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第5話 激白っ?! 極北を埋め尽くす胸焦がす想い

「へぇ、白夜って本当に明るいんだ」

「何をのんきな事を」

 ふきのの心底感心したという明るい言葉に、春告はるつぐは呆れざるを得ない。

 時は深夜。

 場所は北極。

 見えない足場にでも引っかかったように、南の空に太陽が居残って、空は白々と、不思議な光に照らされている。

 見渡す限りの一面の白銀……ではなく、所々に黒い面を覗かせているのは海面だ。夏場に溶けて薄くなった氷は所々でひび割れ、流氷と化し、そのまま海水に埋没していく。

「そんなことはいいから、早く念じてくださいよ!」

「もう、ハルって情緒ないなぁ」

「ふきのさんに言われたくないです」

「この格好のオレは、夜王ナイトライダーだ!」

 春告は一瞬、そのナイトはNではなくKで始まるのが真実だと告げたくなったが、グッと堪えて念に集中した。

 場所は北極。

 季節は夏。

 二人は今、薄氷を踏む思いで、文字通り薄氷の上に立っている。

「これって、あれだね。アスガルド編だよね。つまり、オレってアテナ様か!」

「いや、絶対にヒルダでしょ……あれ、でも性格はヒルダの方がいいのか?」

 適当に突っ込みを入れながらも、春告の集中は揺るがず、足下に集中した。

 北極に氷を張ること。

 それが今日、此花こはなから命じられたミッションだったのだ。

 聖闘○星矢が北極の氷の融解を防ぐために戦ったのは、そのことで海水面が上昇し、沿岸部の都市が水没するのを阻止するのが目的だったが……現在、夏場、既に北極の氷は溶けかかっていた。

 もちろん、当時は今ほどコンピューターも進化していなければ、検証すべきデータも揃っていなかっただろう。

 そして今になって言えるのは、北極の氷が全て溶けてしまっても、あの当時予想されたような大洪水という災害は起きないだろう、というシミュレーション結果だ。むしろ北氷洋の氷が溶けることで、ロシアやアラスカ、北欧三国と呼ばれる国々にとっては新手の漁場と航路が開け、ある程度の経済効果まで試算されている。

 が、此花は言った。

 北極の氷を、厚くしてこい、と。

 理由は二つ。

 一つは北極の氷が溶けることによる海面上昇、の抑制。たとえセンチ単位であろうと、砂浜が消えるような悪影響は免れないからだ。

 二つ目は、氷による太陽光の反射。前回の赤道出動と矛盾するようだが、太陽光を白い物体によって宇宙に反射することは、気温上昇を防ぐという意味では、理に叶っている。

 もともと北極も南極も、氷が溶けないことで一定の太陽光を反射し、だからこそ、地球の気温は一定の値に保たれていた。逆に言えば、今の地球環境は、北極の氷があることを前提に構築されていて……もし氷が消えてしまえば、北極が反射していた太陽光は、全て北極海に吸収されて、熱となって大気に還る。

 ゆえに春告とふきの、

「だから、オレは夜王だ!」

 もとい、シャインダークと夜王は、小宇宙もとい念を込め、ウィルゲムの助力による北氷洋の氷床増築に出動させられた。

「というか、なんで夜王まで来たんです? 街の平和はいいんですか?」

「んん、一晩放っておいたからって、劇的に悪くなるわけじゃないし。白夜って一回見てみたかったし」

 それでいいのか、正義の味方。

「シャインダークも、特訓しなきゃ、と思ったしね」

「特訓?」

「そそ。格闘の」

 春告は今朝の上映会を思い出した。アーノルドとのどつきあいに駄目だしをしたふきのは、春告にもっと格闘のセンスを身につけるよう、苦言したのだ。

「え? ここで?」

「だって白夜だよ。照明いらなくて、エコじゃん」

 そういう問題だろうか、と春告はスーツのなかで半眼になるが、相対するふきのはやる気に満ちていて、引き下がるつもりは全くない。

(それにしても)

