余命一年のキミが、いまさら恋をするなんて遅すぎる
余命一年のキミが、いまさら恋を(○○)するなんて遅すぎる
「いまさら恋をするなんて、キミは本当に…」
わかっていますよ。
そんなこと、他ならぬ私が一番思っています。
「それもまさか、今自覚するなんてねぇ」
初恋だったんです。
恋愛小説で読んだ通りでした。気づいたころには、好きになっているって。それと、初恋は忘れられないって、本当でしたね。
「うわ、ド直球。恥ずかしがるとかないわけ?」
本当のことですので。
「それを聞かされる僕の身にもなってほしいよ全く」
それなら、早く連れて行ってくださいな。
行先は地獄でしょうか、天国でしょうか。
「残念ながら、それを伝える権利は僕にないんだよねぇ」
まあ、それは残念ですね。
「…驚いた。本心で行ってるよこの人。怖いとかないわけ?」
もう取り返しのつかないところまで行っていますからね。
それに、あなたが相手でも隠し事はしないつもりですので。
「それが例の彼でも?」
ええ、そうですよ。
だから、打ち明けたんですよ。
私の余命があと一年もないって。
あなたのせいでこうなったんですよって、そう伝えました。
「馬鹿だねぇ」
ええ、本当に。
自分でも、そう思います。
―――いまさら、恋をするだなんて、本当に遅すぎました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「すまん高峰さん。教科書見せてくんね?」
初めて交わした言葉が、その一言でした。
申し訳なさそうな表情を浮かべ、片目を閉じてあなたは言いました。
思えば、この一回を断ればよかったと思います。数か月、あなたの隣にいてわかりました。あなたは本当に忘れ癖がひどくて、この先教科書を何度も忘れましたね。
「…忘れたんですか」
「いやー、昨日カバンに入れたはずなんだけどね。たのむっ、あのせんせーばれたら面倒なんだよ!」
「新学期始まって、昨日配られましたよね。鞄から出さなければ、忘れることはなかったのでは?」
「あー…」
やべ、昨日あいつらと遊ぶときにひっくり返したせいだ。
小声でボソッと、あなたは言いました。その時の目線が、ちょうど私の斜め後ろに向かっていました。前後の席で会話をしている彼らと、あなたは仲が良いのでしょうね。
しかし、彼らだけが悪いわけではありませんよ。
忘れたのはあなたです。彼らが原因であろうと、最終的に教科書を忘れたのはあなたです。英語のせんせーガミガミうるさいんだよなぁとか、それもあなたが教科書を忘れたせいです。
「まあ、いいですよ」
私は机を軽く持ち上げ、あなたの机とくっつけました。
「まじ? ありがとっ」
助かった助かったと言いながら、あなたは意気揚々と教材を準備し始めました。
引き出しの中は雑に詰められていて、あれでもないこれでもないと、何度もノートを取り出しています。私はその様子を見て、溜息を吐かずにはいられませんでした。
「…あの、少しは整理とかしたらどうですか?」
「いや、自分でも気を付けてるつもりなんだけど…」
「気を付けていれば、忘れ物なんてしませんよ」
「いろいろあるんだよ。部活にゲームに買い食いに」
「だから忘れるんですよ」
「高2なんだから遊ぶのが義務だろー?」
なんですかその義務は。
国民の三大義務とでも言いたいんですか。
未来永劫、高2だから遊んでOKなんて義務は作られませんよ。
――――少なくとも、来年の3月末までにそんなニュースは聞きませんでしたから。
「…あとそれと」
「なんだよ? まーた小言かよぉ」
「また、と言ってもついさっき話したばっかですよね。まあ、それは置いておきまして」
ちょうどそのタイミングで、英語の先生が教室に入ってくる。この学校はチャイムが鳴る3分前に教師が入室に、号令をかける決まりがされている。前に出た係の生徒が号令をかける前に、先生は隣のあなたに向けて言いました。
「文谷。お前また忘れたのか」
「げぇっ!? なんでばれた!?」
「―――机くっつけてれば、ばれるのは当たり前でしょう」
私の小言は、その後の先生からの説教にかき消されました。
