第五章第9部: 応答への布石
室内の照明がわずかに落ち、ホログラムの光が調査計画を投影していた。
ジョアンは全員を見渡し、落ち着いた声を通した。
「これまで議論してきた観察領域について、最終的な担当割りを提示します。項目ごとの内容は既に十分に詰めているので、ここでは担当と優先順位を確定させておきたいと考えます」
彼女は指先で操作し、五つの項目と担当者の名前が浮かぶホログラムを全員に向けた。
「まず、高優先に位置づける二つ。
文化的・社会的構造の観察は私が統括を兼ねて進め、リュシアンが同行します。
言語・コミュニケーション体系の記録はアディティ・カプール博士とソラニスが担当」
少し間を置き、ジョアンは次を示す。
「中優先は三つ。
意思決定・情報管理システムの調査をカイザー博士。
生物学的・医療的仕組みの収集はノヴァック博士とサミラ・デ・シルバ博士。
惑星・資源管理技術の観察もカイザー博士が担当」
ジョアンは目を上げた。
「全員、これを前提に進めて異論があれば今のうちに出してください。
この割り当てと優先度は、現地での制約や接触状況に応じて柔軟に再構成する余地はあります。ただ、初期の基準ははっきりさせておきたいと思います」
リュシアンは一度言葉を飲み込むように小さく息を吸った。
会議室の視線を感じながら、しかし押し隠せない熱を帯びた声で続ける。
「はい。動線や振る舞いをただ写し取るつもりはありません。
そこにある秩序や選択の理由を、ちゃんと見ようと思っています。
無意識に守っているものや当たり前だと信じている前提を、できるだけ受け止めるつもりです」
少し息が詰まり気味に言い終えたその表情には、抑えきれない期待と緊張が混じっていた。
カプール博士も短く声を落とした。
「言語体系の分析は、私とソラニスで分担することで異論はありません。彼の鋭敏な感覚は、相手がどんな前提で意味を組み立て、どこに情報の境界を置くかを解き明かす上で非常に有効です」
ソラニスは静かに頷き、落ち着いた声で答えた。
「承知しました。相互理解の基盤を探り、翻訳の限界も事前に考慮します」
カイザー博士は一度ホログラムを見つめ、視線を全員に移した。
声は抑えめだが、明瞭だった。
「担当割り当てについては、もちろん異存はない。どちらも私の専門だ。ただ、どうしても現地で技術的な視点が要る。通信設備やエネルギー制御の詳細を読むには専門家の目が必要だ。ダニエルを同行させたいが、どうだろうか?」
しばしの沈黙が落ちたが、すぐに艦長のアレク・マーシャルが軽く身を起こした。
「量子もつれ通信は今のところ安定しています。彼が現地調査に出ても艦内通信に問題はありません」
ダニエルは腕を組んだまま、小さく鼻を鳴らした。
「光栄です。まあ、退屈はしなさそうです」
ただ、口元のわずかな緩みと、その視線の奥には、隠しきれない興奮が滲んでいた。
ノヴァック博士は少し資料を確認してから答えた。
「生物医療の収集は、倫理面での立ち入り度合いが課題になる。だが優先度を中に設定するのは正しい。サミラと調整しながら進めることにしよう」
サミラは短く頷いた。
「了解。確かに、どこまで踏み込むかは慎重に測ります」
ジョアンはホログラムを消し、全員の顔をゆっくり見渡した。
「最終的に、相手の応答と受け入れ方次第で計画は変わるでしょう。それでも初期の優先度と担当を明確にしないと、現地で判断が割れる恐れがあります。この形で進めることで合意できるでしょうか?」
短い沈黙が落ちた。
誰も異を唱えなかった。
エコリアが淡々とした声で応じる。
「優先順位と担当分担を確定しました。計画を記録し、共有ファイルを生成します」
ジョアンは小さく息を吐き、静かにまとめた。