 と、改めて春告は思う。

(エロいな)

 夜王のデザインの話だ。というより、それはデザインですらないのかも知れない。

 ふきののガイアギアは、宇宙世紀のパイロットスーツか、新世紀のプラグスーツか、民間ロケット会社のスキンタイトスーツかと見間違うほどに、肉体のラインにピッタリだったのだ。

 カラーは、真紅。燃える女がコンセプト。

 その、出るとこは出て、引っ込むところは窪んでいるメリハリボディは、毎日下着姿に見慣れているからこそ……全裸以上に肉体ラインを強調していて恥ずかしい。

 頭部と肩、肘、腰、膝など、要となる部分には硬質なプロテクターが保護のために貼り付いているが、結局キモは、殴ることに特化した拳と、蹴ることに重点をおいた脚だろう。

 格闘一筋。

 ひょっとしたら、相手の劣情を刺激して敵意を削ぐという目的もあるのかもしれないが、基本ふきののガイアギアは、動きやすいことだけを念頭に置かれている。

 だったらもう少し、背景にとけ込む努力もするべきだろうと春告は思ったが、目立つことによって犯罪を抑止する、という大義名分を掲げている以上、せめてカラーだけでも変えるという選択肢は存在しない。

(それとも、ミノ○スキー粒子下の運用を考慮してる?)

 特殊な粒子を散布された空域では、赤色が見えにくくなると言う後付け設定ではなく、あえて目立つことで敵の戦意を挫き、味方を鼓舞した彗星の男のごとく。

 唐守からすまふきの=夜王は、その存在を示すことにおいて夜の街の秩序となり、暴力をチラツかせることで、無秩序を押さえ込もうとしているのだ。

「んじゃ、氷も厚くなったことだし、始めようかね、ハル」

「本当に闘うんですか?」

「せっかくだしね。オレら生活すれ違いだから、ゆっくり会話する機会もあまりなかったし」

「……闘いながら、おしゃべりもすると?」

「え? 拳と拳で語り会うんじゃないの?」

 肉体言語というコミュニケーションもあるのだと、春告の眼前に立つ女は言っている。

「その上、氷は造り続けるんですよね?」

「当然。でも、黙って造ってるだけなんて、暇じゃん」

 おしゃべりしながら氷を造るという、ありふれた選択肢は彼女には存在しないのだろうかと、春告は真剣に期待した、が。

「んじゃ、先手、もらうよ」

 空気は固まらずに、いきなり突風スピードで動き出す。

「消えた? 上?」

 格闘ものならお約束の展開に、反射的に上空を仰ぎ見た春告は、しかし、

「いない!」

「背後でしたぁ!」

 心の底から楽しそうなふきのの台詞が、背骨に拳と同時に打ち込まれていた。

「ぎゃぼらばっ!」

 思わず口から内蔵が吹き出しそうな衝撃に、身体があり得ない角度に曲がりそうになり……そのまま春告の肉体は氷上を飛んだ。

 氷を抉りながらの着地は、着地というより擦り下ろしの刑罰だ。何度もバウンドを繰り返し、その度に強烈な衝撃が、春告をあらゆる角度から責め立てる。

「ほらほら、どうした、立て立て。レディファーストで先手もらったけどさ、本当ならジェントルマンがレディをエスコートしてくんなきゃ」

 ふざけんな、と本音が漏れそうになった春告は、それでも打ち身が鈍痛に変わるにつれ、静かに氷の大地に両足で立つ。

「こ、こんな威力で、一般人相手にしていたら、死人が出るでしょ!」

 傷害致死で警察から指名手配されているという噂も、案外真実かも知れないと思えてくる。

「失礼な! 手加減せずに殴ったの、これが初めてだって! 憎いね、この。オレの初体験はハルのものってわけだ」

(こんな初体験いるかっ!)

