13 パトリシアとブロンデル領
「これは見事な梨の木ですね。兄達に自慢できそうだ」
パトリシア・ジル=ブロンデルは、カッコいいタイプのお姉様だった。
「次は是非、オレンジの実になる頃に伺いたいものです」
洋梨、オレンジ。
温室というより果樹園が貴族の流行りなのだろうか? でも、話のきっかけにはとても役立っている。
「三人の兄と共に育ったので淑やかさに欠けると父には嘆かれるのだが。その、カンブリーブ嬢にはどうか、気を悪くしないで頂きたい」
健康そうな肌色。スラリとした長身。きゅっと結んだポニーテール。
なんか、高校時代にクラスの女子から人気だったソフトボール部のエースを思い出した。
「私、お会いするのを本当に楽しみにしておりましたの。従姉妹なのですから、どうぞ名前で呼んでくださいませ」
すべての招待客と定型文のような挨拶を終えたあと、私が真っ先に向かったのは攻略したいコランタン王子ではなく、パトリシアのもとだった。
「では、有り難く」
だって、挨拶回りでは領地のこと、港のこと、船、外国……まだ何も聞けていないから。
「パトリシア様、お兄様方はご健勝だろうか」
オレリアンのお披露目にはパトリシアの兄が一人参加していたが、すでに成人したため今回は彼女だけが領地から王都へ来ていた。
「あぁ、お気遣いありがとう。皆、元気が有り余っている。船乗りは体力が一番なのだとか」
あれ?
港町って、そっちの雰囲気? 外国へ行ける大型船って、きっちり制服着た船長や水兵さんとか。海軍とまではいかなくてもエリート風のイメージだったのに。
漁師?
ただの漁師なのか?
父親の筋肉を思うと、実家は領主というより海の男で納得がいく。
え、国外追放って、釣り船みたいなのであてもなく漂う処置?
やだ。それじゃぁ船に乗れても生きていけない。
「オレリアン殿に様をつけられると歯がゆいな。名前で呼び合う従兄弟なら、私に様は不要だ」
「まぁ、それはとても素敵な関係ですね」
「では我々のことも敬称はなしで、パトリシア」
この会の打ち合わせで彼女を知った時、話題にした時は呼び捨てだったので、きっとパトリシアも地元では私のことをセレスティーヌと呼んでいるに違いない。
ならば好都合。このままパトリシアとの仲を深めねば。
そして船の大きさと交易のある外国の話を聞き出したい。
「私も家族は兄と弟ですから、お姉様がいたら……と思っておりましたの。パトリシアをその様に思ってもよろしいかしら」
「もちろん、光栄だ。セレスティーヌの可愛らしさは叔父上から伺っていたのだが、それ以上だった。華やかで愛らしい少女を妹と思えるとは、私は幸運だな」
なるほど。
そうだよな、父親は実家に帰ったりするよな。
「私、海を見たことがないので、港の話が聞きたいです」
ブロンデル領は別名『テール=ボッツの心臓』と呼ばれているらしい。
公式見解ではないし、国の要が侯爵領なんておかしいから、地元愛と地方領地の誇りでの呼び名だとは思う。
呼び名の由来はショートブーツの様な国土を少し傾けて、ハートの形に見立てると、その窪んだ位置にあるからなのだと。
「領土の中心ではなく、港町に領城がある。他領ではあまり海のものを食さないようだが、カンブリーブ領では貝類がとれることだし、二人は魚は好きだろうか」
「あぁ、我が家では貝も魚も食卓に上がる。領地とは別に父親がブロンデルから取り寄せるからだろうね。僕もセレスも美味しく頂いているよ」
うん、嫌いじゃないよ。
現世では骨を取るのが面倒くさくて嫌だったけど、ここでは丸ごと塩焼きなんてこともなく、切り身をソテーやムニエルにしてくれるし、もし骨があったとしても先に取り除いてくれている。
「あの、パトリシア。貴方は……海の向こうまで。その、外国まで行く船に乗船したことはあって?」
魚じゃないんだ聞きたいのは。
「セレスティーヌは外国に興味がおありか。すまないが、私もよくわからなくて。成人後には多少勉強する機会もあるだろうが、今はまだ」
そうなんだ。
機密事項?
それとも設定にない所は教えてもらえない感じ?
「港の先に小さな島があるのだが、外国の船はそこに着く。島に出入りできるのは領主に認められたものだけなんだ」
ほぉ。それ、出島?
まずは小舟で島に行って、そっから外国か。
「いえ、わがままな問でしたわ。ごめんなさい。けれど、小島があると知れてとても嬉しいです」
うん、とっても嬉しい。
まるきりわからなかったときより、随分と情報が入った。
パトリシアとばかり話していては他の招待客に失礼だからと、オレリアンが耳打ちをする。
そろそろ話を切り上げては? と。
「では、このあとも会を楽しんでくださいませ」
パトリシアも王都へ来なければ会えない貴族との繋ぎがあるのだろう。色とりどりの小さな花をつけた花壇の方へ歩いていった。
「さすが僕のセレスだ。あのブロンデルから国外の情報を引き出すとは」
オレリアンの声色が変わった。少しトーンを落として悪い感じの小声に。
「パトリシアは何も知らされていないようだけど、そのことがわかっただけでも利になる。それに、今年の漁獲量も問題なさそうだね」
え。さっきの会話ってそんな内容だったの?
