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第五章第8部: 知性の到達点

挿絵(By みてみん)


ホログラムには、セラピオン星系の中心恒星と、それを取り巻く複数の居住可能圏が強調表示されていた。淡く回転する光の軌道が、静けさのなかで時間の経過を刻んでいる。


ジョアンは、これまでの議論が着実に成果を出しつつあることに、少し安堵を覚えながら、次の実務的な議題への口火を切った。


「これまでの議論で、セラピオン文明の性質について一定の理解が得られました。問題は、私たちがその内部で具体的に何を観察すべきか、という点にあります」


「まず、目的を明確にしておきましょう。セラピオン文明の高度に最適化された静止的構造を現地で観察し、それを人類の未来にとって有益な指針として持ち帰ること。そしてもうひとつ──私たちがこの文明と真に共生しうるかどうかを判断するための、十分な情報を収集することです。表層的な観察ではなく、種族として価値観の基盤を共有し得るか。その可否を判断することこそが、今回の探査の根幹にあります」


アディティが、静かに言葉を継いだ。


「まずは文化的・社会的構造です。そもそも階層構造や役割分担が固定されているのか、そしてそれがどのように日常の中に表れてくるのかを観察する必要があります」


「たとえば、公共空間で特定の人物だけが中央を歩き、他の人が自然に避けるような動線のパターン。会議や儀式の場面で特定の層だけが発話し、他は沈黙を保つような構造。施設の座席配置や動線設計そのものにヒエラルキーが埋め込まれている場合もあるでしょう。こうした具体的な行動や空間利用の中に、暗黙の権限構造や優先順位が現れる可能性があります」


ノールマンが、椅子に身を乗り出すようにして付け加えた。


「制度の存在だけでは意味がない。問題は、それを実際に誰がどのように運用しているか──あるいは、そもそも運用主体が人ではなく、制度自体が自己維持する構造になっているのか。それによって、秩序の強度も、応答性もまるで違ってくる」


さらに言葉を選ぶようにして続けた。


「だからこそ、現地では、法律や規則がどのように提示されているか、執行機関がどれほど裁量を持つのか、監視システムがどこまで介在するのかを観察したい。誰が秩序違反を検知し、誰が裁き、罰を与え、矯正するのか──そうした運用の実際が、彼らの社会の柔軟性や、他者を受け容れる余地を測る手がかりになる」


ノールマンは少し声を落ち着けて締めくくった。


「我々が確認すべきなのは、ただの統治様式じゃない。その秩序が、我々の存在を受け容れる構造になっているか──つまり、価値観の接続可能性があるかどうかだ。外形的に整っていても、他者を組み込む余地がなければ、共生は成立しない」


「生物学的な側面も見逃せない」とマクスウェルが穏やかに言った。

マクスウェルは、端末に目を落としながら慎重に言葉を選んだ。


「見るべきなのは、単なる健康維持技術の有無ではない。セラピオンが遺伝子レベルで個体をどう扱っているか──とくに標準からの逸脱が発見された場合に、どう対処するのか。そこに着目する価値がある。胚の段階で淘汰されるのか、あるいは出生後に修正が施されるのか──いずれも、人類にとっては倫理的に看過できない」


サミラがわずかに身を乗り出しながら応じる。


「同感です。特に、個体差の消失が美徳とされているのだとしたら、私たちの『多様性を前提とする倫理』とは根本的に衝突する恐れがあります。これは、単なる医療制度の観察では済まない。制度の背後にある価値観そのものを見極める必要があるでしょう」


彼女は言葉を選ぶようにして続けた。


「私たちが彼らと『共に生きる』可能性を現実的に考えるなら、こうした身体に対する考え方の違いが、価値観の対立や摩擦の原因になるかもしれない。そのリスクを正確に理解するためにも、医療施設や生体維持システムを詳細に観察する必要があります」


エコリアが音声で介入した。


「それらの生体的制度と並行して、情報伝達の仕組みも詳細に観察する必要があります。たとえば、公的文書や教育内容、通信端末のインターフェース設計など、情報が誰に、どのような権限で伝えられるのか。知識へのアクセスが平等なのか階層的に制御されているのか。彼らの言語や通信体系が外部文明との相互理解を前提に開かれているのか──それとも内部秩序を固定するために閉じた構造を持つのか。こうした具体的な仕組みを通じて、共生が受け入れ可能かどうかを判断する重要な手がかりを得られるはずです」


ノヴァックが静かに補足する。


「そのためには、公共空間や教育現場、行政の現場での情報交換──誰が、どの情報に、どうアクセスし、どう意思を表明しているか──を注意深く見る必要があるだろう。たとえば、個人が自発的に情報発信する手段を持っているのか。それとも、個人の考え方の表明が制度的に制限されているのか。通信端末の仕様や、知識共有のプロトコルの有無も重要な手がかりになる」