 頭の中で円グラフを思い浮かべた春告は、脳容量の半分を氷床造成に割り当て、残り半分を慣れない格闘にセットする。

(蹴る? 殴る? それとも急所?)

 まともに喧嘩をした経験もない。

 兄弟がいたならともかく、一人っ子のくせに他人に譲ることを信条としていた春告は、これまで譲れない何かのために拳を振るった記憶がない。

(結局、真正面か!)

 考えたところで、実戦に役立つ何かが思い当たるわけでもなく、春告は愚直にまっすぐ、全推力を拳に回して特攻した。

「潔いけど、頭は悪い!」

 読まれ、避けられ、蹴られる。

 直線運動は直角に折れ曲がり、春告は横回転しながら氷床を突き抜けて落水した。

(なんだよ、これ。話にならねぇ)

 まず、相手の動きが見えない。見えないものが参考になるはずがなく、お手本がないのにいきなり創作できるのは、一部の天才か馬鹿だけだ。

「ふっふ〜ん。余裕余裕。あんまり余裕だから、恥ずかしい過去でも語っちゃうかな」

 いっそこのままクリオネを探して漂っていようかとも思った春告だったが、ふきのの言葉に意識をとられた。

「オレがどうしてガイアギアに変身してるのか、話したことなかったもんね?」

 それを言うなら、自分がどうして此花に選ばれたのかも知らない春告だ。興味が無いなんてツンデレでもなきゃ言えない。だが、ふきのはそのまま黙る。

(拳で語れ、か)

 恐らく、打ち合いがそのまま、会話となり、話の続きにするつもりなのだろう。続きを知りたかったらかかってこい、という遠回しの催促か。

(ひょっとしたら、此花の目的が分かるかも知れないし)

 午前中、近衛と二人で死にかけた、此花の行動原理の解体。あれはアパートという此花フィールドで行った愚行だったが、なるほど北極まで、あんな魔術は届くまい。

 故意か偶然か、今日は全くといっていいほど、此花や薺からのチョッカイが入ってこないのも都合がいい。

(だったら)

 春告は水中を進む。澄み切ったアイスブルーの海水を貫いて、目指すはふきのの足下直下。

(いや)

 そこを追い越し、背後から。

(創意工夫しろって、言われたしな)

 春告の念が、六つの行動を同時に起こした。

 水流に念を込めた、氷を突き破って吹き出す水柱が五本。ほとんど同時にふきのを取り囲んで、

「背後?」

「と見せかけて」

 相手の裏の裏をかく。振り返ったふきのの背中の氷を突き破って春告は、更に相手の直上まで高度を取り、

「天空、×字、アタァァァァァァァァッ」

 結局、体当たった。

「少しは、頭、使ったわけね」

 だが、受け止められる。両手で春告の投身攻撃を掴み取ったふきのは、そのまま、春告を頭から、氷のマットに突き刺した。

「だったら、頭、冷やせって!」

 首まで見事に氷に埋まり、そのまま逆立ちで身動きが取れない。

「オレはさ、昔っから、夜の街をぶらついてたんだ。家に帰りたくなくってさ、だからって不良グループなんかに混ざるのゴメンで、今と変わらず、正義の味方ごっこばっかり、してたんだ、よ!」

 ふきのは春告の両足を掴んで氷から引っこ抜くと、そのまま両足を腰部分にホールド、ジャイアントスイングに移行する。

「オレは、両親が、大っ嫌いでさ! 夜に一緒の家にいたくなかったから、二人が仕事に出かける朝に、帰る生活してたん、だ!」

 猛回転にも関わらず、彼女の言葉は歪みない。

「結局そのまま夜型スタイルだよ。で、高校生の不良グループから、チンピラに噂が伝わって……ヤクザに取り囲まれて事務所に連れ込まれてさ、本気でヤバいってカチカチ歯を鳴らしてたときに、此花に助けられたの、さ!」

 いったい何回転したのか。ひょっとしたら指先あたりは音速を超えていたのかも知れないと思いながら春告は、万歳スタイルで明るい夜空をアイキャンフライ。

 ジャイアントスイング中にウィルゲムを通して脳内に伝わってきたのは、今より数年若い、高校時代のセーラー服着た唐守ふきののイメージで、

(普通に、かわいいじゃんかよ!)