「こちらもかなり探りを入れられたけど、問題ないだろう」
は?
なんか探られてた?
「僕が食卓に貝が出ると言った時、パトリシアはそれだけで理解したようだったからね。ま、それでお返しに島の話をしてくれたのかもしれない」
全然わからないんですけど。
貝?
崖の多いカンブリーブではあまり魚が取れず、牡蠣とか帆立っぽい……貝がとれて。
王都まで運ぶのが大変だから、燻製にしたものもあって?
「わからないかい? 貝がとれる、海が穏やか。それで特産物の状況を判断された」
さらに小声になったオレリアンは耳元で囁く。
ひぃ。耳はやめてぇ。
ちゃんとオレリアンだって認識してたはずなのに、急に春たんだって感じちゃう。
後日、詳しく母親から解説された。
この時、パトリシアはオレリアンが動揺していないか、嘘をついていないか、そのあたりを観察しながら『貝』と言ったのだそうだ。
知りたいのは『真珠』の出来について。
マジか。貴族怖っ。
ねぇ、何度も思うけどこの世界って恋愛シュミレーションのただの乙女ゲームだよね? 政治とか貴族の確執とか、私には関係ないよね?
そんなわけで、オレリアンは裏を探りたい貴族たちのところへ私をエスコートする。
教えられている国土、領地、特産物を思い出しながら少し話をして次の人。
私はわけがわからないけど、隣のオレリアンは実に楽しそう。穏やかな笑みに隠しているがニヤリとほくそ笑んでいるのが見えるようだ。
そーゆー所は母親に似てるよね。
次期当主として頼もしいと考えておこう。
そして母親が梨の木を話題にしろと言った本当の意味も理解した。
領地の話が漏れるより、温室自慢で濁せってことか。なるほど、納得だよ。裏の意味まで教えてくれなきゃわからないって。
終わった……
終わってしまった。
コランタン王子とほとんど喋れないまま、お披露目会は終了してしまった。
なんてこと。
私はね、何度となく話しかけようとしたんだよ?
「お兄様、王太子殿下にも果実をご覧いただきたいわ」
とか、
「王太子殿下は楽しんでいらっしゃるかしら?」
なんて感じでオレリアンに言ったのに。
「ヴィクトーがついているから問題ないさ」
ってあっさり拒否られた。
今まではオレリアンとアルチュールしかいなかったから気が付かなかったけど。
オレリアンってシスコンだよね? いや、気がついてたけど。
この人、無条件でセレスティーヌが好きすぎるよね?
ゲーム序盤でこの好感度はちょっと違う気がするんですけど。他の男子に近づけさせないとか、兄もラスボス認定しちゃうよ?
あとさ、ピンクのキヨ。
しゅ……シュバリエだっけ? 彼とも最後に挨拶しただけになっちゃった。
少ない参加者だからこそ、全員と会話をする。
それはモブも含めて完遂できたと思うよ。初めに髪の色でコソコソ言ってた人達も、そんなに悪い人じゃなかったし。けど、たっぷり話したい人と話せなかったことに悔いが残る。
ふぅ。
ため息にストレスを込めて吐き出す。
全員と話すなら、コランタン王子ともっと話したかったよ。せめて、話し声が聞きたかった。近くでこっそりでも聞きさえすれば良かったんだ。
あーイライラする。
気持ちはスッキリしないが閉会まであと少し、招待客のお見送りまでがお披露目会です。だから笑う。
公爵令嬢ってこんな感じだよね? の微笑みで。
招待客が全て帰ると、使用人たちの仕事、片付けが始まる。じゃまにならないよう私とオレリアンは温室を後にした。
「疲れただろう? 報告会は明日の午後に行うから、夕食までゆっくり休むと良い」
「えぇ。お兄様のエスコート、頼りになりましたわ」
確かに、頼りになったよ。わからない話題は全部丸投げできたから。
でもね。私は繋いでいた手を素っ気なく離した。
お兄様もお疲れですよね? エスコート役はもう大丈夫。ここからは一人で部屋まで歩いていきます。そんな言い訳を言ってオレリアンから距離をとる。
そして部屋に戻ったら、速攻日記に『お兄様のバカ!』って書く!
百回書く! 百回!
ヒロ様のコランタン声がちょっとしか聞けなかった恨み、ちょっとしか、ちょっとしかぁー。
オレリアンのバカ! おバカ!
声フェチをなんだと思ってるんだよ。やっとヒロ様を確認できたのに。
う、うぅ。
絶対、オレリアンに邪魔された。
夕食までゆっくり休めだって? このイライラで休まるとでも?
はぁ。落ち着け私。確かに食堂で優雅に振舞うには心を落ち着かせないと。
そう実際問題、バカとか百回も書けないし。
落ち着け。
何か、前向きな。何か、良いことを思い出すんだ。
あ。そだ。
この後私は夕食までの時間、コランタン王子を演じるヒロ様の声をエンドレス脳内再生して癒やされた。
『カンブリーブ嬢』と私を呼んだ声、とか。
『なるほど』のどを言い終えた後の余韻。息を吸う空気感さえも、特別な音だった。
幻聴でも幸せ。
え? 別に変なこと言ってないよ?




