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魂バス

作者: 涼太朗

 田舎の夜道は、オレンジ色の街灯が不気味な空間を演出する。

 転勤でこの町に来て、早3ヵ月。住めば都というが、どうにもこの町は好きにはなれない。

 左腕を目の前にかざす。時計の針は22時20分を指している。

 遅くなり過ぎた。残念なことに、都会に比べ田舎の公共機関の最終便は早い。

 残されたわずかな期待を胸に駆け足で最寄りのバス停へ向かう。が、やはり最終バスは少し前に過ぎていた。

 くそ。残業までして稼いだ金も、タクシーを使えば完全に赤字である。

 会社に請求しても、そこまでは考慮してくれないだろう。

 落胆して、家に向かう果てしない道をとぼとぼと歩きだす。

 そういえば、近くにもう一つバス停があったはずだ。

 ここのバスとは系統が違うから、まだ最終が残っているかもしれない。

 家のすぐ傍まで運んでくれる訳ではないにせよ、相当歩く労力を軽減してくれるまでにはなるだろう。

 ゆらゆらと揺れる街灯を尻目に、急いでバス停へ向かう。

 数分が経ち、ちょうど目の前にバス停が見えた時、一台のバスが発車したところだった。

 仰々しい大きさの乗り物が、一人のサラリーマンから遠く離れていく。

 最後の希望が私を置いていくさまが、ノアの方舟のように思え、滑稽で笑えてくる。

 これで、家には帰れない。しかし、今日はどうしても帰りたい理由があった。

 今日は娘の5歳になる誕生日なのだ。

 無論、無事に帰れたところで娘の起きている時間ではないのだが、このまま帰れなければそれは、娘に父親として不適格のレッテルを貼られることであろう。

 沈んだ気を道ずれに、肩を落としながら希望のないバス停に近づく。

 少し遠めに見えるバスの時刻表は、最終便が22時25分を指していることがわかる。

 これで今日中に帰れないことが、ほぼ確定した。すべて家族のために働いているのに、きっと白い目で見られるに違いない。

 二酸化炭素の塊のような溜息を吐きながら、近くに取りもう一度時刻表を確認する。

 22時25分。どう見たってこれが最終便である。

 だがしかし、その横に、他とは明らかに異なる薄い字で35の文字が見える。

 誰かのいたずらだろうか。だが、そんないたずらにでも、すがりたい心境であった。

 いまさら10分そこらの時間を無駄にしようとなにも変わらないではないか。くたびれたスーツのネクタイを緩め、さらに濃くなった溜息を吐き続ける。

 もうタクシーが通れば捕まえてやろうとも思ったが、こんな田舎の道よりも、賑わった地域に偏っているのであろう。タクシーどころか車一台通らない。

 夜行虫が街灯にうようよと群がっている。

 時計の針が22時34分を終わりかけた頃、遠くの方から二筋の光が現れた。

 信じがたい光景に、信じるものは救われるのか、と心が歓喜する。

 神は、神はこの世に存在するのだ。それは、私からはそう遠くないところにいるのかもしれない。

 大きなバスが、こちらに向かってきて停車する。

 だがどうしたことか、誰も降りる気配はないのだが、扉が開かない。

 そのまま置いていかれるかもしれない恐怖に脅え、私は運転手に近い方の扉をノックする。

 すると運転手はうっすらと笑みをこぼし、後ろの扉を開けてくれた。

 これでやっと、家へ帰れる。もう娘は寝ているだろうが、ほっぺにキスをしてあげよう。決して娘が喜ぶことではないのだが、この愛を伝えてあげたいのだ。


 乗車すると車内アナウンスが流れた。

「一般の方はご乗車なさらないようにお願いいたします」

 この奇妙な状況に、どう反応してよいのかわからなかった。

 後ろで扉が閉まり、バスはエンジン音とともに発進しはじめる。

 一体どういうことだろう。一般の方は乗車なさらないように?

