第五章第7部: 最適化された永劫
少し考え込んだ表情を浮かべながら、アディティ・カプール博士が口を開いた。
「社会構成や生物としての特性、そしてAIによる統治の話が出ましたが、コミュニケーションと価値観の側面からも考えてみる必要があります。高度に抽象化され効率的な言語システムが、セラピオンのコミュニケーションの基礎となっていると考えられます。また、哲学的な観点から言うなら、文明がこれほど長く安定するためには、倫理体系も明確に規範化されているでしょう。個人の多様性や自由よりも、社会全体の調和や恒常的な安定が倫理として最重要視されている可能性が高いと思います」
ノヴァックが手を上げた。
「アディティ、ひとつ確認させてほしい。君の言う『抽象化された言語システム』とは、三つの主要種族がすべて共通の言語を用いているということか? それとも、言語そのものを媒介としない、たとえば『ノエマ』のような意識レベルの同期化装置が、社会インフラとして存在している可能性を見ているのか?」
アディティはわずかに間を置いてから、真剣な口調で応じた。
「三種族の認知様式が根本的に異なるとすれば、従来型の言語による統一は現実的ではないと思います。むしろ、意識レベルでの直接的な情報伝達──つまり、ノエマのような神経同期的な技術が社会的基盤として整備されていると考える方が合理的かもしれません」
彼女はホログラムを見やりながら続けた。
「もしそれが社会の共通事項として定着しているなら、セラピオンでは『言語』という概念自体が私たちの理解とは異なっている可能性がある。思考や意図が即時に共有されるなら、誤解という概念すら制度的に排除されているのかもしれません」
エルンスト・カイザー博士がホログラムを見つめながら発言を始めた。
「物理的な基盤という視点も欠かせない。文明が数千万年持続するためには、資源管理が完璧でなければならない。セラピオン文明が宇宙資源やエネルギーをどのように活用しているかを注目する必要がある。完全な資源の循環利用やエネルギーの生産と消費の厳密なバランスは不可欠だろう。物理学的・宇宙科学的観察によって、私たちは彼らの高度な資源管理システムを確認できるかもしれない」
ここでジョアンが穏やかに口を挟んだ。
「カイザー博士、今の話に関連して確認させてください。アルセイデス内部の都市は、すでに外部に塵ひとつ排出しない環境制御を実現していることは確認済みです。それと比較して、セラピオンの資源管理はどのような点で異なるとお考えですか? つまり、彼らは単なる閉鎖系を超えて、恒星系単位、あるいは複数星系規模で同等の循環を行っている、ということなのでしょうか?」
カイザーは頷き、言葉を選びながら答えた。
「その通りだ。アルセイデスの閉鎖系は驚異的だが、あれは基本的に人工的に構築された限られた空間での制御だ。だがセラピオンは、数千万年単位での安定性を維持している。もし同様の仕組みが存在するのなら、それは都市単位ではなく、恒星系、あるいは複数星系全体を統合した資源・エネルギー循環システムであるはずだ」
彼はホログラムに映る星系構造を指し示した。
「ここまでの規模での完全循環が維持されているとすれば、それは文明というより、もはや恒星系そのものが一個の自己調整システムとして機能している、という見方も成り立つ」
一連の発言を静かに聞いていたイーサン・ノヴァック博士が、少し間を置いて口を開いた。
「皆さんの指摘はそれぞれ重要だと思う。ただ、私が強調したいのは異文化コミュニケーションの問題だ。セラピオンが他文明との接触をどのように進めるのか、その認知的特徴や交流様式を注意深く見るべきだと思う。数千万年の継続を経た文明が、完全に閉じた価値体系を築いているのか、それとも逆に、他文明との対話能力を高度に形式化しているのか。その点をしっかり押さえることで、私たちは彼らの文明本質に迫ることができるんじゃないかな」
「特に注目すべきは、今回セラピオン側が我々との接触を積極的に受け入れている点です。これ自体が、彼らの文明が『閉じた系』ではなく、他者との交流を統合する構造を内部に保持していることを示しているのかもしれません」
ジョアンが手元の端末に目を落としながら静かに付け加える。
