41 僕の妹
今回はオレリアン視点です
僕の可愛いセレスは皆から愛されている。
それは、とても喜ばしいことだ。
けれど、この、モヤモヤした気持ちはなんだろう。
嫉妬か。
ルソー邸で行われた花見の会。
その帰りの馬車で僕は向かいに座る妹を見る。
僕がセレスから離れた後、シュバリエとルソー私邸へ入ったと連絡を受けだが、騎士見習い達との談笑を切り上げられないまま時間だけが経ってしまった。随分話し込んだ後、ソメイヨシノとは別の桜まで戻るとちょうど二人も戻ってくるところだった。
お互い音楽会に参加しないため、少しピアノを弾いて鑑賞し合っていた。そう報告を受け、側に残っていたテレーズに目をやると、確かにと頷いた。
ならば、問題はない。
むしろ、家格の低い子息の目に留まらない場所にいたのだからシュバリエに感謝を。
「見事な桜でしたね。シュバリエ様の仰るには遅咲きの桜もあるとか。見てみたいわ」
馬車の窓はさほど大きくはないが、屋敷の外へ出る機会が少ないセレスは、楽しそうに景色を眺めている。
春は花の季節。桜ほどではないが可憐な色が道の先に見えた。黄色や淡い紫の花畑だ。
そんな花よりも美しい妹は、最近皆から愛されすぎている。
つい最近まで、僕はセレスの事を妹だから可愛くて仕方がないと思っていた。それが本当の妹でなくとも。
これは、誰にも言えない秘密だ。
両親でさえ、僕がセレスの出生について疑問視していることを知らない。
不思議に思い始めたのは、アルチュールが生まれてくる少し前。母親のお腹が大きくなり、兄弟が増えると聞いた時だ。
赤ん坊とは、突然どこからか連れてこられるものだと思っていた僕は『大きなお腹が明日にでも破裂したら大変だ』そんな質問を使用人にする。しかし僕に声をかけられた使用人は、詳しい説明もなくただ微笑む。
なるほど、聞かないほうがいい部類の話なのだろう。
使用人のそれは、まだ幼かった僕でもわかるぐらいの笑みだった。
どうして生まれる日がわかるのか、不思議で仕方がないがお腹が破裂することはないらしい。
アルチュールと違いセレスは、突然屋敷にやってきた。
だから、僕は赤ん坊がキャベツ畑に生まれるという絵本を疑いもなく信じていた。
それが、弟の誕生でゆらぐ。
それでも漠然とセレスのような生まれ方もあるのではと、深く考えずにいた。
アルチュールが生まれる日の緊張感と慌ただしさが、セレスを迎え入れた日と似ていると思ったからだ。
僕は、女中頭に育てられた。まるで乳母のように。
あの頃はクローデットとは別の年嵩の女性が女中をまとめていて、暖かい瞳が彼女の優しさを表していた。
長年の下働きから腰を悪くしており、中々思うように動けなかったが、使用人としての仕事の経験や人を采配する能力を買われて女中頭をしていた。
当時領主を務めていた祖父が病に倒れ、母が後を継ぐための準備に忙しく、僕の事を女中頭と父親に任せると、母親は領地と王都の屋敷を行ったり来たりしていたのだ。
たまに王都へ戻っても、挨拶するまもなくまた出て行くこともある。しばらく顔を見ていない時期が続いた。それは使用人も同じようだった。
そして突然、赤ん坊を連れてきたのだ。
あの日は、屋敷が騒がしくて目が覚めた。
夜中、いや明け方か。
使用人が廊下を走るなど、そんなはしたない事をしているのを初めて見た。
だから覚えている。
余程のことが起こったと思い、少しだけ開けた扉から様子をうかがうとすぐに扉を閉める。そして僕は部屋に籠もった。
誰も僕に構う暇が無い。そんな空気だった。だから外に出ても何も出来ないとわかっていたし、必要なら声がかかると思った。
そして、セレスに会ったのはその日の午後。
彼女は新しい女中頭クローデットに抱かれこの家の家族になっていた。
『ずっと具合が悪くて実家に帰っていたが、それは新しい命を宿していたから』
対外的にはそう発表された。
母親と交流の少ない使用人は信じたし、僕も幼い頭では真実に辿り着かずに信じていた。
今ならわかる。なぜって、母親はあれほど精力的に領主の仕事を自分のものにしようとしていたではないか。
身重の身体でこなせる仕事量か?
