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第五章第5部: 第三のアルセイデス

前回までのあらすじ


アウロラは、「扉」を越えて目標宙域へと到達した。

そこに存在するのは、ミノスとイグナスの対話で言及された、フェージングを免れた文明がアーカイブとして利用しているとされるアルセイデスである。

アーク・コンダクターとして初の実任務に臨むリュシアンは、ジョアンとソラニスが形成する重力傾斜場に参入し、実際の共鳴空間に身を投じた。

訓練とは異なる現実の感覚に戸惑いながらも、彼は自らの役割を果たしていく。

アウロラは、人類史上最高密度となる0.25Gの重力傾斜を実現し、目的のアルセイデスに向けて疾走していた。


ついに目前に現れた巨大な構造体アルセイデスは、かつて人類が接触したエリシオンやネメシスとほとんど変わらない外観を持っていた。意外だったのはそれだけではない。応答に現れた「維持者」もまた、人類そのものだった。

異星知性や機械的な存在を予想していたクルーたちにとって、それは予期せぬ衝撃だった。

彼らは自らを「アネクシス」と名乗り、そのレセプショニストである少女──カリナの案内により、アウロラは整備されたドックに係留され、一行は静かに街へと足を踏み入れる。

その街並みは、人工的でありながらもどこか懐かしさを感じさせるもので、彼らは新たな接触の舞台へと導かれていく。


挿絵(By みてみん)


レオンは、全員の視線を確かめるように一度目を上げてから、口を開いた。


「まず、今回接触を試みる文明について、私が知っていることをお話しします」


一拍置き、落ち着いた口調で言葉を継いだ。


「この文明は『セラピオン』と呼ばれています。いわゆる単一種族や一つの星系を中心とした文明ではなくて、複数の知的種族と恒星系からなる、ネットワーク型の構造を持っています。特定の中心を持たない、分散的な共同体です」


そこまで言うと、ひと呼吸おいて、補足するように言った。


「それぞれの種族は、生物的な構造も文化の形式も、かなり異なっているようです。合意形成や情報共有の制度が確立されており、強い中央集権を取ることなく、緩やかな統合を保ちながら、独自の文明形態を築いているといえます」


その説明に、周囲の空気が静かに引き締まっていくのが感じられた。


レオンが説明を終えるか終えないかのうちに、サミラが静かに口を開いた。

「お聞きしてもいいですか」

声は穏やかだったが、その奥にある関心の深さは明らかだった。


「あなたがおっしゃったように、セラピオンは生物的にも文化的にも異なる種族から成るネットワークだと理解しました。でも、たとえば言語の体系や、知覚のあり方、さらには時間の認識の仕方までが種族ごとに違うはずです。それでもなお、合意形成や共有認識が可能であるというのは……どうやって成立しているんでしょう?」


一瞬、沈黙が訪れた。サミラの問いは単なる知的好奇心ではなく、彼女が長年にわたって探求してきた根本的なテーマに踏み込むものだった。


レオンはゆっくりと頷き、言葉を選ぶようにして答え始めた。

「とても本質的な問いですね。おっしゃるとおり、セラピオンの構成種族は、解剖学的にも、神経構造の点でも共通項はほとんどありません。ですが、彼らは互いに相互の認知の構造を解釈する枠組みを、長い時間をかけて形成してきました。単一の共通言語ではなく、意味の共有点を媒介する多層的な翻訳層を用いています」


「そうした層は、各種族の神経的制約を理解したうえで設計されているのです。いくつかは人工知性によって動作していますが、主要な意思決定の場では、種族間の代表が直接対話し、共通理解が成立するまで話し合う構造が維持されています」


