7-3
その日の夜からマネージャーの家で寝泊まりすることになった。独身の彼は、2LDKの賃貸マンションに住んでいた。室内はあまり物がなく、リビングにはシンプルにローテーブルとソファ、ダイニングテーブルが置かれていた。
「この部屋、空き部屋だから使って」
玄関近くの部屋を使うように言われた。そこには布団一式が置いてあるだけだった。
「ごめんね。急だったから布団ぐらいしか準備できなくて」
「いえ、大丈夫です。俺の方こそ、すみません。ご迷惑なのに……」
「いいよ、そもそも俺が見ちゃったのが悪いんだし……」
マネージャーはすまなそうに目を伏せた。
「で、本当のところはどうなの? 二人、付き合ってるんでしょ?」
マネージャーは顔を上げ俺の目を見つめた。目の奥がきらりと光っている。なんか、興味津々という表情だ。
「……はい。社長の前では、ああ言いましたけど……。付き合って……います」
その言葉を口にすると、恥ずかしくなって顔が赤くなった。
「そっかぁ。二人ともお互い切磋琢磨してグループを盛り上げてくれてたもんねぇ。惹かれ合うのも分かるよ」
年が近いせいだろうか。やけにマネージャーは物分かりが良かった。
「でも、会社の言い分も分かってね。若いとさ、ほら、二人で盛り上がっちゃって……ってなりかねないからさ」
ふふっとなぜか楽しそうに笑っているマネージャーを見て、人の恋愛を見て楽しんでるんじゃないかと思ってしまう。
しかし、せっかくマネージャーと時間をともにするのだ。少しは悩みでも聞いてもらおう。
「そういえば、俺たちが距離を置くことになって、二人で無視し合うみたいな形をとったんですけど、今日、めちゃくちゃグループ内の空気が悪くなったんですよ……。グループ存続のためって思って割り切ってたんですけど、ちょっと……、辛いですね」
あの時の悠真の言葉が頭の中で繰り返される。その言葉が俺の心を大きく抉っていくようだった。
俺は、あの場所に、いない方が、いいのかもしれない。
あの時落ちた天秤のオモリ。もう一つ、PRISMのものがことりと音を立てて落ちた。
「そうだねぇ。グループは他のメンバーとの兼ね合いもあるから。ちょっと険悪になると活動するのが辛くなるよね……。だけど、ファンの前では仲良く見せないといけない」
「俺、間違ったのかな……。翼のこと、好きになって……みんなに迷惑をかけてる」
消え入るような声で言うと、マネージャーは驚いた顔をした。
「何言ってるの。たまたま好きになったのがメンバーの一人だっただけ。人を好きになるのなんて理由なんてないんだから」
そう言うとマネージャーは顔を曇らせた。その表情から、昔、何かあったのだろうと俺は感じ取った。だが、それを聞くことはしなかった。すると、マネージャーはポツリと自分から話し出した。
「実は俺、昔、アイドルだったんだよ」
俺は「えっ?」と驚きの声をあげて目を見開いた。マネージャーは二十代後半で、俺とは十ほど歳が離れている。
「もう十年以上前の話だからねぇ……。蓮はまだ小学生にもなってない頃じゃないかな?」
マネージャーはふふっと楽しそうに笑って俺を見た。
「あの時は楽しかったなぁ。何もかもが。デビューした時、事務所が大々的にプロモーションしてくれたら、すぐにトップに登り詰めた。今の君たちみたいな感じだよね」
「そう……ですね。最初はオーディションに受かって、有頂天になって。初ライブまでは浮かれてました」
マネージャーは「わかる!」と相槌を打ちながらキッチンへ行って、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して俺に手渡してくれた。
「俺たちは、一気に頂点に登り詰めたから、誰にも負ける気がしなかった。なんでも自由にできると思ってた。だけど、違った。登り詰めたから、不自由だったんだよ。何もかも。人の目に晒されて、自由がなくなった――」
マネージャーは、ペットボトルの蓋を開けてゴクリと水を一口飲んだ。
「俺、当時、付き合ってた人がいたんだよね。高校の同級生で……、男、だったんだけど……」
俺は息を呑んだ。ペットボトルを握る指に力が入り、歪む。マネージャーはくぐもった声で続けた。
「社長にそれがバレて、無理やり別れさせられた。男同士で付き合ってるなんて気持ち悪い、お前たちは女の子に夢を与える仕事なんだ、ってね」
マネージャーは俯いた。はらりと前髪が垂れ、目元を覆う。膝の前で組まれた指は小さく震えていた。俺は、喉がカラカラに乾いていった。
「ライブではさ『みんなのこと愛してるよ〜』なんて言ってるのに、俺の心の中は空っぽだった。それなのにファンの子たちに愛を囁かなくちゃいけなくて、心はどんどん荒んでいった。メンバーは心配してくれるけど、支えてはくれなかった。多分俺が男が好きということがわかったからだろうね。下手に心配して襲われたら困るって思って距離を置いたんじゃないかな。で、とうとう心が壊れちゃったんだ」
マネージャーは小さく笑った。それは悲しげな声だった。
もし俺が、翼と別れなければいけなかったら? それは嫌だ。せっかく掴んだ手を、離したくない。
「その後、俺はどうすることもできなくて、アイドルを辞めた。どこにも行き場がなくなった俺を拾ってくれたのがフロンティアの社長だったってわけ」
「……だから、社長に恩があるから、俺たちを引き離したいんですか?」
「いや、違う!」
マネージャーは勢いよく顔を上げた。その頬には涙が伝った跡が残っていた。
「その逆で、俺は、君たちに俺みたいに辛い思いをしてほしくない。守りたいんだ。この業界、恋愛はおいしいネタになってしまう。だから、それを露呈させないために少しの間、距離を置かせましょうって俺が社長に提案したんだ」
とはいえ、付き合い始めたばかりなので、距離を置くのは辛いのだが。
「でも、俺たち、まだ付き合い始めたばっかりですよ。翼が入院した時に俺が告白して……」
「え? そうなの? じゃあ、まだ体の関係は?」
「……はい……。残念ながら……。まぁ、時間の問題かもしれませんが……」
マネージャーは「あちゃー」と言いながら、しきりに頭を下げた。
「ごめん! もうてっきり、体の関係があるかと……。同じ寮に住んでるし……」
ゴニョゴニョと口ごもりながら弁解している姿に俺は笑った。
「ははっ。でもまぁ、マネージャーの言うとおり、俺が寮にいると、多分すぐにそうなるだろうし。マネージャーが俺と翼の二人きりの時間を作ってくれるなら、俺はしばらくここにいてもいいですよ」
マネージャーは「仕方ないですね」と言いながらため息をついた。
「ひと月はここにいてもらいます。それと、蓮は他のメンバーと別メニューでレッスンをしてもらうことになると思います。だから、あまり翼とは接触できないとは思うけど。そのほかはいつも通りで大丈夫。翼と『偶然』の接触はいいけど、事務所で故意には、会わないようにね」
メガネのブリッジをクイッと上げてマネージャーモードに戻って俺に言った。
「あなたたちのことは、しっかり守りますから」
その言葉を聞いた途端、心の中の天秤の「ソロ」と書かれているところから、すべてのオモリが滑り落ちた。やっぱり俺は、PRISMが好きだ。翼のそばで歌って踊るのが楽しい。ここから離れたくないと強く思った。