今思い返せば、あなたはこの時の私の声を聞いていたのですね。あんなにガミガミ怒られていたので、てっきり聞こえていないと思っていました。
「…なあ、笑うとかひどくねぇか」
きっちり3分間お叱りの言葉を受けたあなたは、横目でこちらを見ながら言いました。私も前を向きながら、黒板の板書を取りながら小声で返しました。
「笑っていませんが」
「絶対笑った」
「笑っていません」
「いーや絶対、百パー、確実に笑った」
だってお前、めっちゃにやついているし。
にやついている、という表現は撤回してほしいものでした。
なんかその…いやらしいといいますか、変なことを考えていそうといいますか。とにかく、その時の私はにやついてなんかいませんでした。ええ、決して。
私はつい、肘で彼の横腹を殴りつけました。
「いっ!?」
「…なんだ文谷。変な声を上げて」
「い、いや~、そ、それはそのぉ」
「じゃあここに入るの答えてみろ」
お前後で覚えてろよと、恨めしそうにあなたは立ちました。
その様子を見て、ええ確かに私は笑いました。
にやついてはいませんけど、笑いはしました。胸の中でおほほと高笑いを上げるほどには。
「ええっとぉ~…アッポォ?」
「中1の英語じゃないんだが」
「じょ、冗談っすよ! hadです」
「おいおいこの文章のどこが過去形だ? 答えはhaveだぞ。というか今現在完了形の復習なんだが」
「さ、先取りで言ったんですよ。予習ですよ。あはは…」
「…お前、現在完了形は中2で習う内容だぞ」
さしものこれには、先生も苦笑いを浮かべていました。
あなたは苦しそうに笑いながら、ゆっくりと席に着きました。その後、先生が背を向けたと同時に、あなたは私に唸るような声を掛けました。
「…ひどくね?」
「ひどいのはあなたの回答では?」
「うっせぇ」
今思うと、ひどく最悪な会話だと思います。
売り言葉に買い言葉。別にそこで変に挑発なんてしなくてもいいのに。
あの時の私は嫌な女でしたね。あなたの横腹を殴って、醜態をさらすなんて。あなたは持ち前の明るさで、この授業の後いじられることなく乗り越えました。
その後、あなたとの関係は決していいとは言えませんでしたね。
何度も教科書を忘れ、ノートを忘れ、しまいには筆記用具を忘れ。
そのたびに、私はあなたに貸していました。
正直に言います。ええ、からかっていました。
あなたが何かを忘れるたびに、またですか、馬鹿ですね、脳にわたあめでも詰まっているんですかと、ひどい言葉を言いました。
――――そんな言葉も、あなたは思い出として、捉えていたんですね。
「そーいや高峰って、何部なん?」
いつの間にか、さん付けは消えました。
それがいつかはわかりません。6月ぐらいにはもう呼び捨てでした。
「いきなりなんですか」
「いや、そういや放課後お前を見てねーなーって」
「帰宅部です」
「胸張って言うことそれ?」
どや顔を浮かべる私に、あなたは鞄をあさりながら苦笑いを浮かべました。
今日も今日とて、あなたは鞄をあさっています。今日は筆記用具でしょうか、それとも体操服? さすがに女子の体操服は貸せません。貸してと言ってきたらドン引きします。
「部活入らねぇの?」
「入りません、というより入れません」
「なんで?」
「…あなた、ちゃんと毎週末の集会出てますよね」
「出てるけどそれが? …あ」
私は部活には入っていません。というより、入れません。
学校での私の肩書は、生徒会書記。毎週末の学年集会で、生徒全員の前に立って集会を指揮する立場にある。指揮といっても、交代で挨拶をしたり、連絡事項を伝えるぐらいだが。
あとは、最近でいえば文化祭の準備がある。この学校は10月に文化祭があり、生徒会はその準備をし始める時期に差し掛かっている。
思い出したといわんばかりに笑うあなたに、私はにやりと笑いました。
「ひどいです。3か月も隣にいた私のこと、ぜんぜん見ていなかったんですね」
「え、何その言い方」
「そこは乗ってくださいよ。およよ」
「およよって、古っ」
「古いかどうかは問題ないです」
私は泣きまねを続けながら言いました。