その説明を聞きながら、サミラは軽く息を呑んだ。

それは彼女にとって、言語学と生物学の交差点で長く抱えてきた問いへの、ひとつの回答だった。


◇◇◇


レオンの説明がひと段落したところで、ジョアンが軽く前に出た。


「まず、私が話しましょう。相手がどういう姿勢で応答してくるかは、最初のやり取りに大きく左右されるはずですから」


彼女は一度、周囲のメンバーを見渡した。


「こちらの出自と目的を簡潔に伝えましょう。それで相手の反応を確かめた上で、必要に応じて、皆に引き継ぎます。それぞれの専門領域で、的確に対話してください」


ノヴァック博士が静かに頷き、ソラニスは視線だけで合図を返した。リュシアンはその姿勢に一瞬身を正し、サミラとアディティも迷いなく受け止めていた。


ジョアンは目を細めるようにして言った。


「では、レオン。接続をお願いします」


全員がノエマ端末に接続を終えたのを確認すると、レオンはわずかに姿勢を正すと、淡々とした口調で告げた。


レオンが「セラピオンが応答しました。繋がります」と静かに報せると、空間へ柔らかな声が満ちた。


「太陽系のみなさん、こんにちは。我々はセラピオンです。どうもはじめまして」


ジョアンがゆっくりと口を開いた。


「突然のコンタクト、失礼します。私たちは太陽系から来ました」


相手の沈黙を確かめると、彼女は静かな口調で続けた。


「私たちは今、銀河各地で起きている現象の調査を進めています。外部との通信が断絶され、電磁波を用いた信号やデータの送受信が一切行えなくなる。その影響で、電子的な媒体による記録や読み出しも不可能になる──そうした現象です」


周囲の空気がわずかに緊張を帯びた。


「結果として、その宙域にあった文明は、外部からは完全に『無応答』となります。通信不能の状態が長期にわたることで、電磁気学に依存していた技術基盤は崩壊し、やがて文明は退行へと至るのです」


ジョアンは言葉を選ぶように間を置いた。


「この現象を、私たちは『フェージング』と呼んでいます。そして、そうして通信を絶たれ、活動の痕跡が見えなくなった文明を、私たちは『失踪』したと表現しています」


彼女の声には揺るぎがなかった。


「だからこそ、あなたがたセラピオンのように、長い時間の中で一度もこのフェージングに巻き込まれることなく、知的活動を維持されてきたことに、深い関心を抱いています。その理由を解き明かすために、私たちはここまで足を運びました」


◇◇◇


応答は穏やかだったが、その語り口の奥には、高い知的関心が滲んでいた。


「興味深いお話でした。我々セラピオンは、太陽系からの訪問を歓迎します。外部に向けて観測と理解を試みるあなたがたの姿勢に、深い敬意を抱いています」


ジョアンがゆっくり頷いた。


「ご理解いただけて、ありがたく思います。もし可能であれば、いくつか確認させていただきたいことがあります」


「もちろんです。我々の知る限りであれば、どんなことでもお話しします」


ジョアンが少し声を落とした。


「ハダノールという存在について、何かご存じでしょうか」


わずかな沈黙のあと、応答が返ってきた。


「はい。その存在は、我々も観測記録として把握しています。ただし、詳しい性質や働きについては、私たちにも分かっていません。少なくとも、直接のコンタクトが可能な相手ではなく、どのような意図で振る舞っているのかも不明です」


ジョアンが眉をひそめた。


「つまり、あなたがたも、その正体や目的までは掴めていない……?」


「はい。私たちが知っているのは、ある範囲において、知的活動の痕跡が急速に見られなくなるという事象が、ハダノールの存在と重なる、ということです。ただ、それが意図されたものなのか、それとも副次的な結果なのかすら分かっていません」


ジョアンは、短く視線を巡らせ、クルーたちの反応を確かめた。サミラが口を開いた。


「では……ハダノールが何を望んでいるか、あるいは何を恐れているか、そうした内的な動機についての情報もない、という理解でよろしいでしょうか?」


「その通りです。私たちも、その点についてはあなたがたと同じ立場にあります。ただ、私たちにも知的種族としての探求の意志はあります。もしよければ、この現象の解明に向けて、今後も協力させていただければと思います」


