愛妻破砕勇者さまとある少女の疑問
私たちの国には、勇者さまがいます。異界よりお越しになった勇者さまは、魔王軍と勇猛に戦い、大勝利を挙げられました。未だ魔王は健在で、北の地で戦いが続いておりますが、私たちの国には平和がもたらされました。そこで、勇者さまのお話を一つ致しましょう。
勇者さまは、非常に用心深くあられます。これは勇者さまが経験したある出来事に由縁すると噂されておりますが、異界での事である様ですから、誰も詳細は知らないのです。きっと、異界は恐ろしいところなのでしょう。しかし、勇者さまの精神は本当に強靭です。誰しも気の置けない仲の者はいるものでしょうに、勇者さまはそういう者を敢えて持たないのです。これは、紛れもなく人々の為自己を犠牲にする美しい精神性があって初めて成せる事です。
そんな勇者さまですが、勇者さまにも大切な方はいらっしゃいます。こちらに来られてから娶られた、2人の奥様です。勇者さまと御二方の仲睦まじさは国中で知られております。しかし、と言うべきか、御二方の命を狙う不届者も多くおります。その者達の多くは、もちろん魔王の手先なのですが、恥ずべき事に、その中に私たちの同胞もいるのです。捕えられた者たちは勇者さまに恨みがあったと言ったそうです。きっと、勇者さまに恐れ多くも嫉妬していたのではないでしょうか。2人の奥様は御二方とも可憐であられますから。
ですから、勇者さまは戦いに向かう時いつも御二方の身の安全を心配されていたそうです。さりとて御二方を危険な戦場に連れて行くわけにも行きません。しかし、勇者さまの特別な力によってその問題は解決されるのでした。
各地を回る吟遊詩人は、勇者さまの戦い様を語ります。ですから、勇者さまのお力も皆によく知られております。その凄まじき力は勇者さま曰く、「破壊と創造」の力であるのだとか。勇者さまはこの力で魔王軍を討ち破り、魔王すら一撃と噂される聖剣を作り上げられたのだと言われております。
2人の奥様は勇者さまのこの力によって絶対安全に護られているのだそうです。聞くところによれば、勇者さまが戦いに出征なさる時は、まず御二方に破壊の力をお使いになり、この世界から消してしまいます。これが大切で、この世に存在しない者を傷つけることは不可能であるから、まさに絶対安全な状態なのだと旦那さまに教えていただきました。確かに、食べてしまったお菓子をネズミに盗られる事はありませんよね。
そして戦いから戻ると、今度は創造の力をお使いになり、奥様方を再生されるのです。この世界から消失していらっしゃった御二方はその間の記憶を持たないのだそうで、勇者さまの居ない寂しさを感じる事もないのだと言います。本当に、勇者さまにしか出来ない、素晴らしい方法だと皆口々に言い、町娘の間では恋人に自らを消失させる様に頼むのが流行しているほどです。曰く、髪先だけでも消してみて? なんて頼んで相手を困らせるのだとか。
これは旦那さまが夕食会で聞いた話だそうですが、勇者さまはとても稀な眼の持ち主なのだそうです。見た物の情報が一目で分かり一度見た情報を忘れないと言う、歴史上でも上位に入る眼だと、ある高貴な方に使える魔術師が評していたとの事です。私の眼とは比べ物にならない物の様に感じられて、少し凹んでしまいました。私もそんな眼を持っていれば、楽になる事がいっぱいあるのに、と思ってしまいます。買い出しに、お掃除に……。ともあれ、その眼の能力が創造の力を支え、一度消した奥様方を寸分違わず再生するの神業を成し遂げるのです。
勇者さまのお話を思い出すと、わくわくしてきます。私が生まれた頃は、魔王軍が国の半分を占領していたのに、8年前に勇者さまがお越しになって直ぐに解放されました。母が生まれ故郷にようやく帰って涙を流していた様子はよく覚えています。きっと未来は明るいと、思わせてくれるのです。
でも、私には少し気になる事があります。私の眼は、勇者さまにはやはり遠く及ばないのですが、少し不思議なものが見えます。それは、人の姿に重なる様に、名状し難い色相のもやが見えるのです。みんなには私と同じ様には見えない様で、小さい頃はちょっとおかしい子みたいな扱いをされておりました。縁あって旦那さまのお屋敷でメイドをする事になって以降、博識な旦那さまのご指導で普通と同じ様な見方に切り替えられる様になった時は、なるほどこう見えていたのかと、私の言動と周りの反応を思い出して納得いたしました。
旦那さまのお考えでは、他人の内心の一部分が見えているのだそうです。でも色ごとに何か決まりがあるのか、などは分かっていないので、他人の内心を推し量る事はまだ難しいのです。ただ、自分が人に見えない物が見えているからこそ、勇者さまのお話に疑問が浮かんでくるのです。勇者さまの眼には、全ての物が見えているのかな? と言う疑問が。
見た物の情報が分かっても、見えなかったら分からないじゃないですか。
でも、きっと私の心配性が出てしまっただけだと思います。私はちょっと変なものが見えるばっかりに、見えない物に怯え過ぎているのかも知れませんね。