「私たちの訪問が許可されたという一点だけでも、彼らの文明が完全に自己完結しているわけではないことを示していますね。そこには、自己保存とは異なる意図的な『応答性』が含まれている可能性があります」
アディティがわずかに身を乗り出す。
「それは重要な視点です。もし彼らが対話可能性を制度として保っているとすれば、それは単なる開放性ではなく、恒常性の一部として組み込まれている可能性があります。つまり、変化を受け入れるのではなく、対話そのものを定型化することで、異質な存在すら文明内の変数に組み込んでしまう。外部との接触さえも、内部秩序の範囲内にある……そういう構造ですね?」
ジョアンは、これまでの発言を踏まえつつ、議論が全体としてどこへ向かうべきかを常に意識していた。専門家たちの多様な視点が交錯するなか、彼女は全体の構図を静かに整理しながら、探査の焦点を見失わないよう注意を払っている。その眼差しには、近づきつつあるセラピオン理解への確信が宿っていた。
◇◇◇
議論が一巡したタイミングで、ジョアンはエコリアにこれまでの議論を総括するように命じた。
「わかりました。ここまで出された皆さんの意見を整理させてください。これらを統合し、セラピオン文明の特徴についてより包括的な理解を得る必要があります」
エコリアはまず、グンナー・ノールマンが挙げた社会的安定性と階層構造について再確認した。
「ノールマン特別顧問の指摘によれば、数千万年の文明維持を可能とするには、高度な社会的安定性が不可欠です。その前提として、極めて洗練され、固定的な統治機構と階層的社会システムが存在しているという仮説が提示されました」
エコリアは続けて、視線をゆっくり移動させるような間を取った。
「この社会的安定性は、アディティ・カプール博士が挙げた、倫理体系および言語体系の高度な抽象化や形式化と強く関連します。カプール博士は、セラピオン文明が社会全体の安定と調和を最優先とする倫理的価値体系を持ち、コミュニケーションシステムも誤解の余地がないほど合理化されている可能性を示唆しました」
「これに関連して、イーサン・ノヴァック博士が示唆した『ノエマ』的な通信形態──つまり、認知や感覚の階層を直接つなぐような情報伝達の可能性──も、セラピオンの言語体系を考える上で重要です。もし彼らの間でそのような通信がインフラ化されているなら、言語そのものの定義が、我々とは根本的に異なることになります」
アディティは静かに頷きながら、「そうなると、倫理と意図伝達の境界そのものが曖昧になっているかもしれませんね」と言葉を添えた。
アディティが頷くのを確かめると、エコリアはそのまま説明を続けた。
「次に、生物学的観点からマクスウェル博士が提起した、個体の最適化と遺伝情報の管理という点です。この生物学的安定性は、私が先ほど提案した情報処理と意思決定の完全なデジタル化という側面と深く結びついています。個々の種族の生物的設計や健康状態は、リアルタイムに文明の情報管理システムによって監視・最適化されることで、生命の安定性が文明の持続性を根本から支えていると考えられます」
マクスウェル博士のアヴァターが小さく頷いた。
エコリアの声は穏やかなまま続けられた。
「そして、これらの社会的および生物学的安定性の根本を支える技術基盤として、カイザー博士が指摘した資源管理システムがあります。星系内の資源を完全に循環利用し、エネルギー生産と消費が精密に調整される仕組みが存在するからこそ、文明はリソースの枯渇や供給の不安定さから完全に解放されています」
「さらに、イエーツ戦略調整官が指摘したように、アルセイデスの閉鎖系都市構造──塵一つ外部に排出しない自律環境──を超える規模の循環システムが、セラピオンでは星系単位で構築されている可能性があります。これは、既存の生態工学や資源制御理論を根底から書き換える要素です」
カイザー博士が同意するように指を軽くテーブルに置くと、エコリアは次のポイントに移った。
「最後に、ノヴァック博士が提起した異文化コミュニケーションの特殊性に注目します。数千万年という極めて長期間の安定が、文明の認知体系に固有の変化をもたらすことは避けられません。セラピオン文明が自己と他者という概念を極限まで抽象化・形式化し、効率的で合理的な『コミュニケーション言語』を発展させている可能性は十分考えられます」
