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煌めく舞台の向こう側  作者: 海野雫
第一章 始まりの衝突
2/10

1-1

 桜の花びらが風に乗って舞い踊る四月上旬の朝。都内の大型ホール前には、夢を抱いた六百人もの若者たちが長蛇の列を成していた。列の途中で小さく息を白く吐いているのは、緊張からなのか、それとも朝の冷気のせいなのか。


「それでは今から、PRISMメンバーオーディションの受付を開始いたします!」


 午前九時。スタッフの凛とした声が春の風に乗って響き渡った。その声を合図に、静止していた列がゆっくりと動き始める。


 俺、桜井蓮は列の中ほどにいた。薄手の白いパーカーに黒いスウェットパンツという、ダンス審査を意識した軽装だ。書類審査を通過してからというもの、毎日のようにダンスと歌のレッスンに打ち込んできた。幼い頃からピアノに親しんでいるおかげで音感はよく、歌にもそれなりの自信がある。


「うわあ……すげえ人数だな」


「あの子、めちゃくちゃ美人じゃね? 俺たちに勝ち目ないよな……」


 前後に並ぶ参加者たちの囁き声が嫌でも耳に入ってくる。視線を感じて振り返ると、何人かがこちらを見つめていた。それは俺にとって慣れ親しんだ反応だった。中学時代から整った容姿のせいで注目を集めることが多く、今ではそうした視線にも動じなくなっている。


 俺は彼らに向けて冷たい微笑みを浮かべ、再び前を向いた。


 ――集中しろ。今日のために積み重ねてきた努力を、無駄にするわけにはいかない。


 心の中で自分を叱咤する。ダンスと歌の技術向上はもちろん、体調管理から精神面の調整まで、全てを完璧にこなしてきたのだ。きっと大丈夫。そう信じるしかない。


 受付を済ませて会場に入ると、参加者たちは受付番号順にいくつかのリハーサル室へ振り分けられた。室内では思い思いの準備をする若者たちの姿があった。発声練習をする者、ダンスの動きを確認する者、ストレッチで体をほぐす者――それぞれが最後の調整に余念がない。


 俺は空いているスペースを見つけてストレッチを始めた。これから歌とダンスの審査が控えているのだから、まずは体をしっかりほぐしておかねばならない。そして発声練習をして、最終的なイメージトレーニングも――。


 その時、俺の視線が自然と、ある人物に向かった。


 身長は百八十センチはありそうな長身に、引き締まったがっしりとした体格。短めに刈り上げられた茶髪と、一度見たら忘れられないほど彫りの深い端正な顔立ち。カジュアルなTシャツにスウェットパンツという他の参加者と変わらない服装なのに、彼だけが放つ圧倒的な存在感に目が奪われる。


 彼は一人、集中してストレッチをしていた。体に密着したTシャツ越しに、均整の取れた筋肉のラインがくっきりと浮かび上がる。しなやかでありながら力強い体の動きを見ているだけで、彼がダンスに長けていることは一目瞭然だった。


 イヤホンを耳にはめ、そこから流れる音楽に合わせて軽くステップを踏んでいる。無駄のない、それでいて情感豊かな動き。まるで呼吸をするように自然に踊る姿に、俺は思わず見とれてしまった。


 ――あの人も、なかなかの実力者のようだな……。


 横目で彼の動きを追いながら、俺は内心で呟いた。だが同時に、胸の奥で闘争心が静かに燃え上がる。


 絶対に負けない。


 俺はこのPRISMのオーディションで最終審査まで勝ち残り、必ずセンターポジションを勝ち取ると決めているのだ。そのために積み重ねてきた努力を、無駄にするわけにはいかない。



 最初に行われたのは歌唱審査だった。受付番号順に十人ずつのグループに分けられての審査である。番号を呼ばれ、小さめの審査室へ向かう。俺と同じグループになった参加者たちを見回すと、皆一様に緊張した面持ちを浮かべていた。しかし一人だけ、リハーサル室で目を奪われたあのダンサーが、落ち着き払った表情で佇んでいる。


 ――まさか、あの人と同じグループとは……。いや、むしろ好都合か。実力を直接見て比較できる。


 俺はチラリと彼を横目で見ながら、鼻で小さく笑った。


 審査室に足を踏み入れると、三人の審査員がパイプ椅子に腰を下ろしていた。一人は白髪交じりの年配の痩身な男性で、眉間に深い皺を刻んでいる。中央に座る恰幅の良い中年女性は、机上で手を組み、前のめりになって俺たちの顔を品定めするように見つめている。そして最後の一人は三十代と思しき若い男性で、前髪が目元まで垂れ下がり、黒縁眼鏡の奥から鋭い視線を向けてきていた。


「それでは、これより歌唱審査を行います。こちらの楽譜に記載されたフレーズを、お一人ずつ歌っていただきます」


 スタッフが参加者に楽譜を配布していく。俺は手にした楽譜に目を落とした。音域は2オクターブ。これくらいなら、日頃からボイストレーニングを積んでいる俺にとっては朝飯前だ。テンポも適度で、歌いやすい楽曲である。


「それでは281番の方、どうぞ」


 最初に呼ばれた参加者は、明らかに緊張で体が硬直している。肩が異常に上がり、呼吸も浅い。


 ――あれでは声が出るはずがないな。


 案の定、その参加者の声は上擦り、喉の詰まったような不安定な音程で響いた。


 ――やはりそうなるか……。


 俺は冷静に後方から観察していた。その後に続く参加者たちも似たり寄ったりで、俺の心を震わせるような歌声を聞かせる者は皆無だった。


「次、286番の方、どうぞ」


「はい」


 ついに俺の番が回ってきた。ゆっくりと前に歩み出て、指定された位置に立つ。大きく深呼吸を一つして、声を響かせる。


 リハーサル室での発声練習が功を奏し、スムーズに声が喉から流れ出た。声帯も理想的に開き、得意とする高音域もブレることなくクリアに響く。


 前に座る審査員たちの表情が一変した。つまらなそうに眺めていた年配男性も、鋭い眼差しを向けていた若い男性も、最初から好奇心に満ちていた女性も、皆等しく眉を跳ね上げたのがはっきりと見て取れた。


 ――よし! 手応えありだ。


 俺は心の中で静かにガッツポーズを決めた。


 指定されたフレーズを歌い終えると、深々と頭を下げて元の位置に戻る。審査室の空気が一気に引き締まったのを肌で感じた。


「それでは最後、290番の方、どうぞ」


 番号を呼ばれたのは、例の彼だった。歌の実力はどの程度なのだろうか。俺は彼に視線を向けた。


 ゆっくりと指定位置まで歩み、静かに呼吸を整えて声を放つ。


 ――……!


 その歌声は俺のクリアで正確な声とは対照的に、深い色気を纏っており、聞く者を一瞬で虜にする魅力があった。


 ――この男、ダンスだけでなく歌も一級品じゃないか!


 俺は思わず彼の歌声に聞き入ってしまった。審査員たちも同様で、目を見開いて身を乗り出している。


 くそっ。このグループで歌が最も上手いのは自分だと確信していたのに……。


 俺の最大のライバルになりそうな予感が胸を駆け抜け、ますます彼から目が離せなくなった。


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