 分からない。どうしてふきのが夜の街に逃げなければならなかったのか、理解できない。家族の問題? 帰る場所がなかったから? けど、だって、友達とかは……考えている間に春告は、華麗な放物線を描いて剥き出しの海面に落下した。眼下で白クマが、感情の籠もらない瞳で春告を追っていたのが印象的だった。

 春告は沈む……極北の海へ、思考の渦へ。

 ふきのの過去が、掴まれた脚から流し込まれた記憶が、春告の中で渾然一体となって脈絡なく現れては、消えていく……。

「そうか、じゃぁ」

 春告は、納得した。

 彼女に感じていた、親近感の正体を。

 どうして自分が、此花のアパートを逃げ出さないのか……その根元的な意味を。

 光が届かない深度まで達して春告は、ようやくふきのと向き合う覚悟を決める。

 相手の事は、分かった。

 乱暴なやり口ではあったけれど、彼女の言いたいことはよく、伝わった。

「今度は……」

 僕の番、か。

 しかし、春告には、胸を張って主張できるほどの理由はない。あの日、春告が生まれて初めてのサボタージュに至ったのは、前日の放課後に、教室に残っていたクラスメイト達の嘲笑を聞いてしまったからだ。

 何故、いつもなら聞き流すだけの悪口が、あの日に限って春告の胸を抉ったのか。

 分からない。分からないが、黄昏時、逢う魔が刻、夜がその首をもたげる紅い夕焼けの中で、春告の耳に挿入された笑い声が、今も思い出すだけで、頭蓋に反響して止まらない。

 朱と影で彩られた、墨絵のような世界。男子生徒のみならず、女子生徒を織り交ぜて、総勢十名ほどが司馬春告という存在の否定を肴にして……まるでバラエティ番組を取り囲む家族の団欒のごとく、屈託のない笑顔と談笑を弾ませていた、あの夕刻に、春告は壊された。

 木っ端微塵に。

 塵芥すら残さずに。

 未練という感情を……壊されたのだ。

 それは、表面張力いっぱいまで水が注がれたコップにドロップした最後の一滴。

 もしくは、物理的強度限界まで膨らんだ風船に触れた、研ぎすまされた針の先端。堅牢なダムに生じた、ミリ単位のひび割れのように。

 故に、ただのキッカケ。

 既に断崖絶壁に追い込まれていた春告の、背を押した慈愛の手。

 司馬春告にまだ、立ち直る気力が残っていた最後の瞬間に、奇跡的に此花と巡り会う機会をくれた、運命のイタズラ。幸運の女神の前髪。

 あの日、高校生活への別離を真剣に考えたあの日がなければ、春告の今はなかった。

 鬱ろな心を、虚ろな心を抱いたまま、ただ生気を失っていくだけの生を、全てが風化していくだけの営みを、手遅れになるまで送っていたに違いない。

 だから、今の春告ならば、あの日の彼らに感謝すら、言える。壊してくれてありがとうと、絶望をくれてありがとうと……再生は、破壊のあとにしか訪れないのだと、実感をこめて告げることができる。

