胡蝶の夢
帝釈天王宮は、天帝の王宮の周囲に位置する天将たちの館の中でも最も美しいといわれる湖の側にある。その館に住む者はあまたの侍女や使用人などだが、本来華美な物事を好まない主の性質から、最低限必要なものしか集められてはいない。それでも天界の美女は天帝の王宮より多いともっぱらの噂である。
珍しく帝釈天は自邸の中庭で、鬼道の姫とその剣の師であり守人でもある剣士蘇芳の稽古を見ていた。優雅なしぐさで茶を口に運ぶ姿は天界第一といわれる武人ではなく、年若い貴族の子弟のそれであった。そのそばに同じようにしているもう一人。十二神将一族の若き長・宮毗羅その一族特有の切れ長の目を持つ青年は子供のころからの付き合いの帝釈天の館に入り浸ることが多かった。
「蘇芳!蝶だ!」
突然目の前に現れた美しい羽根の蝶に気を取られたのか、修理は剣をおろしてしまった。
「姫さま!気を取られてはなりませぬ!」
蘇芳の叱る声も聞こえぬように修理はその蝶に手を伸ばす。
(またかい!!)
昨日も稽古の時間に姿が見えず探し回ったのに、本人はぼ~っと湖にいたという。稽古嫌いは分かっているがこうまであからさまに、気を移されるのは蘇芳としても困惑するしかないのだ。明らかに同じ年ごろの少女達とは行動が違う。予測がつかない。
「おっ、また始まったぞ」
宮毗羅の楽しげな声に帝釈天は苦笑する。
「まこと、何をしでかすやら、あの姫は・・・」
喉の奥で笑う友を見やってから、蝶を追いかけて行った後ろ姿を見ていた
「あいかわらず、男子のようだな。せめて髪なりと伸ばせば女にも見えようが。あの年ならばもう子を産んでいても不思議はなかろうに・・お前が甘やかすゆえあれだな」
「甘やかしているつもりはないが、あれもそのうち美しい蝶になろうさ」
「普通はな。羽化すれば美しい蝶にもなろうが、イモムシはイモムシのままかもしれぬ。あのままでかいイモムシになったらどうする?」
(大きな蛾になることもあり得るな・・・)
その言葉を言うのはやめた。そこかしこに出入りするここの侍女たちのように、美しい衣装を身にまとうでもなく、短い髪、細い体、少年がそのまま少女になったような修理を宮毗羅も幼い時から見てきている。
その少年のような修理を十歳ほどしか違わぬ年の帝釈天が育て、どれ程慈しんできたかも知っている。
「あれを側女にでもするつもりか?」
「そのような、悪趣味は私にはないが・・・だいたいあれが、側女になぞ収まるものか」
「そうよな、貴公、間違いなく寝首をかかれよう」
そんな話をされているとも知らず、修理は奥庭の侍女たちが集う花園へ飛び込んだらしく、悲鳴と嬌声が沸き起こってきた。
「まあ蝶になる夢でも見せてもらおうぞ」
貴公子二人のはかない夢かもしれないが、あれが普通の女になっても面白みはなかろうと、心のどこかで思いはする。思いはするが・・・