116 導く者
なんということだ。
セレスティーヌ殿下が神の世界に召されるとは。
人ならざるものの御業に恐れるべきか。
奇跡の瞬間をこの目で確かめたことに歓喜するべきか。
そもそも、この壁にカラクリが仕込まれているなど聞いたことがない。
神の元へ誘われるためにセレスティーヌ殿下は何か指で記していたが……
きっと神へ捧げる神聖な言葉に違いない。
このような非常事態で呑気に『彼女に近づくためにも古の言葉を身につけなければ』と考えてしまう私はなんと卑しい心を持っているのだろう。
けれどそれは、声をかけても膜のような境界を叩いても、セレスティーヌ殿下にはこちらの思いは伝わらないと突きつけられたからだ。
殿下の声は聞こえる、目視できる。それだけで尊く有り難いことだとわかってはいても。
「祭官様、これは前例のないことです。祭司長様にご報告してきましょう」
「そうだな……」
確かに、私一人では負いきれない自体だ。が、正直一人残されるのも荷が重い。
「くしゅん、くしゅん! ぶぐしゅん!」
すると突然、イヴァンが大きく体を動かしてしまうほどのくしゃみをした。
なんなんだ、いきなり。
「す、すみません。鼻が……」
「……風邪、か?」
「いえ、埃……ですかね?」
まさか、いくら人の来ない地下とは言え、神殿は常に清潔に保たれ、ここも定期的に風を通している。
そもそも、部屋に来て暫くたつのだ。
「祭官様、セレスティーヌ殿下がこちらを見ています」
「殿下が?」
こっそり告げるようなイヴァンの声に私も小声で答え、伺うように部屋の中を見た。
本当だ、こちらを確認しているように感じる。
しかしすぐに下を向いてしまわれた。
私達に殿下の声が届くとわかってから、彼女は声を発さない。
神の世界をこちらに伝えないようにしているのだろうか。
「あちらは簡易的な机と椅子……でしょうか」
私は思いがけない状況に考えがまとまらないというのに、イヴァンは少しでも手がかりを得ようとしている。
あるいは言葉にすることで今の状況を理解しようとしているかのように。
「あぁ……祭官様。部屋で何をなさっているか気になりますね」
部屋の中を歩き回っていればわかりやすいが、殿下は一つ所にとどまっている。
「では……」
中が気になるイヴァンがここに残り、私がいったん上へ上がれば。
言いかけて止まった。
この奇跡から離れたくはない、と。
何をするべきか悩む私は階下へ降りてくる人の気配を感じて振り返る。
◇◆◇◆◇
ふぅ……
俺は頬杖をついて何度目かのため息を吐いた。
「お兄様、それほどお気になさるのでしたら、神殿へついていけばよかったのですわ」
「あぁ……いや。それはできない」
俺を覗き込むようにして反応を確かめるコレットの呆れたような顔。
わかっている。セレスティーヌを一人で神殿へ送り出したのは俺。今更心配などしてどうするのか。
「地下は狭いと聞いた。俺が一緒に行けば護衛だ使用人だと付き添いが増える」
「確かにそれは正論ですが、それだけかしら?」
「何が言いたい」
「いえ、よいのです。ただ、私は……愛しいセレスティーヌ様がシュバリエ様と二人きりになるのは許せない。あるいは同行して二人の仲睦まじい姿を見てしまっては立ち直れない。そのようにお兄様が考えてため息をおつきになっている、だなんて申しません」
……なんなんだ。
突然俺の部屋に訪問してきたかと思えば、俺が二人を気にしてため息を?
