WALK 5話
書きたかった場面の一つだったので、いつもよりか少し長くなってしまいました。
最後まで見ていただければ、幸いです。
行きたい店があると言われ、俺と森川は美樹ちゃんの案内で街を歩いた。
見慣れた街の風景。
行き交う人々。
いつもと変わらない景色。
なのに、美樹ちゃんがいるだけで、なんだか少し違って見える。
少し前を歩く森川と美樹ちゃんが、笑いながら話している。
ポケットに手を突っ込んだまま歩く俺は、美樹ちゃんの表情の変化が気になって、つい視線を向けてしまう。
「着いた。ここ、一度来てみたかったの」
店の前に着くと、俺と森川は驚きながら看板を見上げた。
「あ、葵家?」
「そう、葵家。知ってた?」
美樹ちゃんが満面の笑みで答える。
葵家は、うちの学校の男子が足繁く通うラーメン屋だ。
超コッテリ系のスープに、店主自ら製麺機で一から作る麺を合わせるのが話題になっていた。
そんな男子御用達の店に、美樹ちゃんが行きたがっていたとは——。
意外すぎて、俺と森川は顔を見合わせた。
「知ってるも何も……美樹ちゃん、こんなコッテリ系のラーメン食べたかったの?」
森川が驚きながら尋ねると、美樹ちゃんは少し照れたように笑った。
「うん、前にクラスの男子が話してて、美味しそうだなって思ったの。でも、女子だけで来るのはちょっとハードルが高くて」
「結構量多いけど、大丈夫?」
俺がそう聞くと、美樹ちゃんは目をキラキラさせて「うん!」と大きく頷いた。
「いらっしゃいませー!」
店員の威勢の良い声が店内に響く。
カウンターのみの店内はほぼ満席だったが、運よく3人分の席が空いていた。
俺たちはそこへ案内された。
カウンター越しでは、アルバイトらしき若い店員が、所狭しと忙しそうに動き回っていた。
その少し奥では、店主らしき男が背中を向け、黙々と麺を上げている。
「ご注文はお決まりですか?」
若い店員が俺たちに尋ねた。
「中の硬めで」
森川が慣れた様子で注文する。
「俺は、並の硬め、濃いめ、多めで」
そう頼むと、隣の美樹ちゃんが「えっ!? あ、あの私は……」と戸惑っている。
初めての店で勝手が分からないのだろう。
「初めてなら、並の全部普通でって言えば大丈夫だよ」
俺がそう教えてやると、美樹ちゃんは少しホッとしたように「じゃ、じゃあそれでお願いします」と言った。
若い店員は「はいよー! 少々お待ちください!」と言い、店主の方へ注文を通しに行った。
「すごいね……さっきの呪文みたいなの、何?」
呆気に取られた美樹ちゃんが、俺たちに尋ねてきた。
「あー、ここの注文方法だよ。『並』は麺のサイズ、『硬め』は麺の硬さ、『濃いめ』がスープの濃さで、『多め』は油の量って意味」
美樹ちゃんは「へー!」と興味津々に頷きながら、俺の説明を聞いていた。
「二人とも、ここにはもう何度も来てるの?」
美樹ちゃんがそう尋ねると、森川が「何度もっていうか、もう数え切れないくらい来てるよな?」と俺に話を振ってきた。
「そうそう」と、俺も頷いた。
「もっと早く言ってくれればいつでも連れてきたのに、なぁ?」
俺の方をニヤニヤ見てくる森川に「そうだな」とぎこちない返事をした。
「お待たせしましたー!」
店員がカウンターに丼を置くと、美樹ちゃんが「うわぁ…」と感嘆の声を漏らした。
俺と森川に挟まれるように座っている美樹ちゃんは、期待に満ちた目でラーメンを見つめ、そっとレンゲを手に取る。
「いただきます!」
そう言うとスープをすくい、そっと口へ運ぶ。
