67 秋から春にかけて
パトリシアが領地へ帰った秋の終わり、乗馬の練習が始まった。
騎士訓練と違って、令嬢は嗜み程度で十分らしい。
それでも私は『馬に乗せてもらう』より『乗りこなしたい』んだ。
それはもちろん、お目当ての攻略に必要なスキルだと思ったから。
現世で乗馬の経験が全くない私でも、なんとなくの知識として厩の掃除や餌やりでスキンシップを図るものだと知っていた。
あ。乗馬体験のチラシとか動物セラピー的な話から得たもので正確なものではないんだけどね。
それがどうよ、初日に緊張しながら屋敷の裏手へ行くと全ての準備がされた状態だった。
まるで観光地の名所めぐり。お客さん状態で乗せてもらうなんて、アトラクションみたいじゃない?
こっちは『狩り』ができるようになるのが目標なんだよ。
「そんな顔をするな、セレスティーヌ。これは甘やかしではないからな」
私の気持ちがわかったのか、指導をしてくれる父親から声がかかる。
「馬に慣れたらセレスティーヌにも馬装を付けてもらうぞ」
馬との触れ合い、乗る前の準備を通してその日の馬のコンディションを知ることも、乗馬の楽しみの一つだそうだ。
ただ、初心者は馬の習性を理解できず事故につながることもある。馬装も無駄に時間がかかり、馬に負担をかける。
それなりに経験を積んたあと、教えられるものなのだと。
なるほど。そーゆーものか。
ちゃんと説明してくれたのは有り難いし納得だ。
馬車で出かけるようになってから、馬は見慣れていると自負していたが、乗用馬と馬車馬は違うものだった。
そもそも、屋敷裏の訓練場や厩に来たのも初めてで、こんなに何頭も馬を所有してるとか思わないし。
窓から見てたのとなんか違うし。
上手く乗りこなせるようになるのか不安しかなくなってくる。
自信のない態度は馬に伝わる。
不安なまま近寄れば馬も不安になるからと、いつにない厳しい口調の父親。
うー。
生き物相手だから尻込みしちゃうんだけど、生き物相手だからこそ、しっかりしなきゃいけない。
私、車の免許も持ってないし乗り物と言ったら自転車ぐらいしか思い浮かばないんだよ。
あ、でもそうか。
一人で乗れるようになったら自転車であちこち行けるみたいに、もっと気軽に出かけられるね。
ミニゲームだけじゃなく、活用できそう。
うん、やる気出てきた。
頑張るよ。
そんなこんなで忙しい日々が続く。
エンタメが乏しく暇してた頃が懐かしい。
週に何回かの乗馬が加わったことで、ピアノの時間が減った。
コランタン王子との仲良くなるきっかけでもあるので、練習は続けたい。母親も私の演奏がお茶会の武器になるとわかっているため、ピアノの部屋の鍵を自由にできる権限をくれた。
やったね。
まぁ、夕方の自由時間をピアノに当てると他のことができなくなるんだけど、現世でアニメと小説を溜め込んでいた頃に比べれば余裕だよ。
冬になり寒さが厳しくなる。
今年は雪が少ない。
年末、オレリアンはパトリシアの成人式に付き添うため登城し、私は留守番だった。
年が明け、神殿関係者が屋敷の玄関に水を撒いていく、なんちゃって正月行事が今年も行われる。
仕方のないことだが、コランタン王子とはずっと会えていない。
その代わり、朝の日課ができた。
それは綺麗に畳んだ水色のハンカチを顔に当て、すーっと息をする。
『猫吸い』ならぬ『ハンカチ吸い』
そしてすかさず脳内アフレコ『これを俺だと思って』だ。
はぁ。
コランタン王子大好き。
にやぁーと口元がだらしなくなっているのをキリッと改め寝具から出る。
なんて幸せなルーティンだろう。
もちろん、夜も一連の流れを行い、コランタン王子を想って寝る。
ここで注意しなければならないのは朝の習慣。聖水による清めを先にすると、せっかくのハンカチが濡れてしまうという点だ。
手を清めるボウルにはタオルもセットされているが、サイドテーブルが濡れればその引き出しにしまってあるハンカチに水滴がつきやすい。
なので私は起きるとすぐ『ハンカチ吸い』を行うようにしている。
ふふ、ふふふふん。
それにほら、ハンカチならマリルー以外の使用人に見られても問題なし。
「たまには洗いましょうか?」
マリルーはそう言って私からコランタン王子との思い出を取り上げる。
「そのような顔をなさらないでください。ずっと引き出しに入れっぱなしなのも、かえって目立ちますよ」
なるほど、そうかも。
「丁寧にねマリルー。洗うのも、アイロンもよ」
「わかっております。これほど大切に扱われるハンカチは幸せでしょうね」
いや、吸われてるのは迷惑かもしれないよ。
「そうですわ、セレスティーヌ様。暖かくなればまた、お会いする機会も増えることでしょうし、お返しのハンカチをプレゼントしてみては?」
お返し、かぁ。
「そう、よね。私も考えてはみたのだけれど。贈り物用にハンカチが欲しいと言えば、関係がわかってしまうでしょう?」
だからといって使用済みのハンカチを渡すのは王族に対して不敬ではなかろうか。
服や小物は仕立て屋を呼んで注文する。男性にも渡せそうなシンプルなハンカチなんて絶対手に入らないよ。
それとも、コレット姫への贈り物として私のハンカチを……。
それだとコランタン王子の部屋にいかにも女性用のハンカチが置いてあり悪目立ちしそう。
私が頂いたような、誰でも使えそうなシンプルな品がいい。
「では、私がコソッと買ってきましょう」
え。マリルーがどこで?
