第8話 激突の空! 白銀散る、超神速のドッグファイト
『カシュー』
此花の呟きが、呪われた島の沙漠の傭兵王の名前を紡いだ。
「本当に現れるとはな」
その名に恥じぬ、ドッシリと重厚な声音は、味方にすれば頼もしく……敵に回せば根元に至るためにあらゆる死を収集して螺旋を矛盾させていたり、願望器たる絶対悪を召還するために黄金の王と契約していたりしそうで……常識から逸脱、もしくは常識を破綻させた人格が連想させられる。
(あれ? 味方でも、赤い蛙宇宙人だと思えば、真面目すぎて不遇なギャグキャラ?
それに英国所属の吸血鬼って、敵とか味方とかいう単純な括りを超越してたような)
芸域が広い! などと感心している場合でもなく。
「さて、此花の使者よ。
すでに貴公の行いは我が輩達の目的を阻害してくれたのだが、なに、彼女は別として、我が輩としてはその手腕、大いに気に入った。
で、だ。こちらに参じる気はないか?」
落ち着いた、一言一言をジックリと口の中で熟成させる話し方が、外見にそぐわない。その見上げるほどの巨躯は、春告のイメージの中では、問答無用の悪だ。
恐竜形態のコミカルな芸風ならば親近感も湧くし、最古の拳銃タイプでも懐古補正も利いて話が通じそうに感じられるが、眼前の三段変形は、ガチで敵だと身構えさせられる。
アーノルドの時は警戒の意味での沈黙だったが、今回の沈黙は、交渉拒否の意図を込めて、意識的に敵対を主張した。
既に、春告は此花を依怙すると決めている。
相手にどんな思惑があるのか知らないが、日本とアメリカを刺激する花火を上げるような組織が、真っ当であるとは思えない。
『また、逃げろ?』
春告は問うた。
主の意向を。
『安心して、ハル。
カシューからは逃げられない』
『此花! ハル君、危ないことはやめて!』
此花との会話に、薺のチャット文がリアルタイムに割り込んでくる。
初めて薺に、ハル君などと呼ばれた事にときめきながら、しかし春告にも、此花の言わんとしたことが分かっていた。
ここで逃げたら、繰り返される。
ミサイルは両国に、何百発とあるものだ。
特に配備が古かったものであれば、理由と金さえあれば、廃棄という名目で両国政府と交渉することも可能だろう。
国家の軍事に介入できる相手との対峙。
一体此花とは何者で、その過去に真に何を思って活動していたのか。
そして、それを受け継いでいるアーノルドやカシュー達は、一体どれほどの実力を秘めた組織なのか。
分からない。
なにもかも。
ただ分かるのは、春告は彼らの行動を、生理的に受け入れることが出来ない。
それが過去の此花の発案であろうとも、今の此花の活動とは、理念の部分が根本的に異なって感じられる。
それが何かを言語化できるほど、春告にも整理は出来ていないのだけれど。
地球が熱いのなら、とりあえず冷やせばいい。
そういう、短絡的な意図が、ありありと見て取れる。
確かに現時点において、先進国と呼ばれる国しかり、世界的に見て環境問題が真剣に危惧されているとは思えない。
特に、エコという言葉が、単純な商品アピールに乱発されるようになってから、その理念は拝金主義に黒く染められ、結局のところ消費は拡大しなければならない、という商業原理から抜け出せていないと、春告には思える。
が、んなことはどうでも良いのだ。
おそらく此花も、そんな経済界に対抗して活動しているわけではない。
スペースデブリの掃除も。
大気中の二酸化炭素の回収も。
北極に氷を張ったことも。
すべては彼女が信念が発端であり、金儲けなんていう俗な理由からではない。
それは、人のためならず。
陳腐だと、古典的だと言われようとも。
ただ、未来の地球のために。
少なくとも春告は、そう信じた。
だから、此花を依怙しようと、決めた。
その此花は、過去の自分を否定する。
安直に、最も手早い簡単な方法で、地球気候に介入しようと言う想いを拒絶する。
春告は、その此花の想いを代弁するなどという、越権はしない。
ただ、己の言葉で、言うのみだ。
「空を、汚すな」
「よかろう。
その返答に、最大の敬意を。
さぁ、闘争の幕開けだ。
疾く、逝ね」
カシューは再び、戦闘機形態へと己を変じると、一度シャインダークから距離を取った。
それが戦闘準備であることを、疑問にも思わない。
(どうする?)