「ん! これ…美味しー!」
美樹ちゃんの顔がパァっと明るくなった。
「でしょ? 麺も食べてみなよ」
俺が促すと、美樹ちゃんは箸で麺を持ち上げ、一口すすった。
「はぁ…幸せぇ…」
じっくり味わうように目を細め、満足そうに微笑む。箸は止まることなく、どんどん進んでいった。
美味しそうに食べるなぁ…。
思わず見入ってしまっていた俺だったが、美樹ちゃんの向こう側から、森川がニヤニヤしながら顔を覗かせた。
「おい、麺のびるぞ?」
「…ッ!」
慌てて向き直し、俺もラーメンをすすった。
「あー美味しかったぁ! お腹いっぱい!」
店を出ると、美樹ちゃんは満足そうにお腹をポンポンと叩いた。
「いやー、今日も美味かった!」
森川も同じく満足気に言うと、美樹ちゃんは「うんうん!」と元気よく頷いた。
「また連れてきてくれる?」
美樹ちゃんの問いに、俺は「もちろん、また来よう」と、少し照れ臭く返した。
「そんじゃ、俺はここで」
「えっ?」
俺と美樹ちゃんが、ほぼ同時に声を上げた。
「な、なんだお前? どうしたんだよ?」
慌てて問い詰めると、森川は後頭部を掻きながら、わざとらしく言った。
「いやー、用事あるの忘れてたわ。悪りぃな」
「え、ほんとに?」
美樹ちゃんも驚いたように森川を見た。
「あー美樹ちゃん」
森川がニヤッと笑い、軽く手を振る。
「ごめんね。ついでにさ、そいつの洋服でも見てやってよ。酷い格好してるからさ」
「えっ?」
俺は思わず自分の服を見下ろす。
確かに作業着姿で、お世辞にもまともな格好じゃない。とはいえ、いきなりすぎるだろ。
「ま、待てよっ!」
「じゃーなー」
俺が口を開く間もなく、森川はそのままスタスタと歩き去ってしまった。
「……行っちゃった」
呆気に取られたまま、俺と美樹ちゃんは顔を見合わせた。
「あー…あのー…」
俺は戸惑ってしまい、なんと言えばいいのかわからなくなった。
森川のやつ、勝手なこと言いやがって…。
恐る恐る美樹ちゃんの顔を伺おうとした、その瞬間——
「そうだねー…確かに!」
突然、美樹ちゃんが意を決したように俺の方を見た。
「へっ?」
思わず間抜けな声が出る。
「うん、せっかくだし行こっか! 私も見たいお店あるし」
楽しそうに言うと、美樹ちゃんは俺をじっと見て、少し首を傾げた。
「せっかくスタイルいいんだから、もっとオシャレした方がいいって!」
そう言いながら、スタスタと歩き出す。
「……マ、マジで?」
青天の霹靂とは、こういうことを言うのだろうか。
完全に予想外の展開に戸惑いつつ、俺は美樹ちゃんの後を追った。
駅ビルのカジュアルショップにやって来たものの、俺は普段こういう店には縁がないせいか、落ち着かずに店内をウロウロと歩き回るばかりだった。
一方、美樹ちゃんはすでに洋服を手に取り、楽しそうに眺めている。
俺はどこを見ればいいのかすら分からない。
マネキンが着ている服も、ハンガーにかかるシャツも、どれも馴染みのないものばかりだ。
なんとなく美樹ちゃんに視線を向けた、その瞬間——
「あ、これ!」
美樹ちゃんが声を上げ、ハンガーにかかった白いTシャツを手に取ると、俺の胸元にあてがった。
「うん、いい感じ! ちょっと着てみてよ。ついでに、このジーパンも!」
そう言うなり、美樹ちゃんは半ば強引に俺を試着室へ押し込んだ。
試着室で着替えながら、ふと思った。
「女の子って、みんなこんな感じなのかな? なんか着せ替え人形にでもなったみたいだ……」
そんなことを考えつつ、着替えを終えて試着室のカーテンを開けた。
