6 弟と母親
「あね上は僕が悪い子でも、嫌いにならないでいてくれますか?」
おっと、どうしたらいいかわからない展開きた。
アルチュールの弱った声が可愛いから、もう少し聞いていたいけど。そうも言ってられなさそうだ。
たしか、最初の勉強会の時に私が音読をすることでやる気になってたよね。でも、すぐに飽きてしまったアルチュールを思い出す。
そういえば、夕食で『あね上はもうお腹いっぱいですか?』って聞かれたな。
彼の皿にはわかりやすく人参が残っていたので、嫌いなんだろうと思ったけど、私はとくに何もしなかった。
苦手なものを食べろと躾けるのは女中頭のクローデットの役目だろうと考えたから。
そっか。今までセレスは勉強を手伝い、人参も食べてあげていたのか。使用人はそれを止めなかったのだろか?
微笑ましく見てたのか?
まぁ、アルチュールは小学一、二年ぐらいだもんなぁ。末っ子で可愛がられてるのかもしれないし。
けど、そんなのやだな。
私だって自分のことで手一杯、ましてや人参好きじゃないし。生はいいけど、火が入った後の甘ったるさがちょっとね。
「ごめんなさい、言いにくいことを口にさせてしまったわね」
まず謝ろう。
けど、苦手なことを手伝わなかったことに対してではない。
「アルチュールはとても良い子だと思うわ。素直で正直ね」
否定より肯定で話を進めないと、不満と文句が飛び火して埒が明かなくなる。
現世で先輩と後輩の板挟みにあいながら、両方にニコニコしてどうにか乗り切っていた職場を思い出した。数日前のことなのに懐かしい。
それより、私を八方美人だと言っていた同期の顔も思い出しちゃったよ。そんなのは忘れたままで良かったのに。お前が嫌がるから私が調停役を引き受けてたのに、何なんだよ。
おっと、断線。
嫌われてる、と思いながらも会えば話しかけてくれるのだから、アルチュールとの関係性はまだ良好なはずだ。大丈夫。
えーっと『人参ぐらい自分で食べろ、勉強も人を頼るな! 私の負担が増えるのがヤなんだよ』
って公爵令嬢ならなんて言い換える?
「あね上?」
私が考え事で黙ってしまったからか、不安そうに潤んだ瞳。必死に泣くのを我慢している表情のアルチュール。
うーって声を押し殺してる息遣いとかが聞けるなんて。そんなん私にはご褒美だ。
けど、萌える声を聞きながら姉弟仲を解決しなきゃならないなんて、ある意味罰ゲーム?
仲は、良くしておいたほうがいいんだよね?
未だ存在の確認できないコランタン王子を攻略するつもりだけど、今のところ兄弟の好感度が良さそうだし。
万が一、アルチュールルートに入って、仲悪くてバッドエンド行きとか、シャレになんないよ。早死にしたくない。
うん、死にたくない。
ってことは、ここはおだててご機嫌をとろう。
「やはりアルチュールにはわかってしまったのね。熱が下がっても少し気分が悪くて」
そうだ、全ては熱のせい。
転生後の不具合は何もかも、うなされたせいにするのがアニメでも小説でもまかり通る。よね?
「私がアルチュールを嫌うなんてあるはずがないわ、大好きよ」
「もう、具合は。大丈夫? ですか」
私はにっこり笑って頷いた。すっかり元気になったよ、と。
「僕、出立前の母上にお約束したんです。なのに、ぜんぜん上手くできませんでした。あね上がお部屋から出れるようになって、楽しくなって約束を忘れてしまったのです」
約束? なにか母親としてたんだ?
「けれど、それじゃいけなかった。だからあね上は約束が守れない僕を、嫌いになってしまったのかと」
おや、これは私が小言を言わなくてもいい流れ? 子どもが喜びそうなセリフを考えてたのに無駄になった。
「僕、あね上をお守りできるような立派な騎士になります。それまで、見守ってくれますか?」
「もちろんよ」
ここで断る選択肢はないだろ。って思わず了承しちゃったけど、今のセリフって!