相手はMSサイズだ。その攻撃方法が飛び道具であれ、体当たりであれ、破壊力に特化していることは間違いあるまい。
(とにかく、当たるな!)
空戦の常識。
相手に後ろを取られるな。
航空力学を強引にねじ伏せる代償に、戦闘機というものは己の真ん前にしか攻撃できない。
故に空戦とはほとんど、位置取り合戦だ。
それも、単純に速度が大きければ良いというものではない。
空気がなければ飛ぶことも出来ない戦闘機は、しかし空気を斬り裂いたことで生じる気流の乱れに翻弄される。
その速度が大きければ大きいほどに気流の影響は凄まじく、ほんの少しの挙動のミスで、空気抵抗に機体を捻り切られる可能性もある。
故に、ドッグファイトにおける手札は限られており、機体の制御技術も去る事ながら、相手の心理を読み切って、次の手札を予想することこそが、勝利の鍵ともなる。
それが、本来の空戦ならば。
「くっ」
そして、真っ正面から体当たりを敢行してきたカシューを、シャインダークは、真上に避けた。
気流も、重力も、慣性も、何もかも無視して。
戦闘機もそれを弁えている。
どんな無茶な機動も、それが機体本体の強度限界を越えない限りは、ウィルゲムたちが補正してくれる。
だからカシューは、最低旋回で戻ってきた。ほとんど速度を殺すことなく。
「危ねっ!」
今度は背後からの奇襲だった。
薺のオールビュー援護があるから避けられたが、相手はマッハを越えた轢き逃げアタックを仕掛けてくる。
コンマ以下秒の躊躇いで、春告の肉体はミンチと化すだろう。
(どうする?)
ウィルゲムは、確かに無限の道具だ。
明確な願いさえあれば、先ほどのような無茶も叶えられる。
この空間に虹色のナノマシンを散布すれば、それだけで相手の機動を奪うことも可能かもしれない。
(けど、相手もガイアギアだ)
巨大で、変形機構を有して、おまけに冷徹で容赦ない。
確実に相手を捕らえられる策を用いないと、裏をかかれては一瞬で生死が分かれる。
(どうする)
避け続けても、燃料切れは期待できない。
かといって、千日手を維持できるほど、春告は自分を信じきれない。
単純な体当たりが、何よりも確実な脅威だ。
カシューにはこちらを、なぶり殺す準備がある。
少なくとも相手を殺すという意味において、彼に躊躇いは見られない。
(できるのか?)
命のやりとり。
本気の闘争。
生身の喧嘩もしたこともない自分が。
(けど!)
やるしか無いと、春告はウィルゲムに念じた。
シャインダークを中心に二重に展開した五芒星の、その内側がすべて彼の前面に移動する。
受ける。
受けてやる。
カドゥケウスが光り輝き、五芒星の前面の大気が急激に圧縮される。
その向こうに、戦闘機の威容が迫ってくる!
(怖ぇ!)
暴虐の塊が、見える範囲すべてを埋めた。
ドガガガッと硬質な衝撃音が、轟き、
「うわっ!」
シャインダークが成す術なく、受けた衝撃そのままに後方へ吹っ飛ばされた。
(受けきれないっ!)
シャインダークのステイタスをモニターしていた薺から、衝突の衝撃と、それに対抗するウィルゲムの強度の情報が来た。
超高速で空が流れる。
大気を全力で押し退けて、全身が風の暴威にもみくちゃにされる。
欠けたウィルゲムこそ無いが、三〇粒をもってしてもカシューの突撃を相殺できなかった。
『バカか、お前は! カシューの武器はあの巨体と重量ぞ! 物理的破壊力において、生身で立ち向かえるものか』
『それは……実感したよ!』
意識をハッキリと持つ。
まずは、自分を立て直さないと。
その瞬間……春告は眼下に、空中に留まっている三二発のミサイル群を見た。
(落下してない!)
カシューの仕業だろうか。
それ以外に、地球の重力へ反逆を成す理由はない。
(計画を、貫くつもりだ)
カシューが上空へ駆けつけた真の目的が見えた。
それは、万が一不発に終わった場合の、ミサイル爆砕の実力行使だ。
己自身が計画実行の保険。
春告がこの空域から離脱した途端に、確保したミサイルは全て強制解体されるだろう。
(ここまで来て、んなことされて、たまるかよ!)
意志を、前へ。
制動をかけて姿勢を取り戻した春告に、間髪入れずに薺からの警告が舞い込む。
それは、カシューの追撃の報せであり、
(九頭龍……!)
