1 転生ものは高熱から
数ヶ月、私はこのイベントを待っていた。やっと確認できる。
脈が速いのは不安? それとも期待?
「そんなに緊張しなくても、いつも通りで大丈夫だよ」
エスコート役として隣に立つオレリアンは、相変わらず穏やかないい声だ。
「お兄様は私に甘すぎるのです。このぐらい緊張しないと失敗しそうです」
そうかい? と言いながら彼は艷やかな金髪を揺らして微笑む。
彼は知らない。私がこんなにドキドキしているのは、今日の会を成功するためだけではなく、確かめたいことがあるからなのだと。
あぁ、兄ルートなら簡単に好感度が上がるんだけど。私が目指したいのはこれから会う王太子ルート。
もし、この世界に神様がいるならば、どうかコランタン王子の声が、大好きな声優のヒロ様、古田眞広でありますように。
そして、王子とセットで隣に控える宰相の息子ヴィクトーの声は松林愁一郎で。
二人の声がこの世界に加われば完璧なのだから……!
あの日。
高熱でうなされて、気がついたら何故かこの世界にいた。あれからコランタン王子の声がゲーム通りのキャストかどうかだけが気がかりで、私の生きる意味だった。
まぁ、それは大げさな言い方だけど。
◇◆◇◆◇
具合が悪くて倒れてから何日たっただろう。
本当にひどい症状だった。
体中火照って熱い、いや寒気もする。
喉が枯れる。肺が、荒れている。
息って、呼吸って、どうするんだっけ。瞼は重くて目が開かない。
このまま死んだらどうしよう。
『綾音は健康だけが取り柄ね』ってお母さんに言われて育った私だから、体調不良で会社を休むなんて初めてだった。小学校だって皆勤賞だったのに。
このまま死んだら困る。
だって、アニメの録画が溜まっているのに。来週発売のCD、予約してあるのに。
死ねない。
それだけじゃない。年末のライブのチケットが幸運にも当たって、友達と大騒ぎしたんだよ。発売されるCDからセトリを組むだろうから、聞き込まなきゃいけないし。グッズだって買わなきゃ。
死ねない。
まだ、死にたくない。
何日ぐらい寝込んでいただろう。
今日は何曜日だろうか、アニラジ聞かなきゃ。目も開かないうちからラジオじゃないよって自分でも思うけど、アーカイブ期間終わったら聞けなくなるし。
スマホ……どこ。配信ラジオはいつもスマホで聞いている。枕元を探りたかったが、手は指先しか動かない。
どうにか目を開けると、見慣れない場所だった。
部屋の上部に、布?
天井というより屋根?
あー。テントで寝るとこんな感じ?
いやいや、もっと上質な作りだし。素材も全然違うみたい。
私はよく見ようと頭を動かしたが、鈍い痛みがある。酔ったような気持ち悪さも。
仕方なく視線だけで周りを探ると、ベッドの周りをぐるりと布で囲まれていた。
「……病院?」
あ、声はちゃんとでた。
喉がカラカラなので、かすれてはいるけれど喋ろうとして咳き込んだりしないんだから、これでも具合はずいぶん良くなった方なのだろう。
お母さんが救急車を呼んでくれたのか。
いい歳なんだから独り立ちしなさい。なんて言われてたけど、病気の時は実家ぐらしって安心するよね。
私の場合は、稼ぎのほとんどを推しに使いたいから一人暮らしなんて考えてないんだけど。
良かった、私、生きてる。
病院ならスマホが近くにないのも頷ける。だんだん、頭が働いてきた。
入院手続きとかもお母さんがしてくれたのだろうか。この後問診されるなら痛いとことか倒れるまでの症状を言えるようにしないと。
岡綾音、28歳。朝は喉が痛かったけど普通に出勤して……帰宅後に熱とめまいが。
思い出しながら前髪をかき上げた。
汗で髪が額にべたりとついているのは気持ち悪い。
あ、手が動く。少しづつ思考もはっきりしてきた。よし、腕は上がるな。
もう、頭を動かしても気持ち悪くならないだろうか? そう判断して何気なく手を見ると、小さい。
何って、手が。
あれ?
