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11,過去との決別と未来

 夜には王城で夜会が開かれることになっているが、その前に私たちはカエルム公爵家の屋敷にやってきていた。叔父夫婦に会い、先に挨拶をする為だ。ちなみに今回、ナーシルはアウローラ王国に残っている。ハサン様の仕事の整理と国王の監視の為だ。基本的には後者が主な仕事らしく、いつもはハサン様がやっていることをしなければならないということで、出国前のナーシルは既に少しやつれていた。


 公爵家に到着してすぐに通された応接室には、既に叔父夫婦が待っていた。しかし、早々に大変なことになっている。



「もー、ケイレブ、お前はいーつまで怒っとるんじゃ」

「いつまででも怒りますよ! 父上は勝手がすぎます、母上が付いていながらどういうことですか!?」

「あら、あたくしはこれ以上ない縁組みだと思ったから特に何も言わなかっただけですよ?」

「あああああ゙……っ!」



 挨拶もそこそこに、叔父が祖父母を叱りつけたのだ。現役の当主である自分を差し置いて公爵家の娘の結婚を決めるのはいかがなものかという、至極当然な主張だった。それなのに祖父母は、何も悪いことなどしていませんと言わんばかりに飄々としている。叔父はそんな二人に暫く頭を抱えたあと、ゆっくり深呼吸をして顔を上げた。隣に座る叔母も苦笑している。



「お騒がせをして申し訳ない。勘違いをしていただきたくないのですが王弟閣下、貴方に不足があると言っているのではないのです。これはもはや家族の問題でしてね、自身の両親ながら手に余っておりまして」

「こら、親に対してなんていうものの言い方をするんだ。儂はお前をそんなふうに育てた覚えはないぞー?」

「いや、問題はない。貴殿の苦労は察するに余りあるだろう。私にも若干の身に覚えがある」



 そう頷くハサン様は、本日はグラキエス王国の衣装を身に着けている。アウローラ王国のものは目立つからと、こちらに来る前に仕立てさせたのだ。こちらの衣装もとてもよく似合っている。私もドレスを着ているが、少しでも見劣りしないように一生懸命に背筋を伸ばした。



「それは……。そうか、そうでしょうな。身内にこういうのがいると、厄介ですな」

「まったくだ……」

「仲良くなるのはいいがね、二人して儂のこと無視するのはよくないと思うんだよ」



 ハサン様と叔父が同じタイミングでため息を吐き、祖父は泣きまねをした。祖母に至ってはそれを見ながら微笑んですらいる。何とも混沌とした場である。するとそれまで静観していた叔母が、控えめに話しだす。



「貴方、とりあずこちらの現状を説明して差し上げないといけませんわ。ナディア様も直接聞きたいでしょうし」

「……そうだな」



 叔母に諭された叔父は、姿勢を正して私に向き直った。



「ナディア、以前手紙に書いた通りこちらは粛々と処理を完了した。だが簡単に一度口頭でも説明をしよう。疑問点があればその都度聞いてくれ」

「はい、叔父様。お願いします」



 叔父は、私宛に十数通の手紙を送ってくれていた。ややこしいからと祖父母が手元で止めていた為、その手紙を受け取ったのは籍を入れたあとからだったが、そこにはグラキエス王国での出来事が書かれてあった。簡潔な文章ではあったがその分分かりやすいその手紙のおかげで、私はこの国で何が起きたのかをある程度は知っている。けれど叔母の言うように、直接聞いてみたかったというのが本音だった。



「まず、主犯であるゾーイ・フェレス夫人……いや、今は離婚して元夫人になるが、彼女はナディアを我が家が保護したその日に捕らえられ一ヶ月の勾留と尋問を受けた。最初の罪状はナディアに対する虐待と伯爵家の乗っ取り未遂、そしてナディアの婚約者を自分の娘に挿げ替えるなどの勝手な契約変更を画策したことだったが、のちに予期せぬものが追加された」

「……それが、東の列島の秘術ですか?」

「そうだ。あの女は我が国では使用を禁止されている東の列島の秘石を密かに入手し、その秘術を使用人とフェレス伯爵に使っていたことが判明した」



 東の列島とは、グラキエス王国から海をずっと東に進んだ場所にある島国の集まりのことだ。そこでは独自の秘術が発展しており、多くの秘石を輸出することによって豊かになった国だった。しかしその秘術の中には、人を操ることができるものや幻覚を見せるもの、記憶をなくすものや自白を促すものなどもあるとされ、それらはこの国では禁止されており本来輸入もできないとされている。しかしどんなものにも抜け道はあり、義母は東の列島で作られた我が国では違法な秘石を手に入れて使用していたのだという。



