僕が猫を飼う理由(二十四歳)
「三代目の柴犬を飼うか」
それは二代目の「柴」が亡くなって(妖怪として存在はしているが)数年目のことだった。
「なっ!何故ですか!私は、私はもう、いらないとおっしゃるのですか~」
妖怪の柴はもう泣くわ泣くわ、取り殺しそうな勢いですがりつかれた。
見た目は二十代前半の青年になっている。昔のつもりで飛び掛られると重いわ苦しいわできついのだ。
「お前、既に犬の領域超えているだろう!犬が人語しゃべるか?犬が料理をするか?掃除機をかけるか?洗濯をするか?
時々買い物をするペットがテレビに出るが、値引き交渉までするか?いや、しないだろう!
しかも最近は犬型も取らないだろう!普通に人間と暮らしている気分だ。もとは何であれ、既にお前は柴犬じゃない!」
僕は少し怒り気味だ。怒りが少々興奮を招いたらしく、語気が強まる。
べそべそ泣きながら、柴は訊く。
「では、私は何なのでしょう」
「お前は柴だ。そう、『柴』という生き物だ。それ以外にない」
断言してみた。
「柴犬だから『柴』ではないのですか?」
「そうだった。けど今は『柴』という生物だ。と、いう訳で三代目の柴犬を飼う。そうだ、『柴犬』という生物を飼う。普通の」
そう、普通の、というのが僕の要望だ。
「嫌です!絶対に嫌です!」
ボロボロ泣きながら必死で嫌がる。
「そんなに嫌か?」
力一杯拒否する柴は目が血走っている。後輩を世話するのが嫌なのか、自分のテリトリーに誰も入れたくないのか。
「……どうしても、……どうしても飼うというなら、犬以外にしてください。犬でないなら、我慢します。できると思います。多分、もしかしたら、できるかもしれない」
言いながら我慢ができるか段々自信がなくなってきたらしい。
「それって我慢できないと同じだろう。使ってない部屋で飼えばいいだろう?世話は僕がするし」
「それが嫌なんです!」
柴は間髪いれず、悲鳴のような声を張り上げる。
「?もしかして、焼き餅焼きだったのか?」
「うっ……」
気まずそうに目元が赤く染まる。図星だったらしい。
「そうか、多頭飼いしたことなかったからな。気が付かなかった」
「他の奴に目が行くのを見るのは、嫌です」
ボソボソと言う柴は、耳がぺしゃんと倒れている。完全な人型を獲得した今でも、柴は時々犬耳や尻尾を見せることがある。これは相当落ち込んでいるな……と判る程度には。
「はあ……、仕方ない、猫にするか」
情報化社会だ。犬と同じく猫もポピュラーなペットだ。飼育方法もいくらでも見つかるだろう。事例の少ない動物を飼うほどチャレンジャーでも無責任でもない。とりあえず、一応常識人を自負しているのだ。
「やっぱり飼うんですね」
恨みがましい目を向ける。
「最近見るんだよ。ばあちゃんと犬の夢。柴は人間のように動いているし、新しいペットもいいなって」
本音を言えば、別にペットが欲しい訳ではない。犬は柴の前に飼っていた初代の「柴」だ。夢に見るのはどちらも故人。死者を夢に見るのは在りし日の懐かしさか、僕もいつかは死ぬ側の人間だという戒めか。多分に後者ではないかと思われる。
「夢、ですか」
「そう、夢だよ」
柴はよく判っていない。
柴は幼い頃ブリーダーに見殺しにされそうになり、保護してくれた人にも捨てられそうになった。
可愛がってくれた祖母も亡くなった。
もう捨てられたくない。そんな思いから最後に残った僕には縋りたいのかもしれない。
(本当は、生きて死ぬことを教えたかったんだけど)
生き物は必ず死ぬ。僕もいつかはその日が来る。
妖怪になってしまった柴が、いつか来るその日を落ち着いて迎えられるように、と予行練習のつもりだったのだけど。妖怪の寿命がどれくらいあるのかは知らない。妖怪が死ぬのかどうかもわからない。けれど、きっと柴は僕より長生きするのだろう。
柴は祖母の死を理解していなかったはずだ。ただ消えた、と。心臓の持病があった祖母が病院は、ペット厳禁の救急病院だった。搬送された翌日、祖母はそこで意識が回復することもなく亡くなった。
葬儀は葬儀場で行われ、柴は家に繋がれたままだった。四十九日の法要後に墓へ連れて行ったが、何なのかわかっていなかったと思う。僕が僧侶だからそれが何なのか知ってはいても、実感としては湧かないだろう。
情の移った生き物が死んでいく。僕は柴が亡くなったとき悲しかった。悲しかったけど、前の柴犬に次いで二度目で亡くなることを知っていた。獣医に言われるまでもなく、初代も二代目も「柴」が弱っていく姿をみて、それなりに覚悟はしていた。
人間の一生は猫よりは長い。今から猫を飼えば、おそらくどんなに生きても二十年少々。すでに育った猫を飼えば、もっと短いであろう。子猫が成長し、成猫となり、老いて、そして亡くなっていく。そのとき僕は五十歳を過ぎた頃だろう。
その時に覚悟を決めてくれればいいと思う。人間男性の平均寿命は八十歳辺りか、三十年もあれば大丈夫だろうか?寂しいくらいで済んでくれるであろうか。
「柴、生き物は縁があるんだよ。人も犬も、猫もね。縁があれば飼うし、なければ飼わない」
柴は意味を捉えかねていた。
(今はそれでいい。いつか……)
縁があれば飼う。それは柴を宥めるための言葉ではない。
言っておくが、三代目を「柴」のためだけに飼うわけではない。それではあまりにも命を軽く見ているようではないか。
せっかくの縁、絆として大事に育てたいではないか。
柴はバイトをして、妖怪仲間と知り合いと言う割には、僕との関係に時間を割きすぎている。僕以外に目を向ける。そして、新しい猫に情が湧けば、きっと猫は幸せに暮らせるだろう。
柴はマメだ。きっと細かく気を使ってくれる。日常生活は言うに及ばず、楽しく遊べるようにしてくれるし、健康面も何かと世話してくれるだろう。
そんな生活を想像していた。
(幸せを夢見るっていいなー)
今、僕の状況は見事にそれを裏切っている。
拾ってきた仔猫の栗とは喧嘩ばかりしている。
僕が勝手に仔猫を拾ってきたのが悪かったのか?
柴が大人気ないのが悪いのか?
栗が生意気で勝手なのが悪いのか?
総合的に相性が悪いのか?
友人のAは言う。
「お前の躾が悪いんだ」(反省してます)
友人のBは言う。
「愛されまくっているな」(そんなバカな!)
友人のCは言う。
「いっそのこと寺に住めば?二人きりになったら仲良くするかもよ?」(三日帰らなかったら、家は無残なことになってたよ!)
だれも妙案が浮かばないらしい。
柴は栗(今度飼うことになった猫)が来るまで悶々と考え続けます。