2 見た目は少女
乙女ゲーム『勿忘草の乙女と出生の秘め事』通称オトヒメには、魔法もなければ学園生活も存在しない。日常とイベントとミニゲームをこなし、攻略対象との好感度を上げ、デビュタントまでに恋仲になる。
それだけの、されど甘々なセリフ満載でそれなりに人気のコンテンツだった。
攻略対象は四人。
まずは義理の兄『オレリアン・ケ=カンブリーブ』
髪は金髪、瞳は翡翠。主人公より二歳年上。好感度が上がりやすく攻略しやすい人物。担当色は赤。
CV野々村春汰。
次に義理の弟『アルチュール・ケ=カンブリーブ』
髪は金髪、瞳は翡翠。兄は明るいプラチナブロンドだが、弟は濃い目のハニーブロンド。
主人公より二つ年下。ミニゲームやイベントで二年間不利になるが、それをカバーできれば攻略しやすい。担当色は黄色。
CV一ノ瀬薫。
この二人はゲーム概要などにはヒロインと義理の兄弟と記載があるが、ゲーム内の会話字幕に『義』の文字がつかない。その為、二人はヒロインとの血縁関係を知らないようだった。
そして三人目は王太子『コランタン・ファロ=トランティニャン』
髪は深い紫、瞳は紺碧。髪色は闇夜から朝へ向かう静けさ、と設定資料に書いてある。
主人公と同い年。王城にいるため、なかなか親しくなれない。ゲーム後半から巻き返すように好感度を上げていくキャラ。担当色は青。
CV古田眞広。
最後に宰相の息子『ヴィクトー・ヴァノ=デュペ』
髪は濃い緑、萌葱色。瞳は柘榴。主人公より三つ年上。王太子の側近で隙がなく、近づきにくいため攻略難度は高い。担当色は緑。
CV松林愁一郎。
担当色は好感度のグラフを見やすくするための色分けに使われいるほか、ミニゲームのコマの色でもある。
それ以外ではゲームより主にグッズ展開で使用されている。
まずゲームを立ち上げるとプレイヤーネームなどの基本情報を入れるところから。
オープニングアニメーションは初回のみスキップ不可でデビュタントと呼ばれる社交界デビューの当日の模様が流れる。
これはシナリオの最後を初めに見せてプレイヤーの目標をしっかり見定めるようにする、よくある演出だった。
けれど、子供時代のキャラの前にまずはカッコいい男子を眺められるのだから、私は嫌いじゃない。
ヒロインのセレスティーヌは着飾ってエスコート相手を待つ。
そこに四人の自己紹介画像が流れて、キービジュアルとゲームタイトルが画面にババーンと映され、物語は始まる。
そう、十歳の『お披露目』と呼ばれる会から。
なのに、なに?
今はいつなんだろう。
子供の体だからゲームは始まってない?
もし、お披露目会の前なら攻略情報まるでないじゃない。
設定資料なら頭の中にある。
ストーリー設定とあらすじ。キャラクターデザインとラフスケッチ。国と王都のざっくりとした地図。
監督インタビューやキャスト四人の座談会まで。何度も何度も読み込んだ。
だって、私。
ダウンロード版じゃなくて、パッケージ版を購入してるんだから!
こんなに熟読しておいてなんだけど、別に分厚い設定資料集か欲しかったんじゃない。
手に入れたかったのはパッケージ版限定の攻略対象キャスト四人によるドラマCD。それがどうしても、どうしても欲しかったの!
あの四人が、楽しそうにわちゃわちゃ喋ってるんだよ?
買いだよね? 絶対に買うべきだよね?
更に! 初回限定豪華盤はBlu-ray付き!
よく、ドラマのロケ等で使用される洋館で、四人がヒロインに見立てたカメラに向かって、甘いシーンを再現してくれるっていう、萌え死に必須な動画が付いてくる!
その分お値段上がったとしても、買いでしょ? むしろ、お宝映像がついてあの値段なら安いって!
わかる? お手頃でしょ?
それにしてもよく、事務所はオッケー出したよなぁ。カメラ目線の甘々台詞。声優になにさせてるんだよ! って、ツッコミたくなるけど、それ以上にありがたく思う。
声優なのに顔出しで動画……企画した人、ありがとう。
あぁ、私。赤面必須の映像を何度も何度も見返したもんなぁ。
くぅぅ。
古田眞広、ヒロ様に会いたい。
あの、エロい声を聞きたい。
色っぽくも艶っぽい声。あ、一応彼の名誉のために言っておくと、演技力が物凄いんだよ?