一度下ろしてまた上げる。ゆっくりとだが右手、そして左手。
自分の意志で動くのに、サイズ感が……
何度か上げ下げしていると、髪も一緒に持ち上がった。パサリと落ちるそれは、見たことのない色。
白髪?
光の当たらない暗がりだからよくわからないが薄い色。
そう、黒髪がまるでグレー、いや水色だ。
もしかして、なにかショックなことがあると一瞬にして色素が抜けるやつ?
それか、異世界転生。……まさかね。
「あ、気がついたみたいだわ」
「よかった、一安心ね」
ゴソゴソ動いた気配を感じたのか、布越しに若い女性の声が聞こえた。
看護師さんかな。
日本語か……じゃぁ、異世界ではないのかも?
「お目覚めですか? 開けてもよろしいでしょうか」
やけに丁寧な言葉遣いが気になったが、病人に優しくしてくれているのだろう。
「は、はい」
声がかすれてしまったがちゃんと聞こえたみたいで、カーテンがめくられる。
う、眩しい。
あれ? 看護師さん茶髪?
今どきの看護師さんは髪染めの規定がゆるいのだろうか。いや。違う。
瞳の色が日本人らしからぬ赤茶だった。
カラコンなら青とか緑をいれるんじゃ? 看護師がカラコン?
つか、赤茶色の瞳ってあり得るの? どこかの国にはいるのか?
頭にいくつもの疑問符。
そもそも、なんか。人の顔がキャラっぽい……?
眩しさに目がくらんだのは一瞬。
違和感を感じたのもほんのひと時。
たくさんの不可解で思考を手放したくなったとき、ゾワッと何かが私に巻き付く感覚が走る。
鳥肌のもっとすごい感じというか、頭の先からつま先にかけて、電気が走ったのか如く細胞が目覚めるような。
あ、ここ、異世界だ。
そして私は突如として理解する。
病院のカーテンに屋根はない。これ、天蓋付きのベッドだ。私、きっと富豪とかお嬢様。
そして、さっきから看護師と思ってたのはメイドや世話係と呼ばれる人たちなのだと。
一度認めると、髪の色も目鼻立ちも気にならなくなる。
この世界ではこれが当たり前なのだから。
それにしてもここ、どこだ?
世界観を理解するなら自分のことも覚醒させてよ。
私はダレデスカ?
そんな疑問を口に出してもいいのだろうか。いいわけがない。
えーっと、そうだな。
よくある悪役令嬢への転生だと、熱を出した日から『優しい姫様に変わったわね』とか言われて、キャラ崩壊しそうな話し方をしても、全ては寝込んだせいにされて許されがちだけど。
自分のポジションがわからない。
口を開きかけては、つぐんでいると、部屋の外が騒がしい模様。
「困ります、まだ熱が下がったばかりですよ」
そう、使用人が扉の向こうに声をかけていた。
「目覚めたのなら顔ぐらい見せてくれてもいいだろう? ずっと心配していたのだからね」
少年の声だ。この少女の知り合いかな。会いたいと来られても、私からしたらどちらさま? だし、困ったな。
転生って、物語によってはこの体の持ち主、この子供の記憶があるパターンと無いパターンがあるよね?
うーん。脳の内側に集中してみても何も浮かばない。ダメか。
自分でどうにかしなきゃ。
それにしても訪問客の少年はいい声だ。
まだ幼さが残るけど正統派の優等生キャラだね。漫画だったら髪の毛は白抜きでツヤあり、爽やかイケメンだろう。
「あに上、あね上は、だいじょうぶ?」
おや、もうひとり。かなり小さい子もいるみたい?
来客の様子を見たくて起き上がろうとすると、使用人が手助けしてくれた。
このチビッ子の声、どこかで聞いたことがあるような……
豪華なレースのついた肩掛けを乱れなくかけられ、髪を軽く整えると使用人は脇へ控える。やっぱり私、高貴な身分なんだろうな。
そして気になる声の少年達がベッドの脇にやってきた。
「セレス、昨日から一日中寝込むなんて。ほら、僕によく顔を見せて」
え。たった一日?
なんだよ、三日三晩うなされてたぐらいの雰囲気では?