ノヴァック博士がゆっくりと首肯した。
エコリアの総括に耳を傾けていたジョアンが、まとめるように口を開いた。
「そうすると、セラピオン文明とは一言で言えば、あらゆる側面において『高度に最適化された文明』というイメージが浮かび上がりますね。社会的安定性、生物学的最適化、倫理と言語の徹底した合理化、完全な情報管理、宇宙規模の持続可能な資源利用、そして洗練されたコミュニケーション体系。こうした特徴がひとつに融合し、数千万年に及ぶ静的かつ安定的な文明を構築している、と」
エコリアが再び、はっきりした声で締めくくった。
「その通りです。セラピオン文明はこうして、あらゆる側面を精緻に調整し統制した、極度に最適化された静止的文明と見ることができます。この理解が現時点での暫定的な統合像です」
室内の全員が無言で頷き、この統合的な理解に同意を示した。議論は次の段階、「セラピオン文明とは何か」を定義するステップへと自然に移っていった。
◇◇◇
アディティがホログラムに目を向けたまま、静かに語りかけるように言った。
「これまでの議論を踏まえると、セラピオン文明には明確な輪郭が浮かび上がりつつあります。変化ではなく、恒常性。多様性ではなく、統合。進化ではなく、最適化。そのどれもが、静止に向かって収束しているように見えます」
ノールマンのアヴァターが小さく頷いた。
「文明というものが、変化を通じて成熟するのではなく、変化を排して安定に至る。そのような姿を目にするのは、正直なところ初めてだ」
「だが、そこにこそ本質があるように思う。セラピオンとは、文明の運動エネルギーがゼロに収束した極限状態なのかもしれない」
マクスウェルが続ける。
「生物の側面から見ても同様です。進化の軌道を意図的に制御し、変化を必要としない設計に至ったとすれば、それは単なる生存戦略ではなく、文明的な選択です。自己維持のための、制度化された静止状態」
サミラがゆっくりと口を開く。
「変化を恐れているのではない。必要としないのだと思います。進化の余地を捨て去るほどに環境が管理されているのなら、生物もまた、変わる理由を失っている」
エコリアの声が挟まった。
「その観点は、情報構造の視点からも整合しています。あらゆる決定が最適化され、誤差の介在する余地がなくなると、データ処理のゆらぎも消失する。そこでは意思決定は過去の延長ではなく、既知の最適値に固定される」
アディティが問いかけるように言う。
「では、言語や倫理もまた、変化ではなく反復を前提とする構造に再編されているということでしょうか?」
ノヴァックが頷く。
「おそらくそうだ。他文明と対話する必要がない文明──あるいは、対話そのものを内部構造に取り込んでしまった文明。私たちが想定するような開かれた社会とは、まったく別の位相にある」
カイザー博士が、重い声で加えた。
「資源の問題も忘れてはならない。恒常性が保たれているのは、物理的条件がそれを支えているからだ。恒星系全体を操作できる技術──もしかすると、それ以上のスケールでの資源循環が前提になっている可能性がある」
ジョアンがゆっくりと視線を巡らせた。
「……ただ、これはあくまで私たちの外部観察による定義です。果たして、セラピオン自身はこの状態をどう捉えているのか。それも含めて──」
「皆さんの意見を総合すると、セラピオン文明とは、こう定義できるかもしれません。『数千万年にわたる連続した持続により、社会構造、生物学的存在、言語と倫理、情報処理、資源管理およびコミュニケーションのすべての側面が徹底的に安定化・最適化された文明である。その結果、文明全体が高度な静止性と調和性を備え、変化や多様性よりも完全な恒常性を追求する文明として存在している』──と」
一瞬の静寂が訪れ、やがて各メンバーが小さく頷いた。
アディティが言う。
「その表現で異論はありません。むしろ、それ以外の言葉を今、選ぶことはできないと思います」
ノールマンも応じる。
「全体像として、納得できる定義だ。少なくとも現時点での理解としては、これが最も正確だろう」
ジョアンが言葉を受けた。
「では、この定義をもとに、次は──実際に私たちが現地で何を観察し、何を読み取り、何を持ち帰るべきなのかを明確にしましょう」
議論は、次のステップへと進んでいった。