54 姫君とピアノ
コレット姫の音楽教師はとても真面目な印象を受けた。
一目でわかる高級な生地のスーツはプレスがキッチリ掛かっており、髪も整髪料でピッシリ整えている。
気難しそうな男性だな。
雪の頃に約束したピアノの件が今頃になったのは、どうやらこの音楽教師が渋ったためらしい。
いくつもの楽器を弾きこなす指揮者上りの教師は、貴族の中でピアノの評判が高いカンブリーブの娘と姫殿下を一緒に指導することに躊躇した。
私は、聞きたいって言うからちょっとピアノを弾けばそれですむ話だと軽く考えているのに。
結局、合同練習会としてアルチュールも同席している。
「なるほど、ドローネー家の御婦人が指導なさっているとは。あの方が社交界で名を馳せていた頃の噂は、今でも話題に上がりますからね」
へぇ。初めて知った。
ニノン先生の家名ってドローネーだっけ。確か中級の中では上の方で、芸術に秀でた人材を多く輩出してるらしい、よね。
「夜会でお会いすることがなくなった伝説のマダムに、是非ご挨拶差し上げたかったものです」
そうなんだ。
でも、公爵家が私的に雇ってる教師は王城へ上がったりできないんじゃ?
事前に言ってくれたら根回しもできたのにね。
それより、この先生は私のピアノの実力が私の努力ではなく、ニノン先生の指導ゆえと考えているみたいだ。
それも、王家より音楽会での評判が良かったのも全部、裏でドローネー家が手を回したからと考えている気がしてならない。
なんかヤな感じ。
まぁ、コレット姫か『そんなに凄い御婦人なの?』って言ってるぐらいだ。
彼以外はちゃんと私の頑張りで上達したってわかってくれるよね。
そんな彼の指導はとにかく褒めて伸ばすタイプだった。
いや、間違えても何も言わない。
王族に遠慮の塊だ。
うわぁ、こんなやり方でコランタン王子はあのレベルまで弾きこなしたのか。そりゃサビーナやヴィクトーが良くやったと褒めるはずだよ。
「コレット姫独特のリズム感は他の者も驚くことでしょう」
うん、何いってんだか。ズレてるだけなのにね。
「そうかしら? セレスティーヌ様はどのように聞こえて?」
私が、コレット姫って良い子だなと思うのはこーゆー所だ。褒められても自分で納得がいかなければ、他の者の意見も自分から求める点。
そう、彼女はミスした箇所をきちんとわかっている。ならば誤魔化さずに指摘すればいいだろう。
「出だしは良かったのですが、途中手の動かし方に違和感がありませんか?」
女神に奉納する曲目は決まっている。
家格によっての難易度はあれど、公爵家も王家も私がニノン先生に提示された五曲の中から選ぶのが一般的だ。
それは、習いたての初級という以外に子供の手の大きさでも弾きやすい点が挙げられる。
「そこからリズムがズレますね。小指の運びがつらいようでしたら一小節手前の、この部分を薬指に変えると、そう、指使いが楽になりますよ」
「しかし、カンブリーブ嬢。指使いは」
「えぇ、わかっております。先生」
なるほど、この音楽教師は臨機応変という言葉を嫌うらしい。
「貴方はコレット姫の音楽を独特のリズム感と評しました。指使いもまた、特別な技術と解釈してみてはいかが?」
私の言葉には指摘をしても、コレット姫の演奏には決して注意をしないのなら、私の忠告を受け入れた姫が、演奏しやすいように指使いを変えればそれでいい。
「わかったわ、セレスティーヌ様。うーん、まだ慣れない動きだけれど。何度か練習してやりやすい方法を探ってみるわね」
教師は納得できない顔をしている。これ以上文句を言うなら私は黙って今日をやり過ごせばいいし、酷い言いがかりでも付けられたらニノン先生の名前を借りて対抗しようか。
そう、私の演奏は貴方の尊敬するマダム、ドローネーの教えだ。
まぁ、マジで言い争うつもりはないしニノン先生に迷惑をかけるつもりもない。
「あの、普段と違う方からの助言が大切だということですよね? 僕、三連符の前後でミスをすることが多いのです。ご指導いただけませんか?」
次はアルチュールの番。
正直、アルチュールの演奏は合格点だ。後はとにかく繰り返し練習をして本番で緊張しないように、あるいは緊張していてもこなせるようにすれば良い。
「カンブリーブ御子息の演奏曲は『檸檬の憂鬱』でしたね。なるほど」
素直なアルチュールがいつもと違う助言を欲しがったので、音楽教師はご満悦と行った顔でうんちくをたれる。
良かった、この部屋の雰囲気が和やかになったよ。アルチュールのおかげだね。そーゆー弟が私は大好きだ。
さて、最後に私が一曲演奏して合同練習はおしまいだ。
コレット姫が聞きたいと言っただけなので、私はこの教師に教えを請うつもりはない。初めは何か得るものでもあるのかと考えていたが、残念だ。
最近演奏しているのは『露草と少女』というタイトルで、初夏から秋に向けての曲なのだとか。お茶会などで急に演奏を求められた時に役立つからとニノン先生が選んでくれたものだった。
露草とは畦道や畑に生えている、青い可愛らしい花をつける雑草なのだが、小さな花にも愛情を注ぐ少女の豊かな心を思い描いて演奏するように。
と、先日言われたばかりだった。
普段は雑草なんて見向きもしない上級貴族でも、演奏や芸術の題材としてなら喜んで使うんだね。
露草かぁ。駅の駐輪場の脇に生えてたかも。
「大変素晴らしい演奏ですが、まだ練習は必要そうですね」
ですよね、わかってます。初夏には完璧になるように今、練習してる曲なので。
でもまぁ、そのおかげで音楽教師はとてもご満悦だ。評判のカンブリーブ嬢の演奏が思ったより脅威でなかったことに安心したのだろう。
それでいい。
こーゆー時はあまり出過ぎたことはしないに限る。
なのに、なんということかコレット姫とアルチュールからもう一曲弾いてくれとおねだりが入った。
「練習を始めたばかりの曲ではなく、姉上の得意な曲も、姫殿下にお聞かせしてはいかがでしょう」
「私『ブルーベリーの吐息』を聞きたかったの。演奏の参考にしたいわ」
あぁ、そうですか。
チラリと音楽教師を見るとコクリと頷く。姫殿下のご所望だ、この人が否定するはずもなく私はもう一曲披露する羽目になる。
どうしよう、なんかこの先生にイラッとしちゃうので完璧な演奏でもかましてしまおうか。
そうだよね、遠慮がちに弾いたらコレット姫とアルチュールに更にもう一曲とか言われかねない。
よし。
私は気合を入れて丁寧に演奏をした。
この曲にはコランタン王子との思い出がある。恋心の揺れ動く想いや不安を乗せて心で弾いた。
今の私にとっては難易度の低い曲だが、技術的な部分にとらわれず、気持ちを大切にピアノへ向かう。
コレット姫から感嘆の声が漏れる。
アルチュールからも満足そうな拍手をもらえた。
音楽教師といえば、ぐうの音も出ない。そんな彼の顔が見れて私も溜飲が下がる。
ふふん。




