冥府の王と天の川の織姫
電車が到着して間もない駅前には、色とりどりの傘の花が咲き乱れている。こんな天気が続くなら、今年も織姫と彦星はカササギたちの助けを借りて会うのだろう。
小雨の降る中、ぼくに声をかける人がいた。
「宵くん、久しぶり」
「お久しぶりです、七星先輩。えっと、最近はどうですか」
今年の春、七星先輩は高校に進学した。それから会うのは久しぶりで、ありきたりな言葉しか浮かばなかった。
「それなり……かなぁ」
「七星先輩……?」
「それより、宵くんは? あれからオルフェウスさんには、また会ったりした?」
七星先輩の表情が曇ったが、それをぼくが追及する前に話題をそらされる。
彼女は、ぼくが出会った不思議な世界の話を信じてくれる唯一の人だ。この前、ぼくに届け物をしに来てくれたオルフェウスさんと会ったこともある。
「いえ、あれからは……」
「文弥!」
ぼくと七星先輩が振り向いた先、和服を現代風にアレンジしたような服の少女が駆けてきた。
「ベガちゃん? どうしてここに……」
いや、彼女がぼくの前に現れる時の理由は一つだ。不思議な夜空の世界から来て、いつもぼくに手を差しのべてくれる。
「織姫さまからの依頼の納期、もうすぐなんだけど……。別件まで入りそうなんだ。だから、文弥に手伝ってほしくて」
いつも明るくて、ちょっと強引なところもあるベガちゃんだけど、今は心底困っているという様子だ。単純に忙しいだけではないようだ。
勢いのまま言い終ってから、はっとして七星先輩に気づく。やっぱり、あまり人に知られてはいけないのだろうか。
「ベガちゃん、大丈夫だよ。七星先輩は信頼できる人だし、オルフェウスさんのことも知ってるんだ」
「あ、その話聞いたよ。そっか、キミが七星先輩さんなんだね」
「私も、あなたとは一度会ってみたかったな。宵くん、気にしないで行ってきたら?」
「でも……」
「また話聞かせてね、宵くん」
なぜだか、後ろ髪を引かれた。けれど七星先輩は、ぽんと軽くぼくの背を押す。
「文弥、行こう?」
「……うん」
大丈夫だよね。こうして見送ってくれたし、ぼくよりも一つ年上の先輩だ。ただちょっと親しかっただけの後輩にできることなんて、たぶんないはずだ。
ベガちゃんに手を引かれ、人気のない路地裏に曲がったとたんに景色が変わる。日の当たらない無機質な道から、星がまたたく夜空の世界へ。
いつも通りに綺麗なのに、今日の星空はそれだけでないように見えた。いつもならただ見とれるのに、ぼくはそこに何かを探す。
「ベガちゃん、何かあったの? なんか、星がいつもと違って見える」
ふわりと地面にたどり着いてから、ベガちゃんに問いかけた。
「さすが、文弥はするどいね。特別なお客様が来るんだよ」
「特別な?」
「ウン。カロンさんのあるじで、冥府の王であるハデスさまだよ」
ハデスは、ギリシャ神話の最高神ゼウスの兄弟であり冥府を治める王だ。かなりの権力を持っているはずなのだが、彼の神話は少ない。だからぼくも、彼のことはあまり知らない。
「わたしは文弥ほど、星の物語に詳しくないからさ。キミにいてほしいんだ」
「できるだけ、力になるよ」
「ベガ! やっと帰ってきた!」
なんだか、今日はやけに言葉をさえぎられる。しかし、オルフェウスさんの声ではない。他のベガちゃんの知り合いを、ぼくは知らない。
誰だろうかと視線を向けると、ひらひらした着物をまとった女性が歩み寄ってきた。落ち着いた雰囲気だが、弾む声もしぐさもどこか少女らしい。そうして、ぎゅっとベガちゃんに抱きつく。
「お、織姫さま。ただいま」
「おかえりなさい。あら、もしかしてこの子が文弥?」
「は、はじめまして、織姫さま。ベガちゃんには、お世話になってます」
「まあ、礼儀正しくていい子ねぇ。ベガの手伝いをしてくれてありがとう」
織姫さまはベガちゃんを放したかと思うと、今度はぼくを抱きしめる。まるで犬をかわいがるように、しきりに頭を撫でられた。
「織姫さま、とりあえず作業小屋に戻ろう。そろそろハデスさまが来る時間だよ」
「そうだったわね。ベガのおめかしもしたし、応接室の準備もできてるわ。あとはハデスさまをお待ちするだけだものね」
ベガちゃんの服は、織姫さまの見立てらしい。上は袖がすっきりしたデザインの着物。それにフリルがたっぷりの、袴に似た膝丈のプリーツスカートを合わせている。和洋折衷が現代的で、かわいらしい印象だ。
ベガちゃんの作業小屋にて、ハデスさまの来訪を待つ。ぼくは遠慮して立っていたが、織姫さまに手を引かれて隣に座った。ベガちゃんは織姫さまに似たようだ。
あまり待たないうちに、ドアがノックされる。出迎えたベガちゃんにうながされて入ってきたのは、黒一色のコートをまとう長身の男性だった。
「このたびは、ご依頼ありがとうございます。私、ベガの主人の織姫ですわ」
「ご評判は聞き及んでおります、織姫殿。ギリシャ神話の冥府の王、ハデスです」
ハデスさまは、無表情なせいか冷たい雰囲気の人だった。灰色の瞳が向けられるだけで、ぼくは気圧されてしまう。
