【第5話:京乃さんはウチのケーキのファン】
京乃さんは以前からウチのケーキの大ファンだったと言ってくれた。
とても嬉しい話だ。しかも中学の頃からってことは、母さんがまだ生きていた時に来てくれてたのか。
「それで先月ケーキを買いに来た時に、バイトを募集していないか、マスターにお聞きしたのです」
京乃さんはテイクアウトでケーキを買ってくれたらしい。
「そうなんだよ。だからすぐに『募集してるよ』って答えた」
おい親父よ。元々バイト募集なんてしてなかったよな?
あまりに美人だから、募集してるってつい言っちゃったのか?
きっと天国で母さんが激怒してるぞ。
「でも俺、京乃さんがウチの店に来てたなんて全然知らなかった」
「そう言えば彼女がケーキを買いに来たときは、雄飛はたまたまトイレに籠ってたもんな。いやあ、あのトイレは長かった!」
あの時か。あの日はえらくお腹を壊したんだよなぁ……じゃなくて。
我が校のトップ3女子の前で、俺のトイレが長い暴露はやめてくれ。
恥ずかしさで死ねる。
「昔も来たことがあるって言ったけど、俺は会ったことないよね?」
これだけ可愛い子が来たら、きっと印象に残っているはずだ。
「あ、ああ……はい。以前2回ほど来てますが……た、たまたま秋月さんのいない時にばかり、ケーキを買いに来てますね。たまたまいない時に」
そうか。だからこの店に俺という同級生がいるとは気づかずに、バイトに来る気になったのか。
俺がいるって知ってたら、バイトに来ようなんて思わなかっただろう。
「じゃあ他の二人は?」
「二人とも前からバイトしたいって言ってたから、私が誘ったのです」
「そうなんだ」
みんなバイトしたいって、何か事情でもあるのかな。
「と、とにかく秋月さん。よろしくお願いします」
言って、ぴょこんと可愛く頭を下げる京乃さん。パツンな前髪が可愛く揺れた。
ドキリとするキュートさ。
こういう控えめな女の子って健気な感じがしていいよな。
「わ、私も秋月さんのウエイター姿、カッコいいと思いますよ」
「あ、ありがとう……」
控えめなタイプなのに、ちゃんと相手を立ててお世辞も言えるなんて。
京乃さんってできた人だ。男子に人気なのもわかる。
つい先日も上級生から告られてたもんな。
そう言えば俺はあの時、京乃さんに好きな人がいることを聞いてしまった。
この人は、あの時の男子が俺だと気づいているのだろうか。
「あたしもよろしくっ! 秋月くんがあたし達の上司ってわけだねっ!」
浜風さんは、もう正式に雇われたような口調だ。
そう言えば浜風さんって京乃さんに『うっかりが服を着て歩いているような人』だって言われてたもんな。マジでうっかりしてるのかもしれない。
いや、それよりも──
さっきから拒絶するように腕組みをして、不気味に無言なのが神ヶ崎 涼香。
ちょっと怖い。睨まないでください。
さすがに彼女は、やっぱり辞めるって言うよな。
「秋月が上司?」
うわ、この怪訝そうな言い方。上司って認めたくないって感じがあふれている。
ほらやっぱり。神ヶ崎怖ぇぇ。
でも確かに俺が店長だけど、俺は上司だなんて偉そうに言うつもりはない。
このカフェで一緒に働く人は仲間だ。
「まあまあ涼香ちゃん。秋月くんが店長。いいじゃん、あたしは知り合いが店長さんでよかったよ」
浜風さんって優しい。本当はプライドが高くて腹黒いなんて噂は、きっと嘘だ。
「きっと秋月くんって、私たちが想像もできないようなすんごいプロの知識や技術をたくさん持ってるんだよ。ね、そうだよね秋月くん!」
ちょっと待って。ハードルを上げ過ぎるのはやめて。
「そうなの?」
突き刺すような神ヶ崎の視線が怖い。
「いや、ごめん。正直言ってそんなじゃない。まだまだ俺なんか素人だよ」
一生懸命、接客の研究はしてる。だけど接客やカフェ経営のプロには程遠いと思っている。
「ふぅーん……それでもあなたは、俺は上司だっていうスタンスなの?」
悔しいけど神ヶ崎の言うとおりだ。俺なんてまだまだ上司と呼べるほど存在じゃない。
だけど俺のことを気に食わない様子だし──
「いや、俺は上司だなんて偉そうには思っていない。だけど俺に不満があるなら辞めたらいいよ」
「ちょっと待てよ雄飛。そんな言い方はないだろ」
「嫌がる人に、無理に働いてもらうことはないって言いたいだけだよ」
そもそもまだ彼女たちを雇うと決まっていない。
雇うかどうかの選択肢はこっちにあるが、彼女たちにもここで働きたいかどうかの選択肢はあるんだから。
「雄飛。お前ら同級生だろ? そんな突き放した言い方するなよ」
「ホントに突き放してるんじゃないって。別に売り言葉に買い言葉でもない。他の二人も俺に遠慮しないで、嫌ならはっきり言ってくれたらいいから」
「ちょっと待ってください。さっきも言ったとおり、私はここでバイトしたいです」
「あたしも、みやちゃんとおんなじ。カフェでのバイトって憧れるじゃん。制服も可愛いし」
浜風さんと京乃さんが、ウチのカフェでバイトをしたいって言ってくれるのは嬉しい。
だけどカフェの仕事の大変さに、きっと彼女たちは音を上げる。
──俺はそう思っている。
「ねえ涼香ちゃんもやろうよ」
「そうですよ。やりましょう」
二人は熱心に誘ってるけど、神ヶ崎は俺を認めないみたいだし、さすがに断わるよな。
「まあ二人がそう言うならわかった。やるわ」
──マジか!? やるのか!? なんで?
「おおっ、みんなありがとう! なあよかったな雄飛!」
父は嬉しそうだけど、よかったなんて俺には全然思えない。
「と、とにかく今日一日仕事ぶりを見て、それから雇うかどうか決めるって話だったよな? それでいいんだよな?」
「はいそうです。がんばるのでよろしくお願いします」
「あたしもあたしもっ!」
やる気満々な二人とは対照的に、神ヶ崎 涼香は品定めするかのような冷静な目つきでじっと俺を見ている。
てっきり断わると思ったのに、何を考えているのかさっぱりわからない。
果たして俺は、このクール美女と上手くやっていけるのだろうか。
前途多難という言葉しか思い浮かばない──。