40 この世界に推しの概念はないが
今回はシュバリエ視点です
お披露目前の幼い頃、自分は女神というのは想像上のものだと思っていた。
家の者も、使用人も神官すら仕事をこなす為に必要な便利な言葉として女神を利用しているのだと。
自分はこの世界を少し斜めから見たような冷めた子供だった。
周りは『大人に囲まれて育ったから』と見ているようだが。
真実は違う。
物心ついた時には稼業が女神とは関係なく動いている事に気がついてしまったから。
国民の婚姻や出生を祝うのは、人口推移の把握。悩みを聞き相談にのるのはその人の弱みを握ること。
その情報網は全国、小さな村まで網羅する。
それ故、王家も一目置く上級貴族でいられるのだ。
確かに水は人にとって大切だ。
だが、信仰をしてもしなくても、井戸の水は皆に与えられている。
それでは神を崇める意味とは?
自分でもずいぶん可愛くない子供だったと思う。
それに、だ。神殿中央の女神像。
ガラス製の美しいアシュイクア様。
この世にこれほど美しい女性がいるとは思えない。いくら神とはいえ綺麗に作りすぎだ。製作者の主観が入りすぎている。
唯一、自分が女神のごとく美しいと感嘆したのは先の王妃様だが、これも肖像画という書き手の思惑が入っている分、本当に本人が美しいか信憑性にかける。
カンブリーブ公爵リディアーヌ様も水色の髪だと聞いているが、使用人の話では、妹妃よりハキハキした方だとか。
言外にキツイ人だと言いたいことがわかる。
やはり、女神などこの世にはいないのだ。
まるで無神論者のような考えは、もちろん口に出せない。
お披露目を迎え、多くの人と接する頃には、穏やかな慈悲深い微笑みを浮かべ、信者から愛されるルソー公爵家の跡取りになっていた。
女神を利用する稼業も、不思議に思わなくなるほど。
転機は正月の挨拶まわりで起きた。
父親である祭司長がお披露目直後の息子を新年の挨拶に連れ出したのだ。
相手が断れない重要な儀式は上級貴族へ顔合わせする便利なイベントに利用された。
父の直ぐ側で、良い子を演じるだけの一日。それはもはや日常で。
何の苦も無く時間は過ぎ、その日最後の公爵家へとやってきた。
広い前庭、立派な屋敷。神殿の設備がある我が家と比べることはできないが、さすが大領地カンブリーブの王都邸だ。
領主を務めるリディアーヌ様は聞いていた通りキリリとした美しい方で、寄り添うように立つ騎士団長閣下は騎士らしい体躯の方だった。
それに比べて父、祭司長は地味な男だ。商家の番頭を思わせるくたびれた背中。桜色が出やすい赤系の髪色、それだけがルソー家の者だと主張している。ただのオジサンだ。
実際、商家の者になど会ったことはなかったが使用人や神官が小声で父をそのように言っていたのだから、きっとそうなのだろう。
そんな公爵邸で出会ってしまったのだ。
自分だけの女神に。
カンブリーブ公爵家には三人のお子様がいらっしゃった。
来年お披露目を迎える長男と、使用人に抱かれている次男。長男の方はしっかりしているが、下はじっとしていられなくて、押さえつけるために抱っこされてしまった様子。
さほど長くもない挨拶だが、それを我慢できない子どもは多い。今日、何度も見た光景。
「新たな湧き水の清らかなことよ。我ら、女神の導きに……」
父親、祭司長の祈りの挨拶が始まった。それに合わせて神官が聖水を撒く。
この寒い時期に水撒きとは、そんなことは誰も言わずに有難がっている。
こちらは、まだ世間に出ないお披露目前の子供の数や様子を確認するのが真の目的だ。
カンブリーブにはもう一人、娘がいるはずだが。
騎士団長閣下の足元で半分隠れるようにしているのがそれか。ここからでは顔がほとんど見えない。
「女神の慈悲、有り難くお受けします」
「今年も一年、健やかに過ごせますよう」
騎士団長閣下とカンブリーブ公爵婦人が祈りへ感謝を述べた。その後は今年叶えたい夢や希望を口にする。
「さ、お前たちも祭司長様を通じて女神様へ挨拶を」
平民はよく、金が欲しい、恋人が欲しいと自らの努力に合わない望みばかりを口にする。
貴族や富豪、少しゆとりがあっても健康や商売繁盛を、上級貴族になれば家族の成長や領地の安定を。
朝から聞かされている抱負や将来設計など、この世界にいない女神が叶えるはずなどないのに。