 だが同時に、あの日はキッカケでしかないのだ。

 根本的な部分で、春告は、絶望への行進を続けていくしかなかったのだ。

 その想いを、念を、ウィルゲムに込めて。

 春告は、シャインダークは、光を放って推力を得る。

 海面を割って、飛び上がった春告は北極の空を征く。

 白い空と、白い氷に挟まれた世界。

 黒い海が、凶々しく白を浸食している世界に、紅、一点。

 白を貫くように輝く紅の女が、夜を制する王として、凛と空を見上げている。

「なる……ほど!」

 春告は、離れて着地する。

 相対すが、言葉はかけない。

 今の夜王に応えるには、シャインダークも構えるしかない。

 夜王は、凍気を高めている。

 両足を広く開き、上体はきつ立、両手を体幹に沿わせて真っ直ぐ空へ伸ばし、両の掌を固く組み合わせて形作るは水瓶の姿、視線は真っ直ぐに春告を射抜く。

 そのバックに、水瓶を肩に担いだ美少年が幻視できるほどの、見事なポーズだった。

 闘志ならぬ凍志の高まりは、夜王の周囲を急激に凍結させ、大気中の水蒸気までが氷と化して、ダイアモンドダストを形作る。

(あれに対抗するには!)

 一瞬の逡巡が生じる。

 選択肢は、二つ。水瓶宮か、北氷洋か。

 そして春告は、両手を開いて互い違いに向かわせて、その胸元に凍気を錬成するイメージを、ウィルゲムに送信した。

 ネタ的には既にその時点で負けが確定なのだが、場所がシベリアの延長戦上であり、設定的には沈没船の眠る海の上であるなら、そうするのが筋だと思ったからだ。

 聖なる闘士なら、想いを極限まで凝集、爆発させることで、その手の平のなかに絶対零度すら生み出せるという古き言い伝えを、春告は信じているわけじゃない。

 しかし彼の胸の前に生み出された凍気は、周囲の空気中の水蒸気すら凍り付かせ、透明な大気に七色の輝きを放たせる。

 燃え上がれば燃え上がるほど凍てつく、矛盾する理。

 だが二人にとって、それは良く知った感情だった。

 身を焦がすような怒りは同時に、あらゆる周囲への関心を凍り付かせる。

 泣きたくなるほど胸を締め付ける切なさを裏切られた悲しみは、愛憎表裏、静かな怒りとなって心の澱に固形され、人格の一翼として社会に敵意を剥き出しにする。

 唐守ふきのと、司馬春告。

 二人の心の奥底で燃え続ける凍り付いた怒り。

 なぜ、夜の街で時間を潰さねばならなかった。

 なぜ、真昼の公園で自己の消滅を願わねばならなかった。

 どうして、此花に出会って、救われたなどと感じなければならなかった。

(簡単な理由だ)

 社会から、弾かれたと、身を持って感じたからだ。

 自分という個性が、今の時代の社会にマッチングしないと、痛感したからだ。

 学校教育というシステムに迎合できなければ……あの国で、十代の青少年が生きていける世界など……ましてや夢や希望を育める環境など……ほぼ、無に等しい。

 そしてふきのと春告の個性は現況のシステムには馴染めず、二人は自然と、社会そのものへの適合を、自分という個性の否定を、諦めたのだ。

 そんな、ありふれた不幸が。

 どこにでも転がっている悲劇が。

 今の二人を出会わせ、ガイアギアを通じて、極低温の向かい合わせを生んだ。

 今や二人は渦巻く冷気の谷底にあり、周囲の空気を文字通り凍り付かせながら尚、更にその凍気を高ぶらせる。

 怒りというものが、その激しさをもって前進へと身を向かわせる正の力ならば、二人のそれはどれだけ燃え上がらせても、深めても、決して彼らを前進には導かない、全ての意志を凍らせる負の炎……虚無だ。

 今、冷気という名を借りて、二人の虚無が空間を凍らせていく。

 それは足下の氷床を厚く、そして広大に海を渡らせ……零下の感情の波は、複雑に絡み合って更に、北極の海を凍り付かせる。

(オレらにとっちゃさ、ハル。みんなから祝福される結婚だとか、社会的に認められる成功なんて言うのはさ、口にするのも馬鹿馬鹿しい、夢なんだよ。

 しかもそれは、絶対に叶わない夢だ。想えば想うほど、強く願えば願うほど、自分で自分を絶望の沼に沈めていく、地雷さ。

 分かるだろ?

