5 本棚と絵画の部屋
日記に覚えている限りのゲーム内容を書いた。
さてこの日記、このまま机に置いといて大丈夫だろうか?
「使用人に、見られる?」
いやいや、元々置いてあったし。使用人が仕えてる家のお嬢様の物を見たりしないでしょ。
けど、水差しがいつの間にか新しく入れ替えてあるのだ。部屋にいない間に何があってもわからない。
私が部屋を空けるのは勉強会と作法の時間、あとは夕食。その時間に部屋を掃除したりしてるとしたら、見られてもおかしくないと考えた方が良さそうだ。
木を隠すなら森の中。
日記を隠すなら、本の中?
日記はノートというよりハードカバーの本みたいな作りだし。大きさが小ぶりなのが気になるけど、机に置いておくよりは本棚の方が良いだろう。
机の左手側にある造り付けの立派な本棚へちらりと目をやる。それは大人の背より少し高くて、全てに蔵書があるわけでなく、余裕があった。
セレスはまだ少女だし大人になるにつれてたくさんの本で埋まっていくのだろう。
この世界にはテレビもゲームもスマホもないのだから、この生活に慣れたら読書をして過ごすのも悪くない。ローマ字だけど端から読んでいこうかな。
ざっと蔵書を見回すと三冊の本が目に留まる。ほとんどの背表紙がタイトルのない模様だったり、文字があっても筆記体の飾り文字なのに対し、気になった三冊は読みやすいゴシック体。
「オカノイ……エハア……ゲマ、ド」
あ、このハはワと読む方のハ? 『家は』かな? よしよし。
で、次の本は、と。
「ゴ、ゴノザ……イ」
頑張って読んだ題名は、
『丘の家は上げ窓』
『午後の罪悪感は増す』
『灯りを街灯に』だった。
なにコレ。私、脳内での漢字変換、間違ってないよね?
上げ窓って、小説とかアニメにある様な、外国の屋根裏部屋で主人公が木枠の窓をぐっと上に持ち上げる、アレ?
それで合ってたなら、ちょっと憧れたなぁ。網戸がつかないなら虫が苦手な私には無理だってすぐに諦めたけど。
三冊の装丁はシリースものっぽいのに題名に統一感がない。
「なんで文字が赤と青なんだ?」
そして不自然に色分けされた文字。デザイン? それともなにか法則がある?
赤・赤・青・赤。もしかして。
赤い文字だけ読んでみる。
『オカイアゲ』『ゴザイマス』『アリガトウ』
あの三冊だ! 本当にセレスの部屋にあった。子どもの身長でちょうど目の高さだから、目に止まったのだと思うがこれは幸運だ。何がラッキーかはよくわかんない。ただ、確実にゲームとこの世界は同一だと証明されたような、確信を得られた安心感。
大人だと少し屈まなければ見つからない棚で。
「ゴザイマスは、真ん中じゃないでしょ」
そう言いながら手にとってみる。少し重みはあるが片手で引き抜ける程度。
並びを変えようとしただけで、覗き込んだつもりはなかったが、棚の奥に小さな窪みと赤いスイッチを見つけてしまった。
「なんだろ、これ」
いかにも怪しいボタンだってわかってる。
でも、興味だってある。
本を抜いた後の2センチほどの幅では子どもの指でも押すには無理があり、もう一冊『アリガトウ』の本も取り出した。二冊を抱えるようにして持つ。
指が届くなら押してみよう。そんな甘い囁きと、何か起こっても知らないよ、やめておこう。そんな警告も脳内に鳴り響く。
カチ。
あ、押しちゃった。
ギギッと何か歯車が回るような音が、小さいけれど確かに聞こえる。その後、スーと木が擦れるような。
イタっ!
くぅー。何、なんで足先が?
靴を履いていたから激痛ってわけじゃないけど、予期せぬ衝撃に下を確認すると本棚の土台が引き出しみたいに前へ出ている。
ここって出てくるんだ? しゃがんで引っ張ると空の引き出しに赤と青のスイッチがある。……押したい。
赤? 青? 色の意味は?
うーん、わかんないけどなんとなく青をカチリ。
また、木の擦れるような音がして今度は引き出し部分が戻っていく。手が挟まれそうで慌ててよけるように手を引いた。
なるほど。赤が出てくる、青が戻る?
「魔法も電気もない世界だけど、カラクリはあるんだ?」
日本でも江戸時代にはカラクリのお茶運び人形とかあったしなぁ。この世界でも、アリなのか?
まぁ、日記を隠すにはとてもいい場所を見つけたし、仕組みとか細かいことはいいや。
今度は足先を痛めないように、ソファーにあったクッションを足元においてから、最初の赤いスイッチを押した。
次に土台から出てきた引き出しの赤を。すると隣の本棚の土台が出てくる。
そしてやはり中には赤と青のスイッチ。延々と部屋中に隠し場所があるのかと思ったけれど、その後の少し離れた飾り棚の土台部分で赤いスイッチは終わっていた。
そこへ日記を隠すとあとは青を押して次々に土台は元通り。最後にキーとなる三冊の本を戻しておしまいだ。
この仕掛け、家を建てたときからあったのかな? 後ろに細工があるとなると、本棚の奥行きの割に本が入らないのかな?
それとも壁に仕掛けが?
ミニゲーム『模様替え』のときって、自分の部屋は本棚いじったっけ。
ベッドと机は動かしたけど。チュートリアルの家具変更はゲームの指示通りに操作確認をして終わっただけだから、よく覚えてないや。
好感度に影響する本番のミニゲームは別の部屋だったし。
そもそも、あのミニゲームどこの部屋かは関係ないよね。
造り付け、動かせない家具。
それなら兄や弟の部屋にもある? 使用人も知ってる? 結局日記は見られちゃう?