そういや週末、久々の休日だったね。
「って、それでは休みでなく仕事になってしまうわ。駄目よ」
「ハンカチぐらいの買い物は苦になりませんよ」
そう? ならお願いしちゃおうかな。
下町品質と言っても、普段公爵家レベルの品をみているマリルー。きちんとした品を選んでくれるだろう。
そもそも、贔屓にしている仕立て屋だって店は下町に構えているのだ。
「ではセレスティーヌ様。この冬は是非、刺繍の腕を磨いてみては? プレゼントするハンカチに名前を刺せば喜ばれますよ」
なにそれ、めっちゃ女子力求められるやつじゃん。
私が刺繍するの好きじゃないって知ってて言ってる?
えーっ面倒って眉をひそめたら、しょうがないなって顔された。
この世界には洗濯しても滲まない名前書き用のマジックペンがないので、印をつけるなら刺繍が一般的だ。
けど。
公爵令嬢の私物は使用人が管理しているため、名前なんてつけなくてもなくならない。
ミニゲームに関係のないところで頑張りを使いたくなかったのに。
「わかったわ。名前は感づかれてしまうからイニシャル程度なら」
好都合なことに、私もコランタン王子も『C』なのだからチクチク刺していても何も言われはすまい。
うーん、刺繍が決定事項だとするとイニシャルだけというのも味気ないか。なにか、草花や鳥ぐらいは。
考えなしの思いつきというのはよくないもので、今年の私は冬の暖炉で読書するより、刺繍の練習に励むことになる。
◇◆◇◆◇
春が近くなり、暖かくなるとお茶会の誘いがあちこちから届くようになる。
今年はストーリーイベントが無く、二年連続のミニゲームなのでモブからの誘いは攻略に関係のないものだろう。
乗馬さえ身を入れて取り組めば、秋の『狩り』まで比較的のんびり過ごせるはずだ。
そう、そのはずだったのに。
なぜか今年、シュバリエから花見への招待状が届いた。
嫌な予感がする。
もちろん神殿主催の会は注目の行事。いつもの団欒で花見の話題が上がる。
昨年はアルチュールの音楽会の準備で慌ただしく参加できないという大義名分があった。
その分、今年は当たり前のように招待状が来たと皆は思っているようだ。
更に両親は、私に音楽会で演奏するよう、打診があるのではないかと妄想し始める。
いやいや、それなら選曲や練習もあることだし、昨年から連絡が来るだろう。
そういえば、シュバリエと最後に会ったのは去年の、えっと。
いつだったか。
コランタン王子との想いやパトリシアの相手でほとんど無視状態……。
あれ。攻略対象メンバーなのにそれで大丈夫なのか?
て、手紙は来てたし? 返事もしてたよ。当たり障りのない季節の話題をさらっと書くぐらいのやりとりを。
だからご無沙汰だって思わなかっただけだし。
正直、シュバリエと神殿関連は予測がつかない。
このまま知り合いポジションになるのか、関係を深めてくるのか。
どうしよう、花見に行きたくない。
「お母様、せっかくのお誘いですが私」
うぅ、欠席の理由が見つからない。この世界にも花粉症とかあれば、人前で令嬢が鼻水垂らせないとかなんとか言えたのに。
「姉上、当日は是非、僕にエスコートさせてください」
「いや、その役目は僕がしよう」
「二人とも、私花見には……」
ん? 皆が誘われているということは、コレット姫やコランタン王子も、なのか?
行く価値、ありそう。
「確かセレスの頑張っていた刺繍に桜があったね。あのハンカチを持っていくつもりだろうか」
「うわぁ、姉上と初めての桜。きっと幻想的なのでしょうね」
まだ私が行くとも言っていないのに、二人がいろいろ言い出したよ。
「二人とも待ちなさい。セレスティーヌも言いたいことがあるならはっきり伝えなさい、なにかあるの?」
あーうんと。行くつもりがなくて反論しかけてましたが。
「えぇお母様。私、新しいドレスが欲しいわ」
それは参加するとの意味を兼ねている。