予想進路は、上下左右袈裟逆袈裟、そして正面! 神速ゆえに前面のどこからでも春告を襲いうる悪意の突貫に、
「ウィルゲム!」
春告は、全宝石を迎撃に回した。
今更回避は間に合わない。
かといって、力による相殺が無理だということは、既に体験している。
故に、シャインダークは二重の壁を前面に最大展開した。
激突が生じる。
大気を圧縮して固形化させた先とは異なり、可能な限りの柔軟性を持たせた大気の塊に、戦闘機がくるまれていく。
が、それで殺しきれる勢いではない。
あくまで、その速度を数パーセント、肩代わりするだけだ。
本命は、第二壁。
「どこに消えた!」
カシューは己の前方に、虚空が広がるのを見る。
そして春告からは、戦闘機が自分の正面を、全く速度を減ずることなく、直角にカーブしていく様が見えた。
ウィルゲムに限定空間で重力子を発生させ、シャインダークの前面の空間を強制歪曲させた結果だ。
カシューはもちろん、ただ直線したに過ぎない。
空間そのものが湾曲していては、どんな速度と威力を誇ろうとも、光すら曲げられるのである。
だが、
(こんな方法で、勝てると思ってるのか! 春告!!)
春告の頭蓋内に、強烈な怒声が轟いた。
此花ではない。
薺なはずもない。
ふきのでも草香でも近衛でもないその声は、己の内側から生じたものだ。
二度目。
二度目の声。
先日、アーノルドとの対決を決意した時、春告の原動力となった声だ。
(誰だ?)
あの時は夢中で、疑問を疑問として取り上げなかった。
ただ、己の中の闘争本能のようなものと、勝手に解釈して体当たりを敢行した。
此花に逆らっていた、という状況の余裕のなさもあって、何より戦闘そのものが短時間で終了して、その後に長時間の気絶を挟んだ春告の記憶から、優先順位を奪われて忘れてしまっていた。
(誰なんだ、お前?)
だが、今、ハッキリと自覚する。
これは、別人だ。
自分でない誰かが、自分の中にいる。
(俺に代われ! お前の属性じゃ、他人を傷つけるのは無理だ! お前は他人を救え! 排除は俺が担当だ!)
ナニヲ、イッテイル?
空気を震わさない轟き。
完全に内面世界の相手。
己とは似ても似つかぬアイデンティティ。
(誰なんだ! 君は!)
(俺は、蘇芳だ!!)
春告の絶叫は、蘇芳と叫ぶ爆音にかき消された。
まるでロックバンドの隣で、ハーモニカの生演奏でもしているような、自己主張の格の違いが、存在感の圧倒的な力差がある。
蘇芳と叫ぶ相手には、覚悟がある。
この場を乗り切るための、相手の排除を躊躇わない、意志の強さが。
己を絶対に迷わない信念が、この声には込められている。
(春告にあいつは倒せねぇ!
お前には、他人を排除するだけの『己』がねぇ!)
それは、誰よりも春告自身が自覚していることだ。
わがままを、己の意志を押し通すことは、司馬春告という少年の存在の対岸に位置している概念だ。
だが、春告は叫ぶ。
(正義の味方に、そんな強さは必要ない!)
(何が正義だ! このオタクが!
てめえも長年オタク稼業に浸ってれば、単純な勧善懲悪じゃ世界を語れないってことぐらい、常識レベルに染み着いているだろうが!)
グッと、黙らざるを得なかった。
勧善懲悪――そんなスッキリさわやかなテーマが失われて、一体何年が経っただろう。
正義の味方を自称する少年が、命を懸けた闘争の中で最終的にその正義を否定される、というテーマ自体が、もう手垢にまみれ始めている。
海外では宇宙の正義にすら祭り上げられている生誕三〇年を迎えた巨大ロボットのとあるシリーズですら、
(一作目はともかく、二作目じゃ、ジェノサイド側に回ったからなぁ、主人公)
春告があの作品から学んだのは、宇宙鯨なる魅力的なテーゼを最終回まで投げっぱなしにするのはダメだっていう事と、
(正義に力は必要だけど……力づくの正義は危険だよな)
果たしてそれを主人公の行動から知らされるのは正しいのかと激しく疑問に思うが、強引に押し通される暴力は、その根底にどんな思想があろうとも『悪』と呼ぶべきじゃないか、と子供心に深く刻まれたものだ。
(正義だなんだなんていうのは、結局言い訳だろうが!