「未知の文明と向き合う以上、私たちは問いを投げる側であり、応答を受ける側でもある。その覚悟をしっかり持っておきましょう」
会議室は短いが決定的な沈黙に包まれた。その沈黙が、全員の同意を静かに示していた。
◇◇◇
探査船アウロラは、アネクシスから離脱した後、「扉」を通じてセリオン星系への航行を始めていた。
観測窓には徐々に色を失っていく恒星間の背景が映り、重力の位相が緩やかに変化するたび、船内にはわずかな緊張が走る。
リュシアンは今回、正式なアーク・コンダクターとしての席に着いていた。
胸元のストラップに固定されたバイタルモニターが微かな光を点滅させており、その情報は船内のAIと接続されていた。
呼吸を深め、意識を落ち着かせるにつれ、彼は自分の感覚を共鳴空間の中に浸すよう意図を整えていった。
共鳴空間は、閉じた隔絶ではなく、開かれた構造を持っていた。
その中心でソラニスの存在を感じ取る。
静かだが確かで、無数の選択肢を同時に意識するような感覚が微かに広がった。
ソラニスの意識は言葉ではなく、重力傾斜の変化を誘導する形でリュシアンの感覚と繋がり、その結び目のような箇所で一瞬、理解が生まれる。
推進場の位相がゆっくりと回転し、重力の深度が傾き、アークが滑るように動き出す。
その瞬間、リュシアンは思わず指先をわずかに硬くし、抑えきれない高揚感が喉奥に昇ってくるのを感じた。
同時に、制御がわずかでも乱れれば全体の調和が崩れる危うさも意識に刻まれていたが、その緊張こそが確かな達成感を生む。
彼は第三世代のアーク・コンダクターだった。
最初にエリディアンの共鳴空間に浸った人類の世代が、試行錯誤で切り拓いた軌跡を学び、その上に立っていた。
共鳴という現象を構成する物理学的原理は今も解明の途上だったが、その利用は洗練され、セレス・ノードの教育課程ではその方法論がすでに体系化されつつあった。
人間が生物的特徴や知性のあり方をどう「共鳴」に浸透させられるか、その技術は着実に進化していた。
後方コンソールのスクリーンを見守るジョアンは、その様子を確認していた。
リュシアンが意識の深い層でソラニスと結びつき、重力傾斜を繊細に操るのを見て、彼女はごく小さく息を吐き、肩の力をわずかに抜いた。
統括者としての表情の奥に、安堵がかすかに滲んでいた。
かつて自分たちが手探りで始めた「共生」は、今やこうして形を持ち、若い世代がその中に身を置いていた。
それを認めることは、未来を託すという意味を含んでいた。
ジョアンはモニターに映る制御値を追いながら、もう一度だけ視線をリュシアンに戻した。
船は、セリオン星系へ向かって進み続けていた。
この章では、探査船アウロラの仲間たちが、長い議論を経て未知の文明との接触計画をまとめあげました。
それは単なる分担の確認ではなく、相手文明の本質にどこまで迫れるか、どんな問いを投げ、どんな応答を受け止める覚悟を持つのかを、互いに確かめ合う時間だったと思います。
若いリュシアンが、ただの記録ではなく相手の秩序や前提を読み解こうと決意する姿。
ソラニスの異文明への感覚を高く評価し、心強く思うカプール博士。
ジョアンが全体を統括しつつ、若い世代が役割を果たすのを見守り、わずかに安堵する表情。
それぞれのやり取りの中に、この遠征がただの調査ではなく、人類そのものの未来への問いだという意識を込めました。
そして彼らが向かうのは、数千万年もの時間を耐え、自己を保ち続けた超文明です。
普通なら、その時間の果てには滅びや、あるいは人間には想像もできない異質な変貌を描くことが多いでしょう。
でも今回は、そうした「当然の想定」を越えて、その途方もない時間を経た文明がどんな姿で応答するのかを描くことに挑もうと思います。
次の章からは、まさにその核心を、こちらも問われるような気持ちで書き進めるつもりです。