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32 吐息よ、もう一度

コランタン視点は今回で区切りとなります

 俺は、来年の音楽会でカンブリーブ嬢にピアノソロの演奏が打診されると思い込んでいた。

「あれだけの腕前だ。今後も練習を重ねれば素晴らしい奏者になるだろう?」

「はい。両親もそのように思ったようですが、演奏が終わって客席に戻った時には、もう」

 今後どんなに誘われても、会へ参加する気はありません。彼女は家族にそう告げたのだとか。

 どうゆうことだ。演奏直後に? 一体、何があったのか。


 あの日、俺が控え室を出て舞台袖へ向かうと彼女がいた。狭い場所にぞろぞろと出向いた俺たちに嫌な顔もせず、腰を落とした挨拶をくれる。

 優雅で気品ある少女。

 そんな彼女に今から俺は演奏を聞かれるのかと思うと、鼓動が速まった。

 はぁ……

 大きな息づかいで心を落ち着かせると、彼女がこちらを見ているではないか。

 俺の緊張が伝わってしまったのだろうか。少し気まずい気持ちでいると、優しい微笑みを向けてくれる。

 きっと、大丈夫だと勇気づけてくれているのだろう。それで俺は落ち着きを取り戻し彼女の演奏に聞きいったのだった。

「演奏前は音楽にしっかり向き合っていたようだったぞ」

「そうですね、私も側にいましたが演奏を嫌がっているようには、とても」

「なるほど。僕ではわからない情報、たいへん有り難い。他にはありませんか? 些細な事でも」

 うむ。とはいえ何ヶ月も前のことだしな。

 演奏を終えて戻ってきた彼女はどんな様子だったか。

 

 素晴らしい演奏を褒め称えたくて、じっと俺が見ていたからか、袖へ向かってくる彼女と目が合った。そして、彼女は軽く会釈をしてくれる。

 先ほど挨拶をしたばかりだと言うのに、律儀な人柄に好感が持てた。

 しかし、俺のそんな気持ちを口にすることは許されない。王族がこれだけの人の前で一定の人物に称賛などすれば、貴族の力関係が揺らいでしまうからだ。

 それをわかっているヴィクトーが俺の代わりに彼女の演奏を褒める。

「私が演奏の感想を述べ称えると、嬉しそうになさっていましたよ」

「あぁ、舞台袖は明るくないが、それでも微笑んでいたのはわかった」

 本当に彼女はピアノが嫌になったのか? オレリアンが嘘をついているとは思えないが、まだ信じられない。


「その後、俺が演奏をして。妹君はすぐ控え室へ行くことなく、舞台裏にいたようだな」

「はい。戻りそびれたのかもしれません。私が話しかけたからでしょうか」

「へぇ。なら気持ちが変わったのはその時じゃない? ヴィクトーはコランタン殿下の演奏中も彼女の側にいたんでしょ?」

 音楽会へ出席していないサビーナにそんな事を言われても、ヴィクトーは俺の演奏を見ていたはずで隣にいたというカンブリーブ嬢を見ていなかっただろう。それではサビーナやオレリアンが納得するような答えは出せない。

 俺は手つかずの紅茶に手を伸ばす。普段なら冷めたお茶を入れ替えさせるが、今は使用人に思考を邪魔されたくはない。

 一口、乾いた唇を湿らすと俺の演奏後の彼女の様子に思いを馳せる。


「特に、ないな」

 

 小さなミスはあったが曲を途中で止めることもなく演奏できた。

 俺としては上出来で、護衛や使用人が自分のことのように誇らしい顔で出迎えてくれたことが嬉しかった。

 今までは、王族に畏怖の念があるのか仕事としての接し方しかなかった側付きが、あの時は心から寄り添ってくれたように感じたんだ。

 だから俺も彼らへやりきった顔で近づいた。

 その後だな、カンブリーブ嬢がまだいた事に気がついたのは。

「すまぬ、思い当たる節が特にない」


 いや、待てよ。

 その場にいたのなら、挨拶ぐらい。

 彼女なら会釈はしてくれるはずだが。

 それとも、俺が使用人を見ている間に出迎えの礼をしてくれていたのだろうか。

 それはないな。彼女に動きがあればヴィクトーが気がついて相手をしているはず。


「そうですか。いえ、大丈夫です。数ヶ月わからなかったことが、ここで解決するとは思っていませんし」

 直接、本人に聞いてみては。そんな考えが浮かんだが、聞けるようならオレリアンもここまで悩むまい。

「両親は燃え尽き症候群のようなもので、無理に弾かなくてもいいし、そのうちにまたピアノを弾くようになるかもしれない。なんて言うのですが」

 燃え尽き? 

