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煌めく舞台の向こう側  作者: 海野雫
第一章 始まりの衝突
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1-2

 続いてダンス審査が行われる。別の会場に移動すると、こちらにも三名の審査員が控えていた。一人は年配の女性で、赤い縁の眼鏡をかけている。ショートボブに整えられた艶やかな黒髪が印象的で、大ぶりのピアスが照明を受けて煌めいている。中央の男性は用意された椅子に座らず、壁際に佇んでいた。ほっそりとしているが均整の取れた体型は、まるでプロのバレエダンサーのようだ。最後の一人は典型的なヒップホップダンサーといった出で立ちで、ゆったりとしたTシャツにワイドパンツ、耳に複数のピアスが光っている。


 ダンス審査用のスタジオは、歌唱審査の部屋よりもはるかに広々としていた。壁一面に張られた鏡、本格的な音響設備、衝撃を吸収する特殊素材の床――全てがプロのダンサーを想定した本格的な仕様だった。


 ダンス審査は課題振付と自由ダンスの二部構成だ。まず審査員の一人であるヒップホップダンサーが、ワンフレーズ分の振り付けを実演する。その後、十分間の練習時間が与えられ、各自で動きを習得しなければならない。


 俺は記憶力には自信がある。ワンフレーズ程度なら、一度見ただけでほぼ完璧に覚えてしまう。与えられた時間をフルに活用して、何度も反復練習を重ねた。


 周囲を見回すと、明らかにダンスが苦手そうな参加者もちらほら見受けられる。そして例の290番の彼に目をやると、もちろん振り付けを完璧にマスターしていた。


 ――さすが、といったところか。


 俺は負けじと、与えられた振り付けの練習を繰り返した。


 練習時間が終了し、いよいよ審査の開始だ。


 課題振付は十人全員で一斉に行われた。横一列に並ぶと、軽快な音楽が流れ始める。


 俺は教わったダンスを、持ち前の長い手足を最大限に活かして踊った。美しく、しなやかに。まるで蝶が舞うような優雅さを心がけながら、一つ一つの動きに魂を込める。


 課題振付の審査が終わると、次は自由ダンスの番だ。こちらは個人で準備してきたワンフレーズ分のダンスを披露する。


「それでは281番の方、自由ダンスをお願いします」


 最初に呼ばれた参加者は、指定位置についた。しかし後ろからでも分かるほど体がガチガチに緊張している。


 ――歌の時もそうだったけど……。あれでは体が動かないよなぁ。


 案の定、その参加者のダンスは硬く、リズムに乗り切れていない。


 俺は冷静に前方の様子を観察していた。それにしても、大した実力を持たない者ばかりで、書類審査の基準はそれほど厳しくないのだろうかと思ってしまう。ただし、だからといって油断は禁物だ。


「286番、どうぞ」


 番号を呼ばれ、俺は指定の位置についた。大きく息を吸い込むと、音楽が流れ始める。長い手足を存分に使い、自分を最大限魅力的に見せながら踊る。短いワンフレーズを一切のミスなく、流れるようなしなやかさで踊り切った。


 これまで渋い表情を崩さなかった審査員たちの顔色が、明らかに変化した。


 ――よし!


 俺は審査員の反応を見て、今回の審査は成功だったと胸を撫で下ろした。


「最後、290番の方、どうぞ」


 俺は指定位置に歩み出る彼の姿を、息を詰めて見つめた。Tシャツの下に隠された筋肉が、美しいラインを描いているのがはっきりと見て取れる。


 音楽が流れ始めると、彼の体が自然とリズムを刻み始めた。力強いステップから始まり、流れるようなアームワーク。腰の動きは滑らかで、跳躍は高く美しい。ヒップホップをベースにしながらも、ジャズダンスやコンテンポラリーの要素も織り交ぜた、彼独自のスタイルだった。


 俺は思わず彼の踊る姿に釘付けになった。


 ――リハーサル室でも上手いと思ったが、想像以上だ……。


 俺は体の線が細いため、激しく力強いダンスは似合わない。しかし彼は、がっしりとした体格を活かし、感情をむき出しにした情熱的なダンスが完璧に似合う。


 ライバルでありながら、俺は彼のダンスに心を奪われてしまった。そして――。


 ――一緒のステージに立ってみたい。


 その想いは最初、単純な憧れだと思っていた。だが違う。彼の踊る姿を見つめていると、胸の奥で名前のつけられない感情が静かに芽吹いているのを感じる。それは尊敬でも競争心でもない、もっと深く、もっと甘い何かだった。