 ハルはどうだか知らないけど、オレは両親を好きになるわけにはいかなかった。両親を憎むことでしか、自分に生きる活力を見いだせなかった……だからって、自分が、社会不適合だなんて、誰にも言わせるわけにはいかなかった!)

(分かるよ、その気持ち……本当は分からないけど……でも、多分、根っこでは同じなんだと思う。

 僕は、別に、みんなと違くあろうとしたわけじゃない。自分では普通だと思って行動したことが、周囲に受け入れられなかった、それだけなんだ。

 何が正しいとか、誰が正解だとか、どこにも書いていないし、審判がいるわけでもないのに、僕の行動はいつもいつでもアウトになって、他の子と同じようにしたって、僕が僕であるって理由だけで、僕はいつでも弾かれたんだ)

(オレも、草香そうかも、なずなも、多分近衛このえも……此花は言わずもがなだよな、なんたって魔女なんだから。

 とにかくみんな、訳も分からずに除け者にされた人間なんだよ。勝手な理由で差別されて、一方的な正義で裁かれて、少数派で、マイノリティで、何を言っても聞いてもらえない、ただ主張するだけで睨まれる……そんな存在価値を、押しつけられたんだぜ。

 考えてみりゃ、オレらは、ただいるだけで、社会から排斥される存在なんだ。常識とか、コモンセンスとか、社会倫理とかの適用除外を申告されて、根拠もないのに蔑視されるような人間なんだ。

 だからさ、おかしいんだよ。悩むだけ、無駄なんだよ。

 正義とか、悪とかさ。

 社会にとけ込めずに、どうして社会正義を唱えられるんだ?

 オレは最初から、オレだけの正義を信じて、夜の街で叫び続けていたんだぜ)

(僕は、父さんを、殺してしまった……。もちろん、故意じゃない。故意なんかじゃない。父さんは、突き飛ばされて車の前に飛び出した僕を庇って……笑いながら、死んだんだ。

 格好いいだろうって。子供を守って死ねるなんて、最高に男らしい死に方だって。

 でも、僕はその時、分かってたんだ。

 僕を突き飛ばしたのは、多分母さんだったんだって。

 この世で一番、誰よりも父さんを愛していた母さんにとって、父さんとの愛のオマケとして出来てしまった僕が、目障りなんだって、分かってたんだ、子供でも。

 僕が、なんの努力もしないで、ただいるだけで父さんの愛情を奪っていく存在だったから……母さんにとって僕は、父さんとの二人きりの時間を邪魔する存在でしかなかったから……だから、あんな悲劇が起きて……なのに、肝心の僕が無傷で、父さんは何も知らないまま、満足気に笑いながら死んじゃって。

 それから今日まで、どうして母さんは僕を殺さないんだろうって、ひょっとして今夜あたり殺されるんじゃないかって、そんなことだけを考えて生きてきた。

 母さんは、本当に父さんを愛していたから。深く強く、熱く誰より、愛していたから……息子のことすら目に入らないくらいに、愛していたから……なのに父さんは、最後の最後まで、僕だけを見つめて、死んでしまった。

 僕も、だから、もう、家には帰れない。帰っちゃいけないんだ。

 学校にだって、いられない。

 みんなが当たり前だと思っている幸せを、僕は信じられない。家にいるだけで殺されるかもって、そんな毎日を普通だと思う時点で、僕はみんなと同じ地平にいられない。

 それでも、僕は、死にたいとだけは、思わなかった。

 消えたいと願って、此花に叶えられて……でも、死にたいとだけは、願ったことがないんだ。

 僕が死ぬくらいなら、世界が滅ぶ方が筋だってすら思ったんだ……だから、妥協点は、僕が消えることしか、無かったんだ。

 僕は、自分が納得していないのに、周囲に受け入れられなかったからって、死にたいなんて思えない。

 だって、僕は、自分だけが間違っているなんて思わないから。

 みんなが同じように間違っているんなら、自分だけが死んでしまうなんて、不平等だ。

 だから僕だって、僕が正義だと……いや、正義かどうかなんて、本当はどうでもいい。

 国だとか、世界だとか、地球だとかだって……そんな名分を掲げるくらいなら、僕は、自分だけが信じる大儀を掲げる!