 確かにそれなら無理強いは良くない。また、彼女の演奏を聴いてみたいと思っていたが、残念だ。

「セレスも課題とされた分は弾くのですが、最低限といった練習で」

 もう、人前で演奏する気はないようだとか。


 サビーナが菓子をオレリアンに勧めながら、自分のことを名前呼びしていいのだと迫っている。

 相手は公爵家だぞ。その子息が令嬢を呼びすてにするわけがなかろう。

 お前も侯爵家の身分でオレリアンと呼ぶのはもう少し控えられないものか。何が歳上の特権だ。

 俺は二人のやりとりを聞こえないふりでやり過ごす。

 ヴィクトーは姉とオレリアンを宥めながらも面白がっているようだ。

 一応、俺の主催する茶会なのだから、招待客に本日の菓子を説明するのは俺の役目のはずだし、そんな会の流れを勉強するために催したのだが。

 まぁ、いい。

 俺が考え事をしたいとわかっていて二人はオレリアンにちょっかいを出す。

 俺も、この部屋の空気感は嫌いじゃない。


 ピアノ。

 カンブリーブ嬢のピアノ。彼女に何があったのか。

 俺が初めて聞いた時はやる気をもらい、リハーサルでは勇気をもらい。

 音楽とは人の心を動かす力があると教えてもらった。そうだ、ならば今度は。

「俺の演奏を聞かせたいものだ」

 まずい。結論を急ぎすぎたか。まだまとまっていない考えのまま、声にしている。

「申し訳ございません、殿下。この部屋にピアノは準備されておりませんので」

「いや、いいんだヴィクトー」

 聞かせたいのはここにいる者にではないのだから。


「うわ、それ良くない? 私達でミニ音楽会をしてさ、妹君も参加させるの! 弾かなくてもいいし、観客として聞くだけ。なら、ね?」

「サビーナ、カンブリーブ嬢は繊細な方だろう。心に負担をかけてどうする」

「あれ。そうなの? お披露目でコランタン殿下に髪色の話をしたり、みんなが挨拶すら遠慮しがちなところを声かけてきたり、私が聞いた印象だと多少の無茶ぶりも大丈夫そうだけどな」

 その口調で俺と喋れるお前が言うな。

 けれどそうだ。俺も初めは世間知らずか無謀な娘と思ったのに。いつの間にか公爵令嬢にふさわしい淑女だと思い込んでいた。

「では殿下。音楽会ではなく、芸術を嗜む会として集まりましょう。そうですね、城では仰々しくなります。我がデュペ家かカンブリーブ家で」

「あーそれだと親たちが派閥を気にしちゃうでしょ? ね、オレリアンはルソーの所とは仲いいって聞いてるけど、ルソー卿を巻き込めない?」

 開催場所などどこでもいいだろう。

 今日、城内で集まっている俺たちに現王も先王もないではないか。

「あの。申し訳ありませんが、開催は決定なのでしょうか? シュバリエとは面識もあり仲は悪くありませんが、サビーナ様の『仲の良い』基準がわかりかねますね」

「そうです、姉さん。さすがに神殿関係者も呼び出すのはやり過ぎでは?」

「わかるよー? 親たちがヤな顔すんの。でも、いいチャンスじゃない。今だよ、今」

 根回しのない先の予定にたじろぐ気持ちはわかるぞオレリアン。サビーナはお前の周りにいないタイプの人間なのだろう。申し訳ない気持が湧いてくるが王太子の俺は助け舟を出さない。

 悪い、とは思うがな。

 なんでも話せと命じたのは俺で、その結果上手い解決策も導き出せず、面倒な会が開かれようとしているのだから。


 しかし、サビーナが面白かったおかげで俺はまた、カンブリーブ嬢と再会する機会を得られた。

 ならばこの流れに乗り芸術の会でもなんでも開催するといい。

 その後、ヴィクトーがシュバリエにも声をかけ、五人で茶会と称して『芸術を嗜む会の準備の会』を数回行う。

 秘密の集まりのようなその時間で、俺たちの距離は縮まり、呼称も口調も随分と砕けたものになったと思う。

 もちろん、使用人には聞こえているだろうが、部屋の外へ漏れることはない。



 ◇◆◇◆◇



 さて、各自持ち寄った絵画の自慢話がすんだところでいよいよ本題だ。

「では皆さま、ピアノの近くへお集まりください」

 そんなシュバリエの言葉で俺はピアノへ向かう。

 意味がわからないのかカンブリーブ嬢はそのまま動かない。

 一方サビーナはわくわくしているし、オレリアンも何やら楽しそうだ。

 初めはピアノを弾かなくなった妹について嘆いていたくせに、会を企んでいるうちにこのメンツで集まること自体が楽しくなってきているのではないか?

 ヴィクトーは俺の脇に立ち、シュバリエは進行役。

「芸術、それは絵画だけに留まりません。美しい音色、それもまた心を豊かにする。春の訪れを女神へご報告するのなら、本日は秋の実りをご報告しようではありませんか」

 いつもながら仰々しく芝居がかっている。ただし、今日の会には丁度いい。

「わ、私。演奏は……」

「大丈夫だよセレス。君は演奏しなくても」

 やはり、説明無しで始めては彼女が驚いてしまうと俺は言ったではないか。仕方のない。

「突然のこと、申し訳ない。演奏するのは私だ」

「王太子殿下。確かにピアノに向かっていらっしゃいますが、なぜ……」

 あぁ、こんなに怯えたような顔をして。けれど、だからこそ、俺が受け取った勇気を与えたい。

「カンブリーブ嬢、貴方に聴いていただきたいんだ」


 想いを込めて、俺は『ブルーベリーの吐息』を演奏した。

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