(9)
私がその言葉に疑問をいだいた、次の瞬間。秋斗くんの両手が、無造作に開かれた。そこからあらわれたのは、何事もなかったように流れ落ちる一本のチェーンロック。
そう、一本。ちぎれとぶ前とまったく変わらない、そのフォルム。
「へ?」
理解の範囲をとっくに超えすぎてしまって、私はただただ呆然となる。
あの。いったい、なにが……?
「これでよしっと。とりあえず直しておいたから、許してもらえないかな?」
微笑をむけてくる秋斗くんの横をすり抜け、私は玄関ドアに走り寄った。
宙にブラブラと浮遊するチェーンロックをつまみ、マジマジとながめる。ちぎれているどころか、ヒビ一つない。
私はそばにたたずんでいる秋斗くんの両手を取り、その手のひらをジッとくまなく調べ始めた。
「そ、それでね、美結さん。新居なんだけどさ――」
動揺した声がきこえるけど、とりあえず無視。
さっきの、なに? 一時期はやった、ハンドパワーってやつ? それとも何かのマジック? 全然、わからない。わからないけれど、この手にチェーンロックを壊されて直されたのは事実だ。
彼に不可能はないのかしら、本当に――
「きみに、実際に見て欲しいんだ。だから、ね。その……」
すぼんでいく台詞に、私はスッと秋斗くんの手を解放した。
背筋を伸ばし、視線を下に落とした状態の彼にむき直る。
「ねえ、秋斗くん」
「え!? な、なに?」
少し驚いたように、秋斗くんが顔をあげる。
「私が次に出す条件をクリアすることができたら、その新居を見に行ってあげてもいいわ」
「ほんと!?」
喜びを全面に押し出してきいてくる彼に、私は大きくうなずいた。
「ええ、本当よ」
だって、この条件はそうそうクリアできるものじゃないって自信があるんだもの。
見てなさい、秋斗くん。その完全無欠のキラキラ笑顔を、昔私の前でのぞかせていた、なつかしの泣きじゃくり顔に変えてやるんだから……!
「私の次の条件は――、“世界を救うこと”よ」
「え……」
ピッと人差し指を立てながら条件を告げる私に、秋斗くんは絶句した。
ふふふ、早速効果アリってやつかしら?
得意げに、私はつづける。
「あなたの世界、魔物がいて確か魔王もいるって言ってたわよね? そんな危ない世界を、平和な世界にしてみせてよ。世界のために奮闘して。私、結婚するならそう――、世界の救世主様がいいわ!」
どう? この条件!
ロールプレイングの世界だったら、最終的な目標は魔王を倒して世界を救うこと。
なら、そう簡単にクリアできるはずがないわよね?
私が胸中でふんぞりかえっていると、こわばっていた秋斗くんの表情が一瞬でくずれさった。
「そんな簡単なことでいいの? よかった。じゃあ、早速行こうか」
「……はい?」
苦もなくそう言われ、手首をつかまれる。唖然としているうちに、秋斗くんの指先が空中に四角を描く。その大きさは、ちょうど彼の頭がスッポリと収まるほどのもの。
四角の始点と終点がつながった、その瞬間。秋斗くんがなぞった部分が淡く光って、私がまばたきを一つしている間にそれは、大きな赤い木製の扉に変わっていた。
「扉の中は結構不安定だから、ちゃんとおれに――」
「ちょ、ちょっと待って!」
「どうしたの、美結さん。おれがついているから、大丈夫だよ?」
きょとん、としながら不思議そうに私を見おろしてくる秋斗くんの手を、私はあわててふりほどいた。
「そうじゃなくて! 私、まだ行くとは一言も口にしていないんだけど!」
「え、だってさっき……」
「そうよ。魔王を倒して世界を救ったら――」
「だから救ったよ? ついこの前、あっちの世界の魔王を倒したんだ」
「見に行ってもいいって――、へ?」
私は、思わずまぬけな声を発してしまう。
ちょっ、今なんて……
私の視線の意味をくみとったらしい、秋斗くんは照れたように頬をかいた。
