3、夢のなか
「……ぼくは、きっと、誘惑に負けたんだ。まさか怖い人たちからにげてきた避難場所が、みずからのマンションの部屋のまえなんて……。ぼくは、これからいったいどうなってしまうんだ……」
ぼくの住むマンションは仙台の中心街の郊外にあり、六階の廊下の吹き抜けからはその仙台の近代的な街並みが見渡せた。
仙台は近年、未来都市計画をすすめ、目新しい建物を建てはじめていた。
まさにSF映画のようにぎらぎらとした煌めきを発したビルが建っていたり、ビルのあいだをぬったモノレールが走っていたりしていた。
しかし、旧世代の建築物のすべてを取り除くことはできず、古めきしい建物もいくつものこっていた。
ぼくのマンションは、そんな未来的な要素と過去的な要素の入り交じった複雑な造りをしていた。電気で動く箇所はあたらしいが、そのほかは旧世代のものだった。ところどころ、汚れもめだつ。
「はあはあ……」
長い黒髪に青い瞳の少女はごくりとつばをのみこみ、膝についていた手をどけて背筋を伸ばす。
「……ここまで来れば安心かな」
「なにが安心なんだよ。あいつらいったい、なんなんだよ……」
「不安なのも仕方ないよね。でも、安心して。あいつらは、きみのことをおそったりはしないから。石を、返して」
「あ、うん……」
ぼくは、少女にネックレスを返す。ネックレスの石はすでに、冷めたように赤い光をうしなっている。
風が、吹く。走り、熱くなった体に気持ちいい。
そして、少女の前髪が揺れてその表情がぼくの目に映りこむ。
やはり少女はかなりの美人である。クラスメイトにも学園にも彼女のように、プリンセスのように綺麗な女性は存在しない。
彼女が呼吸を繰り返している。それだけでぼくはなぜかしあわせな気分におちいる。
だが、とぼくはかんがえる。だがこれは、夢かもしれない。
こんな美少女とぼくが出会うわけがない。
やっぱりこれは、ただの夢なんだ――
「部屋にあがってもいい?」
少女が聞いてくる。
「無駄だよ」
とぼくは言う。
「どういう意味?」
「ここはぼくの夢のなかだからね、扉はひらかないんだ」
「なにを言ってるの?」
ぼくは手をひろげて笑う。「こんなことがおこるはずがないだろう?」
「え?」
「だから、ぼくみたいなボッチが、きみのような美少女と出会うわけがないだろう、って言ってるんだ」
「美少女? わたしのこと? ……そういうふうに言われたことなかったから、ちょっと、嬉しいかも……」
少女は、顔を赤く染めてうつむいた。
「こんなことがおこるはずがないんだ。これは夢なんだ。つまらない夢。ぼくの身に妙なことがおこったりしたのもそのせいなんだ」
ふとすると、少女のそばに、見知らぬ紳士的な執事のような男が立っている。おとこは、少女と、神妙な面持ちでなにかを話しはじめている。
「あ、さっき、ぼくを操っていた存在だな」ぼくは男に指を差す。
「青年のちからを借りるべきかもしれない」
「そうだね……。王国に帰るまでは、この人がいたほうがいいかもしれない」
と、少女たちは会話し、そしてぼくに振りかえる。
「ねえ、おねがい……」
少女が、ぼくの手をつかんだ。
「なにが?」
「わたしをたすけて!」
「なんで」
「わたしにはやらなくちゃならないことがあるの! 王国をまもりたいの!」
「王国? ふふふ。やっぱりこれは、ぼくのゆめだな。だってそんな出来すぎた話があるわけがないんだ」
「でもきみも体験したでしょう!? 流星ダンスを!」
「ああ、したね。でも、あれもぼくの妄想なんだ。たいしたことじゃない。ぼくは夢のなかなら、空だって飛ぶしね」
「……どうしよう。この人、わかってくれない」
少女は頭をかかえる。執事の男も、
「たしかにこまった事態のようだ」
と、言う。
「……どうすれば信じてくれるっていうの?」
「かんたんだよ」
「え」
「ぼくは夢のなかじゃあ、ぜったいに、女性とキスできないんだ。だから、ぼくがきみとキスできたなら、これは現実だ、って信じることができるんだ」
「き、キス……。わたし、友達もいなかったし、そんなこと、で、できない……」
「そっか」
ぼくは納得する。
(やっぱりこれは、夢なんだな。ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、ぼくはショックだ。でも、現実なんてこんなものだ)
「でも、時間がない……。……うう、ええいっ!」
少女は気合いを入れ、
なかば涙目で、
ぼくにキスする。
(……………………………………………………え?)
キスした。
つまり、ここは現実ということ。
さっきまで体験していたことはすべて本物だった……
とんでもないことになってしまった。
信じられないようなことが、すべて、現実のものだったのだから!
少女がくちびるを放す。
ぼくは、放心していた。
少女が、上目遣いで、言う。
「……これでどう?」
しかし、ぼくは、返事を返せない。
一方で執事の男は、ふたりの様子を、平然とながめていた。