「使用人たちが逆らったり他家に助けを求めなかったのも、フェレス伯爵が疑問を抱きつつもあの女を妻として置き続けたのも、秘術を使用してのことだと認定された。交渉や社交の場でも度々使用していたそうだから、あの女の評判の高さは秘術のおかげだったという訳だ」

「使徒が一体でもその場にいれば、秘術を使用していることに気づいて知らせてくれるんだけどなあ。この国って使徒あんまり出さないで通常は休んでもらうってのが普通だからなあ。儂、ちょっとそういう危機感をいい加減持つべきだと思う」

「それに関しては国王に奏上済みです、父上。今後、我が国でも話者と使徒との関係性は変わってくるかもしれません」



 叔父は小さく頷いてから話を続けた。



「元々我が家が訴えていた罪でだけでも、ゾーイ・フェレスは伯爵夫人の地位を剥奪、離婚が成立し更に実家の子爵家も身元引受を拒否したことにより平民となっていた。そして更に違法な秘石の入手と使用が確認されたことにより、終身刑が言い渡され取り調べの終了後単身氷の館へ移送されている。……ここまでで何か質問は?」

「……いいえ、ございません」



 氷の館とは、この国の北にある氷でできた洞窟のことだ。この国には短い春と夏の間でも溶けない氷を抱く土地が存在し、そこにある洞窟のことでよく終身刑に用いられる。食べ物も暖房も毛布すら与えられない時点で、そんな地で生き残る術などない。終身刑とは名ばかりで、そこに連れて行かれることは死を意味していた。


 話者であれば使徒と逃走が可能かもしれないが、それを防止する為に館に人が入って一週間は専業の話者が近くで見張り逃亡を阻止するのだという。使徒の中には「秘術を妨害できる秘術」を使う者がいるらしく、そういう使徒を持つ話者が見張るのだそうだ。


 つまり、義母はもうこの世にはいない。ここまでは手紙に書かれていたので事前に知ってはいたが、直接聞くと何とも不思議な感覚だった。似ているのは悲しみや寂しさのような、怒りや困惑のような、それなのにほんの少しだけの安堵のような、それでいて胸がぽっかりと空いたような複雑な気分で、どんな表現も適切でない気がする。そんな私の手を隣に座るハサン様が握るから、うっかり泣いてしまいそうになるのを一生懸命に堪えなければいけなかった。



「では続けるが、君の父であるノア・フェレス伯爵は今回の件の責任を取る形で王城での美術責任者という地位を辞し、貴族位の返上を申し出た。しかし貴族位の返上は認められなかった為、タウンハウスと領地の半分を売りそれを我が家に慰謝料にと渡してきた。まあ君の苦労に見合わないはした金だが、ドレスを一着仕立てるくらいにはなるかと預かっている。その話はまたあとで詳しくしよう。そして現在は君の妹と元婚約者と共に領地で謹慎生活中だ」

「……父は、義母に操られていたという認定がされた筈ですが、何か罪状がついたのでしょうか?」

「監督不行き届きだ。家門の責任は、その家の爵位を持つ者が取らなければならない。権力を持つということはそういうことだ。操られていたからと情状酌量がされたが、おそらくそれは常のことではない。秘石にも数に限りがあっただろうからな。それにそもそもフェレス伯爵が家の管理を怠っていなければ、こんなことは起こらなかった。少なくともここまでの大騒ぎにはならなかっただろう」



 叔父はそこで言葉を切った。表情に分かりやすく苛立ちが表れていたが、叔父はふうと息を吐いてまた口を開いた。



「大体、東の列島の秘石は合法のものであっても高価だ。違法なものであればその十倍近く、いやそれ以上するかもしれない。私から言わせれば、そんな高額な買い物を一度や二度ならまだしも、長年にわたり家長が知らないでいるなどという状況が作り出されていたこと自体があり得ない。情状酌量も本来は必要なかった。……だが君の結婚相手が隣国の王弟閣下であるから、実父である彼にあまり重い罪状を付けるのは相応しくないとこの処分になったんだ」