「これは、責任を取ってもらうしかないです。具体的にいうと、明日近くの駅ビルで荷物持ちをしてもらうぐらいには」
「…え?」
「というわけで、手伝ってくださいね。生徒会で、色々買うものがあるので手伝ってください」
「…へ?」
「まさか、心を傷つけた女子を放っておくつもりで。およよぉ」
ぐすんぐすんと、涙は一滴もないが泣きまねをする。
あなたはぽかんとした顔を浮かべますが、しばらくして言いました。
「―――え、俺今デートに誘わ」
「違います」
「最後まで言わせてよぉ」
デートじゃありません。
ええ、決して。
男子と女子が、一緒に買い物をするだけ。それも生徒会で必要という、快適な学校生活を運営するうえで必要な買い物です。断じて、そこによこしまな気持ちがあるわけではありません。
そして次の日、私は鞄を手で弄びながら、壁にもたれかかっていました。
視線の先には壁に掛けられた巨大な時計。時刻は9時30分を指している。
「―――いやっ、なに早く来ているんですかわたしっ!」
頭を抱えて天を仰ぐ。
決して、決して楽しみにしていたわけではありません。
今日のコーディネートに悩んで、ちょっと睡眠時間が足りなかったとかないですし。早起きして髪をセットなんてしてませんし。
ええそう、偶然にも、色々重なっただけです。
お気に入りのワンピースも、裾の一部がほつれていたりとか。目覚ましのタイマーを2時間間違えて欠けていただけです。
決して、けっっして、楽しみにしていたとかそんな――――
「はやっ」
「―――あなたが遅いだけです」
ピシッと背筋を伸ばし、今しばしきたあなたをにらみました。
あなたのコーディネートは…その、言っては何ですが、雑といいますか。
少し袖がほつれたパーカーに、部屋着兼用のスウェット。
色は白と黒で、まるでパンダみたいだと思ってしまった。
「それと、なんですかその服装」
「しょうがないだろ、これしかなかったんだし」
だって、女子と買い物とか初めてだし。
そうボソッとつぶやくあなたに、私はふと、口角を上げました。
「そんなんだったら、女の子にモテませんよ」
「別にモテようと思って服着てる訳じゃないし」
「おや、それは実に生産性がないですね。日本の将来は真っ暗です」
「カップルに生産性とか求めるなよ」
あなたは腰に手を当て、あきれたように言う。
「そんなんだから、お前。彼氏いないんだよ」
「し、ししし失敬な! か、彼氏の一人や二人ぐらい…」
「いや、二人いるのはまずいだろ」
「い、言い間違えただけです。それよりも、あなたです。その服装はいくらなんでもないですよ。その裾のほつれたパーカーとか、さすがにないです」
私は少し前かがみになり、声を落として続ける。
「あなたがそんなんだと、私まで変な目で見られます。いやですよ私。2年の高峰さんがだっさい男とデートしてたとか、言われたくないので」
「ださいとか、それちょっと言いすぎだろ。…まあ、かっこいいとは言えない格好なのは自覚してるけどさ」
「なら、もうちょっとマシな格好で来てくださいよ」
「これでも今ある中で一番ましなんだよ…」
あなたはへへへと少し笑って言うが、私は全然笑えなかった。
この人、周りからの目線とか鈍感すぎませんか? 普通女子と買い物するときにそんなだらっとした格好はしないでしょう。ほら、あそこの他校のJKとか、こっち見て笑ってますし。
そんな私の心境などつゆ知らず、あなたは笑ってなおも誤魔化した。
「ええっと、ほら。白と黒ってさ、パンダみたいでかわいいじゃん?」
「――――」
「えっと…高峰、さん? おーい?」
「…行きますよ」
「え? どこに?」
「まずはあなたの服からです! そんな雑巾みたいな服は買い換えてもらわないと困ります!」
「ドストレートなダメ出しきつすぎない?」
私は少し早歩きで彼を引っ張った。
なるべく顔を見せないように、後ろは振り返らなかった。
―――――恥ずかしかったんですよ。同じことを思ったって。
「ほら、これとこれ! さっさと着る!」
「お前は俺のおかんか」
「何か文句でもありますか?」
「モンクナイデス」
あなたが選ぼうとした服は、ことごとく黒、黒、黒。
