【第8話:京乃さんと神ヶ崎】
「おっ、みやちゃん頑張ってね~!」
「はい。がんばります」
京乃さんは動作も表情もガチガチに硬いがガッツポーズしている。
小柄だし、小動物みたいで可愛い。
早速新たなお客が来た。年配の女性だ。
「あ、い、いい、いいい、いらっしゃいませ……」
めっちゃ噛んでる。
京乃さんはたどたどしい挨拶をしながら、ぎくしゃくした足取りでお客さんの方に向かってる。
よく見たら、同じ方の手と足が出てる。
京乃さん、本当に大丈夫かな……。
「あっ……」
京乃さんが何かにつまずいてバランスを崩した。
ぐるぐると両腕を回してこらえているが、倒れそうでヤバい。
あまりにジタバタするからスカートがふわりとなって、中から可愛いお尻がちらりと見えた。清楚なイメージどおりの白だった。
いや、そんなことに気を取られている場合ではない。慌てて駆け寄る。小柄な少女の背後から肩をつかんで、ぐいと引き寄せた。
間一髪、倒れずに済んでよかった。
「痛っ……」
「あっ、ごめん!」
無我夢中で、つい手に力が入り過ぎた。慌てて彼女の肩から手を離す。
「いえ、大丈夫です。あ、ありがとうございます……」
振り向いた京乃さんは、じっと俺を見た。
「あ。近っ……」
「え?」
「あ、いえ。なんでもありません。た、助かりました。できない子でホントごめんなさい。迷惑かけてごめんなさい。バイトやりたがってごめんなさい」
「あ、いや……」
普段ならトップ3女子相手に、うまく話す自信などない俺だけど、とにかく彼女を励まさないといけないという思いで励ましの言葉をかけた。
「誰だって慣れないとそうなるよ。気にしないでいいよ」
「でも、ここまでできないのは、私くらいです」
確かにそうかもしれないってレベルのできなさ加減だ。
だけどそんな思いは微塵も見せてはいけない。
さらに自信を失くさせてしまう。
「そんなことないって。俺だって初めて店に出た時に、緊張しすぎてコケかけた……って言うか実際にコケた!」
「ほ、本当ですか?」
「うん。恥ずかしながらマジ。大マジのマジ」
これは本当の話だ。
京乃さんが少しでもリラックスしてくれたら。
そんな思いで、普段は明かすことのない失敗談を披露したのだが──
「そうなのですか。フフ……」
ようやく京乃さんに笑顔が出た。ホッとした。
「笑っちゃうよね」
「あ、ごめんなさい。秋月さんの一生懸命さが微笑ましくて、つい」
「いいんだよ。少しでもリラックスしてもらえたら本望だ」
「ありがとうございます」
「『笑顔は翼』だからね」
「笑顔は翼……ですか?」
京乃さんは『何それ?』と言わんばかりに小首をかしげた。こんな仕草も可愛い。
「うん。笑顔は心を軽くし、気持ちを高めてくれる。前向きな気持ちで高く飛べるようにしてくれる……ってね」
「へぇ……いい言葉ですね。有名なことわざですか?」
「いや……母が考えた言葉」
「へえ! すごいですね、お母さま」
しまった。母さんのことは変に同情されるのも面倒なので、わざわざみんなに言うつもりはなかったのだけれども。
京乃さんを少しでも励まそうとして、つい言ってしまった。
母親はどうしたのかとか、突っ込んで来られるかもと身構えたけど、それ以上は誰も踏み込んでこなかった。
「秋月さんって……優しいですね」
「え? なんだって?」
彼女の声がか細くて、『秋月さんって』の後が聞き取れなかった。
「いえ、なんでもありません」
言って恥ずかしそうに、もじもじと身体を揺らす。
おっとり控えめで、和の雰囲気をまとう美人。
とても可愛くて、男子から人気なのもわかる。
「がんばってきます」
「うん。がんばって」
気を取り直してお客様のところに向かう京乃さん。
「い、いらっしゃいませ。どうぞこちらのお席に」
