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「……っ」


 荒い吐息が漏れて、両の眉が苦しそうに寄せられる。

 ずり落ちていく額の白い布を取り、私はそれをギュッと強くにぎりしめた。



 4.変わらないもの



「秋斗くん! ねえ、秋斗くん!」


 さすってもゆすっても何の反応も返してこない秋斗くんを、私はただ呼び続けていた。


 どうして? どうして、起きてくれないの?


 両腕に伝わってくる、秋斗くんの尋常じゃない熱。いきなりのことに完全に気が動転してしまった私は、彼を抱きしめたまま途方にくれていた。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう。なんとか、なんとかしないと……!


「……おや? かわいらしい叫び声がきこえて来てみれば、どうやら大変なことになっているようですね」

「! だれ?」


 突然かけられたおだやかな声に、私ははじかれたようにそちらをむいた。


 一つのみつあみに結われた銀色の長い髪が、胸元でゆれている。シャラン、と髪全体に巻かれて耳元に垂らされたかざり紐が、すずやかな音を立てた。切れ長の赤紫の瞳に少しだけ冷たいものを感じたけれど、まとわれたやわらかな雰囲気に、気づいたら私はその人に助けをもとめていた。


「お願いです、助けてください! 彼の様子が、さっきからおかしくて……! でも私ひとりじゃ、支えるだけで精いっぱいで……もう、どうしたらいいか……!」


 うつむいた私の頭に、あたたかいものがそっとおかれる。ハッとなって見あげれば、私の頭に手のひらを乗せたみつあみの人が、隣に片膝をついてきた。


「落ち着いてください。あなたがそんなに取り乱すと、この子も気が気ではないでしょうから」

「え?」

「大丈夫です。わたしにとってもこの子は大事な――そう、弟子みたいなものなのでね」


 秋斗くんを肩にかかえたその人にほほえまれ、私は安心感と一緒に小さく息をのんだ。

 このひと――、秋斗くんの笑い方にそっくりだ。なんとなく、そう思ったから。


「とりあえず、わたしの家に行きましょうか。話は、それからです」




 手にとった白い布を、そばのテーブルに用意してもらった水桶にひたしてしぼる。ひんやりとしたそれで、ベッドに横たわった秋斗くんの汗ばんだ顔を軽くふいてからそのまま額に置く。布越しなのにじんわりと伝わってくるその熱さに、私はポツリとつぶやいた。


「すごい、熱……」


 この世界に体温計なんて便利なものはないだろうから正確にはわからないけど、もしかしたら40度近いのかもしれない。私自身、こんな高熱に見舞われたことがないから、どれだけきついのか想像がつかない。


 でも、できないことはないんじゃないか、て思うほどの完璧超人ぶりを発揮しまくっていた秋斗くんのこんな姿。相当、しんどそうだった。


「秋斗くん……」


 意識は、あれから一度も戻っていなかった。声をかけても、反応があったのは苦しそうな表情と、たまにもらされるうめきや吐息だけ。


 すでにぬるくなってしまっていた額の布をとり、また水につける。くつろげられた首元をそっとぬぐい、窮屈に感じる胸元もゆっくりとひらいていく。なんとなく朝の出来事がよぎったけど、今は気にしている場合じゃない。


 呼吸が楽になったのか少し落ち着いたように思える秋斗くんに、私は安堵しながら近くにあった椅子に腰かけた。


 ここは、城下町のそばにひろがった森の中にある小さな家だった。二つしかない部屋の一つに通してくれた家の主人は、秋斗くんをベッドに寝かせて、水差し、水のはられた桶、そして数枚の白い布を私に渡しながらたずねてきた。


『あとの面倒は、わたしに任せてもらっても構いませんよ?』


 そう言われて、私はためらってしまった。


 このまま任せた方がいいという肯定の気持ちと、表現しにくいモヤッと感。結局、後者に押されて私が首をふると、『そうですか。では、お願いしますね』と家の主人は部屋から出て行ってしまった。


 モヤッと感をかかえて、秋斗くんの世話と椅子との行き来に専念することにした私は、彼のしっとりと濡れた前髪をそっとはらいのけた。


 どうして、こうなっちゃったんだろう。


 今朝は、特に変わったところはなかったはず。普通に朝の集会とやらに出ていって、そのあとに――そうだ。あの子が――幼いあっくんにそっくりな子供が、部屋にいたんだ。それで私が、動揺してしまって……


『僕らしいとか、僕らしくないとか、そんなの関係ない! 僕は、僕だ!!』

『きみは――、きみは僕の婚約者なんだから!!』


 あんなに激昂している秋斗くんを目にしたのは、久しぶりだった。いや、今の姿になってからは初めてかもしれない。あんなに感情をむき出しにした秋斗くんも、その激しい感情を直接ぶつけられたことも。


「あの『あっくん』は、いったい誰だったんだろう?」


 この秋斗くんと入れ替わりのように消えてしまった、あの子。髪の色は違ったけれど、顔立ちはあっくんそのもので。私のことも知っていたし、いつもの呼び名も。幻覚にしては、すごくリアルだった。


 胸の中のモヤっと感がふくらんだ気がして、私は胸元で手をにぎった。


 不意に秋斗くんが、「……ず」ともらしてくる。


「ず?」


 って、なに?

 ずー、ずー、ずっころばし?


 天井をむいていた秋斗くんが、私の方へ身体の向きを変えてきた。


「……み……、ず……」

「あ、水ね」


 合点がいった私は、水差しから少量の水をいれたグラスをつかんだ。のはいいけれど。


「どうやって、飲ませればいいの?」


 ためしに布を秋斗くんの口元にしいて、唇の横から流しこんでみる。そのほとんどがこぼれ落ちていくのが見えて、すぐにやめた。


 次に秋斗くんを仰向けにもどしてグラスを傾けてみるけど、きれいに並んだ上下の歯にはばまれてしまう。さて、困ったな。この場合、どうしたら――


 ま、まさかあの秘蔵のテクニックを……!?

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