 乗れた安堵感とともに不信感が湧いてきたが、これしか帰る方法はなかったのだから、良かったのだと自分に言い聞かせ後方の座席を確保する。

 後ろから車内を見渡すと、最終バスにしては、やけに乗客が多い。そして若い男性や女性に比べると、だいぶと老人の割合が多いようだ。

 実におかしい。昼間ならわかるが、この時間帯に老人がバスを利用するであろうか。とうに寝ていても良い時間帯である。

 そして、さらに奇妙なのが、小さい少年が乗っていることである。この時間に、しかも一人でである。

 自分の娘よりは、いささか年上に見える少年も、おそらく7、8歳というところであろう。

 近頃では無責任な親が多くなったと嘆いてみるものの、娘が同じ状況であったとしても気が付けない自分の立場に、自分も親としての自覚が薄いことに気が付く。これからはもっと家族サービスをしてやろう。

 あまりにもいたたまれなくなって、私は少年の方に近づいて行った。

 少年は前方の横長い座席に一人下を向き座っていたのだが、対面している方の座席に、見覚えのある人物の顔を目にする。

 どこかで会った人だっただろうか。仕事先の人なら挨拶をしておいた方が良いのだろうが、なかなか思い出せない。

 いや、私はこの人物をテレビでみたのだ。昨日の夜、ニュースで確認したばかりである。

 その瞬間、背筋が凍りつきそうになった。なぜ、この男がここにいるのか。

 その男の名を、私は知っている。いや、全国民の知るところであろう。

 五木達也。無差別殺人事件の犯人である。某駅のホームで6人を切りつけ、電車内でさらに4人を切りつけた狂人。その後、取り押さえられかけたところを、手に持つ包丁で心臓を刺し自害したと聞いていたのだが・・・。

 なぜその五木が、こんなところにいるのだろう。事件現場は確かにこのあたりだが、自害したと聞くし、それが誤報だとしても警察に御用されていないはずはなかった。

 ただの人違いであろうか。しかし、これほど狂人じみた顔が、この世に二つあるとは思えない。

 硬直しそうになる足を動かし、五木と目を合わせないようにしながら少年の横に座る。

 私が隣に座ってもなお、下を向いたままだった。

「ぼく、どうしてこんな時間に一人で乗っているのかな? 怖くはないの?」

「こわいよぅ。たすけておじさん……」

 下を向いているのは、どうやら泣いているらしかった。言葉もうまく話せていない。

「うーん。おじさん家まで送って行ってあげたいけど、今日はどうしても無理なんだ」

「ママ…どこにいるの、ママ…」

 この少年は親に捨てられたのだろうか。どうにも、希望のないような雰囲気を醸し出してる。

「ぼくはこれからママのところに帰るんじゃないのかい?」

「ううん。ちがうよ…。いまからいくとこ、おじさんとおなじ」

 衝撃が走った。私と同じ。どういうことだ。なにを言っている。

 そういえばさっきからこのバスはどこにも停車していない。乗る人も降りる人もいないだけだと思っていたが、これだけの人数がいるのに、あまりにも通過しすぎではないか。

 なにより、運転手が次の停車地点をアナウンスしていないのだ。あまりにおかしすぎる。

 極度の不安から、自分がうまく呼吸ができていないことに気付く。このバスは、どこに向かっているのだ。

 いてもたってもいられなくなり、私は運転手のもとへ近づいていった。

 走行中に話しかけて大丈夫かと思案したが、そんなこと言ってられる状況ではない。

「このバスは、どこへ向かっている」

「知らずに乗っていたのですか」

「急いでいたんだ。なんなんだ、このバスは」

「このバスは、魂バスですよ。聞いたことありませんか?」

「魂、バ、ス…?」

「そう、死者の魂をあの世へと運ぶ、公共交通機関ですよ」

 何を言っているのか、さっぱりわからなかった。死者の魂を運ぶバス?なぜそこに私が乗っているのか。

 そういえば乗車の際に奇妙なことを言っていた。

 一般の方はご乗車なさらないでください、とは。

「一般の方とは生きている人のことか。生きている人は乗ってはいけなかった、ということか」

「そうですね。けど、よほど霊感の強い人でないかぎり見えませんので、一般の方が乗ることはないと思いますがね」

「その、よほど霊感は強い人というのが、私であるわけか・・・」

「いえ、あなたは霊感の強い、一般の方ではないようです。ちゃんとした、死者ですよ」

 悪夢を見ているようだった。いや、悪夢だったら、これ以上喜ばしいことはない。

 私は死んでいるのか。それが現実なのか。

 いつ、いつ私が死んだというのだ。いつ私が死んだというのだ!

