婚約破棄されたおっとり令嬢は、「実験成功」とほくそ笑む
侯爵令嬢イダイア・シェンツィアートは、鈍感だと言われている。
例えば、お茶会の際に格上の公爵令嬢から『うっかり』ドレスにお茶をかけられても、平然としているし。
例えば、お茶会などで自分が遠回しに罵倒されている場面でも静かにお茶を啜り、まるで自分のことではないかのように、「そうですわよねぇ。えぇ」と言うばかり。
シェンツィアート家主催のパーティーの時ですらぼんやりとしていて全然役に立たなかった。
そしてついたあだ名がおっとり令嬢。
おっとりと言えば人聞きはいいが、つまりは気が利かない頭の悪い奴という意味の歴とした罵倒語だった。
しかしそれをわかっていながらも、イダイアは決して言い返さない。それはなぜなら――面倒臭いからだ。
貴族のしがらみ。悪意。社交。
十七歳であり、すでに社交デビューを果たしている身でありながら、イダイアはそれら全部全部がくだらないと思っていた。
侯爵家の一人娘などに生まれなければ良かったのに。贅沢ができることには感謝するが、時折そう思うことがある。
特に、夜会などは一体何が楽しいのやらイダイアには到底理解が及ばない。
年頃の令嬢たちは皆ドレスを見せ合ったり誰が一番美しいかと競っているが、正直どうでも良過ぎる。が、出ないと無礼へと見做されるから仕方なしに行くけれど。
でも今夜は今までで一番愉快な夜会になりそうだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
イダイアには婚約者がいる。
成績が悪いくせに偉そうで。彼の考えた政策はことごとくダメだし、女遊びがひどい典型的なクズだ。
そのくせ王太子というのだから驚きだ。周囲からは「お似合いの二人」と言って、陰で叩かれまくっていたらしい。
名前は忘れてしまった。興味がないから。
毎月一度、婚約者としてお茶会などを開かなければならなかったのだが、最近は王太子の方から欠席してくれるので助かっていた。
そういえば、今夜は久々に王太子に会うような気がする。
「殿下、お久しぶりですわ。お元気にしていらっしゃいました?」
こてん、と首を傾げて問いかけると、王太子は明らかに嫌そうな顔をする。
いつものことだ。気にしない。それからすぐに立ち去ろうとして――「おい待て」と王太子に呼び止められた。
「殿下、何ですの? わたくし、休んで来ようと思うのですけれど?」
「休んで来ようと思うのですけれど?じゃないだろう! ぽわぽわしやがって。でもその余裕も今日までだ。今から貴様に王太子である俺からのありがたいお言葉があるからよく聞け。
宣言する。イダイア・シェンツィアート、貴様との婚約を破棄する!」
「婚約破棄、ですの?」
イダイアは静かに問いかけた。
普通は取り乱したり、泣き叫んだりするものなのかも知れない。しかし彼女の中にそんな感情は一欠片もなかった。
「余裕ぶっても無駄だぞ。俺は彼女――エヴァと真実の愛を見つけたんだ。だからお前のような気味の悪い女はもういらん!」
無駄に威張って、王太子が言う。彼の腕にはピンクブロンドの髪の可愛らしい少女が抱かれていた。
イダイアはそれに「そうですの」と頷くと、僅かに俯き――そして一人、ほくそ笑んだ。
「実験成功、ですわねぇ」
それは悪戯が成功した子供のように、無邪気な声だった。
しかしそんなことに気づかない哀れな王太子は、なおも言葉を続ける。
「悔しいだろう。悔しいのだろう。嫉妬により貴様がエヴァを虐げたことは知っている。少しは人間らしいところがあるのには驚いたが、だがな……」
「お言葉ですが、殿下、色々と間違えてらっしゃいますわ」
子供を諭す時のように、イダイアはゆっくりと言った。
「そもそも。殿下に嫉妬する意味がございませんわ? 一体どうして、そんな風に思いましたの? ああそれは、貴方様が無能だからとかではなく、単にわたくし、人間に興味がないのです。でも殿下のその反応は一つの実験結果として参考になりますわねぇ。ありがとう存じます」
「無能? 実験結果? 貴様、何を言ってるんだ!?」
いちいちやかましい。だがもちろん、イダイアはそれを指摘するつもりもないので黙っている。
これ以上この愚か者に説明は不要だ。機器を回収し、研究所に持って行かなければならない。
「その腕に抱いている物、返していただけますか? それ、わたくしの物ですので」
「いい加減にしろ。エヴァは貴様の物ではないぞ! エヴァと俺は真実の愛を誓い合ったのだ。汚らわしい貴様のような女の手に渡ってたまるか」