もし、本当ならば領地で産んだのか?
生まれてすぐの赤子を何日もかかる馬車旅で王都まで?
なぜ妊娠を隠していた?
二歳の子供では疑問に持たなくても、アルチュールが生まれてくる時は僕も四つ。
何かおかしいと疑問に持ち、そして今は確信している、セレスは本当の妹ではないと。
クローデットに聞けば、あるいは。
いや、彼女の口は硬い。
他の使用人もいつの間にか入れ替わっていた。秘密は徹底的に隠す。
公爵家ともなれば、それは完璧に行われるだろう。
「お兄様?」
馬車が止まった。
考え込んだため屋敷の敷地内に入っていることは理解していたが、座ったままで行動が遅れる。
セレスをエスコートする為には僕が先に下りなければならない。
「まぁ、そんなに思い出に浸るなんて。お兄様も今日の会を楽しんだのですね」
「あぁ」
口数が多いとそれだけ心を読まれやすい。僕は一言だけで話を切り上げ椅子から立ちあがる。
◇◆◇◆◇
夜。
就寝前にお茶をいただく。
庭で開催された茶会は自分で思っているより歩き回ってしまうようで、普段と違う疲労感がある。
僕のため息を聞き逃さなかった使用人は、入浴後にゆったりできるからとハーブティーを淹れてくれた。
疲れているのは本当だが、足よりも心が。
セレスの出生についてあれこれ考えてしまったからだ。
このまま寝てしまうのもいいだろう。
だが、またうやむやになる前に考えをまとめておくのも良いのではないだろうか。
初めは、父が他の女性に産ませた子供だと思った。
けれどセレスの美しい髪色がカンブリーブの血筋だと訴える。
それに、母親のセレスに対する溺愛ぶりを見れば父親に愛妾がいるとは思えない。
では、祖父の隠し子か。母親の腹違いの妹という説だ。昔は上級貴族たるもの、第二夫人を持つぐらいの甲斐性がなくては。そう言われていたようだが、今はそのような制度はない。
そこで秘密裏にセレスを引き取ったのでは。領地に足繁く通っていたのはそのためか。
浅はかな考えかもしれないが、辻褄は合う。すると僕にとってセレスは叔母?
それよりもありえるのは、祖父母の兄弟の子供や孫。
僕のはとこ辺りでは。
今まで考えないようにしていたが、冷静に分析すれば、なんてことはない。きっとはとこが妥当な線だろう。
いや、それでは隠す意味と長旅で赤子を連れてきた違和感が残る。
「いっそ気が付かぬままで。本当の妹なら」
ハーブティーは冷めかけている。
僕はそれを一気に飲み干して、大きくため息をついた。
サビーナ様が『秋の芸術を愛でる会』にて変なことを言ってから、より妹を意識し始めてしまった。
コランタン王子とセレスの仲が睦まじい、だと?
