オルゴールと天の川の恋人たち
あれから二日後、七夕はもう目前に迫っている。オルゴール作りは間に合っただろうか。時おり晴れ間がのぞく空を見上げ、ぼくは夜を想う。
それと一緒に、どうしてもベガちゃんの声を思い出す。彼女の期待に応えたい。けれど、ぼくにそんな力はあるだろうか。
ベガちゃんからもらった、羅針盤を見つめる。羅針盤、とは言っていたが、その作りはシンプルで方位磁針と変わらない。
文字盤は星空を模していて、こまかい星の砂がちりばめられている。四つの方角には、それぞれひときわ大きな星。そしてその中心に、優美な銀の針が浮かんでいる。
「ベガちゃんの作るものって、どれも綺麗だな。きっと、オルゴールも……」
突然、羅針盤が淡く輝いた。赤く塗られた銀の針が、ある方向を指し示す。
「わかった、そっちに行けばいいんだね」
羅針盤にしたがって、ぼくは雨に濡れたアスファルトを歩き出す。不思議と疑うことはなかった。ベガちゃんが呼んでいるのだとわかる。
人気のない路地裏にさしかかると、不自然に穴が現れた。どこかから夜空を切り取ってきて、そこに置いたみたいだった。
迷いなく、その穴に飛び込む。いつだったか連想した、不思議の国に迷い込んだ少女のように。
星空がぼくを迎える。数多くの小さな星たちは、それぞれ違う色と光で輝いていた。
そうしてぼくは、ゆっくりと天の川のほとりに降り立つ。ぎゅっと羅針盤を握り直し、ベガちゃんの作業小屋のドアをノックした。
「文弥。ゴメンね、迎えに行けなくて。予定より早くハデスさまが来たからさ」
「ううん、構わないよ。オルゴールはできた?」
「モチロンだよ! すごくいい出来だから、早く文弥にも見てほしいな」
いつも通りの笑顔を見せるベガちゃんにうながされて、中に入る。すでに織姫さまとハデスさまがそろっていて、ぼくは一礼してから席についた。
テーブルの上には、二つのオルゴール。片方をベガちゃんが手で示した。
「コチラが、ハデスさまのご依頼の品になります」
「良ければ、解説をしてくれないか? ただ贈るだけでは、さすがに……格好がつかん」
歴史ある神話の神様なのに、恋愛に関してハデスさまはとても不器用だ。白い頬を赤く染めるハデスさまのしぐさがほほえましいらしく、隣の織姫さまはくすくす笑う。
「蓋は、奥様がハデスさまと出会った花畑をイメージして彫刻をほどこしてます」
オルゴールの蓋では、可憐な花が咲き乱れていた。丁寧に彫られた花のいくつかは、ジルコンがあしらわれていてキラキラと華やぐ。
「蓋の留め具も見てみてください、ハデスさま」
「これは……、スイセンか。なるほど、考えたものだ」
スイセンに触れると、蓋が開く。ベガちゃんはそれを、ハデスさまがペルセフォネさまを連れ去った時に、大地を割いたことになぞらえたようだ。
「中には、星空を閉じ込めました。うちの品物では定番のデザインです」
オルゴールの中は、小さな星空。またたく星に混じって、ペリドットがちりばめられている。
そして夜空に浮かぶのは、神秘的な宝物のようなアメシスト。
「曲も聴いてみますか? オルフェウスさんが、オルゴールのために作ってくれた曲なんです」
「オルフェウス……、あの吟遊詩人か。彼の演奏は、妻も気に入っていたな」
少し考え込んでから、ハデスさまはゆるく首を振った。
「こればかりは、妻と聴くことにする。彼女のための贈り物だからな。私が先に聴くわけにもいくまい」
「わかりました。では、お包みしますね」
かわいらしくラッピングされたオルゴールを持って、ハデスさまは帰った。
ペルセフォネさまが冥府に帰るのは、いつ頃だろうか。奥手なハデスさまが無事にプレゼントを贈れるといいな、とぼくは思った。
「ベガ、私は聴きたいわよ。かけてみてちょうだい」
「このアメシストに触るだけでかかるよ」
残った方のオルゴールの蓋を、ベガちゃんが開ける。こちらはデザインが違っていて、いくつかの布を縫い合わせてパッチワークのようになっている。
「織姫さまのオルゴールは、ハデスさまのとは違うんだね」
「コッチは、彦星さまへの贈り物だから。彦星さまは、織姫さまを作る織物まで愛してるからね」
「やぁね、ベガったら。照れちゃうじゃないの」
少女のようにはしゃぐ織姫さまは、確かに魅力的だ。ハデスさまたちとは違うけれど、こちらも素敵な恋人同士みたいだ。
織姫さまのたおやかな指先が、淡い紫のアメシストに触れる。
とたんに、静かな竪琴の音色が響き渡る。ぼくの知るオルゴールとは違って、すぐそこでオルフェウスさんが演奏しているかのように聴こえてくる。
会えない寂しさが、切なげな旋律にのって届く。時おり凛と響く音に、会える日がいつか必ず来るのだと伝わる。
ぼくはそのメロディに、地上に帰らなければならないペルセフォネさまとハデスさま、天の川に隔てられた織姫さまと彦星の姿を見た。
そして、冥府に留まらなければならないエウリディケさんと、彼女を連れ戻せなかったオルフェウスさんの姿も。
曲調は、徐々に明るくなっていく。近づく再会の日への希望に満ちあふれてくる。また会える幸せを響かせて、穏やかに曲は終わる。
「……とってもいい出来だわ、ベガ。さすがね」
「ウン。ねえ、文弥。どうだった?」
満足げにほほえんだ織姫さまにうなずいてみせたベガちゃんは、なぜだかぼくにそう問いかけた。
「……え? ぼく?」
「そうだよ。ハデスさまのオルゴール、アレは文弥が作ったんだよ」
「ぼくは何も……。彫刻も石の調達も、ベガちゃんがしたことでしょ」
「そうだけど、わたしは文弥のアイディアをカタチにしただけ。それに、オルフェウスさんだって」
星空みたいなベガちゃんの瞳から、目がそらせない。
「少し前の自分だったら、再会の幸せを表現できなかったって。文弥が、幻でもエウリディケさんと会わせてくれたおかげだって」
そういえば、オルフェウスさんもぼくに伝えてくれたはずだ。ぼくの願いのおかげで、救われたんだって。それを否定しないでほしいって、言われたはずなのに。
「今回の仕事だって、文弥がいたからわたしはオルゴールを作れた。ハデスさまも、気に入ってくれてたでしょ」
「うん……」
「文弥のことは、わたしが信じてあげる。だから文弥は、わたしを信じてほしいな」
「そんなの、とっくに……」
言いかけて、ふと気づく。ベガちゃんが伝えたかったことに。
ぼくを信じてくれる彼女を信じるということは、間接的に自分を信じることになる。ベガちゃんはそれを、今の言葉と、オルゴールという形で示してくれたんだ。
「そっか、うん。わかったよ、ベガちゃん」
「それならよかった。コレ、今回のお礼だよ。じゃあまたね、文弥」
「また、呼んでね。ベガちゃん」
「ウン」
夜空の世界から戻ってきたぼくの手元には、ベガちゃんとの新しい約束とオルゴールが残された。
シンプルなオルゴールは、中を開けると煌めく星たちを閉じ込めた夜空が広がっていた。流れる音楽は、あの日オルフェウスさんが奏でた『愛』の曲だった。