エピローグ
アリーナツアーはあっという間に最終日となった。前日に横浜アリーナ入りし、ゲネプロを行った俺たちは、ステージ上に立って会場を見渡していた。今は空席だが、明日は一万三千人で埋め尽くされる。その想像だけで、緊張と興奮が背筋を駆け上がった。
バミリを確認しながら立ち位置を微調整し、音源を流してマイクチェックを行う。響く俺の声に、改めて明日への実感が湧いてくる。
「それにしても、今回のアリーナツアー、どこの会場もチケット完売って嬉しいよね」
陸がゲネ終了後、タオルで汗を拭きながら言った。
「ああ。俺と翼のことで離れていくファンが多いかと思ったけど……逆に増えてるみたいで嬉しい」
俺と翼の「匂わせ」は、すっかりファンの間で公然の秘密となっていた。デビューの頃から推してくれている女の子たちが、「翼が蓮を見つめる目に愛おしさがこもってる」とか「ライブで手を繋ぐパフォーマンス、絶対アドリブ!」とか呟いている。
『どう見ても付き合ってるよね?』 『っていうか、付き合ってて欲しい!』 『お似合い〜』
俺たちの仲を応援してくれるコメントが多い中、時々こんなお願いも目にする。
『ライブでキスして〜』
さすがに、ライブでキスは……と思っていると、翼がそのコメントを見てニヤニヤしながら言った。
「おでことかほっぺならいいんじゃない? それとも蓮は、口がいい?」
からかうような口調に、俺は思わず頬を染めた。だけど――。
「パフォーマンスなら、口にキスした方が盛り上がるに決まってる」
悠真が真顔で言うものだから、俺はさらに耳まで赤くなってしまった。
「ってかさ、二人きりの時、チューしてるんでしょ?」
海斗までそんなことを言うものだから、俺は一人茹でだこ状態だった。
「じゃ、決まりね。翼と蓮のデュエットの時、口にキスして。濃厚なやつじゃなくていいからさ」
陸がサラッと言ってのける。
クソっ! こうなったら、やってやる!
「俺から翼にキスしてやるよ」
俺は腹を括った。絶対やり切ってやる。拳を強く握りしめた。
翌日、観客が客席を埋め尽くし、会場は熱気に満ちていた。舞台袖から客席を覗き見ると、ペンライトやうちわを手にした女の子たちがステージを見つめ、開演を今か今かと待ち構えている。
「うわあ〜。やべえ。めちゃくちゃ緊張してきた!」
海斗が落ち着きなく歩き回っている。
「海斗、いつも通りで大丈夫だよ。リラックスして」
陸は海斗の肩に手を置いているが、自分も小刻みに震えているように見えた。
アリーナツアー最終日。誰もがこのフィナーレを成功させたいと思っている。
「いつものやつ、やろうよ」
俺がみんなに声をかけると、頷きながら全員が集まった。陸が手を差し出すと、順番に上へ重ねていく。
「今日もファンのみんなを楽しませるぞ!」
陸がメンバーを見渡して声を上げた。
「じゃあ、海斗、いつものお願いします」
「最高のステージにしようぜ!」
「オッケー!」
みんなで手をパンッと上に跳ね上げる。これを毎回することで、今からステージが始まるという高揚感に満たされ、気合が入る。
照明が落とされ始めたステージをじっと見つめていると、手を優しく握られた。見ると翼が横に立っていた。
「今日も最高のステージにしような」
「もちろん! 楽しもうぜ」
俺は翼の頬にそっとキスをした。
ライブがスタートすると、会場は熱狂に包まれた。黄色い歓声があちこちからこだまし、大きな舞台の端から端まで、俺たちは駆け回った。
そして遂に、俺と翼のデュエット曲『Beyond the Prism』が始まった。この曲は俺が作曲を手がけ、翼が詞を書いた二人の共同作品だ。
俺たちはライバルであると同時に、お互いを尊敬し認め合う存在となった。そして今は、たった一人の大切な恋人だ。
曲が始まると、ステージは虹色の照明で美しく彩られた。お互いを見つめ合い、愛しい人のために歌う歌。客席も俺たち二人を息を呑んで見守っていた。
曲が終わり、俺は翼に歩み寄った。心臓が激しく鼓動している。そして、そっと唇を重ねた。
会場からは一瞬、夢見るようなため息が漏れたかと思うと、次の瞬間、大きな歓声と拍手が沸き起こった。
みんなの前で翼にキスをするのは気恥ずかしかったが、ファンの間では俺たちの仲は知れ渡っている。だからこそ、これからも応援してほしいという気持ちを込めた。そのおかげでライブがさらに盛り上がったのは言うまでもない。
「ツアー最終日、お疲れさま〜!」