使用人が二人のためにベッドサイドへ用意した椅子は立派な彫刻が施されている。それに腰を掛け少年が私を心配そうに見守る。
一人は中学生か小学校の五、六年。もう一人が小学校低学年ぐらい。
二人共、見事な金髪碧眼で、童話に出てくる王子様と言えちゃうぐらいの美少年達だ。
彼に呼ばれたのだから、セレスというのが私の名前なのだろう。
聞いたことのある声とセレスという名前。
どこかで、なにか。この世界の取っ掛かりが掴めそう。
もう少し、二人の声を聞けば。
「あね上、難しいお顔。まだ、お熱がありますか?」
ちょこんとかしげて私を見上げる可愛い子は、姉上と呼ぶ以上弟か。
本当に可愛い仕草。天使か?
小さな手を私の方へと伸ばし、大丈夫だよーとぽんぽん叩いてくれようとする。
腕が短くて、私まで届かず布団を叩いているのがたまらなく可愛い。椅子をもっと寄せればいいものを。
もし、私がショタに目がなければこのままかっ攫ってしまったことだろう。
あ。
ショタで思い出した。
「薫きゅん」
そう、この声は男性声優の一ノ瀬薫だ。
「何? 何か香るのかい? あぁ、見舞いに花を。気に入ってくれてよかったよ」
年長の少年が使用人に生けさせた花瓶を指さした。
違う。その『かおる』ではないが、説明してもわからないだろう。『きゅん』の部分は無視してくれてありがとう。
セレスの弟で薫きゅんの声。
……ってことは。あの、ゲーム?
なら年長の少年はセレスの兄だ。そしてCVは春たん。
え。
うそうそ。そんな。野々村春汰の声?
気を抜いていた。春たんを聞き分けられないとか、ファン失格だよ。
寝起きだから?
もう一度聞いて確認したい。
「お兄様、その」
なんて言えば声を聞かせてくれる?
「あぁ、まだ声が掠れているね。もう少しお休み。いい子だから」
うわー。
めっっちゃ優しい声きたぁー。
けど、やっぱり春たんにしては若い声。これはわかりにくい。
うん。聞き分けられなくても仕方ないよ、ね?
きっと、リアルで小さい頃はこんな声だったんだろう。ゲームでも高めの少年声で演じてたけど。
野々村春汰のリアル少年声! 現実世界では絶対に聞けない声。レアすぎる!
やば。なんか嬉しい。
「また伺いますね、あね上。えっと、お大事に」
そして、薫きゅんは安定の可愛い声。
はぁ。確定だ。
ここは私が夢中でやり込んだ乙女ゲーム『勿忘草の乙女と出生の秘め事』の中。
そして私はヒロイン、セレスティーヌ・ケ=カンブリーブ。
◇◆◇◆◇
どうしよう。
あね上がお熱だって!
昨日は一緒にコマやすごろくで遊んでくれていたのに。もしかしたら、その時から具合がお悪かったのかも。
どうしよう……
えっと。ぼ、僕がしっかりしないと。
だって、母上にお約束したのだから。
いつもなら、王都から領地へお仕事で帰る時は両親ともに屋敷からいなくなるなんてことはない。
けれど先週、夕食の際に母上が僕におっしゃった。
「アルチュール、あなたも随分とおおきくなったことだし、私達が居なくても淋しくないわね?」
父上と母上が二人共いない?
そんなことは今まで考えたことがない。突然のことにびっくりしたし、戸惑ったけれど、あに上とあね上が大丈夫だと言ってくれた。
だから僕は、母上に約束する。
「あに上とあね上を支えて立派にお留守番をします」と。
なのに、こんなことになってしまうなんて。
泣きそうだ。
ううん、本当はさっき、執事からあね上の話を聞いて泣いてしまった。
お熱って、辛いよね。
そしたら、あに上が僕を庇うように、使用人たちから隠すようにして僕の前に立った。そしてそっと囁いた。
「皆が動揺する。セレスも悲しむよ」
僕が泣くと、僕の世話をするためにあね上への看病の数が減るんだって。
そうなの?
なら、泣かない。
それだけで役に立つのなら、それぐらいは僕にだってできる。
頑張るから、だからあね上。早く良くなって。