「ここのことは、カロンから聞きました。星を加工し、良い品を作ると」
「そうでしたか。ではハデスさまは、どのような物をご所望なのでしょう?」
ハデスさまが相手でも、自然に接する織姫さまはさすがだ。まともに口を開けないぼくやベガちゃんに代わって、彼の依頼内容を聞いてくれる。
だが、どんな品を依頼するのか聞かれたところで、ハデスさまが言葉に詰まる。落ち着きなく視線をさ迷わせ、ややあってから先ほどより小さな声で言う。
「……妻に、贈る品を」
「まあ、素敵ですわ! 大切な方からのプレゼントは嬉しいものですもの。私も、毎年夫の牽牛さまに贈り物をしていますわ」
「なるほど。しかし私はお恥ずかしながら、女性が喜ぶプレゼントがよくわからないものでして」
真っ白な肌を赤く色づかせ、ハデスさまは目をそらす。そういえば彼は、一目惚れしたペルセフォネさまを、連れ去ってしまったほど愛しているのだった。
ただ、その話から受ける印象通り、ハデスさまは女性の扱いは苦手らしい。兄弟でもゼウスさまとは大違いだ。
「では奥様に贈る星を使った品を、どのような物かはベガに任せる、ということでよろしいでしょうか」
「うむ」
「承りました、ハデスさま。良いお品を作れるよう、精一杯がんばります!」
立ち上がったベガちゃんが、背筋を伸ばして言いきる。きりりとした表情は、誇りを持つ職人としてのそれだ。ぼくもそんな彼女の隣に並び、一礼する。
「君がカロンの言っていた、星集めの子の助手か。変わった二人組ではあるが……任せたぞ」
「はい!」
ベガちゃんと二人、声を合わせて返事をする。きっと、二人でなら大丈夫だ。ベガちゃんが良い物を作るのはよく知っている。そして、ぼくを頼りにしてくれていることも。
ハデスさまが作業小屋をあとにし、織姫さまも帰った。『がんばってね、ベガ。それから、私にも同じ物をお願いね。あなたが作るのなら、きっと素敵な物でしょうから』と言い残して。
足音がすっかり去ってから、ベガちゃんは中央テーブルに突っ伏した。
「って宣言したのはいいけど、わたしハデスさまの奥様なんてゼンゼン知らないよー」
「ハデスさまの神話って少ないんだよね。よく知られてるのはやっぱり、ペルセフォネさまとの話かな」
ある日、ペルセフォネは友人たちとやって来た花畑で、一輪の綺麗なスイセンを見つけた。その花に手を伸ばすと大地が割け、ハデスによって冥府に連れ去られる。
連れ去られたものの、奥手なせいか強引な手段に出ず、丁重に接するハデスにペルセフォネも惹かれる。他の神々と違い、長い時を冥府で過ごす彼の孤独を知ったからかもしれない。
母デメテルのはたらきかけもあり、ペルセフォネは結局地上に帰ることになった。けれどその時、彼女は冥府のザクロを口にする。冥府のものを食べれば、そこに残らなければならない。
「それで、ペルセフォネさまは一年のうち四ヶ月……くらいかな。冥府で過ごすことになったんだ」
「フーン、そうだったんだ。限られた期間しか一緒にいられないなんて、織姫さまたちと似てるね」
「そうだね」
だから織姫さまは、贈り物をしたいハデスさまに共感したのかもしれない。
「これで、ペルセフォネさまは花がお好きだっていうのはわかったね」
「あとは……。そうだ、オルフェウスさん! ペルセフォネさまは、冥府まで行ったオルフェウスさんの演奏に感動したんだ。それでハデスさまに、なんとかエウリディケさんを帰せないか頼んでくれて」
「なら、オルフェウスさんの演奏? あ、でもオルフェウスさんは、今ちょっと忙しいみたいで……」
あのアケローンの件以来、オルフェウスさんの演奏はさらに素晴らしくなったと評判らしい。おかげで、あちこちから演奏の依頼が来ていて、休む暇もないそうだ。
「オルフェウスさんには、無理させたくないよね……」
「それに、星を使った品って依頼だし……。もう! こんなにムズカシイ依頼、そうそうないよ!」
ただでさえ、織姫さまからの依頼の納期が近いのに。とベガちゃんはぼやく。弱みを見せるくらいには、彼女もぼくを信頼してくれているらしい。
それに応えたい。ぼくは、必死に考える。
星を使った贈り物。ハデスさまから、ペルセフォネさまへの。二人の結婚のきっかけは花。オルフェウスさんの演奏に感動したのは、彼女が王妃として、冥府の王ハデスさまの隣にいたことを示している。
それならば、できるだけそれらの要素を取り入れたい。
「あ! ベガちゃん、オルゴールなんてどうかな?」
「ソレ、いいね! 箱の部分に細工できるし、一曲だけならオルフェウスさんにも頼みやすいしね。アリガト! 文弥がいてくれてよかったよ!」
勢いよく立ち上がったベガちゃんは、いい案が出たうれしさからかぼくにぎゅっと抱きついた。
「ソウと決まれば、オルゴールは別の人に頼まなきゃね」
「ベガちゃんみたいな仕事をしてる人が、他にもいるってこと?」
「ウン。その人は趣味でやってるんだけど」
ドアを開けたベガちゃんが、立ち止まってぼくに手を差しのべる。ためらわず、ぼくはその手をとる。
夜空の世界の、ぼくの案内人。今度は、どこへ連れていってくれるのだろうか。