楽屋に戻ると、マネージャーが一人ひとりに飲み物を差し出してくれた。
「いやあ、翼と蓮のキス、よかったね。もう、涙が出ちゃったよ」
そう言いながら目元をハンカチで押さえた。
「俺たちのファンは公然の秘密として二人のことを知ってるからね。嬉しかったみたいで、めちゃくちゃ盛り上がったよね」
陸が俺の肩に手を置いて微笑んだ。
「盛り上がってよかった。悲鳴が上がったらどうしようかと思ってたから……」
俺は頬を指で掻きながら言った。本当は恥ずかしかったけど、俺もプロだ。ファンサービスだと思えば……何とかこなすことができた。
「ぶっちゃけ、いつもはどっちからするの?」
海斗がニヤニヤしながら俺と翼の顔を交互に見てくる。その瞳は興味津々で輝いていた。
「それはノーコメントだ」
翼がぐいっと海斗を押しのけ、俺の背中から抱きついてきた。
「もう、イチャイチャ禁止も守らなくなってきたな」
悠真は呆れたというように溜息をついた。
「それにしても、今日は本当に最高のライブだった。次はドームツアーを目指して、頑張ろう!」
陸のその言葉に俺たちは一気にヒートアップした。
五人で次の高みを目指す。自分一人だと挫けそうになることも、みんながいるから頑張れる。支えてくれる人たちがいるから、自分もみんなを支えたいと思う。
改めて、このグループの一員になれてよかった。
「じゃあ今日は、各自ここで解散ね。寄り道しないでまっすぐ帰るんだよ」
マネージャーは事務所に急用があるそうで、先に会場を後にした。
俺は翼と二人で寮へ帰ることにした。
「なあ、みなとみらいに行かないか?」
翼が提案した。俺はライブで翼にキスをすることが決まってから気が張っていて、ものすごく疲れていたのだが、翼が真剣な目でそう訴えてきたので行くことにした。
海のそばまで行くと、潮風が頬を撫でた。梅雨前で空気はカラッとしているのに、海風はしっとりと湿っていた。
「そういえば、二年前もライブ終わりにみなとみらいに来たよね?」
「俺たち、デビューして三年で随分成長したよな。今日は東京ドームでライブできた」
翼は満足げに星の瞬く空を見上げた。
「そうだね。最初はお互いライバル視してたけど」
「もう、二十歳になったしな。酒も飲めるようになった」
俺たちは笑いながらお互いの顔を見た。翼は優しく微笑みながら俺を見ている。その表情は最初に会った時には見ることのできなかったものだ。それだけ翼が俺のことを大切に想ってくれているのが分かる。
「俺は自分の歌やダンスは誰にも負けないって思ってたけど、翼には負けたと思ったもんなあ」
最初のセンターオーディションの時を思い出して笑った。
「だけど、いつかセンターになるからな」
翼はデビューしてからずっとセンターの座を退くことなく、居座っている。
「おう。いつでも挑戦を受け付けてます」
翼は飄々として言った。
「でも俺は、蓮がいるから頑張れるんだよ」
「俺だって同じ。翼がいるから」
俺は翼の腕にそっと触れた。愛しい人の腕は逞しく、いつも優しく俺を包んでくれる。
「蓮、これ……」
翼がポケットから小さな箱を取り出した。銀色のリボンがかけられている。
「これ……」
「開けてみて」
リボンを解き、箱を開けると――。
シンプルなシルバーリングが二つ。
俺は翼を見上げた。
「一生、蓮のことを大切にしたい。受け取ってもらえるか?」
俺は言葉を発することができず、ただこくりと頷いた。
「……はめても、いい?」
翼がおずおずと聞いてくるので、スッと左手を差し出した。
翼がリングを薬指にはめてくれると、それは俺の指にぴったりとフィットした。
「じゃ、じゃあ……俺も翼に……」
翼の左手に指輪をつけた。お揃いのリングがお互いの左手の薬指で光っている。二つのリングが静かに輝く様子を見つめていると、込み上げてくる感動で視界が滲んだ。これが永遠の約束の証なのだと実感が湧いてくる。
「約束する」
声が震えているのは、感動のためか、それとも緊張のためか。
「ずっと、永遠に、翼のそばにいる……」
言葉にしてしまうと、それがどれほど重い約束なのかを改めて実感する。でも怖くない。この人となら、どんな未来も受け入れられる。心の奥底から湧き上がる確信が、俺の声に力を与えてくれた。
「俺も、ずっと一緒にいる」
俺たちは見つめ合い、深くキスを交わした。
どんな困難が待ち受けていても、この愛があれば乗り越えられる。PRISMとして、恋人として、俺たちは歩き続ける。
これからもずっと――。