「……そうでしたか。では叔父様、妹はどうしているかご存知でしょうか」

「……」

「叔父様?」



 叔父は顔を顰めて腕を組むと、黙って上を見上げた。もしかすると何か言いづらいことがあるのかもしれない。手紙には義母と父のことは書かれてあったのだが、妹の記述があまりなかったのだ。妹と元婚約者が父と一緒に領地にいることすら、初耳だった。しかし元婚約者は置いておいても、妹とは半分だが血が繋がっている。聞いて何かがどうにかなる訳ではないが知らないでいることがよいこととも思えず、私は叔父の言葉を待った。



「……君の妹をあまり悪く言いたくはないが、オリビア・フェレス、あの子は駄目だ」

「はあ……」

「母親の取り調べや裁判で取り乱すのは仕方がないにしても、参考人として呼ばれた裁判所で子どものように泣き叫んだり先触れも約束も無しに我が家にやってきたり、友人だか何だかは知らないが第三王女殿下に会いに許しもなく王城へ侵入しようとしたり……。常識がないとかそういう話ですらない。彼女自身、それらのことで母親との共謀を疑われ数日間の勾留と取り調べを受けた。結果ただの考えなしということが露呈しただけだったので、フェレス伯爵が領地で管理監視するという条件の元に釈放された」

「そ、そんなことが……!?」

「あの母にして、と言いたいところだが、もう成人しているだろう。貴族の娘にしてはあまりにも学がなさすぎる。そうだというのに、何故かお友だちは多いようだ。手助けをしてくれる、これまた頭の足りなさそうな学友がいたらしい。ああだが、ふしだらな関係ではなかったようだからそこは安心していい。……だが正直なところ、そこもまた不思議でね。明確な見返りもないままで、何故あのような子に複数の協力者がいるのか……」

「使徒では?」



 ずっと黙っていたままだったハサン様が、ぽつりと一言そう言った。



「ナディアから聞いていたが、その娘の使徒は猫型だったのだろう。猫科や小動物型の使徒の中には、話者を魅力的に魅せる秘術を使うものがいる」

「で、ですが、オリビアの使徒はあまりあの子の前には現れず、触らせてもくれないくらいで……」

「話者であっても触られることを嫌がる使徒はいる。気位が高く言うことを聞かない使徒もいる。が、それでも使徒にとって話者は唯一の存在であるのだから、話者が生きやすいように窮地に追いやられないように行動することは不思議ではない。しかも指示を聞かないのだったら、使徒は使徒独自の考え方で行動し秘術を使うだろう。我々にとって理解しがたい不道徳なことであっても、母猫が子猫を守るようにその使徒にとっては当然のことだったんじゃないか」



 確かに、と私は頷いた。オリビアの使徒は、確かにあの子の言うことを聞かなかったし呼ばれても姿も見せてくれなかった。けれどあの子が転んで泣いていたり熱を出したりした時など、黙って傍にいたものだ。昔を思い出してまた複雑な気分になるが、そんな中、叔父がハサン様に「ですが、閣下」と声をかけた。



「彼女には味方も多かったですが、その振る舞いから敵と呼べるような者も多かったようです。使徒の秘術であれば、敵などいなくなる筈では?」

「魅了や幻覚の類の秘術にも限度と相性がある。催眠術というものを知っているか、あれもかかる者とかからない者がいる。それと同じだと考えていい」

「なるほど……」

「ついでに言うなら、そういった秘術も常に使徒を傍に置けばある程度は防御できる。そして魅了や幻覚の秘術が使える使徒を持った時点で、その話者には相応の管理が求められてしかるべきだ。他国のことに苦言を呈するのは心苦しいが、どちらにしろ話者には教育が必要だとは思うぞ」

「とんでもない、ご忠告痛み入ります」

「……ところで公爵、話は変わるが私のナディアの婚約者だった男には何のお咎めもないのか?」

「ああ、あの愚か者のことですか」



 ハサン様の問いを叔父は笑顔で吐き捨てた。穏やかそうな声と表情であるのに、言葉が伴っておらず何故か不穏だ。



「奴は今後十五年間、王命にて我が国の貴族議会への参加が禁止されました。ナディアとの婚約期間と同じ長さですな。あの元夫人に唆されたのだと喚いていましたが、実家の侯爵家からも絶縁状態で……。ああ、ナディア。アラウダ侯爵家にも監督不行き届きで慰謝料を請求しているが、あそこは領地にいくつか鉱山を持っているからそれを君名義にするつもりだ。管理が面倒ならこちらでやっておくが、一生宝石の類には困らないようにはしよう」