「最近、こっちの世界に来てなかったでしょ? 美結さんに会いにくるのを必死に我慢して、その間に魔王討伐の旅に出ていたんだ、おれ」
「魔王討伐、ですって? なんでそんな……、この前なにも言ってなかったじゃないの」
「だって、美結さんが望んだから」
ニコニコと、嬉しそうに話す秋斗くん。
いやいやいやいや。私は、何度もこまかに首をふった。
「私が望んだのは、今さっきよ? 秋斗くん、あなたまさか、その犯罪的すぎる力に加えて予知能力みたいなものまで持っているの?」
「ううん、持っていないよ。でも、そんな能力があれば便利そうだね」
便利そうだねって……
彼ならさもありなんって感じで、ものすごく怖いんですけれど。
じゃあ、どういうこと? 私がクエスチョンマークをいっぱい飛ばしていると、秋斗くんが「美結さん」と、私の名を呼んでくる。
「きみさ、新居にはお城くらいの大きさがいいってこの前言ったでしょ?」
新居にお城? そんなこと言ったっけ。
記憶にはないけれど、その条件もかなりの難問のような気がする。グッジョブ、過去の私。
「お城って簡単に空き家になるものじゃないし、新しく建てようにも、適した広さの場所が簡単には見つかりそうになかったから、どうしようか考えたんだ」
そりゃあね。
どこぞの王様を追い出してそのお城を奪い取るとか、そんな横暴がまかりとおる世界って危険きわまりない。てか、そんなお城住みたくないし。いや、住むつもりもないけれど。
「それにさ。新しく建てるなんて、そんなに待っていられるわけがないよ。おれは、今すぐにでも美結さんと結婚したいのに!」
ああ……、そうですか。
私は、冷めたようにため息をつく。
「それでね、一つ耳寄りな情報を手に入れたんだ。あっちの世界のお城ってさ、住まいとして使っているのは各国の王様だけじゃなかったんだよね」
各国の王様だけじゃ、ない? ん、ということは――
思わせぶりなその言葉に、私はピンときてしまった。今までの話をまとめると、つまり――
「まさか、と思うけど。くだんの魔王様も、お城に住んでたりなんかしたんじゃ……」
「わっ、すごいね、美結さん! まだそこまで話を進めていないのに、どうしてわかったの?」
う……っ。キ、キラキラとした尊敬の眼差しが、つきささって痛い。
それから逃れるように必死に視線をそらしながら、私は頭を抱えてその場にうずくまりたい衝動を必死に抑えこんでいた。
つまり、ですよ? 彼は、私が住居にお城を望んだ(記憶になし)から、それを手に入れるためだけに魔王を倒しに行ったってことですか――!?
ありえない。ありえない。ありえなさすぎるでしょうが。
どこの世界に、お城を望まれたから魔王を倒しに行きましたって勇者が――ここに、いた。
ドッとあふれだした疲労感と一緒に肩を落とせば、私のお腹が情けない音を立てる。
もう、こんなタイミングで鳴らなくても……ってそういえば、まだ夕飯を食べていないんだった。
「美結さん、お腹空いてるの?」
秋斗くんにたずねられ、私は素直にうなずいた。
「ああ……、うん。秋斗くんが来る前、ちょうど夕飯を食べようとしていたところだったから」
「そうなんだ。邪魔しちゃって、ごめん。なら、あっちに行くのは夕飯を食べてからにしようか」
いや、まだ行くなんて一言も――反論しようかと思ったけれど、さすがに往生際が悪い気がするのよね……。でも、どんな世界かもわからないのに、のこのこついていくにはさすがに不安が――
私が一人で悩んでいる間に、秋斗くんの指先がクルと宙に円を描く。と、目の前にあった大きな赤い木製の扉が、音もなく消えさった。それを見届けてから秋斗くんは一つ息をはくと、少し目を伏せた状態で私にきいてきた。
「あのさ、美結さん。その……、あがらせてもらってもいい?」