私からダメだしされたいんですかと言わんばかりに、黒一色でした。
さすがにこれはと思ったので、普段なら友達のファッションに口出しはしない私ですが、口を挟まずにはいられませんでした。駅ビルに入っているファストファッションの店で買い替えることにして、はや30分。
「…なんか俺、変な気分」
「…き」
「きもいとか言わないで。マジで傷つくから」
サイズ大きめの白いTシャツに、紺色のパラシュートパンツ。
ふと横を見ると、店に飾ってあったマネキンと全く同じスタイル。
…だってしょうがないじゃないですか。男子のコーデなんて、私知りませんし。
そんなマネキンを丸パクリした私の思いなど知らず、あなたは少しむずがゆそうに言う。
「あとこの…なに? このズボン。ぶかぶかで歩きにくい」
「似合っているので、問題ないですよたぶん」
「たぶん!?」
だって、本当に知りませんし。男子のファッションなんて。
私はそそくさと彼を連れて、レジへと足を運んだ。
男物の服が並んでいるエリアを抜けた時だった。
「おっ」
振り返ると、彼は帽子に手を伸ばしていた。
季節を先取りした、夏物の帽子だ。生地は薄く、被っても蒸れそうにはない。
「こういうの、似合うんじゃないか?」
「あなたにですか? いやそれは、それを被ると本当にパンダみたいに」
「いやいや、お前に」
あなたは私にその帽子を手渡した。
ふと、私はすぐ近くの姿見に目を向けた。
今日の私の服装は、オーバーサイズの黒いパーカーにデニムのショートパンツというシンプルなスタイルだ。最初はさわやかな白いワンピースでも着ようかと思ったが、買わなければいけないものが多いので、動きやすさを重視した。
ただそうはいっても、靴は少し低めのヒールをはいた。
そこはちょっと、おしゃれをしたかったのだ。
「…これは、まあ、その」
正直に言いましょう。
合っていたのだ。
あなたが選んだ帽子が、ちょうど今日の私に。
スポーティな格好に似あう、小さなキャップ。
私からしてはちょうどいいサイズのそれは、被っていて違和感がなかった。
「まあ、80点と言いましょうか。なかなかいいですね」
「おっ、赤点回避やたっ!」
「やっぱり50点です」
「えぇ…」
がっくりするあなたに、私はくすっと笑った。
「せっかくですし、被ってあげますよ。ありがとうございます」
「お、おー…おう…」
「まあ、室内は蒸れるので外でしか被りませんが」
「ですよねぇ…」
屋内で帽子をかぶるとはげるとかなんとか。
汗で蒸れるとかいろいろ言われるが、まあそういわれると被りたくなくなる。
私はレジで会計をすまし、ファッション店を後にした。
――――うれしくて、その場では被れなかったんです。大切に、したくって。
買い物も終盤に差し掛かったころ、駅ビルの中には大きな書店が入っているのでそこで本を見ることにしました。後ろにいる荷物持ちが愚痴っていますが、無視します。
店内の一角、漫画やラノベのコーナーに行くと私は顔をほころばせた。
「ちょっと待っててください」
私は新刊コーナーに小走りで向かう。
その棚を見上げる私に、あなたは言う。
「…以外。お前って漫画とか読むんだ」
「読んじゃ悪いんですか。あ、これ新刊出てたんだ」
私は一冊手に取って、それから少し考えたのち、もう一冊棚から取った。
表紙が見えるようにあなたに向け、私は尋ねた。
「文谷くんは、これ読んでますか?」
「あー…おれ、ワピスはアニメ派なんだわ。あと週刊誌も買わない派」
「それはちょっと理解できます。では、こちらは?」
「ボルタはなぁ…前作読んでたけど今は見てない」
「なっ…人生損してますね」
私は少しふくれっ面で、その2冊を胸に抱えた。
すると、彼の目線が私の胸によるのがわかった。
「…すけべ」
「…なにが?」
「目線」
あなたは少し赤い顔で、口を横一文字にした。
私はジト目でしばしあなたの顔を見たのち、目線を棚に戻した。しばらく見たのち、私はさらにもう一冊を手に取った。
「あ、これも新刊出ていたんですね」
「なにそれ?」
「『ヒッキー・ザ・ギター』ですよ。引きこもりだけどめちゃくちゃギターの上手い男子高校生の漫画です。最近アニメ化されましたし、動画サイトでOPがかなり再生されているんですよ」