「私は既に幸せです。そう女神様にお伝えくださいませ」
曇りのない透き通った声がした。
騎士の訓練を頑張りたいと答えた兄の次に幼い少女の声。
宣言と共に一歩祭司長へ歩み出たため、ここからでも彼女の姿が見えた。
なんて可憐な。
そして、今以上は望まないと述べた少女の凛としたことよ。
衝撃だったのは言動だけではない。
まるで女神のような髪色に、整った顔立ち。カンブリーブの髪色の中でも特にガラス細工のように輝いている。
まだ、あどけない年頃でここまで可愛らしいのだから、将来は女神像よりも美しく育つのではないだろうか。
「おや、公爵令嬢は欲がないと見える。ちゃんと伝えるから、欲しいもの、やりたいこと、なんでも言ってごらん」
父が子供の目線に合わせるよう屈んで少女に問いかける。
「セレスティーヌは新しい本が欲しいのよね?」
すかさずリディアーヌ様が助け舟を出して収めたが、それは私的なことを我々に探らせないためだろう。
では、先ほどの少女の言葉は用意されていたものか。
いや、違う。
今日は一日中、何人もの子供を見ている。本心から女神へ幸せの感謝を述べたのだ。
なんと素直で心の美しい少女なのか。
あぁ、女神は実在したのだ。
わかっている。
彼女はまるで、あるいはようなが付く本当の神ではないと。
わかっている。わかってはいるが。
信者が祈る気持ちや縋る思いは。
このような心だったのか。
その日から、少女は自分にとっての女神となった。
「三年後のお披露目が楽しみだ」
帰宅の馬車でつぶやいた言葉は同席の父にも聞こえないほどの呟き。
必ず招待されるよう、兄と仲を深めておくことにしよう。
◇◆◇◆◇
翌年、自分は正月の挨拶に出ることはなかった。
父曰く『あれは息子の顔見せの特別であり、今年は通常の内勤に戻っただけ』の事なのだが。
一年会えなかった令嬢は、健やかにお育ちだろうか。オレリアンからは可愛いという当たり障りない言葉しか返ってこない。
そして、迎えた彼女のお披露目会。招待状を受け取った喜びは今でも忘れない。
あぁ!
やっと会えた彼女の可憐で美しく、可愛らしいことと言ったら!
だが、彼女は私との数年前の出会いを覚えていないようだった。
それはいい。
彼女にしてみれば祭司長の息子など覚える価値のない存在だったのだろう。それよりも、もう一度『はじめまして』をやり直せる喜びよ。
父に付いていた時は個人としての挨拶ができなかったのだから。
お披露目を迎えた彼女は、自分の意見をはっきりと述べる毅然とした女性へと育っていた。
同席したヴィクトーと王子は対応に困っていたようだが、それは『すでに幸せ』だと父に述べた時を思いおこす。
やはり私の女神は素晴らしい。
音楽会ではホール全てを癒す見事な演奏。
自分は毎年神殿で音楽会の手伝いをしているため、嫌でも演奏者の技量を比べてしまうが、彼女が演奏した曲は上級貴族が課題曲として教師に教わるいくつかの中でも難易度の高い曲だ。
それは女神の繊細な音色。
高音の連打はまるで女神の慈悲たる雨が降り注ぐかのようだった。
しかし、その後で彼女は気落ちした生活を送っていると伝え聞く。
何ということだ。
私の女神が心の病?
なぜ、自分は助けに行けないのか。なぜ、自分には彼女と直接連絡を取る手段がないのか。
こんなにも落ち着かない気持ちになったことはない。
彼女を元気づける芸術の会? もちろん全力で協力しようじゃないか。王子がピアノを弾く事で元気になるかはわかりかねるが、我が家を会場にすることも構わない。
そう、私の女神を我が家へ招く理由ができる喜びの前では、催しの内容など二の次なのだから。
もちろん、表情に出すようなことはしないため、使用人にも、オレリアンにも自分のときめきなど見抜かれることはない。
そして、今日。
「いつも、いつまでも貴方の側に有りたい」
愛おしい自分だけの女神の髪に触れた。
「私は既に貴方の虜」
どうして言葉が漏れたかはわからないが、本心を彼女に伝えていたのだ。拒まれない事を言い訳にして、触れたままの髪にそっと口づける。
恋ではない。
信仰だ。
限りなく女神に近いお方。
見返りを求めたりはしない。
ただ、一生をかけて私の想いを捧げたい。