確かに、僕も二人の距離が近いとは思った。演奏を終えた王子がセレスの待つ席へ歩み寄り、椅子を引き寄せて隣に座った際には、思わず声をかけようと思ったほどだ。
わざわざ椅子を近くに動かすとは、淑女に失礼ではないか。
その後も、何やら話しているが、小声で聞き取れない。
こちらもサビーナ様が演奏をしていたので、通常の声でも聞き取れなかったとは思うが、小さな声で話しては聞かれたくない話のようで、まるでセレスが汚されているような、いらぬ勘違いをされてしまうような。
相手が王族だから我慢したが、あの行為は良くない。
「殿下は、その。他人との距離感が近いのですね」
僕は思い切ってヴィクトーに質問をした。やんわりと、女性との距離感を諭してもらうように。しかし返ってきたのはサビーナ様からの予想外の言葉。
「そぉ? 友人ならあれぐらい大丈夫だよ?」
「それは姉さんの基準でしょう」
よかった、ヴィクトーは僕と考えが同じようだ。ただ、王子は女性と関わりなく過ごしたため、セレスを同性の友人と見ているのではないかと注釈が入る。
なるほど、今まで側にいるのが妹姫とこのサビーナ様では恋愛感情などには疎くもなるか。
そもそも今回、セレスをピアノ演奏で元気付けようと企画したのが王子なのだから、あの距離で話していても、問題がない。
の、かもしれない。
今後、茶会が増えるたび、セレスは色々な男性に声をかけられるのだろう。
そうだ、こんなに可愛いのだから皆が親密になりたいと思うに決まっている。
そのたびに、僕が相手を見極めて変なやつに騙されないようにしてやらないと。
サビーナ様のダイナミックな演奏と興味のまま伴奏を付け始めたシュバリエ。
そんなビックリな音を聞きながら考え事をしていたせいで反応が遅れた。気が付くと僕はサビーナ様によってピアノの前に座らされている。
強引に腕を引かれバランスを崩した所に丁度椅子があったわけだ。
「次、オレリアンね」
無理やり演奏の順番が回ってくる。そうならないよう、ピアノの前には立たずにいたのに。
「あ、いや。演奏は」
「いいの、いいの。適当に鍵盤叩いてくれたら。必ず一回は強制参加、ね?」
仕方ない。取りあえず座って言われた通り適当にいくつかの音を叩く。
「まだ、お二人とも幼くいらっしゃるが、公爵家なら家格が釣り合うことですし、見てください。お似合いではありませんか」
はぁ?
ヴィクトーは何を言っているのか。
「そだね。いつかはセレスティーヌ様も嫁に出されるんだし、殿下のところだったら、私もずっと仲良くいられていいと思うな」
「待ってください。派閥が」
「やだなぁ、オレリアン。私たち世代では無くしていこうって話、忘れちゃった?」
忘れてなどいない。
けれど、王族に対し不敬にならないよう妹を守る言葉が、他に思い浮かばなかった。
「王族以外で公爵家に釣り合うとすれば、やはり公爵家の私ぐらいになりますよ」
今まで黙って聞いていたシュバリエまでも、くすくすと笑いながらとんでもないことを言い出した。
「ちょっと待て、セレスは嫁になど行かない。まだ、早い」
相手が王子だろうが誰だろうが、ずっと僕の側にいるはずだ。
そうだろう?
セレスに同意を求めたくて妹を見る。
と、どうしたことか。コランタン王子が清らかなセレスの頬に手を差し出している。
な、何をしているんだ?!
まだ、ふ、触れてはいない。けれど。
「仲良きことは美しきかな。大丈夫オレリアン殿。まだ恋愛には見えないよ?」
シュバリエの言葉にサビーナ様もヴィクトーも頷いてはいるが。
ジャン、ジャぁーン。
耐えられなくなった僕は鍵盤に苛立ちをぶつけて立ちあがる。
「今考えても、あの時の僕はみっともなかった」
ティーカップに手を伸ばしてもすでに中身はない。
あぁ、飲み干していたな。
この時間に使用人を呼ぶのも憚れて、僕はソファからベッドサイドの水差しへ足を向けた。
セレスの相手、か。
コランタン王子は悪いやつではない。現王とは違うこともわかっている。
シュバリエもやたらとセレスを崇める以外は良いやつだと思う。
両親はどのようにお考えか。領地の貴族に嫁がせるつもりなのか。
僕は……?
本当の妹でないなら、あるいは。