27 ブルーベリーの吐息
演奏を終えて挨拶をしている伯爵家のご子息が舞台袖から見える。
彼は私のお披露目会に来ていないので私より後の誕生日か、もしくは王子に怯んで欠席を決めた家の者だろう。個人的にモブ判定をしたので名前と顔を覚える気はない。
彼が捌けたら神官が椅子の高さを直す。その後で私が出ていく、と。
頭の中で段取りを確認していると背後が遠慮がちにざわついた。
コランタン王子と護衛騎士のお出ましだ。今日は付き添いにヴィクトーもいる。見えてしまった以上挨拶しないわけにはいかないね。
狭い場所なので簡易的にスカートをちょっとつまんで腰を落とす。
はぁ……
背後から私の耳に届く音は、コランタン王子か。声にならない、ため息にもならない息の音。
雑音にかき消されそうな息遣いでも、散々シュチュCDで聞いてきたからか、おもわず反応して振り返る。
目が、合った。
見られてる?
たまたま、か。
それでもいいや。明かりの少ない場所でもわかるイケメン。今日は演奏だけで会えると思ってなかったので嬉しくてニヤケそう。
口元が緩んでしまうから、慌てて公爵令嬢っぽい微笑みで誤魔化した。
「カンブリーブ公爵家ご令嬢、セレスティーヌ・ケ=カンブリーブ様!」
準備が整ったようで進行役の神官からお呼びがかかる。
私はひとつ、大きく息を吐いてステージへ向かった。
そして私は観客に挨拶の礼を取り、ピアノに向き合う。
『ブルーベリーの吐息』
それは、緩やかなメロディに軽やかな伴奏の曲だった。
この世界で初めて聞いた時は、ずいぶん優雅なアレンジにされてるな。と思ったものだ。
ゲームのオリジナルはもっとベースが効いた音だったから。けれど今ではすっかりこのアレンジが気に入っている。
ほら、客席もうっとりし始めた。
この曲に歌詞がついていたら、きっと叶わぬ恋。けれど悲恋というほどでもなくて。初恋や憧れのような。
告白することもなく散っていく想いは吐息と共に。
高音の連打は鐘の音のようで、恋心の高鳴りのようでもある。
そもそも神殿に鐘はあるのかな。
ふ、と現実的なことを考えた時に演奏は終わった。
まず、静寂が。そして喝采が。
観客からの拍手と賛辞に今頃になって緊張する。手汗がひどい。
だから私は慌ててピアノから離れ、礼をとる。
舞台袖へ戻る時に気がついた。
コランタン王子と私の身長が同じぐらいだな、と。
設定資料に記載されたプロフィールの身長は、デビュタント間近の成長した数字だろう。今の私達に身長差はほとんどない。
なぜ、目が合うのか。
なるほどそれは、視線の位置が同じだから。
なんだ、そうかぁ。先程のニヨニヨは私の勘違いだ。なのにまた、コランタン王子がじっと私を見てる。
でも、そうだよな。私も前の演奏者を見てたし、好感度がどうとかではなく自然の行動だ。
ちょっと残念。
軽く会釈をしてコランタン王子の脇をすり抜ける。一度挨拶してるしちょっと頭下げるだけで大丈夫だよね?
周りの使用人も立ったままだしね。
王族との作法はまだ難しいな、粗相がないうちに控え室へ向かおうとした時、ヴィクトーから声がかかった。
「美しい音色でしたね、カンブリーブ嬢」
「恐れ入ります」
言葉遣いといえば、このヴィクトーも困るよね。彼は侯爵家だから我が家より格下だけど、歳は上で王族の側近だから立場は私より上?
ゲームみたいに選択肢だけで会話してるときは丁寧語だけで成立してたのに。
ま、そんなことより松ちゃんの声聞けた。ちょっと嬉しい。
「心が穏やかになるような、まさに春の訪れを感じる演奏で、一曲で終わるのが寂しい気持ちですよ」
「まぁ、もったいない御言葉。とても嬉しいです」
ふふ。いい声。
狭いところで周りに人もいるから、比較的耳に近いところで囁くように言われる。そんなの本当にもったいない言葉でご褒美だ。
でも待てよ? コランタンルートの曲を弾いたのになんでヴィクトーから声かけられてんの?
「王太子コランタン・ファロ=トランティニャン殿下!」
お呼びがかかった。
王族のお出ましに観客が、ホール全体が緊張する。
その中を堂々とした歩みでコランタン王子はステージ中央へ。
控え室へ戻るタイミングを逃してしまったが、演奏直前に動くのも失礼かと思ってこのまま演奏を聞くことにする。近くの神官からも裏へ誘導されなかったから大丈夫だろう。
そういえば、王様とかお妃様は来ていないみたい。
ストーリー展開としては私と面識を持つのは先だけど、王太子の発表なんだから、見にくればいいのにね。そんな事を考えていると王子の演奏が始まった。
「え……」
不意に漏れた私の声は、吐露したというよりは息を呑んだ驚きだったから、周りに聞こえていないと思いたい。
なんでこんなに私が動揺しているかといえば、コランタン王子の演目も私と同じ『ブルーベリーの吐息』だったから。
キャラクターのエンディング曲なのだし、彼がこの曲を選ぶのは当たり前と言えば当たり前。
けどね? 候補曲は私の好感度上げの為の選択肢であってこの世界で生きている者にも影響があるリストだなんて普通は思わないじゃない。
どうしよう、コランタン王子の演奏は少しリズムが早い。
きっと緊張してる。序盤はもう少し優しい指使いでって、私はニノン先生に言われていた。
あっ。トチった?
いや大丈夫、誤魔化せた?
どうしよう、どうしたって私とコランタン王子が比べられる。王家に仕えている使用人が大丈夫と呟く声が聞こえた。
あ、またリズムが不安定に。心配でコランタン王子を見ていられないよ。
私は不安になってヴィクトーを見た。祈るようにステージを凝視する彼につられて、私も手をくんで演奏を見守る。
なんでプログラムに曲名が載っていなかったんだろう。事前にわかっていれば変更だってできたのに。
何箇所か危うい部分はあったけど、正直、下手ではない。
もっとお粗末な演奏者は今までにもいた。
でも、ついさっきの私の演奏と比べたら。どうしたって見劣りする。
ねぇ、これコランタン王子の王族としての地位が危うくなったりしないよね?
なんで私、頑張っちゃったんだろう。
リズムゲームが下手くそな私が、そのまま酷い演奏をすれば良かったのに。なんであんなに練習しちゃったんだろう。
今、王子はどんな気持ちでピアノへ向かっているの?
舞台袖で私の演奏を聞いた時は?
曲の終盤、高音の連打が始まる。先ほどと違って、私にはまるで氷が軋むような音に聞こえた。
もう、ここには居たくない。
挨拶を終えて戻って来るコランタン王子は悲しんでいるのか、苛立っているのか。
ごめんなさい、あなたのプライドを傷つけて。
ごめんなさい。
あなたと仲良くなりたくて、高得点を狙いました。そんな言い訳理解してもらえるとは思ってないけど。
ごめんなさい。
謝りたくて、コランタン王子を見た。きっとまた目が合うから、声を出さず口の動きだけでも謝罪しよう。
私の自己満足でも、何もしないよりきっといい。
けれど、舞台から袖へはける王子は、私を避けるように通り過ぎた。ちらりともこちらを見ず。
あぁ、嫌われた。
こんなことなら、オレリアンの『野苺の恋心』を下手くそに弾いておけばよかったんだ。




