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俺たちPRISMのライブツアー全行程が終了した。最後の武道館での二公演はどちらも満員で、新人アイドルグループとしては異例の動員数だったと連日メディアで取り上げられている。
「デビューして間もないPRISMの活躍に目が離せないですね」
ワイドショーでキャスターがそう伝えているテレビを横目で見ながら、俺は頬が緩んだ。注目されればされるほどファンの数は増え、新曲をリリースすると飛ぶように売れる。今、収録中のアルバムがリリースされたら、またツアーをすることになりそうだとマネージャーが言っていた。
次こそは、俺がセンターを取る。
ギュッと拳を握り、決意を新たにしながらテレビを消した。その時、スマホが震えた。知らない番号からの着信だった。
「もしもし」
電話に出ると、事務的な女性の声が聞こえた。
『わたくしスターエンターテイメントの山口と申します。桜井蓮さまの携帯電話でお間違いございませんか?』
「はい、そうですが……」
スターエンターテイメントは俺たちが所属するフロンティアプロダクションと肩を並べる大手芸能事務所だ。なぜライバルとも言える事務所から電話が? 不審に思いながらも、電話を切らなかった。
『当社の社長、黒川がぜひ桜井さまとお話ししたいと言っておりまして。お時間をいただけませんでしょうか?』
こういう話は、普通は事務所を通して来るのではないか? しかも、社長直々に話があるなんて。そう思ってしばらく沈黙した後、答えた。
「えっと……何かの間違いではないでしょうか? 御社の社長が僕なんかに……」
そう言うと山口は少し沈黙した後、小さくため息をついて言った。
『本題は黒川から聞いていただきたいのですが……桜井さまには悪い話ではないと断言できます』
それを聞くと俺の胸がドキッとした。もしかして、引き抜き?
『少しの時間でも構わないとのことなので、お時間をいただけませんでしょうか?』
もし引き抜きだとしても、俺はPRISMから離れるつもりはない。だが、「悪い話ではない」という言葉に惹かれている自分もいた。
俺は少しの間沈黙した後、「わかりました」と返事をした。俺の空いているスケジュールを告げると、山口は社長のスケジュールをすぐに確認した後、日時と場所を指定した。
指定された日、高級ホテルのラウンジに向かった。デビューして間もないが、念のために帽子と伊達メガネとマスクで変装した。
ラウンジに着くとすでに黒川が席に座っており、こちらに向けて手を挙げた。変装しているのに、すぐバレるなんて。変装がわかりやすかったのだろうか。
黒川の前に行き、変装を解いて丁寧に腰を折った。
「初めまして。フロンティアプロダクション所属、PRISMの桜井蓮です」
「桜井くん、わざわざ来てもらって悪いね。さあ、かけて」
黒川は着席するように促した。
「失礼いたします」
頭を下げて席に着いた。
「桜井くん、何飲む?」
「あ、それではレモンティーをいただけますか?」
黒川は手を挙げてフロアスタッフを呼び、レモンティーとコーヒーを注文した。そして徐にテーブルの上に肘をついて手を組み、そこに顎を乗せ、俺の目をじっと見つめてくる。その目が俺を値踏みしているようで落ち着かなかった。
「早速なんだけどね。桜井くんを当社に引き抜きたいと考えている」
黒川はストレートに話を投げてきた。やはりそうだったか、と思うと同時に、どんなメンバーとやる予定なのだろうかと前向きに捉えている自分に驚いた。
黒川は徐に黒い革のビジネスバッグからクリアファイルを取り出した。そこから書類を抜き出して、俺の前に置いた。
ゆっくりとそこに目を落とすと、そこには「桜井蓮ソロデビュー企画書」と記されていた。
嘘だろ? そんなこと……。
俺は恐る恐る顔を上げると、黒川は表情を変えずに言った。
「君の才能は、ソロで輝くべきだ。今の環境では制約が多すぎる」
黒川の言葉は的確で、俺の心の奥底に眠っていた野心を容赦なく揺さぶってくる。確かに今は、他のメンバーとの兼ね合いで、思い通りにパフォーマンスできていない。胸の奥で燻っていた焦燥感が、黒川の言葉によって炙り出される。俺はセンターを狙っていたのに、センターになれなかった。その悔しさが、今も胸の奥で疼いている。
だけど、今のメンバーを捨てて、俺一人だけソロでやるのか?
デビューして間もないのに、そんなことできるのか。
心の中に、野心と罪悪感、憧憬と恐怖、様々な感情が激流となって渦巻く。頭の中がぐちゃぐちゃになって、何が正しいのかわからなくなった。
複雑な気持ちに苛まれている俺に向かって、さらに黒川は付け足した。
「海外進出も視野に入れている。桜井くんは英語もできるんだってね。それに君の歌唱力とダンスは海外でも通用するレベルだ」
俺のパフォーマンスが、海外に通用するレベルなんて……。血管を駆け抜ける興奮に、俺は息が詰まりそうになった。海外公演をしているステージを想像しただけでも鳥肌が立ち、心臓が早鐘を打つ。やりたい、やってみたい。この胸を焦がすような憧れを、どうして抑えることができるだろう。でも――。
一瞬、翼のことが頭をよぎった瞬間、胸が締め付けられるように痛んだ。彼と一緒に歌い、踊ることの喜び。あの時の、世界で二人だけになったような至福の瞬間。それを失ってしまうなんて。
どうしよう。ソロでやってみたいという野心が、胸の奥で激しく燃え上がる。だけど、グループを、みんなを見捨てるなんて。背信の重さが、肩にのしかかってくる。
そんな俺の心の葛藤を見透かしたように、黒川は言った。
「今すぐ返事してほしいというわけじゃないよ。でも、できれば一週間後までに返事がほしい。こちらも色々と動かなきゃいけないからね」
社長直々にソロデビューを打診してきているのだ。俺の才能を、俺という存在を、これほどまでに高く評価してくれている。胸の奥で、認められた喜びがじんわりと温かく広がっていく。でも同時に、その重圧に押し潰されそうになる。
「……わかりました。検討させていただきます……」
俺は黒川と目を合わせることができずに、俯いたまま答えた。声が震えていないか、心配だった。
「うん。それじゃ、いい返事待ってるよ」
黒川は伝票を手に取り、その場から去っていった。
俺はテーブルに置かれた企画書を読むわけでもなく、でも、そこから目が離せなくて、じっと書類を見つめたままだった。その紙の上に書かれた文字が、俺の未来を変える魔法の呪文のように思えて、恐ろしくもあり、眩しくもあった。