 一次審査が全て終了し、参加者はアリーナに集められた。


「それでは今回の審査結果を発表いたします」


 司会者がそう告げると、次々と合格者の番号を読み上げていく。


「……154、230、286、290……」


 俺の番号が呼ばれた瞬間、心の中で静かにガッツポーズを決めた。290番の彼も一次審査を突破している。彼に目をやると、喜びを表すでもなく、表情を変えることなく真っ直ぐ前を見つめていた。


 結果として、一次審査を通過したのは参加者の一割程度に過ぎなかった。その狭き門を潜り抜けられたことに、まずは安堵の息を漏らす。


「二次審査は一週間後に実施いたします」


 一次審査合格者には、次回の審査内容が記載された資料が配布され、その日は解散となった。



 二次審査の待合室は、一次審査の時よりもずっと狭く感じられた。参加者数が大幅に絞り込まれたとはいえ、残った五十人の緊張感は前回を上回る重圧として会場を包んでいる。


 俺は壁際の椅子に腰を下ろし、事前に配布されていた楽譜の最終確認に余念がなかった。二次審査では、グループでのハーモニー審査が実施されると聞いている。他の参加者との息の合わせ方も、重要な評価ポイントになるだろう。


「この席、空いているか?」


 突然、低く響く声が横から聞こえた。顔を上げると、一次審査で同じグループだったあの長身のダンサーが立っていた。


「あ、どうぞ」


 俺は楽譜を整理して、彼に席を譲った。


「神谷翼だ。よろしく」


 彼は無造作に手を差し出してきた。その手は大きく、しっかりとしている。


「桜井蓮です。こちらこそ、よろしく」


 俺も手を差し出し、握手を交わす。翼の手は温かく、わずかに汗ばんでいた。きっと直前まで練習をしていたのだろう。


 翼が隣に座ると、部屋の空気が微妙に変化したような気がした。他の参加者たちも、こちらに視線を向けている。


「あの二人、オーラが違うよな……」


 小さな囁き声が耳に届く。


 俺は横目で翼を観察した。間近で見ると、想像以上に整った顔立ちをしている。一次審査では、これほど近距離にいることはなかった。特に印象的なのは瞳で、強い意志を感じさせる眼差しだった。


 翼は俺の視線に気付いたのか、こちらに顔を向けた。


「お前、歌、上手いな」


「え?」


「一次審査の時、そう思った」


 翼の言葉に、俺は少し動揺した。他人のことなど眼中にないような冷徹な表情をしていたので、俺のことなど見ていないと思い込んでいたからだ。


「君のダンスも、良かったよ」


「まあな」


 翼は照れることなく、あっさりと答えた。その自信に満ちた態度が、ある意味羨ましかった。


 楽譜を整理し直そうとした時、翼が伸びをしたはずみで俺の腕に触れた。その瞬間、楽譜が数枚床に散らばってしまう。


「あ、悪い」


 翼は慌てて楽譜を拾い集めてくれた。


「いや、大丈夫」


 俺も一緒に拾い集める。その時、翼の手と俺の手が楽譜の上で偶然触れ合った。一瞬、お互いの動きが止まる。


「……ありがとう」


 俺は楽譜を受け取りながら言った。


「いや、俺のせいだし」


 翼は苦笑いを浮かべる。その表情が、意外なほど優しいことに俺は少し驚いた。


 第一印象では、もっと無愛想な人だと思っていた。しかし実際に話してみると、そうでもないようだ。


「次はグループ審査だな」


 翼が呟く。


「そうだな。どんなグループ分けになるんだろうな」


「俺たちが一緒になったら面白いな」


 翼の言葉に、俺は胸の奥がドキリと跳ねた。一次審査の時に、一緒の舞台に立ってみたいと思ったことを思い出す。この人と共に歌うステージを想像すると、きっと華やかで美しいものになるに違いない。


 でも同時に、激しい競争心も燃え上がる。翼は確実に、俺の最大のライバルになる。センターポジションを巡って争うことになるだろう。


「……そう……だな」


 俺は微笑みながら答えた。しかし心の中では、既に静かな戦いが始まっていた。


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