「え……!?」



 急に水を向けられて驚くが、当然だと言わんばかりの叔父の隣で叔母は優しげに微笑んでいた。受け取れませんと言ったところで聞いてはくれなさそうなその雰囲気は、強引さと勢いで押し通す祖父母とは違うものの同じような圧を感じる。



「貰えるものは貰っておくように、当然の権利だ。……それであの愚か者ですが、軽率な行動をしたとはいえ未遂に終わっていたことと若年であること、首謀者が元夫人であったことを考慮され、貴族議会への参加は禁止されたものの奴自身に罪状がつくことはありませんでした。まあ奴への一番の罰は我が家との対立でしょうな」

「そうか、よろしく頼む」

「ええ、勿論」



 叔父とハサン様は無言で頷き合った。お互いに波長が合うのかその後は和やかに話は進み、それに祖父がちょっかいをかけて二人から叱られるという一幕もあったくらいだ。


 そして、夜。私とハサン様は夜会に出席する為、叔父夫婦と王城にやってきた。叔母が用意してくれていた夜会用のドレスは派手過ぎず、けれど控えめという訳でもなく上品でとても素敵なものだった。叔母にお礼を言うと「我が家には息子はおりますが今は寄宿で家にはおりませんし、娘はいませんので楽しかったですわ。よければまた贈らせてください」とおっとり微笑んでくれた。そんなふうに夜会の準備をしている最中、いきなり祖父母が「今回は移動で疲れたからやっぱりパス!」と言い出し屋敷に残ることになったのだが、それを聞いた叔父が顳顬をぴくぴくとさせていたのは見なかったことにしようと思う。


 王城での夜会など、貴族学院を卒業した年に一度来たきりだ。けれど思ったよりも緊張がなかったのは、ハサン様のおかげだろう。ハサン様は意外な程にこちらでの社交に慣れているようだった。外交で何度か参加したことがあるそうで、私よりもよっぽど堂々と挨拶をする姿は頼もしかった。国王夫妻に呼ばれた時も背筋が伸びたくらいで済んだのは、確実にハサン様が隣にいてエスコートしてくれたからだろう。



「――それで、ナディア嬢……いや、籍を入れているのならもう夫人と呼ぶべきか。今回の件、国として対応が遅れたこと、申し訳なかったね。長い間苦労をしたと聞いている」

「もったいないお言葉でございます、陛下」

「何、我々は浅からず血のつながりがあるのだから、そう他人行儀にならずともいい。今後は互いに王族としての付き合いもあるだろうが、君が我が国の子であった事実は消えない。我が国の子は、すなわち私の子だ。何かあれば、いつでも頼ってくれていいからね」



 グラキエス国王のその言葉を額面通りに受け取ってはいけないと知りつつも、私は少しだけ心が軽くなるのを感じた。国王の笑顔がどことなく祖父に似ていたからかもしれない。そんなことを考えていると、腰を少し強めに引き寄せられた。驚いて隣を見るとハサン様が不機嫌さを隠しもせずに国王を見据えている。



「お言葉ですが、陛下。妻には私がおりますので、ご心配には及びません」

「……ふはっ、いや、そうだな。くっくっ、確かにそうだ。アウローラ王国の王弟閣下が付いているのなら、何の心配もない!」



 国王にそう笑われ王妃にも微笑ましいものを見るような目をされて、私は顔から火が出るのではないかと思った。そのあとは私はもう何も言えなくなって、ハサン様と国王が外交や使徒についての話をしているのを聞いていることしかできなかった。


 国王夫妻との会話が終わると、学院時代の友人たちが話しに来てくれた。皆一様に私のことを心配していたと言ってくれ、中には手紙を送ったけれど届いていなかったみたいだと教えてくれた人もいた。そうやって暫く昔を懐かしんで話をしていたけれど、途中でダンスの曲が流れ始めると視線だけで合図をし合って、皆そっと離れて行く。



「……わたくしたちも踊りますか?」

「そうだな。よろしく頼むよ、先生」

「ふふ、もう」



 今夜の為に、私とハサン様はダンスの練習をしていたのだ。アウローラ王国では社交ダンスは一般的でないので、ハサン様もダンスはあまり得意ではなかった。基本から一緒に練習をするのは楽しく途中で先生などと呼ばれるのも面白かったが、それもこの日の為だったのだから踊らないという選択肢はない。促され、中央で踊らされることになるのは想定外だったけれど、これまでで一番軽やかに踊ることができたと思う。……続けて三曲も踊らされることになるとは思っていなかったけれど。