「ふぅん」
その様子に、私はちょっとむかついた。
「…興味なさそうですね」
「そういうわけじゃないけども」
「じゃあどういうわけですか」
「いやー、知らない漫画の話されると、すぐにはついてい――いってぇっ!」
私は少し後ろに下げた足で、あなたのすねをキックしました。
そんなに強くなく、大げさに痛がって見せるあなた。
私は何も言わず、手に取った3冊をもってレジに行き、購入した。レジ袋に入った本を、いまだ痛がっているあなたの指にかける。
「落としたら許しませんから」
「え、ちょ、俺もう両手ふさがっているんですが」
「まだ指があるでしょう」
「このままだったら扉も開けられないレベルなんですが。もしもーし、聞いてる?」
書店を出たのち、ぶつくさと文句を言っている彼に言う。
「個人的な買い物も済みましたし、では次は百均に行きましょうか」
「え、まだ買う―――いえ、なんでもないです」
こほんとひとつ咳をし、私は歩き始める。
あなたは私の隣を歩き、声をかけた。
「こほん。文化祭の出し物として、資料集めをしようと思いまして」
「資料集め? あー、出し物とかの?」
「出し物もありますが、主に飾り付けですね。ある程度の費用はあるとはいえ、無限ではありませんから。なるべく安く済ませるためにも、ちょっと見ておこうかと」
「つっても、百均にそんなあるか? あんまりないイメージなんだが」
「まあ、あくまでもついでです。今必要なものはもう買えましたし」
そう言って、私はあなたの手元に目線を落とす。
袋に入っているのは、軽い素材の木の棒だ。家庭科部からの要望で、小物入れの材料が欲しいとのこと。同じクラスの友達から、せっかくならと頼まれたものだ。
それと、あなたが左手で抱える色画用紙の束。これはポスター制作に使いたいと、各部からの要望があったもの。その他もろもろを含め、必要なものはすでに購入済みだ。
「たとえば、去年であればすごろくゲームとか、リアル人生ゲームとかやっていましたよね? 今年はもっと現実的なものをやってみようと決まりまして」
「現実的なもの? っていうと―――なんだ?」
「なんでしょう?」
飲食店、いやそれは3年がやってたし。
などと、あなたは去年のことを思い返しながら考える。
その横顔を見ながら、私はつい、頬が緩んでしまった。
「ええっと、お化け屋敷―――は、確かダメだったよな。安全面でアウトって言われたし。じゃあ――喫茶店とか?」
「お、あたりです。意外とべたなものですけど、時間かかりましたね」
「いやー、今時の高校生で喫茶店を出し物にするのはあんまないだろ。あれは漫画とかアニメならともかく、そんなに現実じゃあないんじゃないか?」
「意外とそうでもないですよ。私の中学の友達が進学した私立では、喫茶店やったそうですし。なんなら、映画館を開いてポップコーン販売とかもしてましたし」
「うわっ、それいいな」
その学校行ってみてぇーと、あなたは無邪気に笑う。
ただと、私は言った。
「人気がありすぎて、逆に上映中止になったそうです。ポップコーンも最初の1時間で売り切れ、あとはもうめちゃくちゃだったそうですよ。子供は暴れるわ、なんで入れないんだと上級生は荒れるわ、勝手に入られるだの、その他いろいろあって開始3時間で閉店したそうです」
「それは…うん、ご愁傷様です」
「あと、その映画もひどかったそうです。大学のサークルから借りたもので、B級映画の超マニアックなものと似たものだとか」
「サメ映画みたいに?」
「まさしくそのサメ映画を放映したそうです」
その映画の内容はこうだ。
ヒロインがある日急にサメの力を得て、なんか空を飛んで、気づけば宇宙からの侵略者が来て、それもサメの姿をしていてもうめちゃくちゃ。内容を語ろうにも、ぐちゃぐちゃすぎて語れやしない。
「ああいうのって映画好きならともかく、文化祭のお客さん向けではないですからね。不特定多数、年齢もバラバラですから」
「マニア向けのものは一般受けはあんましないもんな」
「SNSとかで流行すれば話は別ですけどね。一時はやった鬼のやつとか」
