36 貴婦人達の牽制
私には今後、音楽会との縁がないと思っている。
春になっても出場はしないのだから。
次のイベントは、コレット姫のお披露目。開催される初夏まで、のんびりすごそうと思っていたのに。
春、穏やかな陽気になると母親主催のお茶会でピアノの演奏をしてみては、と提案されてしまったのだ。
秋の集まりでコランタン王子の演奏を聴き、誤解が解けたあと、私がまたピアノの練習を頑張っているからだろう。
だってさ、攻略したいコランタン王子に『何度でも聞いていたい』なんて言われちゃったらさぁ、練習にも身が入るってものじゃない?
ふふふ。いい声だったなぁ。
脳内再生。
母親の友人からも、去年の音楽会で私のピアノを聞いたとかで是非演奏を聞きたいと申し出がある。
去年の音楽会直後は私が演奏にトラウマを抱えちゃってたし、母親もそれをわかっていたから断ってくれていた。けれど今年は断る理由がない。
領主である母親が決めれば、それは絶対。やむなくして『カンブリーブ嬢のピアノ演奏が聞けるお茶会』は開かれた。
ここは我がカンブリーブ邸にいくつかある広間の中で中規模の部屋。招待客の人数にしては少し広い。
ピアノ演奏に最適な部屋との理由から選ばれたが、親密になりすぎない広さとも言える。
私はこのゲームの中で使われている挿入歌『乙女の夢』を演奏した。五つの課題曲に合格点が出たあと、またゲームに関する曲かよ! とツッコミを入れたところでこの世界のエンタメなんてそんなレベルだってわかってたけどね。
サビーナが言うには、お披露目直後の子供の小さな手で演奏できる曲はそんなに多くないから、音楽会では似たような曲ばかりが選ばれるんだって。
手の大きさかぁ、なるほど納得。
参加者の皆さまから賛辞をいただいて、おとなしく、ちょんと座って私は黙る。
子供だけのお茶会と比べて、言質を取られたり裏の意味があったり、微笑んだ顔の下で何を考えているかわからない人達と会話をするのはまだ難しい。
私は何を聞かれても微笑みながら曖昧に答えてやり過ごす。と、それが面白くなかったのだろう、細身で目の大きい伯爵夫人が一人の令嬢の話をし始めた。
「マルティ家のジョゼット様は今年の音楽会でも斉唱なさるそうよ。何処かの令嬢と違って」
ジョゼット様? だれだっけ。
思い出せないからモブかな。
「まあ、それは是非聞いてみたいものだわ」
皆様はすぐに誰だか思い浮かぶようで話が弾む。
「私、昨年の歌声に感動しまして何度かお茶会に彼女を誘いましたの」
「あら、素敵」
あぁ、思い出した。音楽会ではお披露目直後の子供たちが演奏し終わったあと、音楽の得意な人達が何人か女神に奉納する。
その時、伴奏のないアカペラでホールに響く澄んだ音を聞かせてくれたお姉様がいた。あの人のことを言っているのだろう。ゆるくウェーブのかかった長い髪。
顔が、思い出せない。なら、やっぱりモブだ。
それに成人している大人では私と挨拶を交わす機会が極端に減る。
今日は席が近くなりすぎない余裕を持った配置。どうやら他派閥とのバチバチ牽制大会だった為の配慮だろう。
えっと、前にも観たことがある人は同派閥で、はじめましては他派閥、かな。先日渡された参加者リストをもっと真面目に見ておけば良かった。
派閥違いの伯爵夫人は、ハープの得意なリュシー様まで話題に出す。私のお披露目に参加してくれた彼女は、濡羽のような艷やかな黒髪で元日本人の私には特に印象的な色として注視したのを覚えている。
クレマン侯爵令嬢なので身分は高い。伯爵夫人が噂話にしていい人物ではないが、それとなく注意をしたところで演奏を褒めるのに身分は関係ないと言われるのがオチだろう。
確かに、褒め称えるだけなら問題ない。私の心を乱すために彼女が親しくしていない令嬢の名を出したのが気に食わない。
これは『音楽会に出れない程度の腕前』と私をバカにしている。と、とることもできるし、逆にここで私が音楽会への出演を宣言すれば『公爵令嬢が見世物じみた真似をするとははしたない』なんて言い出すきっかけを与える。
他にも悪役が言いそうなセリフなんて幾つでも思い浮かぶな。
母親は黙っているつもりだろうか。
ちらりと伺う。
うわ、笑顔だ。
穏やかで、何も聞こえていないかのような、ゆったりとした笑み。
けれど、人差し指で膝を忙しく小刻みに叩いている。
前にもあったな。イライラしている時に机の端をトントン叩くこと。表情とは打って変わってかなりお怒りモードだ。
さて、どうしよう。
とりあえずこの場から少しでも離れたいので席を立とうか。
「お母様、今日は特別音楽に思い入れがあるお客様ばかりのようですし、もう一曲披露してもよろしいかしら」
予定にはない。
母親は、私がピアノの練習はしていても人前で演奏するのは好きではないとわかってくれているのか、あるいは出し惜しみしたいのか。演奏は一曲だけでいいと言っていた。
けど、もうトラウマとかなくなったし、別に何曲弾いたってかまわない。
それに、今日の客には口で言うより実力でねじ伏せるほうが良いと思うんだ。
私はピアノに向かい、一番練習していて得意の『ブルーベリーの吐息』を演奏する。
今までの、かなわぬ恋とは違う、夢見る恋のため息。そんな、女子ならみんなうっとりするような想いを込めて。