使用人って、仕えてる家のお嬢様の物を見るのだろうか。
親に成長ぶりを報告するために、見るのが仕事? 見て見ぬふりするのが正解? あるいは触れることすら躊躇する?
結局、隠し場所を見つける前の自問自答に考えが戻ってしまった。
うーん。わかんない。でも、まぁ、いいや。
見られても読めないだろうし。カクカクした漢字とカタカナ。グニョっと曲がったひらがなは誰にも解読不能だもんね。
窓の外が暗くなってきた。このあと、夕食に呼ばれて部屋を出れば、留守の間に部屋にランプが灯り浴槽の準備もできている。
時計はないけれど、段取りはだいたい把握してきた。
トントントン。
ほら、私をここから連れ出すためのノック。
「セレス、食堂までエスコートさせてくれるかい?」
私は、土台を引き出したせいで絨毯が曲がっていないかざっと視線を巡らせて安心すると、兄の手を取って部屋を出た。
それから二日ほどは同じような日が続く。午前の座学と午後は作法。勉強は三人一緒だけれど、作法はそうではなかった。
男子は剣術や乗馬の訓練があるため兄は屋外で訓練しているようだし、お披露目前の弟にとって午後は自室で自由時間だ。
私はお披露目にむけて立ち居振る舞いを特訓中。とはいえ、まだ社交ダンスなんてレベルではなく、ドレスをきれいに見せながら歩く。止まる。礼。
これをひたすら繰り返す日や、じっと立つ。じっと座り続ける。そんな訓練をしてる。
貴族のそれも高位である公爵令嬢ってたいへんだ。姿勢を正しく保つためには背筋、腹筋か必要で、黙って微笑んでるだけなのに死にそうに辛い。
◇◆◇◆◇
「今日の日を心待ちにしてました。ね? あね上」
朝からアルチュールの機嫌がやたらと良いのは、領地から両親が戻って来るからだ。むこうを出立する際の手紙と、途中で立ち寄った街からの早馬で昼過ぎには到着すると連絡があった。
私、初めて会う人に挨拶でハグとかできるだろうか。不安。
いつもの通りアルチュールと勉強会へ向かおうとして、オレリアンに声をかけられる。
「今日は出迎えの準備で皆が忙しくするから勉強会はなしだ。セレスはどのように過ごすつもりだい?」
そっか、急に暇になったな。
「そうですね、部屋で読書かしら」
女中頭のクローデットからは普段、少しの空き時間でも刺繍を練習してはいかがと言われているけど。
「アルチュールは以前、奥の絵画室へ行きたいと言っていたね。鍵を開けるようオーバンに頼んでおいたがセレスもどうだい? と、いうよりセレスにアルチュールを見てて欲しいんだ」
絵画室? どこそれ。
オーバンって筆頭執事の名前だったよね。
教えてくれるなら、場所を覚えたい。それに忙しい使用人のじゃまにならないように、弟と一緒にいればいいなら刺繍より簡単。
「わかりました、お兄様。アルチュールのことはお任せください」
今日のオレリアンは使用人に指示を出すのが仕事なのだとか。次期当主へ向けての練習なのだろう。
部屋の鍵を手にした執事のオーバンを先頭に私はまだ足を踏み入れたことのない二階奥へ、アルチュールと共に入っていった。
わぁ。
彫りの見事な扉を観音開きに開けると、そこは部屋と言うより絵画館。
他の部屋よりは小ぶりだが、壁には数多くの絵。風景画や肖像画が並ぶ。
ほとんどは一辺が1メートルぐらいの縦長だけれど、A3サイズぐらいの小さなものから、壁一面天井に届くような大作まである。
足元には布に巻かれてまとめられているものもあるから、所蔵の全てを飾りきれていないようで、季節ごとに廊下や部屋に飾る絵を変えてるのかも。
そういや食堂にも風景画の油絵があったな。テーブルマナーに集中してたからちゃんとは見てないんだけど。
金持ち……なんだろうなぁ。
この世界に来てテレビもスマホもなくなった。そのため視覚的な娯楽は久しぶり。
繊細なものや大胆で勢いがあるもの、ラフスケッチまでジャンル違くない? って思えるようなありとあらゆる絵を購入しているようで、見ていて飽きない。
楽しい。
歴代当主の趣味が違うんだろうな。
ここに攻略対象のちびキャライラストがあったら『おいっ! 制作チーム!』ってツッコんだけど、さすがにそれはない。
あったら、あったで見たかったのに。
「あの、あね上」
隣で大人しく絵を見ていたアルチュールが、緊張した声で話しかけてくる。姿勢を正して、いつもよりかしこまった雰囲気だ。
「あね上は僕が悪い子でも、嫌いにならないでいてくれますか?」
……はい?
なんの話? 薫きゅんの可愛い声を嫌いになるはず、なくない?
「昨日は僕の嫌いな野菜を食べてもらえなかったし。お勉強も、答えのヒントを頂けなくなりました」
あれ? 今まではそうなの?
「ニノン先生の作法の後、僕の部屋へ来てくれなかったです。みんなは体調が戻ってないからだって言うけど。もし、何か僕がいけないことをしたのなら、ごめんなさい」
え、なにそれ。
ちょっと、使用人も言ってよ。アルチュールの部屋に遊びに行かなくていいのかって。
だって私、弟の部屋の場所わからないよ?
うーん。
どうやってごまかそうか?
綾音に知識がないので本棚の下を土台としましたが、正しくは台輪と呼ばれる部分です。