暗示
蘇芳と修理は鬼道館を見降ろせる小高い崖に立っていた。
随分と遠周りをしてここまでたどり着いたのだ。
周囲は薄暗くなりつつある。ここで見ている限り館を取り巻く結界のほとんどは消えかけているようにも見える。それはここにこもっている女達の数が少なくなってきているということだ。男とは違う・・・気力も体力も余りに差がありすぎる。
「・・蘇芳・・あれは、だれの軍か?」
遠く近くに見える軍旗を問う。
「あれは、蓮華王さまでございましょう。天軍の中でも、屈指の勇将でございます」
「・・帝釈天はおらぬのか?」
「ここからは見えませぬが、おそらくは反対側におられるものと・・」
また館の一角から火柱が上がるのが見えた。轟音が耳をつく。
蓮華王の目をかいくぐって館へ入らねばならない。もっとも、こうなってしまえばどこからでも入れてしまうような気もするが・・
慎重に崖を下りてゆく蘇芳の背を追う修理の前で、突然その足を止めてしまった。
怪訝な顔の修理をその胸に抱きとめ低い声で短く叫ぶように言う
「見てはなりませぬ!!」
何があるのかわからぬままに思わず振り向いてしまった先にあったもの・・
赤い服?細い手足の・・それが、区別がつかない血に染まっていて・・
「・・蘇芳、あれは子供か?なぜ、こんなことに?」
見てしまったものは隠しようもない。修理の手をつなぎそこに飛び降りた。
修理の体が震えている・・生まれて初めて見る光景だろう。それは小さな体の女の子。まだ、息はある・・そっと触れればゆっくりと目が開く。
小さく唇が動いた・・かすかにではあったが、それは修理の耳に届いた。
「・・・かあ・・さ・ま・・」
と、呼んだのが最後だったのだろう・・周囲を見回して少し離れたところに誰かが横たわっているのを見つけた。その人もまた、血にまみれている。
駆け寄った修理を見止めたのだろうか。
「・・むすめを・・」
それも最後だった。父はおそらく館から小さな子どもと母親たちを逃がそうとしたのだろう。蘇芳が抱きあげてきた女の子をそのそばに並べてやる。
「こんなに小さいのに・・」
涙さえ出てこない。女相手にここまでするか?!この時はまだ修理はこれが、鬼道一族故であると思っていたのである。
砂と血に汚れた二人の顔を持っていた水できれいにしてやってから、両手を合わせる。
「後で必ず迎えに来るゆえ、今は、許せ・・」
また遠回りをしてゆくことになったが、その間にもいくつもの遺体を見ることになってしまった。それも小さな女の子と母親ばかり・・そして、また二人の親子を見てしまった・・
修理が泣くことを耐えているのが蘇芳にも感じられる。帝釈天に可愛がられて穏やかに育ってきた少女である。このような戦場に立つなぞあり得ないことだった。それがどれ程の痛みを抱えることになるのか・・
その時だった。修理の耳につけられた水色の耳飾りが、一瞬きらり、と輝いたように蘇芳には見えたのだ。
(今のは・・なんだ?)
反問している間に、女の子と母親の胸からポワンとした光が出てきた。それは修理の周りを一周すると一つになり、吸い込まれるようにして修理の耳飾りに消えた。驚いているのは修理も同じである。何があったのか起きたのか、理解していない。それでも、横たわった二人の親子の表情から苦しみが消えているように見えた。
(・・このお方は・・一体・・どういう?)
それを、何度も繰り返して泣くことさえできないまま、修理と蘇芳は天軍の目をかすめながら、鬼道館へたどり着いた・・・