確かに、サビーナか言ったように体が成長して少しばかりは手が大きくなったのか、音楽会の時よりずっと流暢に音が空気を震わす。
失礼な客たちが、何か文句でもつけたい顔でこちらを見てるが言葉が見つからないようだ。
そうでしょうとも。
ヒロイン補正された完璧な音にひれ伏すがいい。
視界の端で母親の呆れたような、それでいて楽しそうな顔が見える。
「なに勝手に楽しそうなことをしているのかしら?」
そんな言葉が聞こえそうだ。
クラシックにアレンジされていても、そこまで長い曲じゃない。
終盤で気を抜かないように指先に集中して、高音を。丁寧に。
……終わった。
なんの野次も飛ばせなかったご婦人方の、拍手。
それに応える私はいつも以上に優雅な礼と微笑みだ。
「ありがとうございます。けれど私、音楽会には参加する意思がありませんの」
ここで一度言葉を切る。
一番イヤミな話し方だった細身の伯爵夫人を見た。
睨んでやろうかとも思ったけど、公爵令嬢は周りに人がいる場所で、わかりやすく嫌ったりしない。
感情のない視線で眺めるだけだ。
あたかもそこに誰もいないかのように。
そう、相手を全否定した無視がいい。
「ですから、次、皆さまに披露する場がないのは残念なことですわ」
私の言葉を額面通りに受け取る者はここにいないだろう。公爵家の茶会に出てくるメンツなら『これだけの演奏を聞きたければカンブリーブに下れ』『音楽会? そんな場所で安売りするような演奏じゃないんだよ』ってわかってもらえるはず。
あ、みんな貴族だからもっと丁寧な言葉で罵らなきゃかな?
とりあえず、みんな大人しくなったので、私は好きなピアノを二曲も弾けて楽しいですぅ。
って顔してお菓子を食べている。
その後は無難な話題で時間が過ぎた。
お茶会のある日は午後の作法の時間が潰れちゃう。ニノン先生には実践の場と言われているけど、中途半端に残った時間をどうすごすか考えてしまう。
お呼ばれの時は馬車での移動で丁度いいんだけど、ウチで開催するとね。
アルチュールとゲームでもしようかと思っていると、母親から執務室へ来るように言われた。
あれ、反省会はいつも通り夕食後の団欒でするのかと思ってのに今日は直後なんだ?
「では、セレスティーヌは今後どなたを夜会に招待するべきだと考えて?」
執務室にはいつも通りオリバーがいて、すました顔で紅茶を淹れてくれる。彼には何も聞こえていないというわけだ。
優秀すぎる。
と、言うことは。家族の団欒ではできない話題を始めるということ。外に漏らしたくないレベルで招待客の吟味か。
でも、母親が納得する正解なんて私、全然、もう全っ然わかんないよ。
「そうですね」
考えてるふりしてとりあえず一言。
「今日の顔ぶれから察するに」
今から頑張って考えるからちょっとだけ待ってほしくてもう一言。
次は夜会なの?
つか、また誘うの? なんで?
そもそも派閥が違うのに今日集まったのは?
あ。もしかして。
スッキリする解答が浮かんだけれど、あのルートへ進むはずはなくて。私は思考を止めた。
「申し訳ありません。わかりませんわ」
「まだ、セレスティーヌには難しい質問で困らせてしまったようね」
とくに叱られたりすることもなく、母親は私を解放した。
執務室を出る時、私の将来に大きく関わる母親の顔色をうかがったが、いたっていつも通りだった。
私の、勘違いか考えすぎか。
けれど私の手は震えている。
特別なルートは幾度も繰り返し攻略しなければ開かない。
シュバリエルートを一度も攻略していない今、進めるはずがない。
大丈夫。
面倒なだけでトキメキのないあんなルートへは行きたくない。
部屋までとぼとぼ歩く。
執務室は人払いがされていたので私は一人だ。最近は家の中でも側に使用人がいたから久しぶりの本当の一人だ。
だからだろうか、心置きなくゲームの設定を考えていられた。
そうだよ、だいたい普通なら死んでしまった先王をいつまでも崇める派閥より、今、国のトップにいる現王に忠誠を誓うのがあたり前。
いくら公爵家という貴族の中の上位でも、王家を軽んじるなんておかしいよ。
母親は妹、先の王妃の件があるからって理由があったとしても。
他の先王派はどう思ってカンブリーブについてきてるんだろう。
今の王が気に入らないから消去法で?
だとしたら、何が気に入らないのか。
そっか、みんなは今の王家が傍系だと知っているのかも。
私はもちろんシナリオとして知っている。
王都に暮らす華やかな一族とは違い、檻のような小さな領土に閉じ込められた傍系王族。
跡取りのなかった先王の死後、突然やってきた現王。
実績とか下積みとか、なんもなくていきなり上に立たれれば面白くないのも当然だ。
なんだ、納得。
『傍系王族』
エンディング近くで、色々と辻褄合わせの言い訳大会が始まった時、急に明かされるナイショの話だと思ってたよ。
なるほどね。
だからって、他に王家の血筋がいないんじゃ、現王が一番偉い人に代わりはないんだけど。
制作スタッフの意図、かなぁ。
私の本当の親を考えるに、派閥があるとシナリオが楽なのかも。
うーん、派閥ねぇ。
まぁそう考えると、私はコランタン推しの次期王派かな。