 此花に協力することだって、僕の意思だ! 僕だけの大儀だ! 僕が幸せになるかどうか、みんなのためになるかどうか、そんな事はどうだっていいんだ! 

 僕は、僕が信じられるものを貫こうって、そう、思えるように、なったんだ、やっと!

 そのための、意思を表す力に、遂に出会うことが出来たから!)

 無念とは、夢念だ。

 残念とは、念が残っているからこそまだ、進行形だ。

 ウィルゲムは、念を力に換える触媒。

 主の念が強ければ強いほど……

(光なんてな、幸せなんてな、強く輝く世界の中に置かれたら、周囲に紛れて見えなくなる程度のもんなんだ!)

(闇が深ければ深いほど、影が濃ければ濃いほどに、蝋燭の灯火が、太陽みたいに煌めくんだ! 星の輝きが、夜の闇でないと見えないように!)

(だから、オレは!)

(だから、僕は!)

((不幸であったことを、誇る!!))

「「オーロラ!」」

       「エクス」「キューション!!」

       「ボレ」 「アリス!!」

 夜王の拳が降り下ろされ、シャインダークの冷気が臨界を迎えて弾けた。

 あらゆる物体を凍り尽くさんと、二人の念が北極に炸裂する。

 凍気が、凍気をむさぼりあい、互いの凍気を飲み込みながら駆け抜ける。

 衝撃に弾かれた氷弾は、着地と同時に氷の大地の熱を奪い、海中へと凍気の腕を伸ばしてまだ止まらず。

 冷気の渦に遮られて運動を滞らせた風のエネルギーは、更なる大気の流れを中心へと落とし込む。

 ふきのと春告を中心に、黒の海を白の輝きが埋め尽くしていく。

 白夜の太陽の輝きが、白の鏡に反射して、目も眩むような白光を宇宙へと弾いていく。

 陽光を拒絶する純白の大地が、拒絶するからこそ、黒き海を白の光で埋め尽くす。

 夜の地球で、太陽の沈まぬ北極が、真夜中の夜明けのごとく、光子の瀑布を爆ぜていき……遂に、二人の周囲で、あらゆる運動が、停止した。

 絶対零度と呼ばれる境地。

 超電導がエターナルサーキットを駆け抜ける世界。

 互いの凍気に呑まれて氷像と化した両者が、微動だにせず対峙した。

 次の瞬間、GAIA理論によって恒常性を旨とする地球の自動気候修正機構が、轟音とともに制止した世界を破壊する。

 あらゆるモノは、あるべきように。

 許されざる変化は、砕け散り。

 北極の氷床と、生物たちの日常が保たれるレベルまで、まるで最初から計画されていたかのように、シーソーはバランス点を導き出す。

「さすが地球……手強い」

「いや、感心する前にやりすぎたことを反省しましょうよ」

 二人のガイアギアもまた、主の生存という本能を全うすべく、その凍結を解除する。

「いやぁ、やれば出来るもんだなぁ。こりゃ、本気になったら生身で光速も可能じゃない?」

「それ、アクセルフォームですか? それともクロックアップ?」

「なんで年代すっ飛ばすかな」

「いや、装着モノっていうより、僕ら変身モノですから」

「変身モノって言えば、シャインダークの変身プロセスって、どんなの?」

「変身……プロセス?」

「いや、ハルのそれってメタルヒーローっぽいから、0,05秒で変身完了して、スロー再生で変身プロセスをもう一度っていうのじゃないかなぁって」

「……夜王はあるんですか? 変身ポーズ」

「ん? オレの場合はこれよ」

 そういってふきのが取り出したのは、手のひらに収まるくらいの大きさの、回転弾倉式拳銃で。

「光の弾で空中に北斗七星描いて、『七星変化』って叫んで魔法少女チックに変身すんの」

(二十歳の成人が魔法少女?)