「また曲がかかるようだが、もう一度踊るか?」

「もう三曲も踊ったんですから無理ですっ」

「ふ、そのようだな。疲れたのなら、そろそろ帰るか」

「そうですね、そろそろ」



 こういった夜会では、高位の者から帰るのが我が国では一般的だ。高位貴族がいなくなってから下位貴族たちがのびのびと交流ができるようにという配慮で、高位貴族たちは帰ったあとにまた各自のサロンで集まったりもする。私たちも誘われたが、旅の疲れがあるからと断った。……実際、ほとんど秘術での移動なので疲れるも何もないのだが。


 馬車を呼んでいる時に丁度叔父夫婦も待合所に来たので、行きと同様に同じ馬車で帰ることになった。やはり叔父とハサン様は話が合うのか車内では二人が難しい仕事の話を熱心にしだすので、私と叔母はそれを聞きながら顔を見合わせて笑い合った。


 多少恥ずかしい思いはしたものの、何とかグラキエス国王に結婚の挨拶もできたのだからよかったのではないだろうか。屋敷に到着し、そんな達成感のような爽やかな疲れを感じながら馬車から降りると、いきなりシュネーが飛び出してきた。



「がるるるぅぅううゔ」

「シュ、シュネー、どうしたの?」



 初めてイグニスに会った時のような威嚇の仕方に驚くが、ハサン様は冷静に私を後ろに庇いそしてイグニスを出現させた。叔父と叔母も話者であるので、静かに使徒を出し周囲を警戒している。一人だけ動揺していることに自身の未熟さを感じるが、彼らの落ち着きを見て私もそれを取り戻した。


 ふとシュネーが唸っている方向を見ると、そこには小さい何かがあった。シュネーはその小さいものに唸っているのだ。



「あれは……」



 使徒だ。そこにはここにいる筈のない、白い細身の体に綺麗な藍色の瞳をした猫型の使徒がいた。使徒は、悲しそうに小さく「なうん」と鳴くと公爵家の屋敷に向かって消えていく。私たちは顔を見合わせて、屋敷に入った。


 屋敷に入ってすぐ、祖父母が招かれざる客人二人の応対をしているのだと使用人が教えてくれた。シュネーは私にぴったりと張り付いてまだ不機嫌そうだけれど、応接室に行くことを止めてはこなかった。


 応接室の扉を開けると、その中は空気自体に重さがあるような感覚がした。



「あら、お帰りなさい。早かったのね」

「えー、ちょっと早過ぎるぞ、お前たち。ちゃんと社交してきたのか? お友だちは多い方がいいんだぞ?」



 声はいつもの調子であるのに、祖父母はこちらを座ったままで振り返らず客人から視線を外さなかった。二人の使徒もそうで、部屋全体に緊迫感が漂っている。



「……オリビア」



 皆の視線の先には、伯爵家の領地で監視中の筈であるオリビアがいた。顔を真っ青にして小さく震えている。その隣で同じように震えているデーヴィドの使徒は、短距離ではあるが転移の秘術が使えたので抜け出してきてしまったのだろう。


 私に気づいたオリビアが、ぱっと顔をほころばせる。まるで、助けてもらえるのだと信じているようだ。ほんの少しの胸の痛みは、私が彼女の姉として生まれてしまった弊害なのだろう。



「おねえさ――」

「ナディア、お爺様たちはお客人とまだお話があるんだ。今日はもう疲れただろう、先に休んでしまいなさい。このことはまた明日話そう」



 祖父の声はいつもと同じであるのに、地を這うように重たかった。公爵を長年務めた人の怒りに触れるのは恐ろしい。けれど、私はここで引く訳にはいかないのだ。もう子どもではないから。



「いいえ、お爺様。どうかその子と話させてください」

「……ナディア、儂はね」

「お願いします、お爺様。……わたくしはその子の姉として、最後に話をしたいのです」

「最後ぉー?」

「ええ、最後です」

「ううーん……」



 祖父は腕組みをし、天井を仰いてからデーヴィドを指さした。



「じゃあこっちはいらない?」

「ええ、そちらは必要ありません。もう一つも関係のない人なので」

「なっはっは、よし分かった。ケイレブ、こちらの客人は我々が別室でおもてなしをしよう」

「……分かりました、父上」

「ぎゃ……っ」



 そっくりな大型犬の形をした祖父と叔父の使徒が、ぐわりとデーヴィドに噛みつき椅子から引きずり降ろした。デーヴィドは恐怖でもう抵抗もできないらしく、丸まっているだけだ。



