美しいひと
話は元に戻る。
美しい侍女たちが行きかう様子をのんびりと見ていた帝釈天と宮毗羅の耳が、わずかな大気の揺らぎを感じた。
顔を見合わせた次の時、この帝釈天王宮が小さく動いたのだ。
「なんだ?」
侍女たちも異変に気付いたのか、悲鳴が上がる。
この王宮が動くことなぞまずはあり得ない。それほど頑丈な作りである。
それと前後して西の方角に火柱が見えた。
「あの火柱は、鬼道やかたの方角ではないか?」
高い塀のないここは周囲をきれいに見通すことができる一番良い場所であるため、思わず立ち上がった二人の目には遠くに見える鬼道の館が火柱の中心点であることを確認していた。
「兄上!」
表から走りこんできた天宮仕えの侍女姿のひとが、帝釈天の足元に片膝をつき、頭を下げた。その傍らに細身の剣を携えていることがここの侍女たちとは違っている。荒い息を整えながら
「申し上げます!鬼道の長・右京どの、天界に向け戦端を開かれましてございます!」
帝釈天を兄と呼んだ人は思いもよらないことを告げた。
「揚羽、意味がわからぬ?なにゆえ鬼道が戦に及ぶ?」
少し言いよどんだ揚羽と呼ばれた人は、意を決したように兄を見上げる。
「3日ほど前のこと、天宮に長の妻・凛どのが姉上・焔様をお訪ねになられました。その凛どのに天帝がきついご執心になられ、そのまま王宮内にご幽閉の身となられました」
「美しいひと」
その言葉は鬼道の女たちにあてはめられるもの…その血故か、鬼道は美系である。それゆえに、天宮において美女3千ともいわれるうちかなりの数が鬼道の女たちであり、その頂点に立つのが側室であり嫡子・律の母である焔であった。その妹である凛もまた美しい人である。その人が「人質」としてここにいる修理姫の母だ。
「凛どのはそのご執心を拒絶。昨日、ご自害あそばされました由」
帝釈天と宮毗羅は顔を見合せたまま、言葉もなかった。
長い歴史の中で天帝とはいえ、生まれついて暴虐な者もいた。好色な者もだ。しかし、鬼道の長の妻である人に手を出すものがいたことはない。それが、どのようなことになるか、言わずと知れたことであるからだ。
「どうしようもないな・・・」
宮毗羅のつぶやきに、目を閉じた。帝釈天の脳裏にあの二人が浮かぶ・・
「右京どのは蘇芳の兄上よ。剣の家に生まれ、姫長守護の任にあたっておられた。その守護してきたお方に無体な死を与えられたとあれば、意地と誇りを懸けても戦に及ぶだろうな・・・」
初めてあった遠い日、幼い一人娘をここへ伴って来たのは母・凛
修理の小さな体を抱きしめながら、
「そなたを産んだことは、母の一生の幸せでありました。なれど、そなたにとってそれがどういうことになるのか、わたくしにも、わからぬ。願わくば穏やかな日々でありますよう・・・」
そう言い、修理の手に小さな水色の石でできた、耳飾りを握らせていた。
それが今、修理の耳に時折見え隠れするそれである。
(あれが、私の初恋だったのかもしれぬな・・・)
修理の表情の中に、あの人を見ることがある。まだ子供だったころのどこかに懐かしいものを思い出していた帝釈天に揚羽が告げた。
「帝釈天、宮毗羅大将、摩利支天。三将におかれましては直ちに天宮へ参台せよと、陛下よりのお言葉にございます。」
その言葉が何を意味するのか、帝釈天も宮毗羅もわかっている。
とうとう、天界が動き始めたのだ。
そう、鬼道殲滅に向かって・・・