「あれはなぁ、うちの近所の子もよくごっこ遊びしてた」
「私もです。帰り道の幼稚園でよく技を叫ぶ声が聞こえましたよ」
数か月前のことを思い出し、私たちは歩いた。
そうしてたどりついた百均コーナーだったが、正直めぼしいものはなかった。収穫と言えば、模様がついた折り紙やマスキングテープだろうか。その特徴をメモし、私たちは店を後にした。
駅ビル内の巨大時計を見ると、時刻はすでに12時手前。
お腹もすっかり空腹のサインを出している。
「お昼ご飯、どうしますか?」
「あー…もう、そんな時間か。昼食の時間ではあるけども…」
あなたはそう言って言葉を切り、気まずそうに言った。
「あのさ」
「はい」
「これで俺たち昼飯まで一緒に食べたらさ」
「はい」
「もう完全にデートじゃね?」
もう、今更な気もしてきた。
待ち合わせをして、お互いの服(私は帽子ですが)を買って、買い物も一緒にする。ここまでの工程を踏まえてデートではないと言うのは、正直苦しい。
かあっと熱を帯びた顔をあなたからそらし、苦し紛れだが言った。
「…いえ、デートじゃありません。これは、デートじゃないんです」
「…」
「そう、そうですよ。あなたは荷物持ち。荷物持ちです。デートじゃないです」
「…」
「ええと…そう、えーと…デートじゃないです。…なんか喋ってくださいよ」
「いや…だいぶ、反論のボキャブラリーが減ってきたなと」
うるさいです。
「で、どうする? 昼御飯だけど、もうビル内じゃ無理じゃないか?」
すでにビル内には人であふれかえっている。
まして時刻は12時手前。手ごろな飲食店はもう埋まっているだろう。当然だが、お店の予約なんてしていない。ファミリーレストランならとふと思ったが、あそこに行けばもうこの状況を偽るのは無理だ。となると、選択肢はある程度限られる。
「…屋外ですが、小さなカフェコーナーがあったはずです。そこで昼食にしましょう」
「まあ、ファミレスとかはもう混雑してるもんな。で、そのカフェってここからどれくらい?」
「少し歩きますが、徒歩5分ほどです。ビルを出て交差点を過ぎればすぐですよ」
「じゃあそこにするか。っと、ちょっと待って」
あなたは荷物を抱えなおす。
その際ずれ落ちそうになったポーチをキャッチした。
「あ、わりぃ」
「…持ちますよ」
「いや、悪いって。俺今日は荷物持ちだろ?」
「遠慮しないでください。さ、行きますよ」
さすがに、すべて持たせるのはかわいそうと思ってしまった。
一つだけだが、彼のポーチを持つことにした。肩に斜め掛けし、ビルの出口へと足を向ける。少し遅れて、あなたも私の隣を歩き始める。
その際も小言を交わしながら、駅ビルを出た。
――――振り返れば、完全にこれ、デートでしたよね。
――――場面は、変わって。
「あ、そこ右です」
「いや、左じゃなくて…ああ、荷物が落ちそうですよ」
「私の本を落としたら怒りますから」
――――徒歩5分の道のり、途中交差点を挟む道のり。
「…ところでその、バレバレですから」
「何って、目線です」
「なんですか、そんなに私の胸が気になりますか」
――――そんなに、ビルから離れてはいないカフェ。
「俗にいうパイスラッシュ、というやつですけど。私全然胸ないですし」
「見てもそんな眼福ーとはならないのでは?」
「…なにかいったらどうです? え? 言ったら社会的にアウト? まあそうですね」
――――信号機の前で待つ二人。
「では、このあとどうしましょうか」
「そうですね…暑いですし、ご飯を食べたら帰りますか? それとも、何かあなたの行きたいところとかありますか?」
「今日一日突き合わせてばっかりでしたり、まあ、その報酬として」
――――荷物持ちの少年と、はたから見ればとても楽しそうな少女。
「あ、言っておきますがデートではありませんから。あくまでついでです。ついで」
「…何ですかその目は。そんな目をするなら、ご飯を食べたらもう帰りますけど」
「…じゃあ、どこ行くか言ってくださいよ。まあ、報酬として、ほら」
――――信号が青になって、先に少女が前に出る。後から少年が続く。