本人は『俺の声がそんなに求められるのがよくわからん』って言ってたし。
ラジオとか、素ではちょっとイケボの気の良い爽やかお兄さんだからね?
どんなオファーでも頂いたからには全力で仕事する。全力。だから、聞かされるこっちの耳は悶絶必須。
ふぅー。
ヒロ様の声を一度、脳内再生させよう。
どのシュチュエーションにしようかな。
セリフを発し終えた後の空気感まで痺れるような、大人の雰囲気を纏った、甘ったるい声。吐息多めの。
ダミヘを使って耳元で囁かれる声はエロいっていうか、ズルイ。うん、ずるい。
それとは一転して、お日さまのように明るい天然ハツラツ声も嫌いじゃない。むしろ好き。
爽快爽やかボイスには元気もらってたもんなぁ。
大好きな古田真弘の声なら、いくらでも幻聴が聞こえる。これって、声フェチなら普通のことだよね?
さて。
脳内で萌を補充したところで、現実問題に向き合うか。
なんか、ゲーム内に来ちゃったのはどうしようもないから良いとして。
いや、良くないけど受け入れるしかなさそうだし。当面の課題は身体の大きさなんだよね。
私は今、ベッドに寝転んでいる。
天蓋の幕は厚い生地が上げられ、レースのような薄布だけが閉められている。
部屋に使用人はいない。
ま、だからこそ『オトヒメ』の事や声優さんの事をあれこれ考えていられたんだけど。
手をぎゅっと握ってからぱっと開く。
ぎゅっ、ぱっ。ぎゅっ、ぱっ。
うん、違和感。
本当なら屋敷を探検して回りたい。せめて自室の中だけでも。
けれどそれは無理そうだ。
今朝の食事はベッドに腰掛けたまま、薄味のスープや、果物を潰したものなど、この国の病人食だろうと思われるものだった。
昼食になると、コシのない茹ですぎたパスタやゼリーになった。
夕食前に『セレスティーヌ様はまだ食堂には足をお運びいただけませんか?』と聞かれたから、本来なら食堂へ行かなきゃいけないらしい。
もう熱もないし行けるんじゃん? そう思いながらベッドから降りようとして、失敗した。
顔面から転んでしまったのだ。
ベッドの端に手をついて、よっこいしょと腰を浮かす。それだけの行為なのはわかっている。
そして、足が床についてないな。とも思った。足がついてなければ立てないな、と。
けれどそのことに気がついたときには前のめりに転んでいた。
使用人たちが息を呑む。
すぐに抱えられてソファーへ座らされた。優しく傷を確かめ外傷がないとわかると、今度は食事がテキパキとベッド前のテーブルに並ぶ。
なんだ、最初からこの部屋で食べられるように用意してあるんじゃん。
転んでも痛くはなかった。
顔面がついたのはむき出しの床ではなく、靴を脱ぐためのラグがある場所。そもそも部屋中に毛足の長い絨毯が敷き詰められている。
ただ、顔から落ちたことに痛いより、びっくりした。反応が頭で考えているのと体の大きさとで違っていて、歯がゆい。
食事の際もカトラリーを使う感覚、口へ運ぶまでの距離感がどうも掴みにくくて、こぼしそうになる。
はぁ、この後もベッド行きか。
「熱も下がり食欲が出てきたようで何よりですが、今日のところはお休みください」
だって。
そしてやることもなく、眠れるほど疲れているわけでもなく。
ベッドの上で手足をブラブラさせてみたり。ゴロゴロ左右に転がってみたり。
ベッドが大きいってすごいな。体が小さいのを考慮しても、こんなにゴロンゴロンできるなんて。
ダブルベッド?
それともキングサイズってやつ?
スプリングもきいていて今まで使ってた寝具と全然違う。現世、綾音のときは敷布団だったから余計に違いを感じるんだろうか。
よいしょっとベッドに立ち上がって、ほんの少しジャンプしてみる。トランポリンほどじゃないにしても、うん、跳ねるね。
びよん、びよん。
子供の体重だから、多少飛んでも壊れることはなさそう。
……びょん、びょん。
ふふふ、地味に楽しい。
この身体の大きさと感覚を掴むためにもいい感じ。
それからしばらく跳ねてあそんだ。さらにでんぐり返し、そう、前回りとか後ろ回りとかもしてみた。
着ているのがパジャマではなくネグリジェなので、裾が足にまとわりついたけど、なんとか成功する。
あれ?