「ああ、ダグラス様。素敵ですぅ」
王太子がピンクブロンドをぎゅっと抱きしめ、少女も甘えたような声を返す。
それを見ながらイダイアは、そうか、この王太子の名前はダグラスだったのかとどうでもいいことを考え、そして、
「エヴァ、あなたの役目は終わりですわ」
エヴァのスイッチを切った。
途端に全身から力が抜けたかのようにくず折れる少女。
それに戸惑う王太子をよそに、彼の腕からピンクブロンドの少女を奪ったイダイアはおっとりと微笑んだ。
そのまま去ろうとして、しかしエヴァとの真実の愛を結んだらしい王太子がさすがに可哀想になって立ち止まる。せめて愛した相手の正体くらい教えてあげてもいいでしょう。
「実は彼女、わたくしの作り出した魔道具の一種でしたのよ?」
「な、何っ。待て。わけがわからんぞ。エヴァが魔道具? そんなはずは。第一貴様が魔道具などそんな高尚なものを作れるはずがないだろうが」
「あらぁ? でも事実なのですから仕方ありませんわねぇ。じゃあこうしたら信じていただけるかしら」
イダイアはふと、いいことを思いついた。
この馬鹿で哀れな王太子に、最後のプレゼントを贈ろう。懐を弄り、『それ』を見つけると王太子に手渡した。
「これもわたくしの作った道具ですわ。どうぞそのボタンを押してみてくださいませ」
「なんだこれは。気味の悪い。そんなことよりエヴァを――」
すぐに面倒臭くなって、イダイアは王太子から『それ』を奪い返すと、ボタンを押した。
次の瞬間、目の前に立っていた王太子の体が内側から爆ぜた。
「ふふふっ」
事前に体内に仕込んでおいた爆弾が作動し、ボタンを押したことで粉微塵になったのだ。
次の瞬間、複数の悲鳴が重なり、華やかな夜会は一転地獄になるが、イダイアは気にしない。
そしてそのまま夜会の会場を出て、エヴァを片手に馬車に乗り込んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
イダイア・シェンツィアートは魔道科学者だ。
魔法を基本としていながら、長きに渡ってこの国では迷信とされていた科学の力と組み合わせて新技術を生み出す。魔道科学者は世界でまだたった数人しかおらず、彼女はその一人であり、魔導科学研究所というところに勤めている。
侯爵令嬢という地位と金が魔導科学の研究に大きく役に立った。同じ研究者たちには「天才」と呼ばれ、褒め称えられていた。
しかしそれは研究仲間と両親しか知らない事実で、愚かな王太子に婚約を迫られてイダイアはかなり困っていた。王家からの婚約は断れない。でも、魔導科学者だということを明かせば色々面倒だ。
――故にイダイアは、自らの手で浮気相手になる魔道具――アンドロイドを作り出し、王太子に与えた。
結果は上々だ。エヴァは見事に王太子を誘惑してくれたし、そのおかげで婚約が破棄になったのだから、これほど嬉しいことはない。それに散々馬鹿にしてきた貴族連中も、弾け飛んだ王太子の姿を見て思い知っただろう。
あとはこのアンドロイドを隣国などに輸出するだけだ。使用人の代わりになるよう、メイドロボなんて売り出せばきっと人気が出る。そうすればきっと魔導科学の素晴らしさを多くの人が理解できるに違いない。
「ごきげんよう。実験が成功したので、ご報告に上がりました」
「イダイアさん、また何かやらかしてないですよね?」
「ええ、大しては。エヴァを回収するついでにダグラスとかいう王太子の中の爆弾を作動させただけですわ」
「それって全然『大しては』じゃないと思いますよ。……はぁ」
呆れた様子でため息を吐くのは、研究仲間の一人リチェルカ。
身分は平民だが、彼もなかなかに魔導科学の才に溢れた人物で、イダイアが信用する男だ。ちなみに彼ならば結婚してもいいと思っている。
……もちろん本人には言わないけれど。
「これからはわたくし、自由の身ですのね。つまらないお茶会などに時間を割くこともなく、研究にのめり込めるなんて素晴らしいですわ。ねぇリチェルカ、次の研究は如何いたします?」
「僕的には爆弾とかはあまり作らないので欲しいので、今度は役に立つもの……例えば薬とかどうですか」
「薬、いいですわね。それにいたしましょう。楽しみですわ」
イダイアはうっとりとそう言い、いつになく穏やかな笑みを浮かべたのだった。
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