 口に出さないのがエチケット。

「で、あんたは、ないの? 蒸着とか赤射とか焼結とか瞬着とか、そういうの」

「強いて言うなら……」

 春告の右腕が天を目指して伸ばされ、

「カドゥケウスを掲げて」

「テ○クセッター!」

「……それ、メタルヒーロー違いますから」

「でも、シャインダークの場合は、せっかくなら五芒星を描くってのはどうよ? こう、陰陽師的に。ていうか、名前がすでに陽と陰なんだから」

「それも、此花が動画用にとっさにつけた名前っぽいんですけど」

「んなら、両手を前に突き出して、指先で五芒星を描くってのは……」

 そういって、二人で両手を前に突き出して、指先をなんとか五角形に揃えようと、

「だ、駄目。つ、ツル! ツッちゃう!」

「こ、ここまでして変身する意味がないでしょ!」

 結局、春告の変身バンクシーンは保留扱いとして、

「まぁ、なんだ。話戻すけどさ」

 ふきのは、すっかり凍り付いた周囲の景色を満足そうに一望すると、親指を立てて左腕を春告に突き出し、

「戦闘の要は妄想具現化ってことで!」

「戦闘センスが涙目で逃げてく発言ですね、それ」

「いや、ここまで出来るんなら、むしろ中二設定で突っ走るのもありなんじゃないかって」

「そんな、なんだかわからんが、とにかくよしって勢いで良いんですかね」

「その台詞を私に言わせたいんなら、ハルはここで全裸にならなければいけない!」

「そんな事言って、生身に鉄球撃ち込む修行に移行するんじゃないでしょうね!」

「修行なら脱ぐんだ!」

「どこに需要があるんですか、どこに!」

「じゅる」

「最低だ、この人……」

「まぁ、なんていうかね」

「なんです?」

「世間はともかく、信じる大儀に殉ずればいいんじゃないの? オレら」

 あぁ、つまり。

「此花が正義であろうがなかろうが……信じる限りは付き合え、と」

 そうそう、とふきのは大きく頷いて。

「少なくとも、此花はオレらに、生きてる理由をくれたんだからさ」

 そうか、と春告の胸に、ストンと何かが落ちていく。

「正義なんて、形のない何かに責任を押しつけたら、そりゃ偽善だよ。

 それにさ、ハル、知ってるか?

 エコってさ、依怙贔屓のエコなんだぜ?」

 いや、本当はエコロジーでしょ、と心中突っ込みながら、

「地球に肩入れしたらエコで、人間に肩入れしたらエゴってことですか?」

「むむむ、誰が巧いことを言えと」

「とりあえず、しばらくは……ま、此花を依怙えこしてあげよう、ですかね」

 結論が、出た。

「そうそう。あっちが立ったらこっちは立たないんだから、どっちつかずじゃなくて、自分の立ち位置シッカリしとけってだけの話」

 それが、つまり……今朝の上映会で悩んでしまった春告に対する、ふきのなりの講義だったのだろうと、春告は思った。

 ふと、時刻を気にしてみれば、いつの間にか日本時間では日の出を迎えようとしている。

「いけね。今朝は畑の手入れしないと」

「んじゃ帰りはさ、裸つながりで、廬山亢龍覇ろざんこうりゅうはやってよ。んで、オレにも宇宙見せてよ」

「それ以上裸にこだわると、成層圏から地上に蹴り落としますよ」

 直後、二人の冗談を引き裂く通信が、極東の魔女から入電した。

「二人とも、即ユーターンじゃ!

 日本海挟んだバカたれが、懲りずにミサイル撃ち込んでくるぞっ!」

 迂闊でも月曜日でもない日本に、非常事態宣言が発令されようとしていた。




 

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