「あ、少しお待ちください」

「え、何、ナディア。やっぱりいるとか言うの?」

「違います。ですが、彼にも言っておかねばならないことがありまして。最後なので」



 近寄らないままで、私はデーヴィドを見下ろした。情けなく震えているだけのこの人が怖くて仕方なかったのに、今では何の感情も湧かない。



「デーヴィド・アラウダ、貴方にずっと言わなければと思っていたことがあったんです。いつも思っていたんですけれど貴方は自分に自信を持ちすぎですわ、貴方って一般的に顔も能力もどこも秀でてはいませんよ。むしろ低い方です。自己肯定感が高いのはいいことですが適正な評価から目を背け、その上で自分よりも能力の高い人を見下した言動を取るのはただの逃避でありいずれ命取りになるでしょう。伯爵家を継ぐ意思があるのなら、早々に改めてください」



 デーヴィドはこちらを見ながらはくはくと口を動かして、けれど言葉にはできないようだった。いつも目を伏せて怯えていた私が、こんなことを言うなんて思いもしなかったのだろう。まあ、もうどうでもいいことだ。



「お待たせしました、お爺様、叔父様。もう結構ですわ」

「ぷふーっ! いいよう、まったく問題ないからね! もっと言ってやってもいいんだよ!」

「いえ、もうかける言葉はありませんから」

「そっか! じゃあいいかあ!」



 祖父は上機嫌になって、使徒たちにデーヴィドを引きずらせながら応接室から出て行った。叔父も口に手をやりながらそれに続く。応接室には私とハサン様、祖母と叔母とそれぞれの使徒、そしてオリビアが残された。



「あの、お婆様、叔母様……」

「あたくしはここにおります」

「私も一応この屋敷の女主人ですので、お客人の前からいなくなることはできませんわ」

「あら、ウィロウさん。一応なんて言葉を使ってはいけないわ。貴女こそが、この家の女主人です。堂々となさっていらしたらよろしいのよ」

「はい、お義母様」



 二人は出て行く気はなさそうで、叔母はむしろ楽しそうに祖母の隣に座った。ちらりとハサン様を見上げると彼もこちらを見下ろしていて、無言のままで出て行く気はないと雰囲気だけで語ってくる。仕方がないと息を吐きオリビアの前に座ると、ハサン様も私の隣に座った。シュネーとイグニスも私たちの傍に座る。いつものように寝転がったりはしないようだ。



「……オリビア、何故ここにいるんですか? フェレス伯爵領で、お父様の監視下にあると聞いていたのですが」

「ち、違うんです、お姉様! お父様が変で、それで、お、お姉様がいなくなってから家が大変で……!」

「オリビア」

「っ」

「わたくしは、何故、ここにいるのですか、と聞きました。答えて」

「あ……」



 オリビアは大きな瞳からぽろぽろと涙を流し震えながら、下を向いた。けれどすぐに不満げに眉間に皺を寄せながら顔を上げる。



「こ、ここにいるのは、お姉様に会う為です。お姉様が帰ってきたって聞いたから!」

「何故?」

「何故って、お姉様と話がしたかったからです」

「違います、理由を聞いているのではありません。お父様の監視下にある貴女が、何故領地から出てきているのかと聞いているのです」

「だ、だから、お姉様と話をする為に、デーヴィド様に頼んで……」

「つまり、お父様はこのことは知らないのですね」

「言いました! でも駄目って……!」

「当たり前でしょう。……この半年で、貴女は何も変わらなかったのね」



 オリビアは、ずっと小さな可愛い妹だった。年を重ねて学院に通い出しても、後輩ができても成人が近づいても、ずっと可愛い我儘を言う妹のままで生きていた。その生き方を義母が許し続け、父も私も何も言えないでいたから、オリビアはずっとこのままだった。子どもの頃から何も変わっていない今のオリビアは、私の後悔そのものだった。



