫に牛乳出すな。身体壊すぞ」

「ごめん、猫は飼ったことがないんだ。要望あれば言ってくれ。一応ネットでは育て方を検索するが、人間の視点だから気に入るか不明だよ」

どうやら化け猫の子どもを拾ってしまったらしい。


 その日の夕方、僕は柴がかかっていた獣医に電話で連絡をした。

「神野先生、野良猫を拾ったんですけど。診てもらえませんか?」

『大丈夫だよ。今は患者さん多くないからね』

神野先生の『神野動物病院』は家から車で十五分のところにある。

神野先生は五十代の温厚で優しい先生だが、こと、動物の健康と安全については厳しいことを言うしっかりした先生だ。

「やあ、久しぶりだねぇ。何年ぶりだったかなぁ」

「お久しぶりです。もう十年近く経ちます」

先生はそう言うと、栗を診察してくれた。

栗は大人しくしている。

前もって栗に『動物病院』が何たるかを説明しておいたおかげで、暴れることもなくスムーズに診察が進んだ。

「かなり栄養失調だけどそれ以外は異常なしだ。感染症にかかってる可能性があるから血液検査はしておいたよ。その結果は明日聴きにおいで。今…二ケ月といった所かな。君はこの子猫を飼うつもりかな?」

「はい」

「一応栄養価の高い子猫用ミルクを出しておくよ。時期的にはそろそろ予防接種もしたほうがいいね」

「明日検査の結果がよかったら、お願いしてもいいですか?」

「うーん、もう少し栄養状態が良くなってからがお勧めだよ。体力がなくて体壊してもいけない」

神野先生は栗を優しく撫でながら言う。

「どこで見つけてきたんだね?」

「スーパーの駐車場で。ずぶ濡れになって震えてたんです。しかもこげ茶色に汚れてたんで、綺麗にしたときは驚きましたよ」

「どうやって捕まえたんだい? 君だから手荒な捕獲方法はとってないと思うが…警戒されたんじゃないか?」

それが心配だとばかりに眉をひそめる。

「それが、声を掛けたら車に乗ってきたんです」

「そうか、そうか。この子は随分君が気に入ったようだね。仲良くやりなさい」

「はい。……猫ってどのくらい生きるんですか?」

「野良猫は十年持たない。飼い猫は長くて二十年、元野良猫でも、状態が良ければ飼い猫と同じくらい生きられるさ」

のんびりした時間が過ぎ、医院を後にした。


帰りの車で栗に尋ねた。

「お前、家族は?」

「母親は身を挺して俺たちを逃がした。一匹は交通事故で死んだ。一匹はカラスの襲撃にあった。一匹は病気になって死んだ。父親はどこにいるのか知らん」

栗の声は淡々として無感情だ。向こうを向いてるので、表情はわからない。まあ、猫の表情なんて僕には見分けられない。

「そういえば、保健所が嫌いだったな。母親が逃がしたってのは保健所……いや、動物愛護センターだな。そこから子猫三匹で逃げてきたのか。もともと野良だったのか?」

「いや、飼われてた。お父さんという奴が天気になったとかで、引越し先に感謝するには猫禁止なんだと」

「そうか」

「お母さんという奴が保健所に電話して俺たちを連れてったんだ。あの死臭がするところに」

 話を聞く限り、栗はどうも間違って会話を記憶したらしい。

 察するにおそらく、栗たち親子は両親と子どもの家族に飼われていたのだろう。父親の転勤で引っ越すことになって、官舎はペット禁止だったから、飼い猫を処分することにしたという話だ。

「死臭? ああ、確か…毎日処分されるんだっけ。えーとガスによる窒息死?だったかな」

「詳しくは知らない。殺されると思ったから、母親はゲージがあいたとき、人間に噛み付いて逃がしてくれたんだ。人間なんざ、ろくなもんじゃねぇ」

「僕は? 僕も人間だよ? 何で付いて来たの?」

「そりゃあ、………もしかして、知らないのか?」

振り向いてきょとんとして、そして怪訝そうな声を出した。

「何が?」

「ならいい。知って変わられたら困るし」

再び向こうを向いてしまった。

よくわからない。ただ、今の状態で満足しているらしい。

「しかし、詳しいな」

ふと気がついたように栗の視線が厳しくなる。

「なにが?」

「窒息死とか」

「僕は犬を飼っていたんだよ。昔ね、最後のほうはひどく弱って神野先生も手の施しようがなくなってね。安楽死させたほうがいいんじゃないかって、思ったことがあった。

 調べたら動物愛護センターの殺す方法、窒息死させるんだって。知ってる? 誰が名付けたのか『ドリームボックス』って呼ばれているの。眠るようにって願いを込めてあるらしいけど、窒息死はすっごく苦しいんだって。

 神野先生に相談したら、最後は静かに家で迎えたほうが幸せだって言われたよ。結局数日後には亡くなったけどね」

遠い記憶に視線を向ける。犬には「犬の十戒」があったな。僕はあれを聞いて看取るって決めたんだっけ。

 あれは確かノルウェーのブリーダーが買い手に渡した手紙が最初だったとか。猫にも「猫の十戒」があるのだろうか?

栗は興味をなくしたようだった。

「お前、変に動物になつかれたりしないか?」

「ん? そうでもないよ? …時々遠くに出かけたときには、猫とか犬とか擦り寄ってくることはあるけど。そのくらいだよ」

「ふーん。ならいいけど」

思い出したことがある。まだ栗には柴の存在を話してない。

「そうだ、柴と仲良くしてよね」

「柴?」

「うちの化け犬! 昔飼ってたんだが、亡くなった後妖怪になったって! 妖怪同士仲良くできるよね」

 栗は絶句した。


「ペットショップで買い物しなきゃ」

「ほかにも飼う気かよ!」

栗は憤慨している。

「そりゃあ、子猫用ミルクは処方されたけど、猫砂・ご飯いれ・トイレに爪とぎ…買うものはいろいろだろ?」

「何だ」

栗、新しいペットを飼うと勘違いして慌てたな? 可愛い事だ。

テルルルル…

携帯電話の着信音がして車を止める。

「…………はい、あ、柴? うん、え、猫用品飼った? …うん、…うん、わかった。今から帰る。待って、子猫拾ったから! セッティングしてて……ん? お前と同じ妖怪の子猫!」

柴も絶句した。


僕は知らなかった。柴と栗が

((天然な無邪気って怖!))

と思っていたなんて。

 

それがもう数年前のこと。

今ではすっかり成猫になって人間として活動している。

(何故だ。僕は普通の生物を飼うつもりだったのに。どうしてまた妖怪なんだ……)


ようやく妖怪が二匹になりました。拾ったのはかわいい猫又君です。

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