今日セレスティーヌが神殿へ足を運ぶと決まってから、俺は何度となく彼女に同行の許可を伺った。
しかし色よい返事は返ってこない。
「彼女が真に女神の生まれ変わりならば……踏み入れてはならない何かがある」
理解できない距離感が。
「何か? それは直接セレスティーヌ様にお聞きになったのですか?」
コレットは何を言っている。聞けないから『何か』としかわからないのだぞ。
「私はセレスティーヌ様が女神の生まれ変わりではないと思っています」
同感だ。
「まぁ、そうすると古の言葉をどうして理解しているか説明がつきませんが。その点については愛し合う二人なのですからお兄様から聞いてみるべきだわ。その上でどうしても明かせられないこともあるでしょう。ならば、伏せておいていいのです」
「解決になっていないぞ」
「えぇ。けれどお兄様、こちらから動くこともせず打ち明けてもらえないと悩むより、声をかけてここは触れてはいけない一線だと理解する方が、よっぽど前向きです」
なるほど。
だが、それができないまま随分たっている。
「神殿へ向かってみればどうかしら。迎えに来たとでも言えば不自然ではありません」
俺たちの話を聞いていたのだろう、護衛騎士の一人がそっと部屋を離れた。付き添う者への連絡と神殿への根回しか。
セレスティーヌには自身が女神の生まれ変わりという認識がなかったのだ。そのあたりのことを問うても答えは返ってこない。
だが、やはりシュバリエと二人なのは面白くない。
俺が立ち上がると、肩で息をしたヴィクトーが供をすると部屋に来た。
「私は城で待ちますわ。お邪魔をしてはいけませんものね」
◇◆◇◆◇
外では体調を崩したのかとシュバリエがイヴァンを心配してるように見える。
くしゃみ三連発はなかなか豪快なものだった。
イヴァンには悪いがノート記入の効果がわかった今、二人を案じるより今後について何を書くかが重要だ。
まだ書きたいことはあるし、この部屋にあるものも確認したいが、そろそろ潮時だろう。
急がないと。
こちらの声が聞こえるのなら『暫く籠るので二人は上へ上がってていいですよ』とか言って追い払いたいのは山々だが。
きっと二人は許ない。
べったり張り付くように覗いてるし。二度と私を一人にしてはならないって考えてそう。
それでも私はこの先も何度もこの部屋に入るつもりなんだよね。
そうだなぁ、また必ず入るために『女神の生まれ変わり』だって嘘をついても……いい?
そんな安易に決めちゃダメだ。
脳内でもう一人の自分が囁いた、嘘でも女神エンドになっちゃうよ、と。いや、もうすっかり女神エンドなんだろうなぁ。
じゃあさ、これからの未来をぱぱっと書いていこうよ。
例えばコランタン王子との婚儀は謁見の間で大々的に披露宴しちゃうとか。
子供は何人欲しいとか。
……老後はのんびり過ごしたい。
くぅ、恥ずかしいしそれこそこんな大事なことぱぱっと書いちゃダメだよ。
どうしよう。
最低限、コランタンルートを確実にするために彼の名前をノートに書けばいいよね。
いつもより丁寧に慎重に。
愛する人の名前を。
……あぁ、ほらね。
扉の外に迎えが来た。
タイミングが良すぎて気持ち悪いぐらいだが気にしない。
地下への扉が開いていたとか、神官が制止できなかったとか。
理由なんて後付けでいいから。
ちょっと慌てた様子でここへ来たコランタン王子を目に止めて、私は椅子から立ち上がる。
私はコランタン王子に手を引かれて地下を出る。
やり直しのデビュタントより今のほうがエンディングに相応しいような、頭上からの光がさす。
まるでキラキラのエフェクトがかかったみたいに地上階は明るい。
入るときはシュバリエのエスコートだったことを思えば、これはかなりいい感じ。
その手に力を込めるとコランタン王子の優しい眼差しが『どうかしたのか』と見守るように返ってくる。
どうって、言われても。
書いた通り来てくれたなぁ、と。
先日、コランタン王子の出番はないと私に付き添うことを却下した神殿が、今になってコランタン王子にあっさり地下への道を許したのは。
私が『コランタン王子が私を迎えに来る』と書いたから。
これでシュバリエをはじめとした神官に私のエスコートはコランタン王子だと示すことができた。
もう、カレーやラーメンの結果がどうなってもいいよ。
『コランタン殿下とハッピーエンド』さえ成就すれば。
「殿下、これから先もずっとお側にいてくださいますか?」
図書館を出て中央の女神像を背後にした私は皆に神々しく映ることだろう。
そんな場でコランタン王子の瞳を見つめておねだりすれば、シュバリエへの牽制になるはず。
私のエスコート相手が誰なのかわかっているよね? と。
「あぁ。これからは一人にさせない。約束する」
よっしゃあ、言質取った。
これで絶対にコランタンルート……の、はず!
私が調べ物を終えるのを待っていた神官たちも聞いていたよね?
と、コランタン王子が顔を寄せてくる。
え、何するんですか。ちょっ、と? 近い、近いんですけど。
……ちゅっ。
瞼に……とか。そんな場所にもしてくれるんですか。
まじか。
至近距離にたまらず目を瞑った私の瞼のあたりに口づけを落とすなんて。相思相愛になってしばらく経つのにまだ初めてがあるのは嬉しくも気恥ずかしい。
それも人目を気にするふうもなくさらっとこなすカッコよさったらないよ。
ふふ、ふふふ。
好き。
あぁ、きっとゲームなら今まさに、ルート曲『ブルーベリーの吐息』と共にエンディングロールが流れている。
この話はここでおしまいです。
私が異世界を書くなら? が発端のキャラクターたち。
とても拙い文でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。