何か聞こえた?
ベッドのミシって音じゃないよね。気のせいだよ。
さすがにドタバタしすぎてるかも。
うるさくしてて使用人が見回りに来たら面倒だ。
この調子なら側転だってできそうなんて考えちゃったけどやめておこう。
いやいや、ベッドの距離じゃ側転なんて無理だろ! と自分にツッコミいれてみたりして。なら、静かにもう一回だけ前転しちゃおうかな。
うん、この体にも慣れてきた。
そんなこんなで一通り遊んだら、気持ちの良い疲労感でいつの間にか寝てしまったようだ。
起きたら朝で、なんと私はベッドに対して横向きに寝ていた。丸めた掛け布団を枕代わりにして、肝心の枕は足元へ、寝相悪すぎでしょ。
でも大丈夫、広いから問題なし。
それに誰にも見られてないよ。
◇◆◇◆◇
就寝前、ベッドサイドのテーブルへ置く水差しを変えながら、使用人が僕に本日の報告をするのはここ数日の日課だ。
それを聞く僕は机に向かってペンを手に不在の両親へ後日報告するためのメモをとる。
だが、今夜は女中頭の口が重いらしい。
「なにか言いたそうだね。遠慮なく言ってごらん」
僕は困り顔のクローデットに声をかける。
冷静沈着の彼女がこんな顔をするのは珍しいからだ。
「うん? セレスに何かあった?」
彼女はこの部屋へ来る前、アルチュールとセレスの部屋へ寄っている。今日、気になることがあるとすれば妹の容態のことだろう。
「その、大変申し上げにくいのですが」
話しにくい? そのわりに聞き出してもらい助かったといった顔つきだ。
「どうも、あの。結論から申しますに。セレスティーヌ様が寝所の上で、たいそう元気なご様子で……」
……元気とは。病み上がりのはずだが。
目線で促すと彼女は一つため息をついて別の言葉で報告をした。
「前転……をなさっていたご様子なのです。入室のノックも聞こえなかったようで、その。お御足がふわっと。そう、回転なさって。いえね、よくは見えませんでしたがベッドの軋みが、その、聞こえましたので」
なるほど、それが本当なら確かに口に出しにくい。
「足が? ふわりと?」
お披露目前とはいえ、女性が足を見せるとは一大事。
「いえ、私には見えていませんでした。私には」
二度言った。これはあれだな、彼女は確かに見たのだろう。
回転? 前転? あのおとなしいセレスが?
「元々、好奇心旺盛な方ですが。それは新しい本や絵画に夢中になるといったことで、体を動かすのはあまり得意とは申せませんし」
「うん、だからなのかもしれないよ。親の不在に体調を崩したんだ。そう、体力をつけようと考えたのかもしれないね。まぁ、お転婆がすぎるかもしれないが。それはセレスもわかっていて、こっそり練習していたのかな?」
彼女の報告が正しければ、見てみたかったと思う。僕の可愛い妹がおいたをしているなんて、微笑ましいじゃないか。
「ですが」
「なんだい? 以前はおとなしすぎて乗馬やダンスをこなせるのか心配していたくせに。大丈夫、セレスは素敵なレディになるよ」
僕が言い切ると彼女は引き下がる。まぁ、母上には手紙で報告するのだろう。それは躾について一任されている彼女の仕事だから任せておく。
さて、僕もそろそろ就寝時間だ。彼女を下がらせると寝台へ入りの寝具をひと撫で。
「ここで前転?」
考えたこともなかった。
騎士訓練では外で打ち合いをするため擦り傷を作ることもしばしばだ。けれどこれだけふかふかの布団なら怪我なく動けるだろう。
「セレスのアイデアは素晴らしいな」
使用人が入ってきたことに気が付かないほど夢中で游ぶなんて、どれだけ楽しんでいたかがわかるというもの。
貴族女性としては未熟だが、それも可愛らしくていいじゃないか。
幼くて愛らしい。
そう、僕のセレスはなにをしても可愛いのだ。断言できる。