「私は朝、女房の作った朝食を食べ、娘にプレゼントを買うと約束し家を出て(実際は女房が買ってきて、私は夜枕元に置くだけなのだが)、バスに乗り会社へ出勤し、取引先の相手とランチも食べたし、その後も働き残業までした。記憶はすべてある。一体、どの段階で死んだというのだ」

「私にはわかりません。私は魂を運ぶ、ただの運転手ですから。

ただ1つ言えることは、ひとは死ぬ間際に自分の一生を見ると言いますが、あれは死を望んだ、覚悟した人の話です。

不意な死の場合、生きていたいという強い意志が、いつも通りの日常を見せるんですよ」

「今日1日の出来事は、生きていたいという意志が私に見せたものだというのか」

「ええ、おそらくそうでしょう。」

 そして最後に、こう付け足した。

「だってあなたは、3日前からこのバスに乗っているのですから」


 バスは走り続けている。街灯のない場所は、さらに不気味な空間である。

 これ以上運転手と話していると気が狂いそうだったので、とりあえず少年の元へ戻る。

 本当に、私は死んでいるのか。信じがたい、信じたくもないことだが、それは「事実」という言葉がとても似合った。

 すると、ここにいる乗客は全員死んでいるのか。そうなると、老人が多い理由が非常にはっきりとしてくる。

 けど、こんな少年が、本当に死んでいるのだろうか。

 ここまで来ると、もうためらうことはなにもなかった。

「ぼくは、なんで死んだかわかるのか」

「うん。そのむかいのおじさんに、さされたの」

 五木の方に指を指し、顔を上げた少年には、片目がなかった。

「めのなかに、ほうちょうがはいって、いたいよぅ!」

 私はあまりの戦慄に、小さく悲鳴を上げて席を飛び出した。

 ここにいてはいけない。絶対これは正しい思考である。

 しかし、中からこのバスを開けることはできないようだった。手段はなく、私はどんどんあの世に近づいていく。

 そうして難渋していたとき、急にバスが停車した。

 どうやら、新しい乗客が乗ってくるようだった。

 乗客は、私と同じように扉をノックし、後方の扉から乗車してくる。

「一般の方はご乗車なさらないようにお願いいたします」

 今だ。今しかない。

 プシュゥという音と同時に私はバスから勢いよく飛び降りることに成功した。

 バスは私が降りたことを知ってか、知らずしてか、扉を閉めて発車して行った。


 助かった。助かったのだ!私は、死の間際から生還したのだ!

 しかし、喜んでいる暇などなかった。あの、魂バスがいつ戻ってくるかもわからない。

 なんとかして早くこの場を離れたった。

 ふと前の道路を見ると、タクシーがこちらへ近づいてきている。

 フロント部分には「空車」のランプが点灯している。

 ありがたい。これで私はやっと「現実」に帰ることができるのだ。

 私は、勝利を確信したときのように、右手を高く上につきあげた。

 その手を確認し、タクシーが私の前で止まる。そして私の生還を歓迎してくれているかのごとく、自動でドアが開き出迎えてくれる。

 タクシーが勢いよく発進する。私は、早く娘の顔が見たくなった。

 今日は娘の誕生日だ。そして、私の第二の誕生日でもある。明日1日くらい会社を休んで、誕生日を祝うのも悪くない。これだけの経験をしたんだから、上司に怒られることなど、なにも怖くはない。

 窓の外を見ると、街灯が灯を残しながら流れていく。あの場所からは、それなりに離れることができたのだろう。

 ここで、ふと、ひとつの疑問が生まれた。

 私は、あまりの安堵に、行先を告げるのを忘れていたのだ。

 それでは、このタクシーはどこへ向かっているのだろう?

 少し、体が震えているのがわかる。

「このタクシーは、どこへ向かっている」

「知らずに乗っていたのですか」

 まさか。

「急いでいたんだ…。なんなんだ、このタクシーは…」

「魂タクシーですよ。聞いたことありませんか?」


 バックミラーには、街灯だけが、写しだされていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 高い筆力に感心しました。ただ状況を描写するだけではなく、読者を不安に駆り立てる文章でした。 これぞホラーだと、久しぶりに思いました。 ストーリーはベタだけど、だからこそ怖いです。 [一言]…
2010/03/02 14:15 退会済み
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