「変わらなかったって、何も知らない癖にそんなこと言わないで! わたしがどんなに大変だったか、お姉様には分からないわ!」

「ええ、分かるつもりもないから結構よ」

「え……っ」

「オリビア、貴女はいつまで子どものつもりでいるの? いつまで慰めてもらえるのが当たり前だと思っているの? いい加減になさい」



 オリビアは傷ついたことを隠しもせずに、また瞳に涙を溜めた。まるで絶望でもしたみたいに、顔を歪めて被害者のように。きっと、私に会えば助けてくれると思ったのだろう。いつものように、何かを譲って慰めてくれると思ったのだろう。そんなことを無条件にしてくれる人なんて、もういないのだ。私は姉として、最後にそれを教えなければいけない。



「で、でも、だって……」

「貴女は何故、お父様の監視下におかれたの?」

「それは、こ、公爵家と王城に、約束もしないで行ってしまったから、それで……」

「それで勾留をされたと聞きました。どうして同じことをしてしまったの、今度は勾留だけですまないかもしれないのに。お父様も同じです。貴女のせいで監督不行き届きがもう一つ追加されるわ」

「そんな……っ」

「貴女の軽率な行動でフェレス伯爵家の格はまた下がります、これはもう確定したことです。そうしてまで、わたくしと何を話したかったというの?」

「お、お願い、お願いします、お姉様。わたしたちを許して……」



 オリビアは顔を覆って俯いたまま、憐れっぽい声を上げた。知らない人が聞けば、きっと思わず同情をしてしまうような可哀想な声だっただろう。



「謝るから、お願いだから帰ってきてください。お姉様がいなくなってから、お母様も連れて行かれて、お父様もずっと怒っていて、領地も少なくなっちゃうし、デーヴィド様もご両親から出て行けって言われて……。もう、わたし、どうしたらいいのか分からないの……!」

「さっきから黙って聞いていれば、お前は何様のつもりだ?」



 私が口を開く前に、ずっと黙ってくれていたハサン様がこれでもかと怒気を含めた言葉を吐いた。驚いたのか、オリビアは涙でぐちゃぐちゃな顔を上げて怯えたようにハサン様を見ている。



「ナディアは既に私の妻だ。アウローラ王国王弟の妻を、何故お前のような小娘が気安く望む? 勘違いも甚だしい!」

「ひ……っ」



 ハサン様の怒りに呼応するように、イグニスが珍しく低く唸った。反対にシュネーはただじっとオリビアを見据えている。それでも妹の使徒は現れない。……きっとそれが正しい。私はそっとハサン様の手に自分のそれを重ねて、またオリビアに向き直った。



「オリビア、わたくしがハサン様の妻となったことを知らないとは言わせないわ。国中に知らせがあった筈です、監視下にあったとはいえ知らなかったなんて道理が通りません。もう二度と滅多なことは言わないで」

「はぃ……!」

「……わたくしはね、オリビア。貴女が生まれた時、とても嬉しかったのを覚えています」

「え……?」

「貴女はわたくしが二歳の時に生まれたわ。赤ちゃんってね、独特のいい匂いがするの。記憶はおぼろげだけれど、あの匂いはよく覚えています。それに貴女はとても可愛かったわ」



 オリビアは不思議そうに私を見た。私もオリビアを見つめ返した。



「よいお姉様になろうと思ったの。……でも、わたくしはそうはなれなかったわね。お義母様の顔色を窺って、貴女に善悪を教えてこなかった。駄目なことは駄目だって、きちんと教えてあげていればとずっと後悔しています」

「……お姉様?」

「オリビア、世界は貴女を中心に回っていないの。貴女も私も世界の中の一つなだけ。だから無理を通せばしっぺ返しがくるの。……お義母様は罪を犯し、そしてそれを罰せられたわ。お父さまが変わったというのなら、それは貴女を見捨てていないからよ。貴女を生かそうと必死なのだわ」

「……」

「貴女は変わらなければいけない。欲しいものが欲しいままに与えられていたあの状況が、おかしかったの。もう誰も、貴女を無条件には助けません。子どもでいるのを今すぐ止めて、自分でものを考えて、真っ当に生きていきなさい。……これが、わたくしが貴女に教えられる最後のことです」



 オリビアはぎゅうと口を引き結んで黙り込んでしまった。伝えたいことが伝わったのかは分からない。けれど、それでもよかったのだ。言いたいことを言い終えて、私は祖母と叔母を振り返った。二人は似たような顔で満足そうに微笑んでいる。