アルチュールルートの中にあったよね? 弟の十歳、お披露目の時に。
ルート分岐後に思い出のシーンで語られるから、実際にはゲーム後半で聞くんだけど。そのセリフが出てくるなんて、ゲーム開始前の今、もうルート分岐とかしてないよね?
私、攻略対象の四人にまだ会えてないのに? 二年後、正式にちゃんと、もう一度今のセリフ聞けるのかな。
ま、悩んでも仕方がないか。
もし、アルチュールの好感度が爆上がりだったら、イベントやミニゲームではコランタン王子のポイントのみ、上げていけばいいじゃない。
そうしてバランスをとっていこう。
「さぁあね上、一番好きな絵を見に行きましょう」
私の騎士になりたい宣言をした弟は、エスコートをするかのように先に立って歩く。
モヤモヤしてた気持ちを口に出したら少しはスッキリしたようで、足取りが軽い。
一方私は、好きな絵と言われても誰の一番好きな絵なのか、アルチュールか私か。話についていけない。
当然のように部屋の奥に進む弟にただ、私はついていく。パーテーションのような板壁の向こうにも無数の作品が飾られていた。
「うわぁ」
それはとても立派な。
床から天井に届きそうなほど壁一面に描かれた肖像画は、等身大より大きく厳かな空気をまとっていた。
奥の壁でも窓からの光が入り生き生きと人物を照らす。けれど西日が当たらない場所なのか日焼けや劣化もせず美しい。
手入れが行き届いているのだろう。あるいは何度か修正させているのかもしれない。詳しい知識はないけれど、豪華な額縁がホコリなく磨かれたように綺麗だから、大切に扱われているのだろうとわかった。
その絵は、赤いベルベット貼りの椅子に腰掛けた御婦人と、その背もたれに手を軽くかけて側に立つ壮年の男性。
女性の頭には、ティアラ? 小ぶりな冠。
男性の頭にも冠が。こちらは立派な、いかにも王様ですってデザインだ。
フワフワのファーが縁取られたマントを身に着けているし。
うん、これ王様とお妃様だね。
決定。
美男美女。
だいぶ先、ゲームのエンディングに近いところでこの二人の話は出てくる。が、スチルがなかったため見るのは初めましてだ。
お后様は水色の髪色。
知ってたけど、聞くのと見るのとでは印象が違う。
「わぁ。やはり何度見ても美しいですね。それに、お后殿下はあね上によく似ておいでです」
だよね。
まだ私は九歳だから似てる程度ですむけど、この先大人になるにつれてもっと、瓜二つになるんじゃないかな?
私が覚えている成人したセレスの絵とこの肖像画はそっくりだ。
「僕も、母上や叔母上のように薄いブルーの髪色が良かったです」
そうだ、この髪色はカンブリーブ家に多い色。
二人と私は本当の兄弟じゃないから髪色は似てないんだよ。いや、二人は父親に近い色なのかも?
婿養子の父親はゲームでも見たことはない。オレリアンとアルチュールから髪色を察すると金髪なのだろうか?