ジョアンはゆっくりと頷いた。


「ありがとうございます。我々にとっても、この現象は解き明かさなければならない謎です。ぜひ、力を合わせて進んでいきましょう」


ジョアンは、短く視線を巡らせ、クルーたちの反応を確かめた。サミラが静かに口を開いた。


「補足させてください。我々は、『ヴォクス・インフィニタ』と呼ばれる存在と、限定的ではありますが意思のやり取りを行っています。あなたがたが言及されたハダノールと直接同一ではないかもしれませんが、観測される性質の一部が重なっています。もし関連性があるとすれば、完全に交信が不可能だと考えるのは、早計かもしれません」


セラピオン側に、わずかな間が流れた。静けさの中に、明らかな驚きが滲んでいた。


「ヴォクス・インフィニタ……その名も記録されていますが、それがあなたがたと意思疎通を可能にしているとは。我々の観測では、あの存在は意識を持たず、眠っているように見受けられていました。

……率直に申し上げて、信じがたいことです」


「それは事実です。人類とエリディアンは、彼らの神経活動をトレースすることで、接続の足がかりを得ました。技術的には困難でしたが、かろうじて思考の輪郭を読み取り、対話の形式へと導くことができたのです」


「なるほど……。柔軟な発想と、異なる視座を統合するその力は、あなたがたの文明ならではの強みですね。とても印象的です。

ハダノールのような存在との接触が可能だとすれば、それは新しい探求の扉を開くことになるでしょう。そのためにも、我々としても協力できることを模索したいと思います」


一連の応答を聞き終えたジョアンが、少しだけ間を置いて口を開いた。


「ありがとうございます。では、もうひとつお願いがあります」


「どうぞ。お聞かせください」


「あなたがたの文明について、より深く理解する機会を持てればと考えています。可能であれば、実際にそちらの宙域を訪問させていただけないでしょうか。現地の文化や環境を直接観察し、対話を重ねることができれば、私たちにとって非常に貴重な知見となります」


短い間をおいて、セラピオンの返答が返ってきた。


「もちろんです。ぜひ、私たちの世界をご覧ください。こうして対話できる文明の訪問は、我々にとっても大きな意味を持ちます」


相手の声は、先ほどよりも柔らかく、あたたかさを帯びていた。


「太陽系の文明が、単なる観測にとどまらず、未知の存在の思考や歴史そのものに歩み寄ろうとする姿勢には、深い敬意を抱いています。それは、我々にとっても新たな対話のはじまりとなるでしょう」


今回もここまで物語をお読みいただき、ありがとうございました。


この章では、アウロラの一行が「セラピオン」と呼ばれる文明と、ついに言葉を交わす場面が描かれました。これまでの旅路で断片的に語られていた存在──分散型で、複数種族によって構成されるこの共同体が、どのような価値観で成り立っているのか。その一端が、レオンの解説とサミラの鋭い問いかけを通して浮かび上がったのではないかと思います。


また、フェージングという現象について、セラピオンが人類と同様に深い理解には至っていないということも明らかになりました。未知に直面する際の無力感と、そこから生まれる探究の意志。ジョアンの冷静さの裏にある緊張、サミラの知的な直感、そしてレオンが見せた理性的な敬意──登場人物たちそれぞれの内面にも、少しだけ踏み込むことができた章になったと思います。


そして、最後にセラピオンが示した「共に探求する」という姿勢。これは、これからの物語において大きな意味を持つことになるはずです。彼らの世界を訪れた先に、何が待っているのか。それをまだ誰も知りません。


次回、いよいよセラピオンの実際の宙域へ足を踏み入れるアウロラの面々が、どんな風景を目にし、どんな問いを抱えることになるのか──私自身も、彼らと一緒にその扉を開けていきたいと思っています。


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