8-3
別レッスンが残り一週間となった。もうすぐみんなに合流できると思うと、なんだか初めて顔合わせした時のようにソワソワしてしまう。
学校を出て空を仰ぎ見た。はあっと息を吐くと、息が白くなるほど冷え込んでいるが、雲ひとつない真っ青な空は清々しい気持ちにしてくれた。
足早に事務所へと向かう。みんなと合流した時に、不様な格好にならないように、一人でも気合を入れて練習しないと。
軽い足取りで歩き始める。その歩幅は徐々に広くなっていき、気づけば走り出していた。みんなと一緒に練習できると思うだけで、こんなにも心が軽くなるんだと初めて感じた。
今まではみんなでいるのが当たり前で、そして、みんなに負けたくなくて。
意地を張って、メンバーを寄せ付けていなかったかもしれない。
それなのに、俺のせいでこの一ヶ月はメンバーに迷惑をかけている。新曲のレコーディングも控えているのに、音を合わせることができないのだから。
――早く、みんなで新曲の音合わせしたいなぁ……。
冷たい風を頬に受けながら事務所にたどり着いた。残りの一週間で、音を合わせても大丈夫なようにしっかり作り込んでいこう。
メンバーと曲を作り上げていくことを考えるだけで、胸が高鳴った。
一人レッスン室に入り、着替えてから軽くストレッチを行う。それが終わると、発声練習を行った。
心なしか、声がいつもよりよく出ているようだった。勘違いかもしれないけど、もしかしたらみんなと再び同じ場所にいることができるのが、嬉しいからなのかもしれない。喉に詰まっていたものがすぽっと抜けたような気分だった。
新曲の楽譜を取り出し、譜面台に置く。楽譜を読んで、音程を確認するように小さく歌ってみた。心地よいメロディーが耳をくすぐる。この曲に翼の声を当てるのを想像すると、あまりに翼の声にぴったりな曲すぎてゾクッとした。
与えられたパートの練習をしようと、譜面台の前で大きく息を吸い込んだ。第一声を出そうとした瞬間、スマホが震えた。黒川からだった。一瞬、電話に出るのを躊躇したが、応答ボタンをタップした。
「……もしもし」
受話器の向こうから、明るい黒川の声が聞こえた。
「やあ、思ったより元気そうだね。もっと落ち込んでいるのかと思ったよ」
その声は残念に思っているような声ではなく、逆に楽しんでいるようにも聞こえた。
「……どういう意味でしょうか?」
「だって君、一人だけ別メニューで練習してるんでしょ?」
どこからその情報を手に入れたのだろうか。いや、手に入れようと思えば、黒川はなんでも手に入れられる存在なのだ。
俺は何も言わず、黙っていた。
「一人別メニューってことは好機じゃないか。この前のこと、もう一度考え直してくれないか?」
「あの件は、もう、お断りしたはずです」
俺は自分の意思をはっきりと伝えたはずだったのに、まだ、黒川は諦めていなかったようだ。
「せっかくの才能を無駄にしたくないんだよ。何度も言うが、君はソロで十分活躍できる存在だし、海外進出もきっとうまくいく。だったら、それに挑戦してみてもいいんじゃないか?」
俺の実力を認めてくれている黒川の言葉に、一瞬ぐらりと心が揺らぐ。確かに、ソロでもやってみたいし、海外にも挑戦したい。だけど――。
「俺は……PRISMに、いたい……、です」
しかし黒川はさらに食いついて言った。
「君の才能が、グループ内で発揮されなくてもいいのか? ソロなら思う存分君の力を発揮できるんだぞ?」
俺はゴクリと唾を飲み込んで、拳を握った。
「それでも……。俺の気持ちは、変わりません。メンバーと、みんなと、PRISMの一員として、やっていきたいんです」
「そうか……。分かった」
黒川はあっさりと電話を切った。だが、諦めたとは思えなかった。もしかしたら、また、ソロの打診をしてくるかもしれない。でも、何度でも俺はPRISMを離れないと言うだろう。
通話を終えて、スマホをテーブルに置こうとした時、再び震えた。画面を見ると翼からのメッセージだった。
『お疲れ様。練習、頑張ってな』
その文字を見るだけで、俺の心は焚き火にあたっているようにふんわりと温かくなった。
約束の一ヶ月が終了した。俺と翼はマネージャーの「偶然」の計らい以外は一切接触せず、この一ヶ月を過ごした。社長も、俺たちの行動を見て、これなら今後の活動は問題ないと判断してくれたようで、明日、寮に戻れることになった。
だけど、俺は知っている。この一ヶ月、マネージャーがずいぶん社長に働きかけてくれていたことを。俺たちを守ると言ってくれたことを、有言実行してくれたのだ。感謝してもしきれない。
寮に戻るために荷物を整理していると、扉をノックされた。
「はーい」
返事をすると、マネージャーがひょこっと扉から頭を覗かせた。
「どう? 荷造り捗ってる?」
「最小限のものしか持ってきていないので、もう、終わります」
「明日は昼過ぎに出るけど、大丈夫?」
「はい。土曜日なのにすみません」
「いいよ。ほら、この業界は土日とか関係ないし」
マネージャーは朗らかに笑った。俺はマネージャーに向き合って丁寧に腰を折った。
「この一ヶ月、本当にお世話になりました。それに、俺たちが別れなくて済んだのも、マネージャーのおかげです。ありがとうございましたっ!」
マネージャーは恥ずかしそうに首の後ろをかきながら言った。
「俺はたださ、君たちのことを守りたかっただけだから……。大したことは、してないよ」
そんなことをさらっと言ってのけるマネージャーには本当に脱帽だった。彼が俺たちのマネージャーで良かったと心から思う。
次の日、マネージャーの運転で寮へと向かった。一ヶ月ぶりの寮。玄関に手をかけると、小刻みに震えているのが分かった。
俺は何を怖がっているんだろう? みんなに迷惑かけて、無視されるかもしれないから?