お前が信じた正義なら、どんな障害があってもはねのけて貫け!
その結果として、相手が傷つくのは当然だ。責任だ。負うしかねえんだ!
身内を幸せにするために、無関係な敵をぶっ倒す。
それが世間の、正義ってもんだろうが!)
そう、結局、そこに行き着いてしまう。
組織のためには戦えなくても、仲間のためなら、恋人のためなら命を張れる。
昨今の正義の逃げ場は、そこだ。
結局、誰かを傷つけること前提で、守る対象の優先順位を決めないことには、迂闊に動くことも許されない。
それを、覚悟と、皆が言う。
でも、それでも、春告は食いついた。
(それは、物語の目指す正義とは違うっ!)
(ったりめえだろうが!
勝手に理想に生きてろ!
妖精みたいなお前にゃそれがお似合いだ!
だから、現実は、俺が引き受ける!!)
強烈な波動が春告の意識を震わせる。
目眩に似た視界のブレが、全身に襲いかかった。
(本気で、乗っ取るつもりか?!)
二重人格?
ジキルとハイド?
僕はいつから、乖離性同一性障害なんていうPTSD的疾患に取り付かれていたんだ?
分からない。何もかもが。
そんな混乱に拍車をかけるように、春告の視界の端で、予想外の変形をカシューが成していた。
(フォーミュラーカー形態!)
あろう事か、敵は空中で、四輪のタイヤを駆動させていた。先の春告の防御壁の応用か、空間を超圧縮して空気の摩擦をタイヤの下に生んで、天駆ける龍の如く、読んで字の如くの轢き逃げアタックをシャインダークに見舞わんと迫ってくる!
(か、壁を!)
(防戦一方で、勝てるわけねえだろうがっ!)
瞬間、春告は、己を外から見た。
あれ? 死んだ?
しかしまだ、カシューの体当たりに巻き込まれたわけではない。
しかし自分の意識は、完全に肉体から剥がされている。
(蘇芳に乗っ取られた!)
それが覚悟の違いなのか。
単なる覇気の差なのか。
現実として春告の意識は空を掻き、肉体の制御権を完全に奪われてしまった。
だが。
(あれ? うぉ? なんじゃこりゃ!
おい、手ってどうやって動かすんだよ!
っていうかこれ、重えよ! 肉体!)
困惑する蘇芳の喚きが耳元でうるさい。
その混乱っぷりから察するに、どうやら肉体の制御権を奪ったものの……生まれたばかりの赤ん坊の如く、OSの最適化がなされていない人型兵器の如く、骨と肉からなる有機体を動かすだけのノウハウを、蘇芳は持っていないらしい。
それだけでなく。
(おい、こら! カドゥケウス! 解けるな!)
春告は、自分を覆っていた銀色の装甲が、一瞬で霧散したのを見た。
仕方がない。
ガイアギアは、春告の念を得て駆動するものだ。
多重人格の場合の意識構成がどうなるかなんて想像したこともなかったが、どうやら肉体の制御権を失うと、脳波の発生にも影響が出るらしい。
故に、春告の念を失ったカドゥケウスは、力の源を奪われて、その維持を放棄した。
極寒の空に、春告の肉体は生身で放り出される。
そして当然の如く、地球の引力の手が、春告の五体に絡みついた。
落ちる。
真っ逆様に。
それが幸いした。
2秒後に、カシューが猛スピードで、上空を走り抜けていったからだ。
などと、安心していられない。
カシューの乱した気流に巻かれ、落ちる。
地上へ。
生身のまま。
当然、パラシュートなんて背負っていない。
(くっそ! なんだよ、これ!
動けよ! 反応しろよ!
今動かなかったら、意味ないだろうが!)
肉体は直立不動だ。
自律神経は生存機能を満足させているだろうが、どちらにせよ、このままガイアギアを発動できなかったら、地上か海面に叩きつけられて、春告は即死する。
(どけっ! バカ!
僕が死んだら、お前だって死んじゃうだろうが!)
これ以上静観できなかった。
我武者羅にならなければ、強引にでも制御権を奪わねば、容赦ない死が待っている。
(くっそぉぉぉぉ!
だが、忘れるなよ、春告!
お前には、信念は、貫けねぇ!)
(負け惜しみはいいから、とっとと肉体譲れよ!)