「うん! いい感じだね。サイズは大丈夫そう?」
美樹ちゃんが満足げに頷く。
「あ、あぁ……サイズは平気だけど、こういう服ってあんまり着ないから、なんか落ち着かないな」
俺は少し恥ずかしそうに答えた。
「でもすごく似合ってるよ? あ、でも、ちょっと待って……これって……」
そう言うと、美樹ちゃんがスッと距離を詰め、俺のTシャツの胸元をじっと見つめる。
「え!ちょ、まっ……そんな近っ…!」
思わずのけ反りそうになるが、壁際の試着室で逃げ場はない。
「ど、どうしたの?」
心臓をバクバクさせながら尋ねると——
「ぷっ……!」
突然、美樹ちゃんが吹き出した。
「ちょっと、なんで笑って……」
「ご、ごめん、 だって、これ……ぷっ!」
美樹ちゃんは笑いながら俺の胸元を指差す。
そこには、思いっきり 『SHYφBOY』 とプリントされていた。
「えぇ……」
俺はため息まじりに胸元を確認し、思わず絶句した。
「あはは、ごめんね、ちゃんと確認してなかったね」
美樹ちゃんが笑いながら俺に謝ると、「他のにしようか?」と提案してきた。
「いや、これで…これが良い」
俺が言うと、美樹ちゃんは驚いた様子で「本当に? 確かに似合ってるけど…良いの?」と聞いてきた。
好きになった子が、一生懸命考えて、俺のために初めて選んでくれた服。
それだけで十分だった。
「選んでくれてありがとう」
俺がそう言うと、美樹ちゃんは「どういたしまして」と笑顔で答えた。
駅ビルを出ると、外は夕日に包まれていた。
コンコースの下、どこまでも続くように見える駅前通り。
走る車のテールランプが、大きな川の流れのようだった。
不思議と焼きついたこの風景。
多分、一生忘れないだろうな、と思った。
「今日はありがとう、楽しかった」
少し前を歩く美樹ちゃんが振り返って俺に言う。
「こちらこそありがとう。俺も楽しかったし、服まで選んでくれて」
「ふふっ」
夕日のせいだろうか、美樹ちゃんが少し照れくさそうに見えた。
今日はこの辺で、またね」
そう言ってバス停に向かおうとする美樹ちゃんを、俺は慌てて引き留めた。
「あ、待って!」
「?」と不思議そうにこちらを振り返る美樹ちゃん。
「…もう遅いしさ…その…また乗ってく?」
俺はぎこちない自転車のジェスチャーを見せた。
美樹ちゃんの顔が「パァッ!」と明るくなり、「うんっ!」と大きく頷いた。
駐輪場から自転車を引き上げて、俺は自転車に跨った。
「良いよ、乗って」
俺がそう言うと、美樹ちゃんはさっきより慣れた感じで、後ろに座った。
俺はペダルを踏み込み、ゆっくりと走り出す。
「おっと!」
最初は少しふらついたけど、すぐに安定した。
「今度は、安全運転でお願いします」
美樹ちゃんが冗談ぽく言うと、俺は「ははっ」と笑った。
俺はなるべく段差を避けて進む。
後ろから、美樹ちゃんがそっと俺のシャツの裾をつまむ気配がした。
今日は楽しかったね」
美樹ちゃんがそう言うと、俺は「そうだなぁ…」と返した。
「また一緒に遊びに行けたらいいな」
あまりにも自然に口をついた自分の言葉に、少し驚いた。
でも、美樹ちゃんは特に気にする様子もなく、にこりと微笑んだ。
「うん、そうだね」
この時間が、ずっと続けばいいのに——。
そんなことを思いながら、俺はペダルをゆっくり踏み続けた。
時間の流れを、少しでもゆっくり感じられるように。
少しでも、このままでいられるように。
遅筆ですが、コツコツと更新できたらと思います。