そんなことはないはずだ。
お前のせいで、この一ヶ月、大変な目にあったぞ! と罵倒される?
それも、ない、はず……だと思いたい。
ギュッと目をつぶって、ドアを開けると――。
ぱあん!
破裂音がして、驚いて目を開けると、みんながクラッカーを俺に向けて鳴らしていた。
「蓮、おかえり〜!」
海斗が俺に抱きついてきた。俺は思わず、他のみんなを見渡すと、ホッと安堵した表情をしていた。
「蓮、おかえり! 疲れたでしょ? 荷物、部屋に置いてきなよ。俺、手伝うから」
陸が荷物に手をかけようとした時、翼がそれを遮った。
「いや、俺が行くから」
「あ〜。はいはい。そうですよねぇ〜。彼氏さんが行った方がいいですよねぇ〜」
海斗がニヤニヤしながら茶化してきた。
「え?」
俺は目を見開いてみんなを見た。温かい目で俺と翼を見ている。
陸と海斗は俺と翼の関係を知っていた。だが、悠真は……?
「えっと?」
悠真に目を向けると、ボソッと言った。
「お前たち二人、分かりやすいんだよ。それに、翼がきちんとみんなに説明してくれたから……」
そうなのか? と目で訴えると、翼はこくんと頷いた。
「グループの雰囲気が悪くなるのが、嫌だったから……。勝手にごめん」
「そっか……。みんなは、俺たちが付き合ってるってこと、嫌じゃないの?」
俺は念のため、メンバーに聞いてみた。
「嫌じゃないよ。お前たちはこのグループに欠かせないからな」
悠真がニコッと笑って言った。
「だけど、ラブラブは禁止だからな〜!」
海斗が俺たちにしっかり釘を刺してきた。
「ホント、それ! 俺たちの前でイチャつくなよ!」
陸も俺たちを睨みつけながら言った。
「みんな……。ありがとう。そして……一ヶ月迷惑かけてごめん」
俺はみんなに頭を下げた。すると、誰からともなく笑い合った。
「もういいじゃん。また明日から、五人で頑張っていこうよ!」
陸が言うと、みんなが大きく頷いた。
胸の奥で、温かいものがじんわりと広がっていく。ひと月の別れがあったからこそ、この場所がどれほど大切だったかを心の底から実感できた。俺はここにいる。俺の居場所はここにある。このメンバーと、このグループで、俺はこれからもPRISMの音楽を作っていく。迷いはもうない。心の奥底から湧き上がってくる確信が、俺の全てを包み込んでいた。
拳をギュッと握りしめて、決意を新たにしたのだった。
その夜、久しぶりの自分の部屋で、俺は荷物を片付けながら考えていた。
この一ヶ月、確かに辛いこともあった。一人で練習する寂しさ、翼に会えない切なさ、メンバーに迷惑をかけている罪悪感。
でも、この経験があったからこそ、俺は大切なことに気づけた。
PRISMというグループがどれほど俺にとって大切な存在なのか。メンバー一人一人がどれほどかけがえのない仲間なのか。そして、翼への想いがどれほど深いものなのか。
荷物を片付け終わると、ベッドに腰掛けてスマホを手に取った。翼からメッセージが来ていた。
『お疲れ様。明日から、また一緒に頑張ろうな』
俺は微笑みながら返信した。
『うん。今度こそ、みんなで最高の音楽を作ろう』
そして続けて打った。
『翼、ありがとう。君がいてくれるから、俺は歌えるんだ』
すぐに返事が来た。
『俺もだよ、蓮。お前がいるから、俺は踊れるんだ』
その言葉を読んで、俺の胸は温かくなった。
明日からまた新しいスタートだ。今度は何があっても、みんなと一緒に乗り越えていこう。
窓の外を見ると、星空が美しく輝いていた。きっと翼も隣の部屋で同じ星空を見ているんだろうな。
「明日が楽しみだ」
俺は一人つぶやいて、ベッドに潜り込んだ。夢の中でも、きっと翼と歌っているんだろう。そんな予感がしながら、深い眠りについた。