そろそろ両親が領地から戻って来る。
父親の顔がわからないまま挨拶するのかと内心ドキドキしていたが、父親は金髪という前情報が手に入って良かった。
まぁ、使用人の態度や一人だけ立派な服装とかでわかると思ってたけど。
あ、この部屋に父親の肖像画がないのだろうか? キョロキョロしていると扉の外に足音が聞こえる。静かな足運びだがヒールのコツコツという音が響く。
女性と思しき人物は軽くノックと共に扉を開くと迷うことなく部屋の奥までやってきた。
「やっぱり、この絵を見ていたのね」
母親だ。
アルチュールが「わーい」と嬉しそうに小走りで彼女へ向かう。
「おかえりなさい、母上」
「おかえりなさいませ、お母様」
私もとりあえず挨拶をしたけれど、弟のようには喜べない。
私は。
聞き覚えのある声に、ゾワりと背中にイヤなものが走ったから。
CV池田しのぶさん。
攻略対象以外で唯一ボイスのついたキャラだ。
「セレスティーヌは体調を崩したと聞いていたけれど、もう、すっかりよくって?」
「はい。ご心配をおかけして申し訳ありません」
私は頭を下げる。謝りたかったからではない。母親の顔を見たくなかった。
なのに彼女は私に近づき、髪を手ぐしでとかすかのように頭をなで始める。やめてほしい、鳥肌が立つ。
「私の可愛いセレスティーヌ。これでも仕事を前倒しにして帰宅したのよ? 留守にした母を悪く思わないでね」
「はい。お早いお帰り、ありがたく思います」
親に対してよそよそしい物言いかと思うが、私はこの母親が苦手だからしょうがない。
この人は裏ボスだと思う。
公式にそのような記載はない。それでも私がボス認定するのは、ゲーム最後のイベント、デビュタントにおいて攻略相手との仲を無視するような発言をするからだ。
母親が娘の将来を心配し、お付き合いの相手に口を出したくなるのはわかる。けどこれは恋愛ゲームなんだよ? 選択肢を失敗したらバッドエンドへ直行なんだから邪魔しないでほしい。
娘を溺愛するばかりに、プレイヤーの望みとは別の行動をしてくる邪魔な存在。
でも、そうだな。母親の方は良かれと思って立ち回っているんだろう。……たぶん。
こまったものだ。
「こうしてみると、また一段とミシュリーヌに似てきたわね」
母親は壁の肖像画をうっとりした目で眺めて言った。
ミシュリーヌ? あぁ、水色の髪の女性の名前か。名前、あるか。そりゃ。
「妹は本当に素晴らしい淑女だったわ。王家に嫁ぐと聞いたときは腹立たしかったけれど」
「母上、その話は聞き飽きました。先王さまは叔母上さまをとても愛していたので、良き婚姻だと父上はおっしゃっていましたよ」
先王……
そう、母親の愛する妹は先の王の王妃。
公爵家の娘が王家に嫁ぐなんて、政略結婚ならよくあること。それが大恋愛なのだから認めてあげても良さそうなものを、この人は気に食わなく思っている。
それも、もはや昔話。
御二人共、若くして何年も前に他界している。
そして現王の息子、コランタン王子が私の狙っている攻略相手。
妹を奪った王族をよく思っていない母親が今度は娘を取られるのだ。私と王子との仲を認めるはずもない。
ゲームだとお目当てとの好感度を上げて、ミニゲームをポチポチクリアして、会話の選択肢を間違わなければ、母親がとやかく言ってきてもハッピーエンドへ進むのにな。
リアルだとゲームより厄介そう。
それにしても、さすが池田さん。
数多くの母親役をこなし、なおかつ未だに若い役でもレギュラーが取れる実力派。少し会話しただけでも圧倒される演技力。愛情表現も嫉妬心も怖いぐらいに迫ってくる。
「母上、僕も留守をしっかり守りました。あね上だけでなく、僕もなでてくださいませんか?」
いや、さっきまで上手く出来なかったと反省してたのに何言ってんだよ。
とは思った。けど、おかげで母親が私から離れてくれたのでグッジョブ弟よ。
「さぁ、たくさんのお土産があるのよ。オレリアンも待たせているから行きましょう」
そんな母親の言葉で部屋を出るように促されたけれど。私はもう一度、肖像画の二人を見た。
母親である姉は美人だがキレる才女といった雰囲気。妹の先の王妃は柔らかく可愛らしい雰囲気。
同じ髪色、同じ瞳の色。こんなに似ているのに、別人だ。
そして、先王が。
めちゃくちゃイケメンだった!
将来ダンディでイケてるオヤジ、になりそうなキリッとしたスタイリッシュなタイプ。
むっちゃ好み!!
「セレスティーヌも。さぁ」
しかたない、行くか。
こんな素晴らしい眼福部屋、いつでも入れるようにならないかな。
ふふふふーん。
鍵が必要でもたまには入れないかなぁ。
思うんだけど。
今のところ、顔立ちが整った人ばかりの世界じゃない? 使用人も平均点以上だと思う。
ならばこれから会える父親もイケメン?
そうだよね。ちょっと、会えるのが楽しみになってきたぞ。
私はスキップするかのごとく軽い足取りで、屋敷中央のホールへ向かった。