「話したいことは全て話したのね、ナディア」

「はい、お婆様」

「ならあとは、私たちに任せてもらえるかしら?」

「ええ、お願いします、叔母様」



 私は祖母と叔母にだけ挨拶をして、ハサン様と一緒に応接室から出た。扉が閉まる瞬間に「お姉様」とか細い声が聞こえた気がしたが、振り返りはしなかった。それは私がしていいことではなかったから。


 そのままハサン様と一緒に客室に戻って寝る支度をしたが、私が体を清めている間にハサン様は部屋の外に出ていたらしい。少しだけ外の空気を吸って来たと言うハサン様に、袖に赤い汚れが付いていることを指摘すると彼はそそくさと浴室に逃げて行ってしまった。



「ふう……」



 ベッドの上でシュネーとイグニスを撫でながら、私はこの半年を振り返っていた。かなり怒涛の日々だったように思う。たった半年前まで私は伯爵家で義母に怯えながら生きていたのに、今では隣国の王弟閣下の妻だなんて飛躍がすぎる。



「どうした、ナディア。気分でも悪いのか?」

「ハサン様」



 浴室から出てきたハサン様がベッドに乗り上げると、シュネーたちは一緒にソファに移って重なり合って目を閉じた。



「いいえ、少し昔を思い出していただけです」

「……この国が恋しくなったか?」

「え……っと、そうですね、いいえ」

「ふはっ、それはどっちなんだ」

「いいえ、ですね。確かに慣れ親しんだ国ではありますが、どちらかというともう早くあちらに戻りたいです。こちらは寒すぎます」

「あっちは暑すぎるがな」

「ふふ、本当に」



 くすくすと笑っていると、ハサン様に抱きしめられた。最初に抱きしめられた時は嬉しいけれどそわそわして手の置き場にも困ったものだが、今ではこの腕の中の居心地がよくて仕方なかった。



「彼女らは憲兵に引き渡されていた。もう心配はいらない」

「ええ、大丈夫です。……わたくしの我儘に付き合ってくださって、ありがとうございました」

「あんなものは我儘の内には入らない。むしろ堂々としていて惚れ惚れした。さすが私の妻だ」

「ふふふ、判定が甘いような気がします」

「事実だ」



 抱きしめられたままで二人してベッドに倒れ込む。そっと頬に触れられたので目を閉じると、期待どおりの柔らかさが唇に触れた。



「……ハサン様」

「うん……?」

「わたくし、これから頑張りますね」

「……君は肩の力を抜いているくらいが丁度いいと思うぞ?」

「ふふ、では、力を抜きながら頑張ります」

「ふ、それは力が抜けていると言えるのか?」

「そこはほら、ハサン様に調節していただきます」

「何がほら、なんだ。だがそうだな、上手い具合に力が抜ければボールを投げるのも上手くなるぞ」



 私はう、と言葉に詰まった。実は未だに上達しないボール投げに、そろそろ心が折れそうだったのだ。シュネーはあまり遠くにいかないボールでも嬉しそうにしてくれているが、やっぱりハサン様が投げたものを取りに行くのが楽しいようだった。



「……それこそハサン様にお任せします」

「こら、自分の使徒の遊びから逃げるんじゃない」

「きゃあ、ふふっ、やだ、くすっぐたいです……!」



 ハサン様が脇をくすぐってくるので身を捩ると、またぎゅうと抱きしめられる。ついさっきまであんなことがあったのに、温かくて眠ってしまいそうだ。



「……ナディア、愛している」

「ふふ、わたくしも愛しています」

「手放す気などさらさらないんだ。……許してくれるか?」

「……手放すなんて言われた方が許せませんわ」

「そうか」

「はい」

「結婚式のパレードにはやはり王都中の大型使徒を全て練り歩かせるらしいが、大丈夫か?」

「……お義兄様、どうにか止められませんか」

「無理だな」

「……」

「……」

「ふふ」

「ふっくく……っ」

「仕方がありませんね?」

「ああ、一緒に諦めてくれ。我々はあの人に振り回される立ち位置らしい」

「お祝いですものね」

「そうだな」



 私たちはもう一度キスをして、目を閉じた。過去を振り返ってばかりいられない。これからも日々は続いていって、きっと大変なこともたくさん起きる。けれど隣にハサン様がいれば、何とかなってしまう気がするのはきっと愛されることを知ったからかもしれない。

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24/5/15「友だち以上恋人未満の魔法使いたち~竜王陛下もカースト上位女子も私の人生の邪魔はしないでください!~」が発売されます。お手に取っていただけると幸いです、よろしくお願いいたします。

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