まだぎごちないけど、さっきよりはしっかりした口調だ。よかった。
お客さんも微笑ましい表情で、温かく京乃さんを見ている。
「なな、ななになさいまふか?」
「紅茶をください。ホットレモンティーで」
おおーっ、通じた。よかった。
「マスター、ホットレモンティーいっちょです」
「あいよっ!」
京乃さんはキッチンの親父に向かって注文を通した。
「やりました。やりましたよ秋月さん」
嬉しそうに俺に報告してくれる黒髪の美少女。
にへらと笑う顔が可愛い。
「すごい。バッチリだよ。おめでとう」
「ありがとうございます。嬉しいです」
「だよね。仕事がうまくできたら嬉しいよね」
「それも大いにありますけど、秋月さんに褒められたことがとても嬉しいです」
京乃さんって本当に控えめで腰が低いな。
俺なんかに褒められただけでこんなに喜ぶなんて、とってもピュアな人だ。
学校のトップ3なんて呼ばれる女子はみんな、自信満々でプライド高いのかと誤解していた。
だけど実際はそうじゃない。浜風さんも京乃さんも見た目だけじゃなくて性格もいい。
「ねえ秋月」
「え?」
「鈴々と雅を見て、なにニヤニヤしてるのよ。イヤらしい目で見るのはやめなさい」
「そんな目で見てない」
腕組みをして冷たい目を向ける神ヶ崎 涼香。
やっぱこの人だけは親しみを持ちにくい。性格も悪い。
でも次は彼女の番だ。親しみにくいからと言ってほったらかしにはできない。
今は一緒に働くスタッフなのだ。しっかりと仕事を教えないといけないのである。
──なんてカッコつけてみたが、正直に言うと気が重い。
自動ドアが開き、20代くらいのカップル客が入店してきた。
いよいよ神ヶ崎の本番が始まる。
「ほら神ヶ崎さん、お客様が来たよ。キミの番だよ。注文伝票を忘れずに持って……」
「既に持ってるから」
ぴしゃりと言われた。
「じゃあ行ってよ。躓かないように気をつけて」
「いちいち子供みたいに言わなくてもわかってるから」
またぴしゃりと言われた。そしてお客様の所にすたすたとカッコよく歩いていく。
「ごめんね秋月くん。涼香ちゃんって本当は優しくていい子だから」
浜風さんがすかさずフォローしてくれる。
でも神ヶ崎が優しい人だと言われても……そう簡単には信じられない。
「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」
神ヶ崎は背筋をピンと伸ばして歩く姿が様になっている。カッコいい。
来客に対し、冷静に、そしててきぱきと対応している。
さすが偉そうに言うだけあって、他の二人とは手際の良さが違う。
難なく注文も取って、父にオーダーを通した。
「どう? これでいいでしょ」
「あ、ああ。まあまあだな」
「まあまあ?」
「あ……いや」
なんでもそつなくこなすのはすごい。それは認めざるを得ない。
だけど上から目線の神ヶ崎に素直に褒める気になれずに、つい対抗心が顔を出してしまった。ちょっと大人げなかったか。
「完璧にできてる」
「じゃあいいでしょ」
「う……」
「安心して。わからないことはちゃんと聞くから。勝手なことをするつもりはないから」
そういうセリフも含めて、俺よりも完全に仕事ができる人だ。
悔しいけど認めざるを得ない。
「わかった」
俺と神ヶ崎のギスギスしたやり取りのせいで、一瞬しんとしてしまった。
「さあ、がんばっていきまっしょ!」
突然浜風さんがやけに元気な声を出してガッツポーズをした。
「そ、そうだな。まだ営業は始まったばっかだしな」
さっき失敗を連発していたくせに明るいな。
細かいことは気にしないってタイプなのか。
いずれにしても彼女のおかげで場の雰囲気が明るくなった。さすがだ。
──などと感心していたら、新しい客が入店してきた。