表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/101

(3)

 『任せてもらっても、構いませんよ』そう言われたときのモヤッと感が、また私の内心をしめ始めた。


 任せたくないって、思った。贖罪だからとか、クレスさんが信用できないからとかじゃなくて、ただ単に私がみてあげたかった。昔みたいに。幼いころみたいに。


 でも、あのときとは決定的に違うなにか。あのときに感じていたのは、義務感のようなものだった。私が守ってあげなくちゃ、私が助けてあげなくちゃ、私が、私が。

 確かにそんな気持ちもあるけど、だけど今はそれだけじゃなくて――


「私にも、よくわかりません。でも……、でも、秋斗くんが、私の大事な――」

「大事な?」

「大事、な――」


 つられかけて、私は口ごもる。

 私……、今なんて言おうとしたの?


「美結、さん?」


 ハッとなって、私はベッドに目を戻した。

 うっすらとひらかれた藍色の瞳が、あまり視点のさだまらないまま、こちらにむけられている。


「秋斗くん……! よかった、意識がもどったのね」

「ごめん……、美結さん……。おれ……」

「なんで、秋斗くんが謝るのよ。あなたはなにも、悪いことなんてしていないでしょ」

「ううん。おれが勝手なことを言って、美結さんを困らせて……、悩ませて……、苦しめた……。本当に、ごめ……」


 徐々に小さくなっていく秋斗くんの言葉が、完全に消える。


「秋斗くん?」

「おや。また、眠ってしまったようですね」


 クレスさんの言ったとおり、秋斗くんは薄く唇をひらいたまま、再び意識を飛ばしてしまっていた。伸ばされていた右手を布団の中にもどして、私は落ちていた布を水桶につける。


「あなたも、少し休まれてはどうです? ちょうど、軽い食事もそこへ持ってきましたから」

「いえ……。私は大丈夫です」


 かけられた声にそう答えながら、私は秋斗くんの顔を軽くぬぐった。


「そうですか。では、好きなときに食べてくださいね。わたしはあちらの部屋にいますから、何かあれば呼んでください」

「はい。ありがとうございます」


 部屋から出ていくうしろ姿を見送って、私は「よし」と気合をいれなおした。今夜は、寝ないでがんばらないと。


 それからは、ずっと単調な作業の繰り返しだった。


 秋斗くんの額の布を冷やして戻す、汗ばんだ顔や首元、胸元をぬぐう、あとはグラスの水で唇をしめらせてあげる、苦しそうなうめきを耳にするたびにのぞきこむ、何度も同じことを続けてどれくらい経ったころだろう?


 一つ一つの間隔がだいぶ空くようになって、秋斗くんの静かに眠っている時間が増えてきていた。

 はりつめていたものが徐々にほころんでいった私は、つい両腕をベッドにかさねると、その上に頬を置いた。


 私はさっき、なにを口走ろうとしていたんだろう?


「大事、な……」


 知り合い? 友達? 元・ご近所さん?


「幼なじみ、だよね? ……ううん、きみはきみだもの。あっくんはあっくんだし、他のだれでもない。その関係は、変わらない。変わらないはずだったんだけど、な」


 笑っちゃう。

 私がきみを、こんな風にしちゃったのに――


『こうやってあなたが献身的に看病をしているのも、その贖罪のためですか?』


 贖罪って、罪滅ぼしのことだよね。確かに、謝罪したい気持ちはあるけれど。本当に、それだけなのかなあ? 自分のことのはずなのに、よくわからない。


 贖罪より、食材の方がいいのにね。


 安らかに眠っている秋斗くんをぼんやり見つめていると、いつしか私もウトウトしてしまって。


 次に気がついたとき、真っ白な光がまぶた全体にひろがっていた。ゆっくりと目を開いて、まばたきをする。


「私、いつの間にか寝てしまって……あれ?」


 身じろぎと同時に、肩からずり落ちていったのは白い上着だった。これって、エレナイのやつ?

 上着を羽織りなおしながら、私はその持ち主だろう彼を見る。その長いまつげが、ふるえた。


「ん……、美結、さん?」

「秋斗くん……、目が覚めた? えっと……、おはよ」

「おはよう」


 上半身を気だるげに起こし、シャツ一枚の秋斗くんが私に微笑してくる。


 前髪をかきあげる横顔からダダもれになっているのは、相変わらずの色気……

 藍色の瞳が私の方に流され、そのまま伏せられる。


「ごめん。迷惑かけて」

「ううん、迷惑なんかじゃない。これくらい、どうってことないから。それより上着、いつの間にかけてくれたの? その……、ありがと」

「あ……、うん。それくらいしかできなくて、ごめん」

「それくらいって、私は普通に――ごにょごにょ」


 あ、あれ?

 『嬉しかった』が意味不明な言葉になっちゃったけど、き、気にしない!


「ったですよ……っ」

「え?」


 やっぱりきき取れなかったらしい、きょとんとする秋斗くんに上着を押しつけた私は、「まったく」と短く息をはいた。


「いつも、きみはそう。どうして自分ばかり悪く言うの? きみがおかしくなっちゃった原因をつくったのも、きみを傷つけて苦しめたのも、全部全部私が」

「優しいね、美結さん。いつも、いつも……」


 私の言葉を途中でさえぎるように、秋斗くんが強めの口調で言ってくる。

 彼を見つめると、藍色の眼差しとおだやかな表情が真っすぐに受けとめてくれた。


 どうして、とめるの? だって、私がきみを――


「どうし、て……?」

「どうして? きみは、何も悪くないじゃないか。悪いのは、全部おれ」

「秋斗くんは、悪くない。ねえ、どうして? どうして、自分ばかり悪く言うの?」


 それじゃまるで、私の分まで一人で全部しょいこんで、みずから汚れようとしているみたいじゃない。


 そんなの、まちが――


「そんなの、ずっと前から決まっている」


 やわらかな笑みと一途な眼差しが、私の疑問を完全に封じこめてくる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