雲を貫いた。
日の光に余すところ無く照らされた日本海が、青々と大きな顎を広げて、春告が落ちてくるのを待っている。
実際にはまだ、千メートル以上の猶予があるのだろうが、しかし春告には、その青さが手が届くほどの近くに感じられた。
感触が!
風が痛い。目が痛い。耳が痛い。つか寒い。すっげぇ寒い。身動きとれない。
(ウィルゲム!)
念じた。
応じが来た。
カドゥケウスが光を放ち、春告の身を白銀の薄金が覆っていく。
だが、それでは足りない。
春告の周囲では、まだ二〇粒のウィルゲムが自由落下を謳歌しているはずだ。
(ネフライト!)
その全部を、認識している時間はなかった。
春告の願いは他の宝石の確保を叫んだが、それも自分の肉体が制御できていれば、の話だ。
自身の落下の制御に、相当の力が配分されたのは間違いない。
動きが緩やかになり、遂に空に静止したのを感じた時、春告は己の周囲に浮かぶ宝石が、一〇粒に減っているのを感じた。
(一〇粒、海に呑まれたのか)
もちろん、死ぬよりマシだ。
マシだが。
(一体、どうしてこんな目に)
蘇芳の絶叫がまだ、耳元に残っている。
あの強烈な刺々しい熱量が、自身の中で眠っている。
(そんなことより!)
春告は空を見上げた。
雲に閉ざされて見えないが、しかしまだ、カシューと三二発のミサイルが、あの空間に残されたままだ。
(行かないと!)
『避けろ! 春告!』
此花の叫びが、鼓膜を殴打した。
疑問の声すら、上げる間もなく。
背後からの衝撃が、春告の全身をぶっ叩いた。
咄嗟のことに対応できない。
水面に水平に、猛スピードで空をかっ飛んでいることだけが分かる。
(……あれ、は?)
春告から見て足下の方向に、緑色の人影を見つけた。
それは光を反射する滑らかな光沢に全身を包まれて、それでいて背中に生えた巨大な翼と、両腰からスカートのように伸びた装甲板が、空にXの字を描いている。
全身にスマートで、流線を繋いで編まれたシルエットが、女性の持つ柔らかさを前面に押し出している、
(仲間の……ガイアギア?)
カシューのバックアップに待機していたのだろうか?
迂闊だ。
相手が一人でいるなんていう保証はなかったのに。
『ハル! 戦場から離脱せい!』
金切り声に近い叫びが、此花の喉を震わせている。
『でも、まだ! ミサイルも残っているのに!』
『ええい! こんどばかりは問答無用じゃ! 薺、草香! カドゥケウスを発動せい! 強引にハルを連れ戻すんじゃ!』
直後、シャインダークの周囲が、外部からの力場で繭のように包まれた。
『な、何をするんだよ!』
『今は、とにかく、帰って来い!
天都は、お前が相手にするには早すぎる!』
『そんな! だってまだ! ミサイルは排除しきってないのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!』
春告の絶叫が、孟夏の日本海に、長い長い尾を引いて……やがて日本列島の方向へと、小さく、儚く、消えていった。
緑色の女性型ガイアギアに、直立不動で見送られて。
それから五分後、三二発のミサイルの誘爆が、日米両国の監視網によって捕捉された。
両国政府は、ただちに大統領と首相による正式な抗議を表明した後、国連での制裁決議に向けた裏工作を模索。
中国政府は日米両国の抗議を受けて、二時間後に、声明を発表。
「今回のミサイル打ち上げは、ジェット気流の流れを詳細にトレースする発信機の打ち上げという科学的な目的であり、軍事行動には当たらない」
その日の午後には、アメリカ国防相から、
「国際合意のない測定器の大気中への散布は、その目的の如何に関わらず、他国の領空侵犯に当たる危険性がある」
とする、強気の発言が飛び出し、国際世論が一斉に硬化した。
その発言に対する、北朝鮮政府の正式声明もまた、決して妥協を許さぬものだった。
「領空侵犯というのならば、当国の軍事施設を人工衛星で盗撮する行為もまた、領空侵犯に他ならない。我が国は全世界に対して、あらゆる人工衛星の当国上空への侵入を非難するものである」
そのまま、この件は時の流れに風化する運命を辿る。
米国本土において、中華系ロビィストによる連邦議会への圧力が増したためだったが……折り悪く北大西洋上に、カテゴリー5へ成長する危険性のある巨大ハリケーンの発生が確認され、全米の興味は瞬く間に、メキシコ湾岸における被害回避へと集中したためでもあった。