「ふふっ、では、ご飯を食べながら考えましょうか」
「ほら行きますよ。暑いですし、さっさと歩いてください」
「ああもう、ちょっとぐらい甲斐性見せてください。男の子でしょう? 女の子の前でぐらい、重い荷物はへっちゃらだーって所を見せてくださ―――
ちょうどその時、けたたましいクラクションが鳴り響いた。
眼前にせまる白色のトラック。
え、今青信号、と。一瞬頭の中でそう考えた。
その、一瞬後。
目の前が、真っ白に染まった。
その後、宣言通りカフェについた二人。
重い荷物を置いて、文谷は一息つく。少し痛みを感じる肩を回し、机の上でダラーッと手を広げる。その様子を見て、高峰は苦笑いを浮かべた。
「その…さっきも言いましたが、嘘でもいいのでかっこいい姿見せてくださいよ。女の子の前でそんな、あからさまに疲れた様子見せないでください」
「そうは言われてもなぁ…じゃあ持つか?」
「すみません。なにも文句はありません」
ジトっとした目を向けられる高峰。
その視線に耐え切れず、彼女は目をそらした。
数秒ほどそうしたのち、彼女はけほっと咳を一つした。
「…さて、何を注文しますかね」
「うーん…おっ、抹茶ラテある」
「…抹茶、好きなんですか?」
「ちっちゃいころから親に茶道教室へ行かされてね。まあ、ほぼ無理やり引っ張られて言った感じだったけど。まあその時の経験で、抹茶が好きになったんだよ」
「茶道でのお茶と抹茶はだいぶ違うような…」
「お菓子でよく出てたんだよ」
そう話し合い、注文したのは抹茶ラテ2つとホットドッグ2つ。
ちゃっかり高峰も、文谷と同じものを注文したのである。
「…しまった」
「何が?」
「同じのをつい頼んでしまいました。これではシェアが出来ません」
「シェアって…」
ふくれっ面の高峰に、彼はあきれたように言う。
「じゃあ、別の頼むか? 食べきれなかったらもらうから。飲み物はまあ…うん」
「うんってなんですか。飲むんですか。変態ですね」
「飲まねーよ!」
「…え」
「何その表情。え、なんでそんな傷ついた顔をしているんですか」
彼女はわざと傷ついたふりをして、そのうちけろっとした表情を浮かべる。
何十分か話し合い、すっかりラテもぬるくなったころに、2人は席を立つことにした。会計を済ませ、荷物をまとめた後、2人はカフェを後にする。
そのあと、2人は何事もなく別れて帰った。
「…けほっ」
季節はすぎ、夏休みはあっという間に終わった。
あと3週間、あと2週間、気づけば明日が登校日。
憂鬱な気持ちのまま、文谷は教室の扉を開ける。
教室の空気は思った以上にさわやかだった。夏休みが終わってしまったと嘆く声はするものの、友達に会えた喜びでその声は覆い隠されている。
彼もまた、クラスメイトに久しぶりと声をかけ、自分の机に鞄を置く。
「…?」
ふと、隣に目を向ける。
いつもなら自分より早く来ている彼女が、今日は来ていない。
珍しいこともあるもんだと、鞄の中から筆記用具を引っ張り出す。夏休み中、彼女とはしばしば会っていた。まあほとんどが、生徒会の雑用の手伝いではあったが。
そうはいっても、会うのは実に1週間ぶり。久々の登校日に遅れるとは何事だと、ひと声かけてやろうと彼は考えた。
そうして、考えること十数分。
チャイムの音が鳴る。
夏休みが明けて、2学期が始まったとき。
彼女は、高峰一木はその席にいなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目の前のあなたが、吹っ飛んでいく。
手に持っていた荷物は散らばり、タイヤに踏みつぶされた。
ドクドクと音をたてる心臓がうるさい。
嘘だ嘘だと目を動かし、右へとずらす。
真っ赤な、水が、道路に、広がっていた。
そこにいたのは、つい先ほどまでいた、あなた。
足に力が入らず、その場にへたり込む。
周りのざわめきすら、まともに入ってこない。
目が乾く痛みがするが、瞬きするできなかった。
すぐ、そばにいたあなたが倒れている。
さっきまで話していたあなたが、倒れている。
この後カフェに行く約束をしたあなたが倒れて、いる。
――――――――助けてやろうか?