「つまり、情報の流れの構造ですね」とアディティが応じる。


「言語の構造だけでなく、それがどのように共有されているか──たとえば、知識へのアクセス権が全市民に均等なのか、それとも階層によって制限されているのか。その情報アクセスの階層性も、社会構造と価値観を理解する鍵になるはずです。おそらく哲学や倫理も、こうした伝達体系と連動して最適化されている」


彼女は端末を操作しながら続けた。


「現地では、街頭に設置されたインターフェースや、行政施設の受付端末など──情報が実際にどのような粒度で提示され、誰に向けられているのか。誰が何を知ることを許されているのか、それが形式的な平等なのか実質的な制約なのか、その違いを見極める必要があります」


ノヴァック博士がゆっくりと頷く。


「そして忘れてはならないのが、意思決定と情報管理だ。誰が決めているのか。あるいは、誰も決めていないのか。……もし彼らの意思決定が完全に閉じた体系内で完結しているなら、外部文明の介入や提案が制度的に受け入れられない可能性がある。共生とは、相互の意思決定に変化の余地があるという前提でしか成立しない。そこを検証する必要がある」


「たとえば、議事堂や調整機構に該当する施設で、意思決定の過程にどのような構造があるのか、外部や異なる視点を組み込む余地があるのかを観察したい。どの程度まで意見が表明され、反映される仕組みがあるのか。たとえ中央集権的な体系であっても、我々のような外部からの提案や情報を受け入れる仕組みが用意されているかどうか。それを見極めることが、共生可能性を評価する上での重要な観点になる」


「同時に、意思決定にAIがどう関わっているのかを丁寧に確認する必要があります」とジョアンが落ち着いた口調で続けた。


「AIがどんな倫理規範や判断基準を持っているのか、そして最終的な決定を人間が担う余地が残されているのか。それこそが私たちにとって核心的な観点です。AIに全てを委ねた社会は、一見合理的でも、人類の創造性を奪いかねない。セラピオンがそのような方向に進化していないかどうかを見極めることが、私たちの観察の焦点になるでしょう」


彼女はホログラムの制御卓に目を落としながら補足した。


「AI判断の透明性や、市民とのやりとりの有無も観察対象です。AIがどのような原理に基づいて最終判断を下しているのか──たとえば、画面に示される選択肢の構造や、複数の代替案の提示の有無、フィードバック機構の存在など、判断プロセスの可視化状況を丁寧に確認する必要があると思います」


カイザー博士が腕を組みながら短く言う。


「私が見たいのは、物質的な支柱だ。資源循環、エネルギー分配、恒星系規模の管理構造。文明が存在するために不可欠な『足場』が、どのように築かれ、運用されているか。それを確認せずに帰るわけにはいかない」


彼はホログラムに映る軌道施設群を指し示した。


「たとえば、恒星出力をどの程度制御しているか、恒常的なエネルギー抽出装置が存在するのか。惑星間輸送網や軌道上の物資転送機構がどう連動しているか。可視スペクトルや熱放射の観測から、資源の流れを定量的に推定できる。構造物の周期的信号や補給ラインの同期性──それらも判断の材料になる」


彼の語調は落ち着いていたが、その視線は明らかに緻密な実証観察を思い浮かべているようだった。


リュシアンが、手元の記録端末を見ながら問いかけた。


「観察項目がこれだけ多岐にわたる以上、優先順位をつけた方がいいのではないでしょうか? たとえば初期訪問では、社会制度と通信体系に集中し、次に医療と資源、というように」


ジョアンが少しだけ目を細め、端的に答えた。


「確かにその通りね。だが、現地での接触の性質次第で、私たちの自由な観察がどこまで許容されるかは未知数です。だからこそ、事前に観察ポイントを分類しておく必要があります。五つの領域──社会構造、生物医療、言語体系、情報処理、資源管理。それを軸に整理しましょう」


エコリアが補足する。


「現地では、対象項目の物理的アクセス可能性、相互理解の難易度、安全性、そして技術的取得手段の有無をベースに、柔軟に観察順序を再構成すべきです」


「それはAI的発想だな」とノヴァックが、皮肉交じりに小さく笑った。

「状況ごとに変数を評価して、最適な順序を都度計算するってわけか。人間らしい直感的な優先度じゃなく、パラメータの最適化だな」


アディティが微笑を浮かべる。


「確かに合理的だわ。柔軟性と一貫性を両立するのが、今の私たちに必要な態度かもしれません」


しばしの沈黙を経て、ジョアンが全体を見回した。


「それぞれの領域で、共生可能性に関わる要素を意識してください。ただ相手を理解するだけでは不十分です。私たちは、セラピオンという圧倒的に安定化された文明の内部に、私たち自身をどう位置づけられるのかを判断しなければならなりません。共生を選べるなら、人類は『フェージング』による終わりを回避できるかもしれない。しかし、その代償として人類であることを手放すなら、それは救済ではなく消失です。そうした本質的な問いを、この観察で突きつけられる。その覚悟を持って臨みましょう」


誰も反論しなかった。


議論は、具体的な訪問準備という次の段階へと滑らかに移っていった。


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