頭の中に、誰かが笑う声が聞こえた。
「熱中症です」
ベッドの上で、彼女は情けなく笑う。
その手は数日前と比べて恐ろしいほどに細くなっていた。
「甘く見ていました。今年の暑さ、散々ニュースでやばいと言われていましたが、予想以上でしたね」
両手にされた点滴。
その先の手は、包帯で覆われている。
「我ながら情けなかったです。クーラーの効いた部屋にいたのですが、水分を取るのを怠っていました。おかげでこの有様です」
顔の色は青白く、体調が悪いのは明らかだ。
ただその様子は、明らかに熱中症ではない。
それでも彼女は、時折痛そうな表情を浮かべるも、笑顔を浮かべ続けた。
「なので、少し休めば治ります。ほら、前に約束したでしょう。また雑用、お願いしますよ。今度は美術部の作品を展示する枠が足りないんです。木枠を買わないといけないので、手伝ってくださいね」
数日前まで、艶やかだった茶髪に枝毛が目立つ。
おしゃれを無視して、頭の横で結ばれている。
しばらくして彼女は窓の方を向き、そこに置かれていた見舞い品に手を伸ばす。
果物や人形、インテリアなどなど。
家族や仲の良い友人が持ってきたのだろう。様々なものが置かれている中で、彼女が手に取ったものはただ一つ。上体を起こして、彼女は自分へと体を向けた。
そうして、彼女は頭の上にそれを乗せた。
「似合って、いますか?」
紺色の、薄手の、帽子。
薄緑色の病院着には、それは、似合っていなかった。
しばらくして、誰も話さない時間が続いた。
耐え切れなくなった彼女は、ぽつりぽつりと語った。
6月の時の、はじめてのデート。
カフェに行く直前で不思議なことが起きたのだと。
曰く、トラックが突っ込んできた。
でも気づくと、カフェに到着していたと。
その日から、頭の中で誰かが笑うのだと。
けたたましく、やかましく、うるさく。
起きれない日が何度も続いた。咳はいつしかひどくなって、血が出るようになった。家族や病院の先生に行っても、誰も信じてくれないのだと。
「余命、あと9か月だそうです。お医者さんが言ってたんです」
「原因はわからないって、未知の病気だって言ってました。でも、本当は私、心当たりがあるんですよ」
「6月ごろから今も、頭の中で誰かが笑っているんです」
「あと少し、あと少しってね。まるで悪魔が読んでいるみたいです。…嫌になりますよ」
彼女は手を伸ばして、自分の手を握った。
細い細い手は、今にも折れそうだった。
木の枝のような彼女の手を、優しく握り返す。
すると彼女は、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「…否定、しないのですね」
「…なにを」
「さっきいったこと。6月でのデートってとこです」
「…嘘じゃないだろ」
「…そうですね」
彼女はその言葉を聞いて、目を伏せた。
再び開けた彼女の目は、雫が零れ落ちそうなほどに潤んでいた。
「苦しいです」
「つらいんです」
「あなたのせいですよ文谷くん」
「あなたが―――私に応えてくれるから」
嬉しくなって、楽しくなって、幸せな気持ちになって。
だから、何度も、何度も何度も何度も。
あなたを呼んでしまった。夏休みなのに、あなたにも部活動があるのに、あなたにもプライベートがあるのに。生徒会の仕事だって言って、ほぼ毎週、ひどいときは毎日のように引きずり回した。
「私、背は小さいですし、胸も小さいです」
「…それと、生意気」
「それは余計です。…勉強はあなたよりもできますが、力は全然ありません」
「…」
「本当に、なんででしょうね。なんで今、やっと素直になれるんでしょうね」
彼女の手に、少しだけ力がこめられる。
「もっとはやく、言えばよかった。正直になればよかった」
「――――いまさら、あなたに恋をしていただなんて、遅すぎですね」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「で、彼のどこが好きだったのさ」
…恥ずかしいことを言わせるんですね。
最低ですね。さすが悪魔さん。
「悪魔だなんて、僕は一言も言っていないけど? まあ、天使ではないけども」
…きっかけは、なんでしょうね。わかりません。
きっと、気づいたときには好きだったんですよ。決定的な理由なんてなくって、でも、どこか無視できなくって。気づけば目で追っていました。彼の世話をするのが、忘れ物をした彼と話すのが好きでした。
「なーんだ、ドラマみたいなことは起きてないのか」
現実での恋なんてそんなものですよ。
「でも君、伝えるの遅すぎ。死にかけでいうセリフじゃないよあれ」
わかっていますよ。
「そのせいで彼、めちゃくちゃ落ち込んでるよ。あれ、君のあと追っちゃうんじゃない?」
それはだめって伝えましたけどね。
まあ、そうなったら本気で怒るまでです。
「ふぅん…さて、そろそろ時間だね」
時間ですか。
「一年前の約束通り、君の助けてという願いは聞き入れた。これはその代償」
やっぱり、そうですよね。
まったくひどい方です。あの状況であんなこと言われたら、のるしかないじゃないですか。
「まあそういうのを狙っていたので」
最低ですね。
「お褒めいただきどうも。さて、行こうか」
意識が薄れていく。
最後に思うのは彼の顔。
泣きそうに笑う彼の顔。最後に、あんなことを言わない方がよかったかもしれない。
――――でも、本当に好きだったんです。
伝えるのは本当に遅かった。
そのせいで、最後の最後で彼に傷を負わせてしまった。もしかしたら一生後悔するかもしれない。悔やむかもしれない。それでも―――伝えたかった。
ええ、本当に。
改めて、思います。
―――いまさら、恋を自覚するだなんて、本当に遅すぎました。
余命一年のキミが、いまさら恋を(自覚)するなんて遅すぎる